藤の場合
春になり、私こと藤宮愛は高校生になった。
私がこれから毎日通うこととなる高校は、私立花咲学園高等学校という女子高だ。
制服は深い紺色のノースリーブのワンピースタイプ。ワインレッドのリボンをつけ、白いシャツを着る。これを着るだけで上品なお嬢様っぽくなるので地元の女の子には人気の制服だ。鞄は自由だが、リュックサックは禁止。靴下は黒、靴はローファーが指定。だけど冬限定で黒の靴下ではなくタイツが指定になる。因みに靴も、冬限定でなら茶色か黒のブーツなら履くことが許される。
それなりの進学校で、いい大学を目指す女子はここを志望する子が多い。共学ではないけど、人気の学校だ。
私がこの高校を選んだのは、単純に制服が可愛いかったから。
新しい生活に、新しい環境。目新しいものばかりで、ちょっと悲しいことがあって落ち込んでいたものの、私の心は浮足立っていた。
そんなとき、私は王子様に出会ったのだ。
私は中学生のときに彼氏がいた。中学二年生からずっと付き合っていた、イケメンで大好きな彼氏だったけど、性格が合わないって言われて卒業式の日に振られてしまった。
何も卒業式の日に言わなくてもいいじゃない!と当時は怒ったけれど、それ以上に悲しくて落ち込んだ。上手くいっていたと思ってたのに。
落ち込んだままこの高校に入学した。入学式を終えた後、ふらふらと校舎内を探索していたら、突然声をかけられたのだ。
「君、一年生?迷ったのかな?」
声のする方に振り向くと、王子様がいた。
ショートの焦げ茶の髪で、長い前髪から覗く目はとても綺麗で。左耳に髪をかけてピンで留めている。
艶やかっていうのかな、不思議な色気のある人で、女の人だって分かっていてもドキドキした。
中学生の時の彼氏なんて目じゃないくらい、とってもキラキラした素敵な人だった。
私は返事をすることも忘れて、その王子様を見つめていた。あまりのカッコよさに、胸がドキドキする。これは元カレといたときと、同じドキドキ。
私、この人が好きなんだわ!
こういうのを、一目惚れっていうのかな。
「あれ、返事忘れちゃった?」
「あ、え、すみません!」
「いいよ、気にしないで。どこか行きたかったのかな?案内するよ」
「あの…と、図書室に興味があって!」
本当は図書室に興味なんてない。咄嗟に出てきたのが、たまたま図書館だっただけ。
だけどこの人とまだ会話をしていたくて。気付いたら言っていたんだ。
「そうなんだ。本、好きなの?」
「す、好きです!」
「あははっ。元気な子だね。私去年まで図書委員だったんだ。図書室まで案内するよ」
「ありがとうございます!」
今思えば、接点が欲しかったんだと思う。
カッコいい人だから、きっと普通に過ごしてたらまた会うことはできなくなっちゃいそうだったから。
その後は図書室までその人は案内してくれた。
図書室に行くまでに、緊張した私の為にずっと話題を振ってくれていた。
とっても気の利く、優しいカッコいい人。
その人は、図書館に案内し終えてその場を去って行っても、私の心を掴んで離さなかった。
◇ ◇ ◇
王子様の名前は、市花紫陽。私の一つ上の、二年生の先輩だ。
髪はショートで、背が高くて、いつも左耳に髪をかけている。少し垂れ目で、右目のすぐ下に泣き黒子がある。カッコいいと私たち一年生の間で話題の先輩だった。
紫陽先輩にはファンが沢山いるみたいで、ファンクラブのようなものもあった。同じクラスの子たちが嬉々として入会していたのでよく覚えてる。
だけど、私は紫陽先輩のファンクラブには入らなかった。
私は皆みたいに、ミーハーな思いで紫陽先輩を想っている訳じゃない。私は紫陽先輩に一目惚れして、本気で恋をしているのだから!
