6: I'll grant your sinful desire
ミステリアスに笑む少年、オズの口から飛び出た、隣の老人の真名。
ダイン・レイゼン――ラドの民。
話で聞いたことしかなかった旅する老人。そう思えば、確かに話と重なり合う点は多いが……主に、偏屈という点について。
情報過多により処理が追いついていない私は、状況を呑み込めずに視線をあっちこっちに泳がせるばかり。おろおろする私を差し置いて、老爺ダインとオズの会話は進む。
「どうです? 僕の話、聞いてくれる気になったでしょうか――まあ、聞いてくれるまで貴方の束縛を解く気はないのですが」
「……いいだろう。その話が意義のあるものかの是非は、それを聞いてから断ずるとしよう」
「お心遣い、感謝します。できるだけ手短に済ませますので……」
「御託はいいと、これを言うのは二回目のはずだが」
下風な言い回しを価値なしと遮られたオズはされどその笑みを崩さず、むしろこれ幸いとばかりに、
「失敬。では手短と言わず、単刀直入に言わせていただきます」
と本題らしき話題を切り出す。
オズは背に回していた片手を持ち上げそのままダインさんに向け、彼の首から胸辺りにかけてを示した。
「貴方のそのペンダント。それがとても興味深い」
見ると確かに、その細い首には妙な形状のペンダントがかかっている。
三日月をかたどったような不均一な縁の中に、丸いオブジェクトが嵌っているものだ。丸いそれは眼球のようなデザインで、まあ趣味が悪いと言えなくもない。
こんなものが欲しいのか。もしかして熱狂的な目玉お○じファンとか……コアだな。
「…………ほう」
長い間をもって、怒りとも戸惑いとも興味深げともつかない息を漏らすダインさん。
構わずに、オズは話を続ける。
「貴方たちラドの民が持つ特異の眼球――通称、『月を見る眼』。それを僕に譲ってほしいというお願いを、いえ、交渉をしたいのですよ」
え、実用性あるのか、あのペンダント。一見ただのアクセサリーだけれど。
ダインさんの様子を窺うと、呆れを混ぜ込んだ含み笑いが聞こえてきた。ひとしきり小馬鹿にしたような笑いを済ませた後、彼は一言、
「話にならない」
オズの話を一刀両断、ばっさりと切り捨てた。
オズは緋色の目を丸くして問う。
「それまた、どうしてでしょう」
「理由など貴様が考えろ」
それからオズが様々な切り口で要望を通そうとするも、ダインさんがそれに応じる気配はない。
「破格の値段でと考えていますが」
「金銭の問題ではない。不本意ながら、これが私の食い扶持を助けてもいるのでな」
「ならば遠い地方の竜の鱗などどうでしょう。滅多に手に入らない代物です、交換材料として申し分ないかと」
「要らん。物が欲しければ自分で手に入れる」
「ふむ……それでは、こちらが何を差し出せば応じていただけるのでしょうか」
ダインさんの示す難色にオズは困ったように眉を顰める。それでもダインさんは彼への容赦を交えず、代わりに一層怒気を孕めて、
「まだわからないか。私は言下に、これに換えられる物など無いと言いたいのだ。何かと交換など考えただけでも恐ろしい。この装飾は、我らが生の道標が如し。これが我らに、見るべき方向を定めてくれる。恩もある。情もある。それらをすべて捨て置いて煩わしいだけの金銭や、どこぞの郷土品などと換えることが、どれだけ愚かしく醜いか。そんなことをするくらいなら、私は名もない道端で野垂れ死ぬ方を選ぶだろうな」
年老いた枯れた声に反して、その舌鋒は鋭く目の前の若造を突き放す。まるで譲れない一線がそこに確かに存在するように、オズの要求をありえないと断じ、頑なな姿勢を崩さない。それが如何なる手段を用いても揺らがないものであることは、誰の目から見ても明らかだ。
対してオズはその言葉に、お手上げという風に肩を竦めてみせる。そして少し考える素振りを見せた後、
「しょうがないですね。先に、こちらの話を進めてしまいましょうか。……お嬢さん」
