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5: the person with the name of R


 冷たい壁、冷たい床。

 時折どこからか聞こえる啜り泣きに、それを黙らせる誰かの威喝。ぐるぅるる、と凶悪な印象を持つ唸り声は、気のせいかもしくはベクターだと思いたい。

 明かりは見えず、廊下にぶら下げてあるランプによって辛うじて部屋の様子がわかる。部屋の様子といっても、私以外にそこに何もないという事実だけだが。


 ガチャ、と音がした。隣の部屋から人が連れていかれるようだ。

 慌ただしい金属音の後、バタバタともがくような音が廊下から聞こえてくる。


「うわああああ! 嫌だ、頼む、助けて……! 俺にはかぞ、家族が……!」


「馬鹿も休み休み言え。その家族が家計に困ってお前を売ったことくらい知ってるだろ」


「だって……どうしてえ……」


「まあそう落ち込むな。きっとお前を可愛がってくれる人に買われるさ」


 その言葉に、少しずつ抵抗の音が弱まっていく。代わりに掠れた泣き声が廊下にぽつぽつと響き始め、やがて余韻を残して消えた。

 残響が耳の奥に木霊する中、座り込んだ私は力ない息を吐く。


「……何で、こんなことに」


 最早泣き喚く気すら失せた私は、鉄の檻の前で呟いた。


******


 数時間前、『Barene』にて。


 一瞬、見知った顔と目が合った気がした。

 気のせいだと思う。否、願う。

 強盗の目的などどうせ店の金くらいだろう。さっきから「さっさと金盗ってずらかるぞ」だの「一歩でも動いてみろ、殺すか売るはこっちで決める」だの聞こえてくるし。妙な真似をしない限り彼らが客に危害を加えることはないはず。私にどうこうできるわけでもないし、ここは身を潜めて大人しくしているのが得策。

 私は赤帽子を顔半分覆うくらい深くかぶる。そう、これを被っている限りは私はごく普通の一般人なのだ。このままじっとしていれば――


「おい、嬢ちゃん」


「……はっ……はひ…………」


「昨日ぶり、だなあ?」


 駄目だった。

 顔を見ないでもわかる。昨日、路地裏で私を襲った集団のリーダー格だ。

 いやしかし、帽子を被っているから私の姿は不透明なはず。一体全体どうしてバレた。


 ぐるぐる混乱する頭。その結果として私は、昨日のクロートさんの言葉を思い出す。


『つまり、これをミオが被ってたら、それを見た人間は「ミオ」という人物の存在は認知できるけど、ミオの特徴……例えば、目の色とか髪の色とか、そういうのに対する認識を阻害される。ミオがこの帽子を被ってることすらわからない』


 彼の言葉を口に含み、咀嚼、分解、呑み込んで、意味を理解。

 同時に帽子の効果を過信していたさっきまでの自分を呪う。

 そう、帽子についての説明の逆を言えば、私のことを知っている人物は帽子を被っている人が『私』であることは判別可能なのだ。言うなれば『私はシラツキミオです』と書かれた看板を首にかけているようなもの。そりゃバレる。

 なんたる迂闊、失態。私のバカバカバカ。


 ちらり、と帽子の影から彼の様子を覗いてみる。

 男の表情、憤怒。親の仇でも見るような憎らしさたっぷりの双眸とばっちり目が合った。


「ひっ……」


 頬は何か強烈な蹴りでも食らったように腫れている。昨日の私みたいに、魔法で治療してもらえなかったんだろうか。何だか、かわいそうに。


「い……命だけは……」


 場違いな感想と裏腹に、蚊の鳴くような声で命乞いをする私。男はニタァと口の端を歪めた。


「そりゃあ嬢ちゃん、俺が決めることじゃないんでな」


「え……」


 何やら不穏な気配。首筋に伝う冷や汗、持っていたフォークから零れ落ちるスパゲティ。

 ごくりと唾を飲み込んだ私に、男はねっとりと告げる。


「売られた商品ヤツの行く末なんて、俺たちゃ興味がないんでね」


******


 そんなやり取りを経て、私は狭い独房に閉じ込められている。

 なんとか赤帽子は取り上げられずにすんで(というか恐らく気づかれていなかった)、それは不幸中の幸いと言える。クロートさんの話によれば、私の瞳の色は少々特殊らしいし。

