3: what I can do
「――異世界、来た」
端的に今の自分の状況を口に出して、改めて絶望する。
だって、『来た』という事実がわかったところでどうしろというのだ。
私は元の世界で一般の女子高生の位置づけだった。周りの大人たちにせっせと臓物を肥やしてもらい寝る子は育つ精神ですくすく成長した結果、持っているものなんて日本史実や三国志の豆知識くらいだ。
あとは、とってつけたみたいな料理スキルか。でもこの世界と地球では食材に関する何らかの齟齬がある可能性も否定できない。
まさに、『詰んだ』としか言いようがない状態だった。
「中世ヨーロッパみたいな場所で日本史とか三国志とか廃材に等しいし……こんなことならもっと西洋ものも見とけばよかったあ……」
「なァにブツブツ言ってんだ。結局、知りたかったことはわかったのか?」
「嫌ってほど思い知りました……」
「そいつァよかった。じゃ、本題に入ろうぜ」
私が項垂れていると、ベクターとクロートさんが何やら真剣な顔つきでこちらに向き直る。
本題?
「俺たちが知りたいのは、ミオのその『眼』についてだ」
「目……そういえば、あの人攫いの人たちも言ってましたけど、この目に何か問題でもあるんですか?」
幽霊とか、変なものが見えたりなんてしてないが。二人とも揃って真面目な顔をしているので、そんな軽口も叩きにくい。
けれど、「見ろ」とベクターから手渡された鏡で自分の顔を見た瞬間、そんなことも忘れて私は絶句する。
「うそ……髪の毛、白くなってる……!?」
黒いセミロングだったはずが、アルビノのような純白に染まっている。
髪の毛だけではない。
私の目は、光り輝く黄金色になっていた。
黄色とか明るい茶色とかそんなものじゃない。本当に、純粋な黄金とでも言おうか。一点の曇りもないそれは、瞳の中に小さな金塊が埋まっているかのように輝く。私を含め、見る者すべてを乱暴に魅了しうる危うい輝きだ。
色彩だけまるっと塗り替えられた自分の姿に、私は当然困惑を隠しきれない。
「どっ……どういう……これ、どういう……」
「やっぱり知らなかったのか」
「いつの間にか髪の毛が……目が……」
視線を泳がせあたふたする私を嗜めて、クロートさんは話を続ける。
「ミオがどうやってその眼を手に入れたのかも問題だけど、まずその眼を持ってること自体がまずいことなんだ。今の時代、混じりっけない純粋な金色の眼っつーのは存在しないはずだからな」
「え……存在しない? ここに来るまでに、いろんな目の色の人見ましたけど」
そう。街を歩いていて思ったけれど、ここの住人は皆、目の色、髪の色が特徴的だ。例えばベクターは灰色の毛並みに青い目をしている。
青、赤、緑と、まさに十人十色。あれほど様々な色が街にあふれているのなら、それこそ金色なんてそこら辺にゴロゴロいるんじゃないだろうか。実際、似た色(黄色とか、黄土色とか)の人は何人か見かけた。
「あれらはミオの色とは次元が違う。そもそも、金色の目を持つ種族は何百年も昔に滅んでる」
「ほ、滅んでるって……そもそも、そんな種族がいたんですか」
「いた。『シゲルの民』っつって、太陽を崇めその力を与えられたとされた種族だ」
「? ……城島?」
「あー……詳しいことはいい。とにかくすっごい前に絶滅した種族って考えろ」
「りょ、了解です」
強引に納得はしたものの、今のところ、それと私の間に何一つ接点が思い当たらない。私は何百年も棺桶に入ってたわけではないし……それはドラキュラか。太陽と真反対だな。
「そのシゲルの民の特徴の一つがそれ、『黄金の眼』だ。今も眼球だけが裏市場とかに出回ってて、光物が好物の富豪とかに高値で売られてる。都合がいいことに、シゲルの民の眼は腐らないからな」
腐らない――本当に純金のような扱いをされているのか。
かつては生きていた人の、目が。
何というか、気味が悪い。
「それでもって、眼球の所有者の中でも悪趣味な奴は――」
「目玉買い取るだけでも十分悪趣味だと思うんですけど」
私の茶々にクロートさんは「まあな」と渋い顔で首肯しつつ、