と、話の矛先を私に向けた。
いきなり焦点の当たった私は、今まで蚊帳の外だった故にひどくびっくりする。
「うぇっ!? わ、私ですか……!?」
「ええ。あまりレイゼン氏を待たせるのも申し訳ないので、貴女の方も単刀直入に言わせていただきますね。貴女の名は?」
「……タナカ・ヨシエでぇす。以後お見知りおきを――」
「嘘はいけませんよ、可愛らしいお嬢さん」
そう言って近づいて来たオズ。私より頭一つ分小さい彼の身長が、徐に背伸びをして、私の被っていた赤帽子を取った。
「…………へ?」
直後、場にどよめきが起こる。どうもこの場にいる人々の視線は、化けの皮の剥がれた私の顔に、もっと言うなら双眸に向けられているようだった。
私は、空っぽになった自分の頭をぺたぺたさわる。
「うむ、やはりこちらの方が愛らしい。下手な蓑など被らずに、ありのままの貴女を晒しましょう」
満足そうに笑って後ろへ帽子を投げ捨てるオズ。
その言葉は一つも、私の頭に入ってこない。
衝撃からの呆然。
そして停止した思考回路を、湧きだす疑問が加速度的に回し始める。
どういうことだ? 混乱が激しい。この人物はなぜ、私が赤帽子を被っていることを知っていた? 知り得ていた?
いや、それよりも。
……マズい。
回りだした頭が気付いた状況の度し難さに、訪れる焦燥。
私を取り巻く事態が非常に悪い方に傾き始めた。
仮初めの隠れ蓑が剥ぎとられることによって、私の姿が公に晒された。しかもここが何処かと言えば、奴隷商のアジトである。人間を売り物としか思っていない輩の巣窟で自身の特異な見てくれがバレるということは、すなわちどういうことか。
考えるまでもなく、私の背筋を怖気がひた走る。
――――眼球一つとってもとんでもない高値がつくと言われる『黄金の眼』。それを初めから持っている娘など、どれだけ高価で『売れた』ことか。
かつて身を震わした想像が現実となる。
目の前の少年の笑みが、ひどく歪んで見えた。
「もう一度聞きます。貴女のお名前は?」
「……白附、巳央です」
私の答えを聞いて、オズは満足そうに頷いてみせる。
「素敵な名だ。それを偽るなど、気がふれたようなことをなさらず――」
「あの。帽子、返して」
その上機嫌な口ぶりを遮って、私は投げられた赤帽子を指差す。そんな私に彼は穏やかに笑いかけ、
「お話が終わってからにしましょう。あまり、時間がありません」
やんわりと私の要求を拒否した。
子供のような小さい体躯が、しかしそのサイズに見合わない剣呑さを放っている。私はそれに知らず知らずのうちに勢い、反抗心を圧殺され、畏縮する。
「お話というのは、なんでしょうか」
慎重に、彼から目を離さぬように私は問う。
「簡単なことですよ。その煌びやかで美しい、金色の瞳をいただきたい」
「――――」
私は黙り込む。どう返答するのが最善か、まとまらない思索が浮かんでは消え浮かんでは消えている。むろん、イエスなんて答えは論外だ。
「私がそれを断ったら、どうなるんですか」
「出来る限り、誠心誠意説得できればなと思っていますよ」
端的に述べられた彼の曖昧な答弁はあまりたいした意味を持たないようだ。ただその場を凌ぐために繕った建前みたいなものだろう。のらりくらりと躱される質疑なんて、見えど触れられぬ霧と同義。
だから私は、その躱し身に半歩踏み込む。
「具体的にどうするのかを教えてください。私があなたの要求を拒否し続けたとして、その結果あなたはいったい何をするのか。それを話してもらえないことには、私には選択の材料が足りません」
「……ほう」
オズの目が、僅かに細められる。
私の言葉を、不安から生じた焦りの質問か、事ここに至っては事態を穏便に済ます気はないという意思表示か、どちらととるかは彼の自由だ。
彼の要求自体は、さほど問題でもない。今の私の眼球の希少さは、部分的にではあるがクロートさんたちから聞き得ている。それを欲しがる人物が出てくるのも、必然と言える。