 クロートさんと言えば、残念ながら私が男たちの連行をごねている間に駆けつけてくれることはなかった。いや、もしかしたら陰ながら見捨てられたのかもしれない。あんなガチムチに敵うわけないとか言ってたし、彼。

 うむ、むしろそっちの方が筋も通るし諦めもつくというものだ。


「そっかあー、私、捨てられたんだあー……」


 口に出すとその推測は、意外と容易く私の心に馴染み込む。

 まさかこんな早く彼らのもとを去ることになるとは思っていなかったけれど、こっちは変に迷惑をかけずに済むし、向こうにとっても厄介払いができて万々歳。

 閉じ込められている身にもかかわらず、重荷を下ろせたような解放感が体中を巡った。


「――なんだ、えらく悲観的な楽観であるな」


「……え、誰?」


 突然聞こえた声に周囲を見回すも、人の影も気配もない。

 また声が聞こえる。しゃがれた声だ。


「私はそなたの隣の房の者だ。いい加減退屈してしまってな。少しばかり、老いぼれの話し相手になってくれんか」


 どうやらこのしゃがれ声は、一つ壁を跨いだ隣人のものらしい。今まで物音がしなかったから、てっきり隣の独房は空だとばかり思っていた。声の質からするに、男性の老人のようだ。


「別に、私と話しても暇はつぶせないと思いますが」


「なあに、老いは時を速く感じさせる。ほれ見ろ、もう二言以上会話が続いた。立派に暇をつぶせている」


 そんな思考をしているなら、一人でも十分暇しないと思うのだが。一人で楽しい、二人なら倍楽しいみたいな考え方なんだろうか。よくわからない。

 とにかく、会話を持ちかけられた以上は応じることにする。こちらも別段暇がつぶせているわけではないのだし。


「お爺さんも、攫われてここへ?」


 とりあえずここに来た顛末を老人に尋ねる私。まさか望んでここに入ったわけでもないだろう。


「うーむ、よくわからん。いい天気じゃと野道で昼寝をしていたら、いつの間にか四方が壁になっていてな」


 それを攫われたというのではないだろうか。それも結構間抜けな感じで。

 私が呆れていると、


「して、そなた。手のひらの文字は、如何なる意図のものだ?」


「? 手のひら?」


 老人の言葉に手の甲を裏返してみると、確かにそこには何やら文章が綴ってあった。私は手のひらにこんなものを書いた覚えはない。誰が書いたんだろう。


「なにこれ、いつの間に……」


「ほう、そなた自身もわからんというか」


 もしや、寝ている間にクロートさんが書いたんだろうか。いや、彼の家を出るときにはこんなのなかったな。

 そしてそれを考える過程で、老人との会話に一つ疑問が浮かぶ。


「お爺さん、私が見えてるんですか?」


 壁にヒビはない。声は聞こえど目は互いに届かないはずだ。老人はどうやって私の手のひらに文字があると分かったのだろう。

 すると老人は、しわがれた声で抑揚なく笑う。


「なに、我らは目を使わない。風の隣人が教えてくれるのさ。そなたらは『視界』というものに自分の見る世界を閉じ込めていると聞くが、それはひどく嘆かわしい。私にとって『見る』ということは、隣人との『対話』なのだ」


「私の手のひらの文字のことも、その隣人さんたちが教えてくれたと」


「その通り。彼らは何処にでもいて、絶えず我らのまわりを漂っているからな。そなたらで言えば、宙の空気と同義の存在だ。隣人を使役するだけしてその声に耳を傾けようとしないそなたらは、まさに痴れ者の集いと言えようよ」


 そう言って、老人はまた愉快そうに笑う。

 空気の声に耳を傾けろと言われても――多くの人間はそんな域まで悟りを開けていないのだ、仕方ない。聞こえないものを聞けというほうが無茶だ。それで勝手に愚かしいとか言われても。