あの日からずっと紫陽先輩を想っているけれど、先輩と話す機会は今もないままだ。話せたのは、入学式のあの日だけ。
それがより一層、私の紫陽先輩への想いを募らせている。
紫陽先輩のことを知りたくて、情報通の友達に聞いて先輩の情報を集めた。
その結果、紫陽先輩には特に仲の良い美術部の友達がいることが分かった。名前は赤木優子、先輩と同じクラスの小学生からの友達らしい。
よく二人が一緒にいるところは目撃されていて、斯く言う私も目撃していた。友達だって分かっていても、紫陽先輩と仲の良い赤木先輩に嫉妬してしまう。
王子様が気に入っている、唯一の”お姫様”みたいだから。
紫陽先輩は王子様だ。沢山の女性たちの憧れで、手の届かない人。
私が紫陽先輩の恋人になれたらなって思ってしまう。
王子様に選ばれた女の子は、ただの女の子からお姫様になれるから。
紫陽先輩だけでなく、美術部にも王子様的存在がいるらしい。”美術部の王子様”って呼ばれている三年生の先輩だ。それだけではなく美術部には女神もいるらしいけど、私はそんなに興味が湧かなかった。
ただ、紫陽先輩は”美術部の王子様”とは折り合いが悪いらしい。少しだけ興味があった美術部の王子様への関心は、その話を聞いてすぐになくなった。紫陽先輩が仲が良くない人なら、私もきっと合わないもの!
そうやって情報を集めている間に、いつの間にか夏休みが近づいていた。
紫陽先輩のことばっかり考えていたらテストの点が悪くなちゃってお母さんに怒られたけど、私は恋に生きる女だからしょうがないの!
紫陽先輩と付き合えたらきっと今以上に頑張れるから、それまではごめんねお母さん!
私は楽しい夏休みが送りたくて、夏休みを前に紫陽先輩に告白することにした。
先輩の下駄箱に手紙を入れて、図書館で先輩を待った。
◇ ◇ ◇
「…この手紙を書いたのは君?」
その甘い声が私に向けられたのは、入学式の日以来。忘れもしない、私の王子様の声だった。
「…はい」
「手紙をありがとう。ここに来てほしいってしか書いてなかったけど…私に何か用かな?」
紫陽先輩はきっと、その用事が何なのかを知っている。だってにこにこ笑っているもの。
告白され慣れてる人の顔。流石王子様ね!
「あ、あの…」
「うん」
やっぱり、慣れてる。
私が想いを言葉にするのを、待っていてくれている。大人って感じがするな。一個上なだけなのに余裕が凄いなぁ。そういう所も好き。
元カレのときも、私から告白して付き合った。私は恋をすると一直線で、抑えが効かなくなってしまうのだ。すぐに気持ちを伝えたくなってしまう。
だけど告白って慣れないものね、今凄くドキドキしてる。
このドキドキはあまり気持ちの良いものではないけど、気持ちを伝えるためには必要なドキドキだから。
心臓が煩いのを必死に抑えて、想いを慎重に言葉に変えた。
「す、好きです!付き合ってください!」
やっと言えた想いは、思ったよりも大きな声で静かな図書室に響いた。大きな声になっちゃったのは、私の先輩への気持ちが溢れ出ちゃったから。ちょっと恥ずかしいな。
だけど返事を聞くのは怖い。
紫陽先輩の顔を見れなくて、目を瞑っているから先輩の表情は分からない。
怖い、怖い。
返事を早く聞きたいのに、怖くて聞けない。
どれくらい経ったのだろう。多分そんなに長くないはずなのに、授業を一時間終えるより長く感じた。
先輩の、声がした。
「ごめんね」
ぱっと目を開くと、困ったように笑う紫陽先輩がいた。
紫陽先輩の言った言葉の意味を理解できない、したくない。目頭が熱くなり、涙がぼろぼろと零れてくる。
「…ごめんね」
私が理解するのを拒んでいるのが分かっているから、紫陽先輩は意地悪にもう一度言った。
ううん、意地悪は嘘。私がそう感じているだけだから。
じわじわと脳に『ごめんね』が浸透していき、目だけでなく喉も熱を持ち始めた。
私は、振られたのだ。
だけど諦めきれなくて、紫陽先輩に理由を尋ねた。
「ど、どうしてですか?」
「君は、きっと恋に恋をしているだけだ。だから断ったんだ」
私が、恋に恋してるだけ?
そんな理由で振られたの?
納得できなくて、紫陽先輩に食らいついた。
「わ、私は先輩が好きです!恋に恋なんかしてません!」
「いや、恋に、恋してる自分に酔ってるだけだよ」
「酷い!どうしてそんなこと言うんですか!」
「酷い?酷いのは君の方じゃないか」
「え?」
酷い?私が?