「そんな集団の中でも、群を抜いてイカれた奴だ。それで――その中にはその『黄金の眼』を、自分に『埋め込む』奴もいる」
「――」
そんな、惨たらしい暴戻を――と口元を押さえかけた手が止まる。
それは手元の鏡に映った自分の双眸の、その金色の光が目に入ったからだった。
その輝きは先ほどと何も違わず、ただ私の眉が不安そうに顰められているだけだ。
見ると、クロートさんとベクターも揃って私の両目に目をやっている。
私は咄嗟に言葉を紡いだ。
「私っ……その、決してそんなことは――埋め込んだりなんてそんな、残酷なこと……」
「知ってる。俺らも最初は、ミオがその手の――つまりは『埋め込んだ』奴だと思ってた。でも、違う。そうだよな、ベクター?」
応えるように、ベクターが長い鼻を鳴らす。
「ティールの鼻は誤魔化せねえよ。普通、正規じゃねェやり方で手にした目ん玉からは、その……モノにもよるが、『呪い』の匂いが少なからずする。が、ミオからはそれがない。その目ん玉は『後付け』じゃあねえってこった」
「縫合とか、処理の痕がなかったからもしやと思ってたけど。ミオは、どうやら思ったよりも深い事情を抱えてるらしい」
天然モノ、という人攫いの男の言葉が脳裏を過る。あの言葉には、そんな意味があったのか。眼球一つとってもとんでもない高値がつくと言われる『黄金の眼』。それを初めから持っている娘など、どれだけ高価で『売れた』ことか。
もしあの時クロートさんが私を助けてくれなければ、と思うとぞっとする。
「でも、ごめんなさい……さっきも言ったけど、私、それに関しては本当に全然身に覚えが――」
「正直、俺らも困ってるんだ。ミオみたいな人間初めて見たからな――とにかく、俺らじゃ手に余る。明日ラドの爺さんが来るらしいから、あの人に聞くといい」
「ラドさん、ですか」
ベクターが「違え違え」と首を振る。
「『ラドの民』。占いをしながらあちこちを放浪してる変わり者らだ。ただ、旅してる分、オレらの知らねェことも色々知ってる。だから奴らが来たときは、皆こぞって占ってもらいに行くんだ」
あんなの眉唾もんだがな、と吐き捨てるベクター。どうやら彼はあまり占いを好まないらしい。
「その、『ラドの民』のお爺さんが、明日街に来てくれるんですか」
「そういうこと。俺はちょっと苦手なんだけどな、あの爺さん」
「クロートさん、お知り合いなんですか?」
「昔ちょっとな。なに、こっちが変なことしなきゃただの偏屈な占いジジイだよ」
偏屈ではあるのか――と若干の心配を覚えながら、再度鏡で自分の顔を見る。
その『ラドの民』とやらに会えば、この世界において私が何者か。それが本当にわかるんだろうか。早く知りたいと逸る気持ちと裏腹に、胸の内に燻ぶる不安がその影の色を濃くしていく。
そんな私の表情を見て、クロートさんは頭を掻く。そのまま会話の舵を切るように「とはいえ」と話題を変えた。
「そんな目立つなりで街をうろついてたらさっきみたいに危ないから、何か手を考えなきゃな」
目立つなりと言うのは十中八九、目の色のことを言っているんだと思う。途端、ベクターが耳をピコンと立てる。
「それなら、ウチにいいもんがある。ちっとばかし値が張るが……まあ初来店サービスってことでオマケしてやるよ」
言ってベクターが店から引っ張り出してきたのは、燃えるような赤の魔女帽子。つばの部分にじゃらじゃらとごついアクセサリーがついている。とんがったトップの先は折れ曲がっていて、本当に魔女が被っている帽子みたいだ。
「これは、被っている人物の存在を限りなく薄くする魔道具だ」
得意げに語るベクターに、いまいちピンときていない私は黙って思案顔。クロートさんが補足。
「つまり、これをミオが被ってたら、それを見た人間は「ミオ」という人物の存在は認知できるけど、ミオの特徴……例えば、目の色とか髪の色とか、そういうのに対する認識を阻害される。ミオがこの帽子を被ってることすらわからない」
入学当初のクラスメイトみたいなものか。いるのは知っている、でもどんな人か詳しくはわからない……みたいな?
