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喫茶「のばら」  作者: 冬村蜜柑
第一章
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「のばら」ただいま準備中(その二)


 お茶を飲み終わって、アルフがティーカップを片づけている間にイヴは夜着姿のまま洗面のために部屋をでる。


「奥さま、おはようございます」

 廊下で話しかけてきたのは飾り気のないドレスにこざっぱりした白のエプロンを身に着けた四十歳ぐらいの女。この家のたったひとりの住み込みメイドであるラヴニカだった。

「おはようございます、ラヴニカ。今日もよろしくお願いいたしますね」

「もう、奥さま。いつも言ってますが、そのように貴婦人に対するように私に話しかけないでもよろしいのですよ」

 ラヴニカはそういいながらも、にこにこと笑っている。以前、アルフにこの件を相談したことがあるのだが「ラヴニカも悪い気はしていないのだから、無理に変える必要はないよ」とのことだったので、イヴもこれで通すことにしている。

 そんな軽い挨拶を済ませ、洗面を終わらせて部屋に戻る。


 そして自分のクローゼットを開けて、昨日の晩から着ることを決めていた若草色のドレスを取り出す。

 と、いつの間にかアルフが戻ってきていた。

「そのドレスはダメだよ」

 いきなり、選んだドレスに文句をつけてくる旦那様。

「アルフ……」

 イヴはため息をひとつこぼすが、気にせず、アルフに背中を向けたままで若草色のドレスに合せるための靴を選ぶ。

「ダメだよ、そのドレスは胸が出過ぎている。それに裾丈も短すぎる」

「アルフ」

「キミは、首まで隠れて、なおかつ足首が見えないような丈のドレスを着るべきだ。キミは私の妻だ。肌をさらすようなドレスなど着るべきではない」

 はぁ、と二回目のため息をつきながらイヴは若草色のドレスを手にしたまま振り返る。

「アルフ、私は今日はこのドレスを着ようと昨日から決めていたのよ。胸元のデザインに関しては貴重なご意見として承ります。あと裾丈はこのぐらいの方が、歩きやすくてお店で働くに都合がいいのですよ。と・も・か・く! 女性のドレスに関しては殿方があれこれと口出しする権利はないと、神代のころから決まっていてよ」

 詩女神が風神と衣服のことで言い争いになり、詩女神は持ち前の口のうまさで風神をやり込めた神話を引き合いに出す。

「それに何度かは着ないと、ドレスの宣伝にならないのじゃないのかしら。それだと契約と違うわ」

「……う」

 イヴが着るドレスは、街の仕立て屋に作ってもらっている。が、代金を支払ったことはない。

 では何を対価にしているのかというと、イヴはドレスを着ることで、ドレスを宣伝しているのだ。

 もともとこのやり方を考えたのはアルフなので、その話を出されてはアルフはもう反論の言葉が出てこない。

 かくして、イヴは今日も服装の自由という尊いものを勝ち取ったのだった。


 細長い逆三角形に切り込まれた胸元、歩きやすいように足首が完全に出てしまう裾にはピンタックとフリル飾りがあしらわれていて、短めになった袖は上部が少し膨らんでいる――というデザインの若草色のドレスをまとったイヴは満足げに自身を鏡に映す。

 靴はアルフの意見を多少は汲んであげることにして、ふくらはぎ丈の編み上げ革ブーツ。これならドレスの裾が多少短くても足の素肌が見えなくなる。

 髪は、ドレスの共布でつくってもらったリボンでまとめることにする。最近は髪を編むことに凝っているが、時間がないのでゆるくみつあみをしてまとめてから、リボンを結ぶだけにする。