 むっとした私は老人の弁舌を「そうですか」と流すと、本題である手のひらの文章を見た。

 が、


「……読めない」


 悔しいことに、持ち合わせの知識では全く歯が立たなかった。知らない言語だし、象形文字のように意味が察せそうな雰囲気もない。

 ミミズが這ったような文字の羅列をしばらくしかめっ面で眺め、最終的に、


「――お爺さん、助けてください」


 とうとうギブアップした。


「どうした?」


「読めないんです、この文字」


 言って私は、『隣人』とやらが見やすいように手のひらを明かりにかざす。

 やがて隣から「ふーむ」やら「ほーう」やらの独り言が聞こえたのち、


「これは、まじないの一種だな」


「まじない、ですか」


「どこぞの獣人ティールの集落でこれとよく似たものを見たことがある。この術式はまじないをかけられた者――この場合はそなただな。その者が危険を感じたときに、身を守るための魔法の呪文が手のひらに浮かび上がる仕組みになっている。今はまだ浮かんでいないようだが」


「まだ浮かんでないって……私、危険だってもう何回も何回も痛感してるんですが……」


 これが書かれたのはいつか知らないが、異世界に来てからというもの、何度身の危険を感じたか。その術式が本物だというなら、昨日、クロートさんのシチューを飲んだ時に呪文が浮かび上がらなければおかしい――もうそろそろやめてあげようか。

 私がクロートさんの味覚音痴いじりをやりすぎたと反省していると、


「そう、そこがこの術式の穴だ」


「……穴とは」


「当人が心の底から『生きたい』と思わなければ、この術式は作用しないのだ。虚仮こけの生存欲では騙せない」


 歯切れの悪い私に老人はぴしゃりと言い切った。


 人間が抱く生存本能だけでは駄目ということか。

 死を拒む確固たる意思に呼応してそれは起きる、と言いたいのだろう。なるほど確かにおまじないの意味合いが強い。


 これが私の手のひらに刻まれている経緯は今一つピンと来ないが、一つだけ分かる。

 どこの誰か知らないが、これを私に施した人物は――結果的に無駄なことをしたということだ。


 私は手を握って開いて、笑う。


「――それなら、私にこのおまじないは要りませんね」


「……ふむ」


 私は知っている。自分の心は、何処かで死に憧れている。その根底を覆す事態にならない限り、このおまじないはいつまでたってもおまじないのままだ。発動しないとなれば、残されるのは徒労に終わった思い遣りだけ。

 無駄な祈りはいつだって虚しい。

 虚空に助けを求めるようなものだ。

 そんな実体のないものに、『私の生きている未来』を牽引する力はない。私の命を縛りつけておく力などない。

 私は、願わくば――


 ガチャリ。

 と、私の思考に突如、物音が割り込んでくる。

 見ると、看守らしき(そうとは思えないほど柄は悪そうだが)男性が私と老人の部屋の檻の扉を開けていた。

 看守はぶっきらぼうに言う。


「――出ろ。上の者がお前らを呼んでる」


******


 目隠しされ連れてこられたのでここがどういうところかイマイチわかっていなかったが、どうやら私たちは地下に閉じ込められていたらしい。階段を上っていくと、廃工場のような広いスペースが広がっていた。


 隣を歩く老人にひそひそとしゃべりかける。


「わ、私たち、どうなっちゃうんでしょう?」


「さあな。我らの望むように事が進もうとしていないのは確かだが」


 そりゃあ、こんな物つけられてるんだもんなあ、と自分の手足を見やる。

 鉄の手錠に、足枷。いや、逃げないようにというのは理解できるけれど、これは最早奴隷の扱いと何ら変わらないではないか。

 もちろん老人にも私と同じ拘束具がつけられている。

 牢から出されて初めて目にした彼の外見は、体は大きい青のクロークで覆い隠され、顔も布の陰に隠れてよくは見えない。袖から骨ばった細い手が覗いているだけだ。背は、私より少し小さい。