問題は場所だ。
先ほども言ったがここは奴隷商の根城。この場に一人ということはつまり、私個人の人としての権限は剥奪されたに等しい。
オズが呈した要求にとって――この場において、
「私には、『余地』があるのか、ないのか」
それを知る必要がある。明言をされないでも、察せるだけの力はあると自負している。これでも人一倍敏感に生きているほうだ。
それを察知するため踏み込んだ半歩。
これは勇気ではない。むしろ私の臆病さからくる逃げの一歩だ。
隙間が見つかれば、そこを縫うようにしてうまく折り合いをつけられる可能性もある。そんな薄い期待を同じく薄い胸に抱いて、私は目の前の少年に問い詰める。
――痛いのは嫌いだ。
苦痛を伴うとしても、できるだけ遠く、遠くへ逃げていたい。
「……教えて、ください」
オズの目を見据え念をダメ押し。
そこでようやく、彼は閉じていた口を開いた。それも存外、楽しそうに。
「中々に面白いお嬢さんだ。いいでしょう、こういうのはどうですか? 僕が今から、貴女の望むものを交換条件として提示します。貴女がそれで僕の要求に応じてくれなかったなら、僕はこれからどうするつもりか正直に言いましょう」
「……その、交換条件というのは」
私は内心、どうせ大したものは彼の口から出てこないと高を括っていた。何を出されれば、自分の両目を「はいどうぞ」と差し出すことができるというのか。
しかしそれにしては目の前の少年の態度にやけに余裕があって、それだけが少々気がかりだった。
「それは――」
ごくり。無意味な緊張を飲み、瞬きを忘れて彼の口元を凝視する。
が。
「待った」
オズの返答が、何者かの短い言葉に制される。その声をかけたのは、今まで黙っていたダインさんだ。私を見兼ねて助け舟に参じたのかと思いきや、どうやらそうではない様子。
言葉を遮られたオズは少し不機嫌そうに口をへの字に曲げるが、直後元の温和な顔つきに戻り、空気の読めないタイミングで突っ込んできた老人を窘める。
「レイゼン氏、逸る気持ちもわかりますが、ここはもう少し待って――」
「違う。確かに私も待ち侘びていたが、痺れを切らしたのは私ではない」
「?」
何か裏があることを匂わせるような発言に、オズは閉口し思案顔。私もその奥で小首を傾げる。
そしてダインさんは、恍惚と呟いた。
「――――風向きが、変わった」
呟きと同時に始まる。
この場の空気すべてをぶち壊す、狂騒が。
だだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ
突然建物内に現れたその音は、間断なく、そして限りなく暴力的に私たちの鼓膜を打つ。
「……なッ、何だあ!?」
ただならぬ騒音に最初に声を上げたのは――というよりこの喧しさの中最初に声が聞き取れたのは、ダインさんと同じくずっと黙っていた奴隷商、プーカ。彼の声は野太く馬鹿でかく、よく通る。彼に続けて、その側近たちの混乱の悲鳴も上がり始める。
耳をつんざくばかりに建物内に響き渡る硬い音は、どうやら建物の入り口側から出ているらしい。しかもこれは、
「もしかして――銃声?」
耳を押さえながら、ぽつりと推測を口に出してみる。どうやらそれは当たっているようで、見ると、頑丈そうな大きい扉に音に呼応するように無数の凹みが出来ている。マシンガンのようなもので乱暴に攻撃を加えられているらしい。
そして銃声が止み、もうすっかり耐久性を失った扉だったそれは、これまた爆音を立てて外にいる人物により開け放たれる。
ガッシャア、という音とともに姿を現したそれは、混乱の中静まり返った場に、鷹揚と言い放つ――。
「よう。ウチの居候、返してもらうぞ」
この異世界に来てから、何度も見てきた黒色がそこに立っている。
きっと、これが私でなければ、抱く感慨は違っただろう。私が今思っていること感じていることは、間違いに分類されてしまうのだろう。
彼と会えたことに対する喜びが、全くないと言えば嘘になる。それはとても嬉しいことだ。
