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1: a little visitor



『絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること。それがもっとも素晴らしい偉業である』

 ――ラルフ・ワルド・エマーソン



******


 ざっぱーん、と、私の目の前に立った波しぶきはこんな音だった。

 私は大海を眺めて立っている。もう日はとっぷり暮れていて、湿り気を纏った夜風が頬を撫でつける。

 不可解だった。

 何の変哲も見当たらない船上の光景の何がおかしいのかと言えば、


「――なんで私は、こんなところにいるの」


 そういうことだった。

 気づいたら目の前が、眩しい青空から夜の荒海へ。私は海賊ではなくごく一般的な女子高生だ。

 もしかして死後の世界というやつ? とか考えてみるも、こんな大海原が三途の川だとは正直思えない。

 ふと違和感を覚えて体を見ると、制服を着ていたはずが大きめのくすんだローブに変わっていた。

 こんな格好では浮くんじゃないか、そんな心配も胸中に浮かんだけれど、


「取り越し苦労っぽい、かな」


 なぜかこの船の乗客はみんな中世じみた、言ってしまえば時代遅れな洋服を着ていて、私のようにローブを羽織っている人もちらほら。

 狼のような被り物をした人も時々いる。それは、可愛さや格好良さよりもリアルさを追求した造形で、遠目から見てもよく出来ている。自作だとすれば物凄いクオリティである。


「まさか船で仮装パーティー? でも、それにしてはジャンルが統一されすぎかも」


 まさか夢の国のスタッフではあるまいな。

 そんな妄想にふけりながらふらふらと甲板をうろついているとどこからか鐘のような音がする。見ると船の真ん中あたりに、手のひら大の水晶が点滅しながらぶら下がっている。最新のスピーカーかなにかだろうか。

 私の疑問を他所に、アナウンスが流れ出した。


 ――まもなく終点、ヴィルエルに到着します――。


******


 私はわけもわからないまま他の乗客とともに停泊した船から降りる。

 地面はコンクリートではなく石畳。立ち並ぶ家は、煉瓦やら木やらで出来ている。人々の格好も相まって、本当にそれっぽい。一昔前にタイムスリップでもしたみたいだ。

 目が眩みそうになるが、あまり落ち着いていられる状況なわけでもなさそうだった。


「あだっ」


「あぶねえな! 気をつけろ小娘!」


「ご、ごめんなさい」


 柄の悪い親父にぶつかって気づく、四方八方から押し寄せる人、人、人。船着き場の近くには市場があって、買い物に来た人、船から降りる人、そして恐らくはそれを迎えに来た人でごった返している。そんな中での私の今の状況は、さながらスクランブル交差点のど真ん中で立ち往生するが如し。

 私は雑踏の合間を縫うようにして進み、なんとか人の群れから抜け出すことに成功する。


「ぷはあっはあはあ、酔いそう……」


 人一倍人混みが苦手な私は、肩で息をしながら情報整理。


「とりあえず、ここがどこか誰かに聞こう。確か、ヴィルエルとか言ってたっけ。少なくともあの世じゃない……よね?」


 振り返れば、未だ収まる気配のない大混雑。

 場所を尋ねるにしてもまずは人混みから離れたい――そんな安直な考えから、あまり人気のない通りを探索し始めたのがまずかった。


「なあ、嬢ちゃん」


「……はい」


 直感で、まずいとは思ったのだ。

 大柄な男がいち、に、さん、よん、ご。大通りへ戻る道を、腕組みして塞いでいた。その集団のうちの比較的人相がいい一人が、私に話しかけてきている状況。人相がいいと言っても、クッキーとビスケットの違いみたいなものだけれど。