「私の何を知っているの?何を知って私を好きだと言うの?」
優しい王子様な先輩。
その紫陽先輩らしからぬ台詞に戸惑った。
「せ、先輩は王子様みたいで…カッコいいです。最初は一目惚れだったけど、色々先輩を知っていくうちにどんどん先輩を好きになったんです」
精一杯、紫陽先輩のことを好きだとアピールしてみるけど、先輩は冷たい表情をするだけだった。
「私自身と仲良くなって私自身を知ったわけじゃないのに、よくそんなことが言えるね」
「え…」
「それは君が勝手に調べて出来上がった想像上の理想の私でしょ?王子様みたいな私。だけど私は、王子様なんかじゃない」
紫陽先輩、どうしてそんなことを言うの。
「そんなことないです!」
「やっぱり君は私を好きなんかじゃないよ。もうすぐ酔いは覚めるから、そしたら私のことは諦めて」
「先輩…酷いです…こんなに先輩のこと好きなのに」
紫陽先輩は優しい人なのに。王子様なのに。
さっきから酷いことばかり言う。
なのに紫陽先輩は、私を見て呆れたような顔をするの。
どうして。
「その好きはまやかしだよ。…諦めはついた?」
「そんな…私やっぱり先輩が好きです…」
「君にこんな酷いことを言っているのに?」
「それは…」
「これから君は沢山の人に出会う。きっと君は惚れやすいだけで、もっと好きになれる人に出会えるはずだよ。こんな酷い女は忘れて、新しい出会いを探して。君なら素敵な人に出会えるよ」
「紫陽先輩…」
酷いことを言うのに、優しいことも言うから酷く混乱する。
紫陽先輩が何を考えているのか分からない。
「酷いこと言ってごめんね。今度はもっと素敵な人を好きになってね」
「やっぱり、付き合ってはもらえませんか…?」
「うん、ごめん」
頑張ってみたけど、紫陽先輩の答えは変わらなかった。
悲しくてまた涙が出る。
諦めきれない。酷いことを言われても、やっぱり好き。だけど振られた。
なら、諦められるように、一つだけ教えてほしい。
「…分かりました、頑張って諦めます。ただ、最後に一つだけ聞いてもいいですか?」
「いいよ、何かな」
「紫陽先輩は、好きな人がいますか?」
紫陽先輩の顔が、少し歪んだ。
その顔を見たとき、本当の振られた理由がこれであると、私は確信した。
私は紫陽先輩の想い人に、負けたのだ。
「……いるよ」
「そう、ですか…」
「私なんかを好きになってくれてありがとう。それじゃ、私は帰るね」
「はい…」
酷く居心地が悪そうな顔をしているのは、知られたくなかったことを知られてしまったから。
私は少し疑念を抱いていたことがあった。
その答えは、紫陽先輩が教えてくれた。
最初から、付き合える望みなんてなかったんだ。
「さようなら」
「…さよう、なら」
紫陽先輩の口から別れ際に聞いた言葉が「また会おうね」じゃなくて「さようなら」なのが、とても悲しかった。
ああ、恋が終わってしまった。
私は、お姫様にはなれなかった。
◇ ◇ ◇
失恋して次の日が夏休みで助かった。
泣いて腫れぼったくなってしまった赤い目では、とてもじゃないけど学校に行く気にはなれなかったから。
紫陽先輩に振られて、ずっと先輩に言われたことを考えていた。
『君は、きっと恋に恋をしているだけだ』
私は紫陽先輩に恋をしたと思っていた。好きだと思っていた。
本当は、恋をしていなかったのかな?
そういえば、元カレも似たようなことを言っていた気がする。
『お前は本当に俺が好きなの?』
性格が合わないって別れを切り出されたけど、最後に聞いてきたのは、これだった。
私って、恋してなかったのかな。
好きじゃ、なかったのかな。
考えても考えても、私はそんなに頭が良くないから分からない。
どうすればよかったのかな。
どうすれば、好きだって信じてもらえたのかな…。
紫陽先輩が私に残した傷跡はとても大きくて、心は深く抉られたようだった。
こんなことなら、告白なんてするんじゃなかった。
しばらくは新しい恋をする気にはなれないだろうけど、せめて夏休みを楽しもう。
夏休みを楽しめたら、紫陽先輩を忘れられる気がするから。
花言葉
藤:恋に酔う、あなたを歓迎します、佳客