 エプロンを選んだりかるくお化粧をしたりもして、身支度が終わると、書き物机であきらかにしぼんでいる様子で請求書らしき書類を確認しているアルフに声をかけた。

 「そろそろ、一階に降りましょう」

 「そうだね、皆もう来ているだろうし。今日は少しばかりのんびりしすぎてしまった」

 アルフとイヴは、二階の家事をラヴニカに頼み、らせん階段をおりていく。

 そこには、喫茶「のばら」のスタッフたちが集まってきているはずだった。







「おはようございます、奥さま」

「おはようございまーす、奥さまー」

「おはようございます、二人とも」


 一階に降りていき、既に開店準備をはじめているスタッフたちと挨拶をする。

「……おい、私には挨拶なしなのかい」

「あははー、いらしたんですね店主さんの方も。つい、うっかり忘れちゃってー」

「これはお約束というやつを伴った冗談の一種というものなのでそんなに目くじら立てないでください。ということでおはようございます店主さん」

「あは、店主さんもおはようございまーす」

 アルフと実に親しげに、冗談交じりに挨拶を交わす接客担当スタッフの二人。この店で働いているのは殆どはアルフと昔からのつきあいの人たちだった。そのため皆は基本的にアルフへの態度は容赦なく、そして親密さに満ちている。それをイヴはいつも羨ましく思う。


 接客として働いてもらっているのは、ひとりはくるくると渦を巻く銀色の髪に、健康そうに小麦色に焼けた肌、それに彫りの深い顔立ち、といういかにも大陸南方の出身らしい特徴を兼ね備えた少女、マレイン。それにもうひとり、まっすぐな長い黒髪につぶらな真っ黒い瞳、出来の良いお人形さんのように可愛らしい娘……のように見えるドレス姿の小柄な少年、ヤナギ。

 見た目がある意味では対照的なふたり。このふたりが「のばら」の店内でくるくると動き回り働いているのは、なかなかに華やかだ。お客の評判もすこぶる良い。

「というか、今日は一階に降りてくるの妙に遅くなかったですか。寝坊したんですか、いちゃついていたんですか。もしかするともしかしてその両方ですか。そういうのは僕たちの精神衛生上あまりよろしくないのでいくら夫婦と言えどももうちょっと慎んでください」

「う……ご、ごめんなさい……」

「……ヤナギ、お前」

 ヤナギはお人形のような見た目に反して、言うことはばっさりとしている。なかなかに手厳しいのだ。

「えー、慎まなくていいと思うのになー。むしろー、もっといちゃつくといいんじゃないかなー。あ、でも営業中のお店ではやめといたほうがいいかもねぇー、あんまりやりすぎると、お客さん減っちゃうもんねー」

 マレインはゆるく、間延びした、ふわふわとつかみどころのない話し方をするが、これでいて頭は良い娘なのだということをイヴは知っている。


「え、えーと」

 これ以上からかわれてはたまらないと思ったのか、アルフはさっさと自分の聖域であるカウンター内の掃除を始めてしまっている。

 なので、イヴが二人に指示をださなくてはならない。

「お店の方のお掃除は終わりましたかしら?」

「店内も終わったしー、お外の方も終わりましたー」

「まだ時間があったので、ここのスタッフルームを掃除しようかとおもっていたところです」

「花売りさんはもういらしたのかしら?」

「そっちはまだー」

「では、二人はスタッフルームの掃除をおねがいしますね。花売りさんが来るまで私はアルフとカウンターの方を」

 と、そこまで言いかけて、スタッフルームの扉がノックされる。アルフだ。

「イヴ、花売り娘が来たみたいだよ。急いで出てやってくれる?」

「あ、えっと、二人ともおねがいしますね!」

「はぁーい」

「はい」

 スタッフルームを出て、テーブルや椅子をよけながら「のばら」店内を移動する。こういう急ぎのときには、歩きやすい裾丈のドレスと、かかとの低いブーツはありがたいものである。

 花売りの娘はいつも「のばら」の正面の両開きのドアではなく、店内横側にあるドアからやってくる。スタッフたちも、朝晩に店に出勤してきたり帰宅して行ったりするときはだいたいこのドアだ。これは、正面の扉をくぐるべきは茶を飲むお客のみというほうがよろしかろう、というアルフの美学からくるものだった。



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