ただ、抱いた感懐の延長線上をどこまで行っても、私という多面体のあらゆる側面を覗いてみても、彼の『ここに来る』という『選択』を喜ぶ気持ちは塵芥ほども見つからない。
結果口をついて出たのは、こんな場面にはとても似合わない、吐き気がするほど汚い汚い私の本心のその一端であり、私から彼への無意識の侮辱であり、私の醜悪で質の悪い身勝手さの集約。
自分自身が口にしたその言葉に初めて気づく。
私は『この事態』を、甚だ忌避していたことに。
「――――どうして」
自分を救いにやってきた少年への不信が、本来抱くべきでない失望が、そこにあった。
******
轟音の正体が一人の少年の強襲であると分かった奴隷商たちは、動揺を振り切り、憤然として強襲の首謀者へ向かっていく。
しかしその少年――クロートさんは余裕な態度を崩さず、持っている機関銃を天井へ向け、再び発砲。この建造物は傍から見ても老朽化が激しい。屋根にもしばしば修繕された跡がある。
そのうちの一か所、ベニヤ板のようなものが雑に取り付けられているポイントに、クロートさんの発砲した銃弾が当たる。ベニヤは簡単に剥がれ落ちた。
そこから、
「何だこりゃ……! ガス……!?」
水色の煙が勢いよく奴隷商軍団へ降り注いだ。
そう、彼は機関銃片手に単身で戦地へ赴くほどの阿呆ではない。
最初こそ混乱の声が煙の中から聞こえてきたものの、次第にそれは消えていき、代わりに聞こえてきたのは寝息。
催眠ガスとは――彼らしいと、言えばいいのか。
魔法の打ち合いとかもう少しファンタジックな戦闘を期待していた私としては、苦笑もの。小麦粉の前例があるから、驚きはしないけれど。
と、煙の出元から、何者かが一人飛び降りるのが見える。
「ったく……こんな量の催眠ガスいったい何に使うのかと思ったらよ。おいクロート、代金はちゃんと払えよ」
「ツケで」
この声は、ベクター? 彼も、助けに来てくれたのだろうか。
水色の煙の奥に見える二つの影は、ゆらゆらと輪郭を掴みづらいものの、こちらに向かってきているのがわかる。
その二つの影に声をかけるかかけまいか、私は二の足を踏む。本来なら真っ先に助けを求めるはずだが、いや、しかし。
私がそんな煩悶に口をまごまごさせていると、煙の奥にもう一つ、特別大きな影が加わった。
「何の用だ、てめぇらア!!」
二つの影の二倍ほどの大きさもあるそれは、斧の形状を持つ武器を振り上げ大声とともに振り下ろす。
奴隷商の親玉、大男プーカ。大仰に飾られたその斧は、しかし立派な威力を誇っている。
それを目にした私は、咄嗟に声を張り上げた。
「二人とも、あぶな――!」
が、その声は、突如目の前に降りた暗闇に遮られる。
「――あれ?」
私がわかったのは、視界が黒い布で覆われたことだけだった。
そして瞬きをした次の瞬間、暗い空間に閉じ込められた事実にも後に気づく。
動ける。が、何も触れない。
周囲の状況は掴めず、音は遠く残響のような形で聞こえるものの、詳細はうまく聞き取れない。
そこに一つ、聞き覚えのある声がくっきりと響く。
「いやはや、大変なことになりましたね」
「――オズ?」
音も視界も何もかも不鮮明な闇の中、紅瞳の少年、オズの声だけが私の耳にやけにはっきりと届いてきた。姿は見せないまま、彼は続ける。
「ええ、シラツキ嬢。ここはいわば、僕の隠れ蓑のようなものでして。外界からは触れも見えもしない空間に、失礼ながら貴女を押し込ませてもらいました」
マジックアイテム。
聞きかじりの単語が頭を過る。それと同質の何かだろうか、と私は目星をつける。しかも私の帽子よりずっと高性能なものだ。先ほど彼がプーカの横から突然姿を現したのも、この空間によるものかもしれない。
「何のために、こんなことを」
よもや私の安否を気遣ってくれたわけではあるまいに、やはり無理やり連れていく気だろうか。
恐る恐ると言った感じに聞く私に、彼はあっけらかんと言う。