「な、何か御用でしょうか……?」


 声音が震えるのが自分でもわかる。じりじりと迫ってくる男たちに後ずさりしているうち、いつの間にか私は逃げ道のない狭い路地裏に追い込まれていた。


「ひええ……」


 ビビり倒す私に、男は言う。


「あんた、その『眼』いったいどこから仕入れたんだ?」


「……え、目?」


 私は瞼を撫ぜてみる。特に変わった感じはしない。

 そもそも仕入れたとは何だ。私の目ん玉はプラモデルのパーツじゃない。


「私の目が、何か?」


「惚けんなよ。イマドキ黄金色の眼球なんてどれだけ価値がつくかわからねえ。何千万、下手すりゃ何億ゴールドといくぜ」


 「ゴールド?」と初耳のカタカナ語に首を捻る。話の流れから察するに通貨の単位だろうけれど、やっぱりここは外国なのか。でもおかしいな、この人たちは日本語を使ってる。

 まあとりあえずわかるのは、


「私の目、黄色なんかじゃないですよ」


 それだけは知っている。日本人らしい黒色の瞳だ。目の色なんてそうそう変わるものか。


「はあー? 何言ってんだ……まあいいか。そんなブツ埋め込んどいて一人でふらつく馬鹿だしな。頭のネジの一本や二本ぶっ飛んでて当然……ん?」


 さりげなく失礼なことを言い捨てた後、男は何かに気づいたように私の顔を不躾にじろじろと見始める。


「な、なんですか」


「処理の痕がねえ。まさかこいつ、天然モノか!? ひょお、やべえ! 何億なんて話じゃねえ、もっとだ! 一生、いや人生三回分は遊んで暮らせる金が動くぜ! なあ!」


 勝手に興奮した男の呼びかけに、後ろの仲間がヒューヒュー騒ぎ立てる。

 状況を理解できていないのは、この場で私一人だけ。ただ、直感的な焦りが心臓の鼓動を速くしていく。一刻も早くこの場を離れなければ、そう思う気持ちだけが自分の中で強く強くなっていく。


 そういった逸る気持ちから出た行動は、決して良い方には傾かないというのが定説だった。


「嬢ちゃん」


「ひっ」


 騒ぐ彼らの横を通って逃げ出そうとした私の手首が、男の手にからめとられる。


「どこ行くんだよ」

 

 上機嫌そうだった彼の声が一転、ドスのきいた低い声に様変わりしていた。


「は、はなして」


 うまく言葉が出てこない。みるみるうちに冷や汗が滝のように流れ出る。気づけばさっきまでの笑い声はどこへやら、その場の全員が怯える私を無言で凝視していた。


「はなしてってオイオイ、まだまだこれからが本題だろ?」


 元の弾むような口調に戻った男。でもその顔は悪辣な笑みに歪んでいる。私の胸中を支配する恐怖の感情。

 怖い。嫌だ。


「たすけ――」


「おい」


 響いた声。それは微かに、夜をざわめかせたように思えた。

 私を含むその場の全員が、声がした路地裏の出口に目を奪われる。


 ――黒い、黒い少年だった。

 年は私よりちょっと上だろうか。ボサついた髪を掻きながら、やる気のない目をして立っている。黒いローブに包まれた体は、闇に溶け込むようで輪郭が捉えづらい。左手には麻で出来た袋がぶら下がっている。何やらずっしりしているのは見て取れるものの、中身は謎。