「でも、ここで私が帽子を被ったら二人には私がどう見えるんですか」
「帽子を被ってることを知ってる、もしくは知った人間は、認識の阻害が若干薄くなる。こんな感じだ」
言って、クロートさんが赤の魔女帽子をがぽっと被る。
クロートさんだ。帽子を被っているクロートさんだ。
が、それしかわからない。
『クロートさん』ということは分かるものの、彼の容姿、服装は、記憶から思い出せるだけ。今目の前にいる彼から、『彼が彼であること』以外の情報はまったく頭に入ってこない。
しかも、彼の恰好に対する関心が、違和感を感じる間もなく逸らされていく。思い出せないことへのむず痒さなども次第に引き剥がされる――なるほど認識を阻害とは、こういうことか。
「はい、おしまい」
私が完全に無関心になりつつあったところで、クロートさんが帽子をとる。
黒い猫毛に、黒いローブ。ちゃんと『クロートさん』以外の部分が確認できる。
「すっ――ごいですね、これ!」
クロートさんから帽子を手渡され、興奮気味にそれを観察する私。
「ベクター、これ本当に貰ってもいいんですか?」
「おうよ。大事に使え」
ありがとうございます、と頭を下げたところで、
「街を出歩くのはそれでいいとして――今日はどうする気なんだ? 聞いた限りじゃ、宿無しな上に文無しらしいじゃねェか」
ベクターの痛い問いが頭上を通り抜ける。胸がぎくりと音を立てた。
記憶もありません、とか惚けた返答は置いといて。
「ベクター、泊めてやれよ」
「ヤだよ。店の裏の寝床は結構狭いんだ」
「けっ、まあしょうがないか、ミオが怖がって寝付けなくなっても困るしな」
「どういう意味だコラァ」
再び二人の間で火花がバチバチと鳴る。慌てて仲裁に入る私。
「お、落ち着いてくださいベクター」
「ミオ、怖がらねえよなァ?」
「…………」
「オイ、何で目ェ逸らすんだ」
確証はない、というやつだ。悪く思わないでほしい。
と、クロートさんが面倒くさげに片目を瞑った。
「あー……しょうがない。俺ん家来るか」
「そ、そんな……もう十分迷惑かけてしまって――」
「ならどっかの路地裏ででも丸まって夜を越すか? 起きたとこが天国でも地獄でも知らないけどな」
「ぐう……」
ぐうの音も出ない。いや、出たけど。
とにかく、クロートさんの言葉は正論に尽きる。
「わざわざ助けといて、そんなあっけなく死なれた方が骨折り損だ。これが借りだって思うなら、それを返せるまではまず自分が死なない努力をしろよ」
「……はい、ごめんなさい」
「よしよし、怖かったなァ。安心しろ、表ではあーいうこと言ってるがそんなこと思っちゃねェよ。あいつなりの照れ隠しってヤツ」
「余計なこと言うんじゃねえバカ犬」
私はベクターの大きい手に撫でられながら考える。頭上でぎゃーぎゃーと口汚く言い争う二人。確かに彼らは、私をむざむざ道端で死なせるために助けてくれているわけではないだろう。
でも、彼らの世話になってそれから、借りを返すどころか私は彼らの重荷にしかなり得ない気がうっすらしている。
それがひどく、たまらない、というか。
私が表情に影を落としている間に、二人の喧嘩は終わったようだ。
「まったく……さ、行くぞ、ミオ」
クロートさんの手が、私の目の前に差し出される。
――まあ、いいか。
自分で自分が重荷だと感じたなら、ひっそりとその場を去ればいい。
私の足は、そのためにあるのだ。
何を差し出せる物もないけれど、自分で考え、邪魔にならないようひとりでに歩いていくため。
私にはそれができる。
だから、大丈夫だ。
「――はい」
そんな歪な保険を胸に、私は再度、その優しい手を握る。
瞬間見えた自分の手がひどく穢れていたように感じたけれど、きっと気のせいだったのだろう。
――穢れた者には、何が穢れているかなどわかる筈もないのだから。
******
洞穴の入り口らしきものが見えたのは、街に隣接した森を進んで数分のことだ。
近づいてわかったがそこには木製の扉がついていて、クロートさんがそれを開けると下へ延びる薄暗い階段が足元に現れる。