「例の隣人さんたちにここを抜け出す方法とか聞けないんですか」


「彼らはそう頭は回らんのだ。気の向くまま、風の吹くまま生きている」


「はあ……」


 まあ、出来るならとっくにしているか……そんな落胆を抱いたところで、目の前に大仰な椅子の背が現れる。

 召使のような人間も何人かいて、せっせと動いて働いている人もいれば、黙って腕組みをして私たちを睨みつける人もいる。椅子に座っている人物はこちらに背を向け、何やら食事をしているようだ。


 私と老人が繋がれた鎖を持つ看守が、ちょうどその前で足を止める。鎖が体を引っ張る感触に、多少よろけながら私と老人も止まった。

 看守は声を張る。


「プーカ様、例の二人をお連れしました」


 プーカ? どこかで聞いたことがあるような。

 すると、突如として椅子がぐるりとこちらへ向き、そこに座っている人物の姿が浮き彫りになる。どうやらプーカというのはこの人物のようだ。


「そうか。ご苦労、もう帰れ」


 野太い声で言ったのは、特大サイズの骨付き肉に食らいついている無精髭の生えた大男。

 縦にも横にも私の三倍はあろうという体躯は、まさに首領を体現してみせたような威圧感を放つ。品性という言葉を知らずに育ったような風体は、されどこの場で圧倒的な発言力を持つようだった。


「はっ」


 乱暴な物言いに、看守は敬礼。そのまま足早に去っていく。

 しんとした建物内に、大男が肉を食らう下品な音だけが響く。そして、ごくん、と大袈裟に喉を鳴らす音が聞こえたら、


「こんにちは奴隷諸君。知ってると思うが俺はここら辺を牛耳る奴隷商、プーカだ」


 ごめんなさい、知りませんでした。


「初めて聞く名だな」


「あ?」


「お爺さん、思った事何でもかんでも言っちゃダメですって! 認知症疑われますよ!」


 流れるように飛び出した失言。

 老人を窘める傍らでちらりとプーカの様子を窺うと、少し眉を歪めたのち豪気に笑った。


「があっはっはぁ! ま、老いぼれなんかが覚えてると心臓に悪い名なのは確かだ。恐ろしすぎてポックリ逝っちまうだろうからな!」


 馬鹿で助かった。

 老人の発言に神経を逆撫でされて「皆殺しダア!」とか言い出す心配はとりあえず杞憂に終わる。

 しかしほっと一安心も束の間、


「娘、こやつは何をぎゃあぎゃあ騒いでいるのだ。まったく煩わしい」


「あ?」


「懲りてよ! ボケ老人のレッテル張りますよ! むしろもうボケてる!?」


 びっ、と骨ばった指をプーカに向けて不快がる老人。

 杞憂が再びぶり返される。今度はプーカの額にくっきり青筋が浮かんで消えたのを目にして、だらだら嫌な汗が背中に伝い始める。

 地雷まみれの土地で犬の散歩をするような危険を冒す老人を諫めて、


「ど、どんなご用件でしたでしょうか」


 会話の先を促す。隣の老人にこれ以上発言権を与えてはいけない。

 プーカは、大きく膨れた鼻を鳴らした。


「俺はさっきも言った通り、奴隷商だ。あくまで『売る』のがシゴトで、その先はまあ知ったことじゃねえ。だから、お前らに話があるのは俺じゃない。俺の『客』だ」


「きゃ、客……?」


「御託はいい。この状況の手綱を握る者が貴様でないのなら、その客とやらを早く連れてこい。こうして私を縛しているのはどのような胸算用によるものか、弁明を聞かせてもらう」


 再び無用意な発言をする老人。心なしか早口で、まくし立てるような物言いだ。

 私は振り返り、老人を宥めようとする。

 しかし、


「お爺さんは――」


 黙っててください、と言いかけたところで、


「――――」


 その言葉が、喉元で詰まる感覚を覚えた。

 そのまま老人を諫める言葉は逆流して引っ込み、かわりに私は目を見開いて息を呑む。


 風が吹いている。老人の青い外套は揺らぎ、布の隙間から燃える眼光が覗いた。

 感じるのは、圧力。重く、強く、激しく、万物の刹那の動きも赦さないそのプレッシャーは、私の隣の老人から発されている。この空間そのものが強引に彼にひれ伏させられているようだ。