「なんだ、テメエ」


「ちっ、まーた人攫いかよ。ほんとゴキブリみたいに路地裏に湧くなお前らは。俺はここにホイホイ設置した覚えはないんだけど」


 少年は男の恫喝に応えず、代わりに悪態がその口から零れる。ゴキブリと形容された男たちの顔が、案の定怒りで赤くなる。


「誰がゴキブリだ!」


「そう怒んなって。ほら、今なら見逃してやるからさっさと失せろ」


「舐めてんじゃねえぞ。俺らがあのプーカんとこのモンだって知ってて言ってんのか!?」


 少年は「プーカぁ?」と眉をひそめるや否や、その鼻を鳴らす。


「知らん」


「ぶっ――殺す!」


 物怖じせず言い切る少年に、男たちの堪忍袋の緒はあっけなく切れた。


「おーっと、逆上はいいが近づいてくれるなよ? 近づいたら、これがどうなるかわかんねえからな」


「……!」


 あわや、血で血を洗う乱闘騒ぎ。

 しかし少年が手にぶら下げた麻袋をこれ見よがしに揺らしたことで、男たちはすんでのところで襲い掛かるのを中断する。結果、一触即発の空気だけがその場に取り残された。


「ようし、意外と物分かりのいい奴等だ。とりあえずゴキブリは卒業させてやろう。目指せチンパンジー、道のりは遠いけど頑張れよ」


「自殺願望でもあんのか、テメエは……!」


「心配すんな、これがある限り俺はお前らには殺されない」


 煽り散らす少年の頑ななまでのその自信は、どうもその左手にぶら下がる麻袋の中身から来ているようだった。

 男たちの間に僅かに生じた狼狽。それを合図に少年は私たちのほうへ歩き出す。


「おいクソガキ、いい加減に――」


「ステェイ」


「――くっ」


 行く手を塞ごうとした男の一人が、少年の一言に悔しそうにその巨躯を退ける。理由はもちろんあの麻袋。自身の知り得ないものに対して、人はひどく臆病だ。

 彼は、私の手首をつかむ男のすぐ正面まで来てようやくその足を止めた。


「で、その貧乏くせえ秘密兵器で何をしてくれんだ?」


 挑発する男の声にはあまり抑揚がない。どうやら動揺を抑えているみたい。


「ああ、今見せてやるよ。よく見とけ」


 言って少年は、麻袋の口を締めている紐をゆっくりとほどき始める。その動作の遅さは彼のマイペースな性分によるものなのか、それとも男たちを苛立たせるためにわざと焦らしているに過ぎないのか。

 どちらであれこの瞬間、この場にいる誰もが固唾を呑んで彼の手元を見守っていた。


 ――だから、それはあんなにも鮮やかに決まったのだ。


「不意打ちキーック!」


「ぶべらっ!」


 一切の前触れなく、少年の回し蹴りが男の横っ面に炸裂した。


「「えええええええええっ!!」」


 私と男の仲間たちから上がる驚愕の叫び。

 攻撃を食らった男は大きくのけ反ってから、蹴られた顔面を押さえてかがむ。今の一発で脳が揺れたのか、ふらふらと千鳥足だ。


「安らかに眠れ」


 その頭を、少年は躊躇なく蹴飛ばした。

 今度こそ吹っ飛んだ彼の体は、大柄ゆえ色々な箇所をぶつけながら路地裏を転がっていく。やがてぴくぴく痙攣して起き上がらなくなった。どう考えても安らかではない。


「リッ……リーダアァァ!」


 少年の後方、男の仲間たちが悲鳴を上げる。

 あの男、リーダーだったんだ。初めて知った――。

 と、男が吹っ飛んで晴れて自由となった私の手。その自由が、


「行くぞ」


 少年に握られることで再び奪われる。でも今回はさっきの男と違って、ちゃんと手のひらと手のひらを合わせた無遠慮じゃない握り方だ。

 同時に、私の体はグイっと強い力で引っ張られる。


「わっ!」


「行かせてたまるかあ!」


 駆けだす私たちの前に、男の仲間たちが立ち塞がる。少年の二倍の体積はあろうかという大男たちだ。

 でも私を引っ張る少年は、一向にその足を緩めない。私はその意味を短絡的に希望的観測と結びつける。


「あっ、あんな人数とどうやって戦うんですか!?」


「ふざけんな、あんなガチムチ野郎共に俺が敵うわけないだろ! もって十秒だわ!」


「えっ、ええええぇぇーっ!?」


 ようやく差し込んだかに思われた希望の光が、少年の一言でシャットアウト。再び目の前が暗闇に閉ざされる。彼が目にも止まらぬ妙技で男たちを煙に巻き窮地を治める、というわけではないらしい。