躊躇なくそれを下っていくクロートさんに、私は恐る恐るついていく。
マンション一階分くらいの高さを下って、突き当りにまた木の扉が現れた。さっきの扉よりも幾分か小さい。どうやらこれが家に入る入り口のようだ。
クロートさんが慣れた手つきでドアノブを捻る。扉の先には、一般家庭によくみられるような板張りの廊下が延びていた。左右の壁には扉が二つずつ。クロートさんはそのうちの一つに手をかける。
「ここがリビング。待ってろ、今明かりつけるから」
クロートさんがランプに火をつけ、部屋の天井に吊るす。弱弱しい光だけれど、室内を照らすには十分だ。
「中は意外と、普通の家みたいなんですね」
「無駄に金かかったからな。いい腕だけどぼったくりの大工だった……。一個空いてる部屋あるから、それ使っていいよ」
「ありがとうございます……うん?」
リビングの壁に、丸い窓がついている。ここは地下のはずなのに――気になって覗いてみると、
「……く、クロートさん、外が見えます! どうなってるんですか?」
「外にも窓を設置して、その丸窓と視覚情報を連動させてるんだ。だから地下だけど朝日も差し込んでくるし昼は明るいぞ」
「それも、その大工さんがやったんですか?」
「まあな」
「すごーい、ですね……!」
窓に額を擦りつける勢いで外の景色に食い入る私。それを横目に、クロートさんは手近な椅子にもたれる。
リビングは、応接間らしい向かい合うソファと、その間に低いテーブルがあるくらいの簡素な部屋だった。
「ミオ、腹減ってるか?」
クロートさんが徐に聞く。
「はい」とも「お構いなく」とも答えぬ間に、私のお腹が先走って返事をした。
ぐぎゅるるる、と部屋に響き渡る空腹の重音。
「……いただきます」
「ちょっと待ってな」
笑って言って、部屋の扉の奥へ消えていくクロートさん。どうやらそこにキッチンがあるらしい。
覗いてみると、四人用の四角いテーブルがある横に、台所が設置してあるのが見える。クロートさんはそこで何か作っているようだ。
彼は私を振り返って、「座っていいよ」の合図。
それに従って椅子に腰かけると、テーブルにカップが一つ置かれる。中を覗くと、濁った緑色のスープが湯気をもわもわと立ち昇らせていた。
……何かおぞましいものを感じるのは私だけだろうか。
「……これは……」
見ると、彼の手にも同じものが握られている。
「俺特製のあったかシチュー。野菜も魚もたっぷり入ってるから栄養満点だぜ。寒いときにはこれが一番だ」
言ってクロートさんはずずっとシチューを啜る。
ごくり……いや、人と同じで、見た目で判断してはいけない。
私は一、二度唇でカップに触れ、三度目でシチューを喉に流し込んだ。
端的に言って、青汁と吐瀉物を混ぜた味がした。
「ブフッ、マズウッ!!」
「あ、口に合わなかったか?」
そんなレベルの話じゃない。ドリンクバー全混ぜが可愛く思えてくるほどの不味さだ。内臓全部ひっくり返ったような気持ち悪さが私を襲う。
私は息も絶え絶えになりながらカップからそっと手を離した。
「い、いつもは、何食べてるんですか」
「これみたいに、俺がテキトーに作ってるけど」
冗談じゃない。シチューを美味しそうに飲み干す彼を見てそう思う。
こんな食べ物ともつかないようなものを毎日口に運んでいたら、死ぬ。確実に死ぬ。まだ寒空の下で凍え死んだ方がマシな死に方だ。
そうなる前に――。
「クロートさん」
「ん?」
「これからは、私が料理します」
「いや、そんな気い遣ってウチのこと手伝おうとしなくても――」
「いやいやいやいや、や、やります! というかやらせてください! ホントこの通りですから!」
さもなければ私の身が危ない。不味死なんて嫌だ。
土下座も織り交ぜたしばらくの懇願の末、クロートさんは渋々といった感じに私が炊事を受け持つことを了承してくれた。
私はほっと胸をなでおろす傍ら、どうなるやらと先を思いやる。
恩を貸した借りたの奇妙な共同生活は、どうやら一筋縄ではいかないようだ。