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喫茶「のばら」  作者: 冬村蜜柑
第一章
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苺がいっぱい(その一)


「うん、小腹がすいたね」



 仕立て屋の女主人パシュミアは自分の今のつぶやきを肯定するように、うんうんと何度もうなずいてみる。

 お腹が減った、ではない、あくまでも小腹、ここが大事だ。

 小腹がすいたときには、その時なりの満たし方があるというものだ。


「そうと決まれば……」


 早速とばかりに作業部屋からの脱出を謀ろうとする、のだが

「えぇぇえええええっ、パシュミアさんずるいですよ!」

「自分だけ休憩ですか、この恐ろしく忙しい時に」

「ずるいずるいずるいずるいよー、おーぼーですー」

 作業部屋のお針子全員から、次々にに非難の声があがる。

 無理もない、ここ最近は彼女たちも休日出勤してまで仕事にあたっていたのだから。ただ、同じように、いやそれ以上に休日も休憩もほぼ無しで働いている雇い主に対してせめて、もうちょっとこう、うすぎぬにでもくるんだ物言いができないかとも思うのだが。

 そもそも、こんなに働く羽目になっているのは誰のせいなのかとパシュミアは考えてみる。

 六割は自分自身の見通しが甘かったせいだ。まさかこんなにも経営がうまく行きすぎる、だなんて。まさかこんなにも、お針子の人数も資材も時間もなにもかもが足りなくて悲鳴をあげることになるとは。

 では残りの四割は何だろうか?

 それは、喫茶「のばら」の店主夫妻のせいだ。というかおかげさまさまと言う方が、正しくある。





 一年ぐらい前、喫茶「のばら」がまだ開店したばかりの頃、パシュミアは紅茶という珍しい飲み物が出るという噂の、その店に行ってみたのだ。

 入店してみた「のばら」は(今からはとても考えられないことなのだが)午後のおやつの時間であるにも関わらずお客がほとんどいなかった。

 そのため、パシュミアは大きなテーブル席にひとり悠々と座って、紅茶を飲むことができたのだ。それまでほとんど口にする機会がなかった紅茶は、とても美味しくて香り高い。それに高級な砂糖をたっぷりと使っている甘い菓子類も当然美味しいときている。

 それで思わず、給仕の子たちに、いろいろと話しかけた。給仕たちもお仕事がほとんど無くて暇だったようで、カウンターにいる店主をちらちらと見て気にしながらもおしゃべりに応じてくれた。

 そのうち、ドレスのコーディネートなどの話題となった。つまりパシュミアの専門分野である。給仕の子たちは、それぞれに個性的で愛らしい容姿はしていたし、仕立てのとても良いドレスを着ていた。だが、どうにもちぐはぐというか、色合わせや柄合わせがなっていないし、自分に何の色が似合うのか、どんなデザインが合うのか、そういったこともわかっていないようだったのだ。

 それで、それで言ってしまったのだ。

「おばさんがあなた達のドレス仕立ててあげる! ……有料で」

 すると、思わぬ声がそれに便乗してきた。それまでカウンターの中で黙々とティーカップを磨いていた若い男……「のばら」の店主である。

「それなら、うちの奥さんのドレスもお願いできないかい?」

 そのあとすぐに、その「奥さん」だという、今までパシュミアが見たこともなければ空想してみたことすらもないような、近づくのも畏れ多いほどの美女を紹介され、腰を抜かしそうになりながら、アルフと名乗る店主のアイデアを聞くことになった。

 美人奥さんがあまりにもありえないような美しさだったため、その場から謝りながら逃げたくなったパシュミアだったのだが、足に力が入らず、しかも両袖を給仕たちに可愛らしくひっぱられていたために、それは不可能だったのだ。

「話は簡単。先ほどの有料、という部分だけ取り消してもらえればいいのだよ。といっても現時点ではそれはそちらが納得行きかねるだろうから割引という言葉にでも差し替えてくれてもいいね。その見返りとして、だ」