 老人は静かに続ける。


「我らは旅人。行くも止まるも生きるも死ぬも、すべては風の流れるままだ。それを堰き止めるという行為が我らにとって何を意味するか――貴様らはそれを知り得ているのか」


 老人の言葉から伝わる緩やかな怒り。彼は怒りさえ風に乗せ、その行く末を預ける。


「これ以上、貴様らが我らを妨げるというのなら」


 その様はまるで、



「――我らは怒りのうちに、貴様らを然るべくつみするだろう」


 まるで、風が怒りに打ち震えているようだった。


 巨大な力の、その片鱗の顕現によって場は静まり返る。その静寂は、そのまま静寂というには些か空気が張り詰めすぎている。無声かつ無音だが、決して静かなわけではない。

 騒々しい無言しじま、ひいては絶句。そんな言葉が適宜に思える。

 そんな荒々しい沈黙の時間に、


「まあ落ち着いてください、ご老体」


 と、前触れない、柔らかな声音が終止符を打った。

 穏やかながらも芯のある声で、それはいたくその場の注目を集める。


 今の声は誰だろう。プーカの声ではない。私は眼球だけをぐるりと一回転させ見回すも、その声の正体は確認できない。この場には私と老人、プーカとその家来が数名いるだけだが、声の主はその中の誰でもない様子。


「そう言うなら、姿を見せたらどうだ。気配と会話をする気は私にはない」


 吐き捨てる老人。「ふむ」と考え込むような声が聞こえた後、


「出来るだけ姿は晒したくなかったのですが、仕方ないですね」


 呟きと共に、プーカの隣の空気が陽炎のように歪む。歪みはうねり、やがて人の輪郭を形作っていく。

 ものの数秒の間に、さっきまで何もなかった空間から一人の人間が現れた。


「ごきげんよう」


 現れたのは、無垢な笑みを浮かべる幼い少年だった。見た目は恐らく十歳くらい。クロートさん似のぼさぼさとした白髪で、薄く開かれた瞳は鈍く輝く深紅。黒いスーツにシルクハットを被っている。


「……子供?」


 拍子抜け、とばかりに口をついて出た私の言葉に少年はクスクスと笑う。失言だったと咄嗟に口を押えるけれど、少年はそれを咎める気はないようだった。


「気にすることはありません。この容姿だと、そう思うのも無理はないでしょう。僕はオズという者です。お二方にお話があり、このような場に呼ばせていただきました」


 紳士的に一礼する少年。そしてその身を老人の方へ傾け、頭を下げた。


「ご老体、貴方のお気持ちもわかります。しかし、ここは怒りを静めてもらいたい。無知な若造が少々手荒な真似をしてしまっただけと、大目に見ていただきたい。僕とて、無礼を承知で貴方を引き留めているのです。こうでもしなければ、お話に応じてもらえないかと思いまして」


 まくし立てる少年。そこで、黙って耳を傾けていた老人が、静かに彼に言った。


「貴様の下らない話とやらが、私を堰き止めていい理由と言うか」


 少年は顔を上げ、薄笑いを老人へ向けた。


「貴方にとっては下らなくとも、僕にとってはとてもとても大事な話なのですよ。隣人たちとはところ構わず話をしているのに僕とはしてくれないなんて、すげないではないですか」


 少年はゆっくりと、諭すような口調で喋る。

 老人が発する圧をものともしない少年。状況が状況だけに、その笑顔も今一つ狂気を帯びて見える。



「――そうでしょう? ラドの民、ダイン・レイゼン殿」


「…………」


「…………え? ラド?」


 少年の口から告げられた名。その聞き覚えに、私は首を捻って彼らを二度見する。


 緊張の糸は張り詰めたまま。穏やかで暴力的な時間がねっとり膠状に過ぎていく。

 暗澹とした彼らの対話は、どうやらまだまだ波乱を呼びそうな予感である。

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