スコーンにローズジャムを(その二)
カウンター席に座ってかばんを置くとすぐに、この喫茶店の給仕のひとりである銀髪の派手な顔立ちの少女が、この店のメニューの書かれた紙を運んできてくれたので受け取る。奥さんが運んできてくれなかったのがひそかに残念だったが、同時にほっとしていた。
受け取ったメニューに目を落とす。ただ、この紙のメニューに書かれているのは茶の類だけ。食べ物や菓子類はその日によって違うものがあったりもするので、カウンター奥などにある黒板に名前と値段が書かれているのだ。
「ルリエラは今日は何にする?」
「いつもどおりのつもりよ。シナモンチャイティー」
ルリエラは紅茶をスパイスやミルクと煮出してつくられるミルクティーの名前を挙げる。本人がいうとおり、いつも通り。ルリエラは1種類の好きなものにこだわる傾向がある。対してミリィは事前にあれにしようと決めていても、店に入った時の空気や気分、それに「今はいい紅茶がはいってますよ」と言われたりすることであれこれ変えたくなってしまう。
ただ、紅茶と一緒に食べるもの。これはミリィもこの店に初めて来た時からずっと変わらない。
「注文、おねがいします」
ルリエラがメニューを持ってきてくれた銀髪の少女に声をかけると、彼女はすぐに注文をききにきてくれた。
「私はシナモンチャイティーとスコーンを」
「私も同じものを。シナモンチャイティーとスコーンで」
「はぁいー、シナモンチャイティーふたつ、スコーンふたつねー」
「あ、そうだ……今日はスコーンのジャムは何がありますか?」
「今日はローズジャム、ありますよー」
「ローズジャム?」
「ローズジャム!」
ミリィとルリエラは、石炭を採掘していたらダイヤモンドを見つけたような驚きの顔と気持ちになった。
薔薇の花をジャムにして食べちゃうだなんて、まるで妖精のよう、なんて優雅なんだろうか!
「じゃあ、あの、それでお願いします」
「私もそれで」
「はぁい、少々お待ちくださいー」
銀髪の少女が大きな胸をゆらしながら、カウンターにいる店主と奥にある厨房に注文を告げに行く。カウンター席に座って待つミリィとルリエラはローズジャムという言葉の衝撃でまだちょっとどきどきしていた。
特にルリエラはこの店での習慣にしている、注文を終えたらすぐに本棚で今日読む本を見繕うことすら忘れているようだった。
「楽しみだね、ルリエラ」
「そうね」
カウンターの中では、「のばら」の店主と、奥さんが小声で話をしていて、何か楽しいことでもあったのか微笑みあっている。この夫婦は相変わらずの仲良しだ。
店主は黒髪に青い瞳の、中肉中背と呼ぶにはすこし背が高くてすこしやせた男だ。年のころは二十代半ばぐらいのようだが、ミリィが見てもずいぶん人生経験はありそうな……いろんなものを経験してきて身につけたふてぶてしさというべきものをどこか感じられる。
……まぁあんなに綺麗な年上奥さんをもったぐらいだ、並の神経と器ではやってられないのだろう。
「じゃあ、お休憩もらいますね。すぐに戻りますわ」
「すぐに戻っちゃだめだよイヴ、ちゃんと休むんだよ」
「はい。わかりました。時間通りに休ませてもらいますわね、アルフ」
そんな会話を交わし、奥さんはカウンターの奥にある厨房に消えてしまう。たぶんこれからちょっと遅い昼食をとるのだろうだろう。
奥さんが見れなくなってちょっとがっかりする一方で、綺麗な人が近くにいるときの緊張がなくなってほっとしてしまう。
「なんだい、残念そうだね」
そんなに残念な気持ちが顔にでていたのだろうか。店主がカウンター越しに話しかけてくる。
「そりゃそうよ、この店に来ている理由の約四割ぐらいが奥さんを見るためだもんね」
「残りの約六割は何かな?」
「だいたい三割ずつで、紅茶とお菓子ね」
「ふぅん。まぁよしとしておこうかな。こういうふうに真っ直ぐに妻を褒められるのは夫としても決して悪い気はしないものだしね。……ほら、熱いから気をつけて。スコーンはもうちょい待っててくれるかな、焼きたてを出すから」
きさくに会話しながら、店主は二人が注文していたシナモンチャイティーをそれぞれに出してくれる。器用なものだ。
受け取って、まずはそのぬくもりと、それから香りを味わう。
シナモンをはじめとするスパイスの香りと、それにまけないぐらいの紅茶の香りで胸がいっぱいになる。
紅茶の種類やお客、あとは店主の気分によって変えているという茶器は、今日は素朴な花の模様が青で描かれた厚めで大ぶりなマグカップ。
そのなかに満たされた茶の中に、砂糖をスプーンで軽く二杯入れる。二年ばかり前に、この国が戦争で得た領土でつくられているという砂糖は今なお貴重なものだが、「のばら」の店主は大胆にも各テーブルに砂糖壺を置き、客に砂糖を自由に使わせている。もっとも、そうそう何杯も何杯も砂糖を入れる客はまずいない。そのようなことをするとせっかくの茶の味を殺してしまうからだ。
飲む前にもういちど香りを味わい、それからひとくちいただく。
砂糖の心地いい甘さと、ミルクのまろやかさと、シナモンをはじめとするスパイスがちょっとだけぴりりとした味。それに夢のような、いや、夢では決して味わえないような豊かな香りを飲み込む。
うん、美味しい。
この店を知るまで、ミリィが飲んだことのあるお茶なんてせいぜいそこらの野山でとれる香草を使ったものぐらいで、ちゃんとした紅茶なんて飲んだことが無かったが、この店で紅茶を飲み、以来とりこになってしまった。
今日も美味しくて、あったかくて、幸せだな。
ミリィは心の底からそんな風に思った。
「あの、店主さん」
ミリィがささやかに幸せを感じているとき、ルリエラはこの店に来ると毎回頼むほどに大好きなシナモンチャイティーには手を付けず、店主にこう切り出した。
「店主さんって、どうして奥さんと結婚したんですか?」