スコーンにローズジャムを(その三)
「どうして結婚したか、かい? ……こういっちゃなんだけど、ずいぶんと変わったことを聞くね」
聞かれた店主は、なぜだかいぶかしげな顔だ。
「普通は、私の方にはどうして結婚したかなんて聞かないよ。だってあいつのすがたを見ればそれが答えってことでだいたいの人は納得してくれるものだから」
「じゃあ、奥さんの方に聞くひとはいるの?」
と、ルリエラが尋ねると
「一日に一回はあるんじゃないかな、ほら、この間のとか、あの時のとか」
そんな返事を店主は返す。
そういえばミリィにも覚えがある。どうしてこんな男に捕まったんだい奥さん。そんな言葉を投げかけられてあいまいに微笑む奥さん。そんなやりとりがこの店では日常茶飯事とはいかないまでも、わりとよく行われている。
「なんだって、いきなりそんなことを聞く気になったんだい。まぁ君たちぐらいの年齢はそういうことが気になるものだろうから別に不思議でもなんでもないといえばないのだけれど」
「……それ、は」
なぜかルリエラは頬を赤く染めてもじもじし始める。意外とはっきりしてる性格の彼女にしては珍しいことだ。何かあったことはまず間違いないだろう、これは友人の使命として聞き出してやらねばならない。
と、ミリィが決意したところでタイミング悪く――あるいはルリエラにはタイミング良くだったのかもしれないが、焼きたてスコーンの皿がそれぞれに運ばれてきてしまった。
喫茶「のばら」のスコーン、それも焼きたてあったか。
そのおいしさを知っているだけに、今という食べるタイミングを逃がすという選択肢は、ミリィはもちろんルリエラにさえも「ありえない」ことなのであった。
紫の可憐な花がひとつだけ描かれた白いお皿の上。スコーンがふたつと、オレンジ色にも近い濃いピンクの色をしたローズジャムが盛り付けられ、銀色に鈍く光るティーナイフが添えられている。
「じゃ、食べよっか」
「うん、食べよう」
スコーンは基本的に手づかみで食べる。
それを知るミリィとルリエラは迷わずスコーンを手に取る。焼きたての熱を持つあたたかな丸い円筒形の焼き菓子には、横に亀裂が大きく入っている。これは上手に焼き上がったスコーンの証で「オオカミの口」とよばれているのだとかなんとか。とにかく、その亀裂から半分にスコーンを裂いて
お行儀がわるいと知りつつ、両手に裂いたスコーンを持ったまま左手側のスコーンを口に運びかぶりつく。焼きたてのおいしさを逃してはいけない。
ふたつのうちひとつめは必ずジャムをつけずに食べるのがミリィのやりかただった。
「はむ……もぐ……もぐ……」
表面はさくさくのさくさくで、中はしっとりとふんわり。
スコーンはこのお店で食べれる他の砂糖たっぷりの菓子類とは異なり、決してそれそのものは甘さが主張する菓子ではない。
だが、だからこそ紅茶の邪魔をすることもせずにむしろきれいに調和する……と思っている。
右手で、砂糖スプーン二杯入りのシナモンチャイティーの入ったマグカップをつかんで、ひとくち、ふたくち。
うん、おいしい!
ひとつ目のスコーンは夢中でさくさくはむはむしているうちに、すぐにおなかのなかへと消えてしまった。
今度はおちついて、焦らず味わって食べよう……。
もっとここのお店の空気や時間といっしょに味わって食べないと、もったいない。もったいないというのは、お代金の事だけじゃなくて、なんかこう、いろんな意味で。
ミリィは毎回毎回同じことを、なかなか育ってくれない自分の胸にいいきかせてはいたのだが、それが守られたためしなどなかった。
ちらりと隣の席にすわっているルリエラを見る。
ルリエラは最初からスコーンにジャムをつけてしまう主義なので、今もぺとぺとティーナイフでローズジャムを塗り付けている。
「ルリエラ、ローズジャムってどんな感じ?」
これからミリィもすぐローズジャム付きスコーンを食べるのだが、事前に情報を聞きこみしておきたかった。
「甘酸っぱい味ね。薔薇とお砂糖のほかに、レモンかなにか柑橘の果汁がはいっているのだと思う」
「香りはどう?」
「口の中でやさしくふんわり広がっていく感じ。あまりきつめ濃いめな香りではないわね」
「ふむふむ」
ローズジャムといっても、薔薇のはなびらそれそのものは特別味がするものというわけでもないらしく、どちらかというと香りや色それに気分をを楽しむもの……ではないかとミリィは思った。
お行儀がわるいなぁ、と自分でもそんなことを思いつつ、ティーナイフにローズジャムをのせてぺろりと舐めてみる。
「……!」
やっぱりお行儀がわるいと理解しつつも、もういちどだけ、とローズジャムをすくって舐める。
口の中いっぱいに薔薇の香りがひろがり、そしてそれが自分のおなかに収まっていくと思うとなんだか嬉しくなる。そう、お行儀がわるいことをしてるなんて気にならなくなってしまうほどに。
何度かティーナイフを往復させ、ローズジャム単独で食べるのにとりあえず満足してから――その間、ルリエラには数回靴先でつつかれた。どうやら礼儀作法にうるさいことで街でも有名な老婦人がこちらを見て咳ばらいをしていたらしい――ようやく、だいぶ少なくなってしまったジャムをいくらか冷めてしまったスコーンにのせてぱくりといただく。
先ほどのそれよりは確実に冷めてしまっているとはいえ、スコーンはまだまださくさくとしてふんわりとしていた。
ローズジャムの甘酸っぱさとも、なんというかスコーン自体のほのかな甘さに綺麗に調和しているというべきか、収まるところにおさまっているとでもいうか。
……これといって学がなく、料理の知識もたいしてもっていないミリィでは、どうにもこうにもうまく表現しきれない。
こういうとき、ルリエラならどういう表現をするのだろう、と隣をちらりと見る。
ルリエラは本が好きで勉強が好きで、ひとりでもこの喫茶「のばら」に来て、本棚におさめられている本を読んでいるらしい。本はとても高価で貴重なしろものなので、貴族でも豪商でもない者がそんなにたくさん所有できるものではない――「のばら」では財産がある友人からの貰い物の本をおいているのだと店主は言っている。
ルリエラは――何やら思案顔で、青い横線模様のひとつある白いマグカップを手にしていた。
その横顔は、まるで絵画から抜け出たみたいだ。ルリエラはもともと綺麗な娘なのだ。まっすぐな長い黒髪も、青色かかったグレーの瞳も綺麗だし、肌もいかにもすべすべとしているようにみえる。ただ、本人があまり自分が綺麗だということに自覚がないし興味もないようなのだ。
「……ん、なぁに?」
まじまじと見られていることにルリエラは気が付いたらしい。
「んー、ルリエラは今日も可愛いなぁって思ってた。あぁ、あとスコーンとローズジャム美味しいねって」
嘘をつく理由も特にないのでミリィは正直に白状する。
ルリエラはいつものように「からかわないで」と言ったりして赤面したりするのかとミリィは思ったのだが、どういうわけかひどく傷ついたような顔をした。
「……あ、ごめん、ね……ミリィ、その」
「どうしたの? ……何か、あったの?」
「何か、あったかなかったかでいうと、あったんだけど……」
ルリエラはしばらく迷っている様子だったが、
「あのね、ミリィ。私、先日求婚されたの」