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第十話 土方先生の士道

 正月を迎えての文久四年。今日も京は強烈に不穏だ。

 ちなみにしゃれだ。"不況だ"にしようかと思ったけど意味が違ってくるので諦めた。

 屯所のある壬生から四条通を歩いて大橋の前を左に曲がると河原町という区域がある。

 御所にも近いこの場所に、尊皇攘夷の急先鋒である長州藩の藩邸がある。そのため自然と尊攘派の聖域となっており、何も起こらずともふつふつと不穏な空気が薫っていた。

 ちなみに、尊皇攘夷思想自体がいけないわけじゃない。天子様を敬えというのはあまねく知れ渡っている常識だし、夷狄を打ち払えというのも、百人に聞いたら九十八人が「そうしろ」という時勢だ。

 問題はそういう思想に乗じて幕府の転覆を狙っているところ。セージ家というのはいつの時代も現政権の落ち度をあげつらうものなんだろう。彼らは幕府の弱腰を何百倍にも吹聴して、自分たちが政界の中心に立とうともくろんでいるわけだ。

 薩摩藩などは、それが長州藩主導であることが気に入らないから追い込んだフシがある。松平の名を継いでいる会津中将とはその辺が根本的に違っていた。


 とにかく長州人をみたら泥棒と思え、が、当時の京都。追求はたとえ飯時でも芸者遊びの間でも厠で用便の最中でもゆるめない。

 しかし敵もさるものだ。明らかに地下に潜って陰謀を画策していると分かっていても、その姿はまるで蜃気楼のようだった。

「桂小五郎、久坂玄瑞、吉田稔麿、杉山松助か……」

 それら長州藩士の名が重要参考人として挙げられ、彼らに繋がる情報を今、会津藩、新撰組は躍起になって探している。

「とろろうどん一丁あがりだ」

 コノヒト以外は……。


 一方で新鮮組はますます活気付いて商い中である。

 左之助さんの客応対もすっかり板について、その陽気な様と男前の面構えで、うどん屋では珍しく女が客に上がることもあった。

 何のかんの言っても土方先生の新鮮組を誰も咎めないのも、内心で皆、新撰組のもう一つの顔を楽しんでいる風があったからだと思う。いや、あるいは、このまま新鮮組に傾倒していくのも悪くないんじゃないか。……そんなことを、皆の表情は語っているようだった。

 だけど、時流は僕らがそんな風に緩やかな川になることを許してはくれない。ある日、その時代の潮流というヤツが、まるで土砂崩れのように新鮮組を襲ったのである。

 あれは昼の繁盛の刻限を少しすぎたころだった。どやどやと押し入ってきた複数の人影に、店は騒然となった。

「旅客取調べを行う。おとなしくすればすぐ済むゆえ、ご協力願いたい」

 人影の正体は京都見廻組きょうとみまわりぐみ。新撰組と同じく会津中将預の治安維持組織だ。

 何が違うかと言えば素性が違う。あちらさんはもともとがれっきとした武士階級であり、浪人集団の新撰組との軋轢を避けるために会津中将様は組織を分けたらしい。

 ともあれ、問答無用で押し入る見廻組。先頭にいるのは頭目の佐々木只三郎殿だ。対する新鮮組の店員は左之助さん(と僕)。

 その左之助さんが凄む。

「なんじゃぁ、人の店にずかずか上がりこんでくるんじゃねえ!!」

「我らは京都見廻組だ。権限は会津中将様から拝命しておる」

「なんだと!? こちとら新撰組だ!」

「知っている」

 いや、多分勘違いした。今絶対に勘違いした。彼らはゼッタイここを新撰組と知らずに踏み入っている。

 「しんせんぐみ」の名は両方とも音は同じだ。ついでに京都見廻組の連中は僕ら新撰組を見下ろしているようなところがあるから、隊長とはいえ十番隊の左之助さんを知っているとは思えない。