 店主アルフは、まるで技匠神がつくりあげた人形とも見まがうようなそれはそれは美しい女性を抱き寄せて、真珠と薔薇の花びらを5月の朝露でとかしたらきっとこんな風になると思えるような頬にキスをしてみせる。


「私の妻であるイヴが、貴女の<作品>を纏いましょう」






「あれで断れる仕立て屋は仕立て屋じゃないね、うん、私は悪くないね!」

 あのときのことは何度思い返しても、パシュミアはそう結論を出し、口に出さずにいられない。 


 作業部屋は今はパシュミアしかいなかった。

 休憩をよこせ休憩をよこせ休憩をよこせと恨みごとにも近いさまで要求してきたお針子たちには、今日はもう休憩しているうちに日暮れになってしまうので帰宅してもいいという旨を告げると、それぞれ喜び勇んで帰って行った。いや、約一名はデートのために恋人の勤めているらしい城門方向に向かって歩いて行ったようだが。

「さぁて、おやつの時間にはちょいとおくれちゃったけど、太陽が出ていて天気は悪くないし……行くしかないでしょう、喫茶「のばら」へ」

 かつてないほどに景気も金回りもいいし、今日はぱーっと、普段食べられないような上等な菓子を食べてとおいしい紅茶を飲もう。

 そういうわけで、パシュミアはクリーム色に薄紫とベビーピンクで模様の入った春用コートを纏い、白い椿とベビーピンクの椿の造花が飾られたクリーム色の帽子をかぶる。

「そうだ、せっかく楽しく美味しくお茶とお菓子をいただくんだから、あいつもさそってみるとするかねぇ」

 正直言ってほとんどものは入らない白いレースのハンドバックだが、中の財布は重たく、かなりの余裕がある。仮にパシュミアがもうひとりの支払いをおごることになっても、重みにほとんど変わりはないだろう程度には余裕があるのだ。




 サフィロの街の、なんの変哲もない、これといって特徴のない平凡な通り。

 そこにパシュミアのひとつ目の目的地はある。

 靴の高いかかとをかつこつ言わせながら通りを歩いていると、ひとつ目の目的地に掲げられたブーツの形をした看板が見えてきた。

 真四角の看板には「靴屋」としか書かれていない。

 そのそっけない店名をみるたびに、あいつは商売気がないのだろうかと思うのだが、これはこれでそれなりに、繁盛はしているらしいので、問題ないのだろう。

 「靴屋」のウインドウをのぞき込む。だが、誰も居ないようだ。ちょうど奥にでもひっこんでいるのだろう。


 とりあえず、中に入って呼んでみようと、ドアを開ける、と。


「なんだ、お前か」

 すぐに低い声がする。外から見えなかったのは、どうも商品棚の低い位置で靴の陳列でもしていたようだ。

「なんだお前か、でわるうござんしたね、グヴェン。そちらは景気はどうだい?」

「ふむ、悪くはないな」

 そういってグヴェンは膝をついた体勢から立ち上がる。その頭のてっぺんは、かかとの高い靴を履いても決して背が高いわけではないパシュミアの腹のあたりまでしかない。

 グヴェンはキュルテ――小人族と呼ばれる種族なのだ。

 この街の近くには、キュルテのちいさな集落がある、らしい。グヴェンの父母が若いころそこからこちらへやってきた、というわけだ。

 仕立て屋の娘だったパシュミアに、靴屋の子だったグヴェン。それに帽子屋の子であるハーゼを加えた三人は、昔からよくつるんではいろんなくだらないことを大真面目にしたものだった。

「お、景気が悪くないんだったらさ、一緒に喫茶「のばら」に紅茶を飲みに行くってのはどうだい?」

「紅茶か……「のばら」の紅茶と菓子は美味いからな。この間も南方からの旅人らしい夫婦ものがあの店を探してこのあたりを行ったり来たりしておったわ。ちょいと待っとれパシュミア、弟子どもに言ってから準備してくる」

「はいよ」



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