プロローグ
「……ごめん。でも、今度は俺が守るから」
「……あなたは、分からない人です」
「…………っ」
男は少女を背負いながら荒地を走り抜けていた。
それが間違っていることだと、男以外の誰もが理解をしていた。
男だってそんなことは分かっている。
しかし男は分かっていてなお、そちらへ走ることを選んでいた。
それは以前、化け物であった。そして今、少女は少女と呼ばれていたことを理解しているか。
しかしそれが少女と呼ばれなくなってなお、声が届かなくなってなお。
男は過去の幻想に囚われる道を選んだ。
それが彼の選んだ道であった。
それは世界の異形であった。
大凡の生命は幾重の因果を世界と編まれている。
動物であろうと、魔物であろうと、過去に遡れば元は存在するように、如何なる狂気も異物も混成も、世界と関わらない存在はない。
しかしその異形は違う。
世界の歪みより産まれた空白に元を持つ。そして形成されるべき型も無ければ、持つべき本能のような価値もない。
何の因果も柵も持たない。当然それは世界にすら関与しない。
故にそれが魔王と呼ばれようと、それ自身には何の感慨もなかった。
勇者が魔王の元へ辿り着いたとき。
既にその化け物は人智の理を超えて、多くの知性や理性や物性を取り込み、もはや常識と日常からは一切が判別できない、生物と思しき何かに成り果てていた。
この世のどの生物にも当て嵌まらない、歪みをそのまま形にしたかのような化け物がそこに体現している。
それから驚くことに。
『勇者……?』
それは人語を理解していた。
それゆえに件の出来事は信じがたいが間違えではなかったと勇者は再認識した。
だから勇者は握る剣に力を籠めて、『これで終わりだ』という意気込みで奴を睨みつけてやれば。
ひっくり返りたくなるようなことをそれは言った。
『……あ、あ。あ、私は、どうすればいいですか……?』
「…………」
戦わないのか。争わないのか。私を鬱陶しく思わないのか。
勇者は酷く状況に困惑していた。
お前の獣性は、私と目を合わせた次には肉体を八つ裂きにしようと理性を蝕んでもおかしくはないだろう。それで私は潔くそれを壊し殺し排せる。それだけでいい。それだけでいいはずなのだが。
しかし勇者の思いとは裏腹に、それはただ静かに問いに対する勇者の返答を待っていた。
それならば仕方が無い。
勇者は表情を変えずに答える。
「ならば死ね」
『……それは、道理……で、す。ええ……正しい』
「…………」
勇者はまた当惑した――――――。
――――こちとら、どれだけ苦労してここまで来たと思っている。
が、辺りに散乱するペンダントやら、聖衣、言葉、様々に放り出された本の数々を見て、一つの推測を得た。
おそらくそうではないか。
いやそうでしかないのではないか。
今も化け物はこうして不動でいる。
そして酷く面倒な確信に行き当たり、深いため息を吐いた。
――――こういう手合いは苦手なんだが……。
勇者は戦うことぐらいしか才能がない自分を酷く憎んだ。
「お前、人の心を得ようとしたな」
『ぅ……ぁ、は、い……』
「あぁ……なるほど、な……」
信じがたいが化け物の反応を見ればそうでしかない。
そうであればどうするべきか。
この剣を法則が如くその化け物へ振るうのか。
それで面倒の一切を切り捨てられるが。化け物もそれを拒まないだろう。
それで、この世は救われた。
そうだろうか。
私は。
――――本当に能無しだな、私は。
勇者は握りしめた剣から力を抜いて、外異の全てを跳ね除ける聖剣でなく、ただの鉄塊として化け物に刃先を向ける。
「問いに答え直そう。私が全てを終わらせる。そしてお前の得た……全てを、後はこの勇者アラナ・シャディールが請け負おう」
『……有難う御座います』
「だから。情の有無に関わらず私に全てを伝えろ」
そして剣を地に突き刺して言う。
「私はそれまでここに居る」
『――――――――――――――――』
そしてある日、魔王は勇者の手によって屠られた。
その後。
勇者はこともなく、また同じように戦場へ向かうように見えた。