第一話 新鮮組、いざ出陣
「しんせんぐみ?」
土方先生はその名前を気に入ったようだった。いつもあまり表情を変えない人なのだが、何かを気に入った時は目を細めてこちらを見据えるのがクセだ。
僕は将来的に局長となる近藤勇先生の口真似をして続けた。
「俺が伝えなきゃいけないところだがどうしても席が外せん。でも歳には早く伝えたいから使いを頼む……とのことでした」
試衛館という江戸小石川にある剣術道場の師範を勤められていた近藤先生と土方先生にあこがれて、京の都まで同道してしまった僕はこの当時、先生方の身の回りの世話をしている小姓だった。名前は栗田平五郎。田んぼの広がっただだっ広い平地が見える大きな栗の木の下にある家で、かぁちゃんが五人目に生んだから栗田平五郎。苗字とか、代々栗田だったかも怪しい栗田平五郎。
「わかった。近藤さんがやる気ならやろう」
土方先生はひそやかに拳を握りしめた。彼はもともと先生のことを勝ちゃんと呼んでたのだが、京都というのは人を変えるのだろうか。なんとなくよそよそしくもなった気がする。
「ところで」
何事かを思案しながら、先生の目は中空を仰いでいる。そのまま声が出た。
「搬入の口はあるのか?」
「え?」
「立ち上げには先立つものも必要だろう」
「はい」
「石田散薬は多摩から取り寄せるとして……特に食物の材料だな」
「ああ、隊士の賄いですか?」
「いやいや、しんせんぐみだろう?」
「はい」
「やはり材料は新鮮なものに限ると思うのさ。そこで、野菜はどこから仕入れるのかと聞いている」
「え? 野菜ですか?」
「まぁいい、お前では詳細はわかるまい。近藤さんと相談するさ。その前に……」
土方さんがすっと立ち上がる。それだけの動作なのに背筋が凍るような威圧感のあるその風格は、新撰組という集団の要となっていく存在になるであろう予兆を、すでに感じさせていた。
「多摩に飛脚を走らせよう。忙しくなるぞ」
……しかし、いい加減ここで気づいてもよかった。
彼の考えている『しんせんぐみ』というものが、僕らが描くそれとはまったく別のものであったことを。
この手記は、激動の時代を、存在感がなかったおかげで生き切って明治の世まで生き延びた僕が、当時の面影を残そうと思い、書いているものだ。
あの頃僕らは大挙して京に上っていた。理由は驚くべきことに、江戸の公方様(将軍様)の要請だった。
鎖国だ開国だと騒がれていたあの頃。日の本は無理やり国を開いた公儀の弱腰につけ込んだ一派が大暴れをしていた。
「秩序は鎖国により保たれていた。国を開こうと企てる者は逆賊だ」
とまぁ、三十文字以内にまとめればそういう主張が蔓延り、江戸幕府は事態の収拾に追われたと。
やがて公方様は上洛を迫られた。
が、当時の京は反公儀の巣窟であったから、御身の危険を払拭するため、清川八郎という男の提案を受けてにわかに発足させた"浪士組"という集団を先に京へ遣り、露払いをさせることにしたわけだ。
そこに、僕を含めた試衛館の人たちも含まれていた。
……のだが……。
事態はすぐにおかしなことになった。
僕らを江戸から引っ張ってきた清川先生は京に着くなり、
「今から天子様(朝廷)に裏切るから、みなも一緒に裏切ろう!」
などと言い出したのだ。
浪士組は大混乱。そりゃそうだ。剣術を習いたいと思い道場に入門してみたら、百人一首大会が始まったようなモノ。
「俺はもともと皆と百人一首がしたいのだ!」と熱弁されても困る。
しかし清川先生の態度を見るに、わりと真剣に、
「こいつらは馬鹿だから剣術と百人一首の違いに気づかないだろう」
と思ってたきらいがある。詐欺とからくりは大胆な方が見破られないとは言うけれど、実際丸め込まれて清川先生についてった人もいたってんだから笑えない。
その中に、三日間くらい考えてうすうす「すこしおかしい」と感じた人がいた。
なにを隠そう我らが師匠、近藤勇先生。
……ちなみに三日もかかったのかよ!!っていうのは、絶賛ツッコミ待ちだ。
「我らはあくまで幕府からの命により馳せ参じた。それを覆せるのは公方様のみだ」と……。
うすうす感じてるだけなのに、一度決めると台詞がいやに男前なのはいつものことだ。
結局清川先生らと袂を分かち、それから僕らは長いこと、風光明媚なお寺の立ち並ぶこの町で、ひたすら自分たちの居場所を探すことになる。
ただし、まったくアテがないわけじゃなかった。だって僕らは曲がりなりにも公方様のお墨付きで京に上ってきたんだから。
御所近く、黒谷には京都守護職である会津中将松平容保様がいらっしゃる。公方様の名はやはり絶大で、中将様に事情を話すと、かなりあっさりと面倒を見てくれることになったらしい。
まぁその時は……えっと、最近発売された小説の冒頭を借りるなら、
『我輩は会津中将御預である。名前はまだない』
だったんだけど……。
その後、紆余曲折の末、文久三年(一八六三年)八月十八日。京都守護職預の僕らは『新撰組』という名を、会津中将様より拝命した。
もちろん名を頂いたのはその日でも、内部通達があったのはもっと前だったから、この手記の冒頭のように僕が土方先生に報告する場面があったわけだ。
そして、新撰組は誕生した。
浅葱の羽織を背中に咲かせて、誠の旗を翻し、三つ都にはびこる悪から、守ってみせよう葵花……ってなモンで市中警護の人を任されることになったんだ。
本拠地は壬生の八木屋敷。四条通に面した壬生村の行司を務めている一族の屋敷であり、二条城や御所にも比較的近い。まぁ、花の都の中心かと言えば、西を見れば限りなく畑だから、ギリギリという感じはある。
そんな場所。壬生菜という漬物がおいしいそんな場所で、繰り返すけど新撰組は誕生した。
しかしその隣に、同じ日、一軒のうどん屋も誕生した。
『うどん処新鮮組』……元試衛館の皆、ぽかんと口をあけて見ていると、中から出てきたのは野袴、襷掛けに前掛け姿の土方先生だった。