「お話。まだ終わっていませんでしたので」
「……そうですか」
そういえば、いいところでダインさんに遮られてしまったことを思い出す。いや、いいところでもないか。
できることならこのまま無視を決め込んでいたい内容だけれど、そうもいかない。私が要求したことだ、私はそれを聞かなければいけない。
「では、改めて言いましょう。僕が提示する交換条件は――」
私が息を呑み込んで瞬きを二回出来るくらい十分な間をとって、オズは言った。
「貴女の願って止まない、貴女の死です」
その瞬間、黒い空間は崩壊した。
******
気づけば私は、元の空間に戻っていた。前を見れば、一人の大男が二人相手に斧を振りかざして交戦中。それも、もうすぐ決着がつきそうだった。大男の方が負ける形で。
ベクターと思しき細見の影が機敏に飛び回り、棍棒で大男プーカの顔面を横殴りにする。その一撃には見かけよりも威力があったようで、プーカはよろりと体勢を崩す。それを追撃する形で、ベクターはさらに攻撃を叩きこむ。
ずずぅん、と重々しい音と共に地に沈んだプーカ。
その顛末を呆然と見ていた私に、二人は近づいてくる。
煙を抜けた二人の頭の回りにはシャボン玉のような膜が張っていて、あれがガスマスクの代わりを果たしていたのかもしれない。
「ミオ」
駆け寄ってきたクロートさんは、申し訳なさげに私に言った。
「一人にしてった俺らが悪かった、ごめんな。さ、帰ろう」
「……あ」
そこに、今まで影が薄いままでいたダインさんが横槍を入れる。
「なんだ、黒の坊主か。いい加減飽きていたところだ、ちょうどいい。早くこの枷を外してくれ」
「ジジイはちょっと待っててくれ」
「その口のききようは何だ。私はこう見えてお前が赤子の頃からな――」
むっとしたようなダインさんの言葉を、後から来たベクターがはいはいと制する。
「オレが外してやるから小言は後にしてくれや、ジィさん」
言って、ダインさんの枷をカチャカチャと外しだすベクター。ダインさんは不満げに喉を鳴らすが文句自体はないようだった。
「まったく。じゃ、ミオ……ミオ?」
向けられた声、視線、もう何度も差し伸べられた手。
そのすべてから逃げるように、私は眼球を目まぐるしく動かす。何一つ焦点が合うことはない。
「……へ、あ、クロート、さん」
ありがとう、という言葉は、喉につっかえて出てこない。まるでその言葉を発さないよう、私の中の何かが自分自身の首を絞められているみたいに。
悪戯に涙を流してみようかとも思った。それで事態を混乱に陥れ、自分の感情をうやむやにしようかと考えた。
しかし触れてみた瞳に、潤いはない。涙なんてただの一粒も流せそうもなかった。
「ミオ? どうした?」
見ないで。お願いだから。そんな、気遣うような視線を私に向けないで。
「あいつらに何かされたのか?」
優しく問いかけてくる。知っている。会って少ししか経っていないけれど、知っている。
この人は――クロートさんは、優しいのだ。たぶん、私が想像しているよりずっと。
だからこの先、私が彼らに課す迷惑を、彼は許してくれる。一緒に立ち向かってくれる。私が抱えた重荷を、さも自分のものでもあるかのように半分分けて背負ってくれる。
「大丈夫、もう俺らが来たから」
私が、誰かがつらいときには慰めてくれる。寄り添ってくれる。話を聞いてくれる。
彼はとても優しくて、その優しさがきっと、私には毒だ。致死性で、しかも依存性の。
私はそれが耐えられない。私が誰かに寄り添わなければいけない状態なんて赦せない。私が誰かの重荷となるなんて赦せない。
「とりあえず、帰ろう? 俺たちの家に」
だから、優しい彼を私は突き放す。手遅れになる前に。私が彼から、離れられなくなる前に。
「……クロートさん」
「うん?」
私は卑怯で、臆病だ。
「――――ごめんなさい」
黒い空間が私を攫う。
どうか、誰かに依存してしまう醜い私に、死を。
それが私の、たった一つにして最大の罪深い欲望だ。