 確かに現実的に考えて無茶な話だ。

 でも、じゃあ、いったいどうやって。

 困惑と混乱で目をぐるんぐるん回す私に、彼は不敵に口の端を吊り上げた。


「俺にはこれがあるって言ったろ」


 見ると彼の手には、結局先ほど使われなかった中身不明の麻袋。男たちの妨害を一寸先にした彼は大きく振りかぶって、


「目え瞑ってろっ!」


 そう言って、男たちの横の壁に思いきり投げつけた。私はその声にびくっと肩を揺らしながらも、反射的に目をぎゅっと瞑る。


「目……? まさか、閃光弾か!? おいお前ら、目を瞑れ!」


 男たちの方からそんな声が聞こえる。一体どうなってしまうんだろう。

 私の不安と裏腹に、袋が壁に勢いよくぶつかる音、そして、


「なんてな」


 呟く少年の声が、私の耳に届いてきた。


「えっ」


 ばふんっ。


「!? なんだこりゃ……ごほっ! 粉が……げほっごっほ!」


「へーん、騙されやがったな低能どもめ! 退散たいさーん!」


 粉? と疑問に浸る間もなく、引っ張られる力が一層強くなるのを感じる。目を瞑った私は前も見えないまま一心不乱にそれに連れられ走った。


「おい、ガキどもはどこ行きやがった!」

「いねえぞ、探せ!」

「馬鹿、そっちは逆だ!」

「んなこと言ったってどっちがどっちだか……」


 そんなようなことを喚き散らす男たちの声が、次第に遠くなる。

 手を引かれるスピードが若干落ちたのと喧騒が耳に戻ってくるのを確認し、ゆっくり瞼を持ち上げる。


 たくさんの人が忙しなく行き交う市場が眼前に広がっていた。

 逃げ切れた――。人混みにこんなに安心感を覚えたのは初めてだ。

 後ろを見ると、さっきの路地あたりの場所に白い煙のようなものが舞っている。私の服にもそれと思われる白い粉がついていたので、親指と人差し指の間で擦ってみると、その正体がわかった。


「……これ、小麦粉だ」


 ひどい肩透かしに、私は腰が砕けそうになる。ばふんという変な音は、狭い路地裏に小麦粉がまき散らされる音だったんだ。それを知った今さっきの出来事を思い返すと、あれはなんて馬鹿馬鹿しいやり取りだったんだろう……。


 それに、ただの小麦粉が入った麻袋をああも大仰に通すなんて、この少年は心臓に毛でも生えているんじゃなかろうか。プリクラのデカ目もびっくりの針小棒大ぶりだ。

 そんなことを考えていると、知らぬ間にスピードを緩めた少年にどすんとぶつかってしまった。


「あだっ」


「おおう、ちゃんと前見て歩け」


「ご、ごめんなさい」


 なんか、デジャビュ。学習しないんだなあ、私。相手が優しくなっただけだ。

 何かほろ苦いものを感じる中、私はふと思い立つ。

 お礼。そうだ、お礼を言わなければ。


「あの! 危ないところを、ど、どうも、ありがとうございます」


 手を離し、立ち止まって少年に頭を下げる。たとえ使われたのが不意打ちと小麦粉でも助けてもらったことに変わりはない。


「どういたしまして。それはいいとして、君ちょっと不用心すぎない?」


「え?」


「ろくに自己防衛もできないのに、そんな『眼』しといて一人でうろちょろは感心しないな」


 見上げて目に入る少年の顔には呆れの色が濃い。彼の視線は私の双眸に向けられている。

 そういえば、男たちが私を見て眼がどうとかお金がどうとか言っていた気がする。結局彼の割り込みで事態が急変して、詳しくはわからず仕舞いだったが。


「えっと、助けてもらって何なんですけど私、なにがなんだか……ここがどこかもわかんないんです。気づいたら、あの船に乗ってて……」


 私は船着き場に停まっている大船をおずおずと指差す。

 少年はまごつく私に目を丸くしたのち、


「うーん……その調子だと、行くアテもない感じか」


 私は無言で首を縦に振る。困ったように頭を掻く少年。


「さっきみたいに一人じゃまた襲われるのがオチだしな……しょうがない、とりあえずどっか建物の中に入ろう。春っつっても夜はまだ冷え込むだろ」


「た、助かります」


 実のところ、船を降りたあたりから結構キていた。流石にローブ一枚では凌ぎ切れない。


「ちょうど、都合がいい場所を知ってる。そこに行こう」


「……えっと……差し出がましいようですが、そこは、その」


「ん? ああ。心配しなくても、さっきみたいな物騒な人たちなんていないから。安心安全クリーンなお店。まあそれしか取り柄ないけどな」


 笑う少年に、私は思案顔。

 お店なのか。一抹の不安が残るけれど、助けてくれたのは事実だしこの少年は信用しても大丈夫かもしれない。

 というか彼がいなければ、私には先ほどのように襲われるかどこぞの冷たい土の上で野垂れ死ぬかの二択しかない。どう考えても、彼についていくほうが賢明だった。


「わ、かりました。お世話かけるでござる」


「何その喋り方」


 しまった、時代劇の見過ぎでつい。


「あ……そういや、名前聞いてなかったな。それは覚えてんの?」


 頷きをひとつ。あくまで状況が掴めていないだけで身の上は覚えていた。


「――ミオ。白附しらつき巳央みおといいます」


「俺はクロート。よろしく、ミオ」


 さっきは一方的に私を掴んだ彼の手が、今度は優しく差し伸べられる。

 私は身をすくめながら、それをきゅっと握り返した。


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