 単純に、「こちとら新鮮組だ!」と聞こえただろうし、お客のほとんどもそう解釈しただろう。

 うどん屋が何をカリカリしとるか……といった表情だし。

「人のシマを勝手に荒らすねぃ!!」

「公儀の御用だ。逆らえば縄を打つ」

「なんだと!!」

「待て……」

 ゆらり……陽炎が立ち昇ったような錯覚が、厨房からした。

 土方先生だ。前掛け姿のため、新撰組副長の堂々たる格好からすれば見る影もないが、その異様な威圧感は店の入り口まで届いたらしい。

 佐々木殿は立ち止まり、そして「む?」という声を上げる。

「土方?」

 さすがの彼も新撰組副長の顔は知っているらしい。先生も先方の顔が分かったようだ。

「佐々木か。うどんでも食いに来たか」

「お手前がうどん屋を?」

「ああそうさ。ここに来たのは偶然か」

「うどんを食いに来たのではない」

 一歩進み出る佐々木殿。

「この中に長州よりの不逞浪士が紛れている可能性がある。改めたい」

 そして答えを待たず、後ろの者たちに手で合図をした。

 が……土方先生はむっつりとした表情を浮かべ、はっきりとこう言い放つ。

「お帰り願おう」

「なに?」

「ここは新鮮組だ。狼藉は許さねえ」

「これはしたり」

 佐々木殿は眉をひそめた。

「御用を狼藉とは如何なる暴言か」

「ここはうどん屋だと言っている。うどんを食らうのに身分や門地の別があるものか」

 金を払って食っている間は他の誰にも侵されない場所にすることが信用であり、それを誠実に提供することが新鮮組の仕事だ……ということを土方先生は言った。

 佐々木殿、唸る。

「長州藩士でもか?」

「長州藩士でもだ」

 彼は先生を見据え、何か言葉を探しているようだった。やがて、

「……それは新撰組の、公儀に対する裏切りととっていいか」

「裏切りじゃねぇ」

 先生の目が、佐々木殿を見据える。

「新鮮組における……それが士道だ」

「ふ……」

 佐々木が笑う。嘲るように。

「さすがはにわか武士の土方先生。慣れない言葉を発するとそのように履き違えるか」

「ほぅ」

 目を細める土方先生。

「では士道が何かをご教授願おうか」

「ふ……」

 また嘲笑わらった。「士道とは」と前置きし、

「……武士が腹の底に留めて置かなければならぬ精神の根源である。その際たるものは何か……それは、主君のために死を賭して働くことにある」

 ……しかるに、お手前の主君は誰だ?

 佐々木殿は答えを待つのも煩わしいとばかりに話を進めた。

「会津中将、松平容保様に相違あるまいな?」

「……」

「お手前方は京都守護のために預りとなった身。……士道を語るならその御恩義に従い、あくまで不逞浪士を追わねばならぬ。それが誠の士道というものぞ」

 「うどんを提供することが士道」とは笑わせる……という含みを持たせて佐々木殿が口舌を結んだ。

「ご教授痛み入る」

 土方先生、会釈をする。

「だが、それは士道の一側面に過ぎぬ。そのようなお題目に拘り囚われている挙句の、現在の混沌ではないか」

 見よ。昨今の公儀の鈍重さを。そして暗躍している尊攘派の連中を。……と、土方先生はあろうことか、僕らからみれば"敵"の将の名を幾人かあげつらった。

「奴ら長州武士どもは、とっくに主君の意思から離れて飛び回っているだろう。それはそれは身軽にな」

 士道が武士の基本則であることはまごうなきことだ。しかし、時勢に柔軟に対処できなければ、この時局は乗り切れぬ。……土方先生は言い切った。佐々木殿の眉間が難しくなる。

「その答えがうどんを打つこととは笑わせる」

「見識が浅くては困る。うどんが大事なのではない。心構えを言っているのだ」

「では聞こう。お手前の言う、時流に柔軟に対処した士道とはなんぞ」

「己の信ずる志に対して、死を賭して働くこと」

「ふ……」

 百姓上がりのハネッかえりが、都合のよい解釈をしたものだ。……佐々木殿の顔にはそう書いてある。

「いったいそれのどこが士道なのだ」

「主君は我の心にあり。その心を決して裏切らず、誠実かつ忠実に事に当たること。……それが、新鮮組の士道だ」

「……」

 土方先生は死ぬまでこの考えを貫いたと思う。先生にとって、主君は会津中将でも、江戸の公方様でもなかった。あくまで新鮮組に生き、新撰組として死んだことを、今ではなく、後の僕が知ることになる。

 それが士道という言葉に対して正しい解釈かは分からないし、正誤の追及は無意味だと思う。先生はそう生き、この場はあくまでうどん屋のお客を守るつもりらしい。

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