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喫茶「のばら」  作者: 冬村蜜柑
第一章
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フルーツタルトと恋する絵筆(その三)



「さて、さて、さて」

 カルダーが承諾したことで気を取り直したのか、それともようやくおなかに空きスペースができたのか、ココはやっとフルーツタルトにぱくつきながら次なる手を考えているようだった。

「さぁて! 弟よ、美人画を描くということで、アレだ、モデルが必要なんだが」

「ここの奥さんはダメだからね」

「わかっている、わかっているよ、さすがにわかっている、あれは触れてはいけない領域――アンタッチャブル――というやつだったと理解できたよ。私がうかつ過ぎだったよ」

 前半はともかく、後半のつぶやきはよく意味がわからなかった。

 優れた芸術家がよく行うとされる、他人に意味が解らないような奇妙奇天烈な言動はココもよくやるので、まぁいちいち気にしていたらやってられない。

「あぁ、給仕のお嬢さん、今度はシナモンチャイティーを貰えるかな。二人ぶんね。それで……だな、我が弟」

 姉はコホンとわざとらしい咳払いをして

「カルダーよ、きみは親しい女性とかはいないのかな?」

「いない」

 ほとんど条件反射的に、姉の言葉が終わるか終わらないかのうちに、返答をする。

 わざわざ思い返すまでもなく、カルダーに親密な女性などいない。それでもどうしても何が何でも親しい女性の名を挙げろといわれたら、真っ先に姉のココが出てくる。ちなみにその次に来ているのは自分の母親という悲しみである。

「わかってはいたけど、けど、いくらなんでも否定完了が早すぎるよ……では、親密な仲になりたいときみが思っているような女性は、いないのかな?」

「…………いない」

 今度は先ほどのように即座に返答はできず、かなり間をおいてからようやく言葉がでてきた。

「ふぅん?」

 姉は、座ったままで両手を腰に当て、ぐるり、と店内を見回す。

「それじゃ、適正な報酬でもって誰かにお願いするしかないね」

「誰かって、誰だい」

「こういう規模の街では専門の絵画モデルを職業にしているご婦人はいそうにはないし。となると“そういうお店”にいくのが手っ取り早くはあるのだよね」

 後半は、もちろんカルダーにしか聞こえないように声量を抑えている。とはいえ、こんなまだまだ明るい時間に、こんな誰が聞いているかもわからないような場所で、しかも姉と弟でする話ではない。

「きみはそういうのは、好みじゃなさそうだねぇ」

 どうやらカルダーは相当渋い表情になっていたらしい、ココの方でもからかってくるわけでもなかった。そうして今の案は粛々と却下となる。

 

「まぁ、それほど深く考えなくとも大丈夫だよ。たとえば――」

 ココは、短く切ってある金の髪を揺らしてカウンター席を見る。

「たとえばほら、あそこで本を読んでいる黒髪の娘さんにお願いするとか」

「!」



 してやられた。

 それが現在のカルダーの心情だった。

 姉は黒髪の彼女が入店してくるのを、そしてその姿をカルダーが視線で追い、その後もちらちらと眺めていたのを、しっかりと分かっていたのだ。

 ……ほんの一瞬だけ、姉が心を読む魔法か何かを使ったのではないかと疑ってしまったが。



 大陸東方の血が混ざっているのだろうと推測できる真っ直ぐの黒髪が美しい十五歳か十六歳ぐらいの少女。

 この喫茶「のばら」には不定期に訪れていて、それは常連と言っていい頻度であるということ。

 注文はいつも決まって、シナモンチャイティーとスコーンであるということ。

 この店に来るのはどうやら、本棚にある書物を読むことをお目当てとしているらしいこと。

 たまに友人らしき同年代の少女と一緒に来店していて、その少女からはルリエラという名でよばれていること。


 それに、彼女が熱心に本を読みふける横顔が、とても美しいこと。


 以上が、カルダーが“黒髪の娘さん”について知る情報のすべてであった。

 つい、今の今までは、それだけだった。



 だが、現在進行形で彼女の隣の席に姉のココが座って、次々に彼女の情報を聞き出している。

 名前はやはりルリエラということ、年齢は十五歳だということ、本がとても好きだということ。その他にも彼女の家が街のどのあたりにあるのか、家族構成や、父親の仕事の内容といった情報までも、姉はきれいに巻かれた毛糸玉から毛糸を引っぱるかのように容易なことであるかのように、引き出していく。

「へぇ、ルリエラちゃんのひいおばあさまは大陸の東方から来たひとだったのか」

「えぇ……父方の曽祖母になります。私は親戚のなかでいちばん曽祖母にそっくりみたいで、よく祖父からは――」

 それにしても、姉が優れているのは頭のよさや武術の腕前だけじゃなく、話術までも守備範囲とは。なんとなくはわかっていたが、こうもその手腕を目の当たりにするともはや嫉妬も羨望もなにもかも通り越してただ呆れるしか、ない。


「それでね、ルリエラちゃん。うちの弟も画家なんだけどね、貧乏画家だしろくにモデルになってくれる人も雇えなくてねぇ。情けない話なんだけどさ」

 ココの指がテーブル席に残っていたカルダーを示した。

 それにつられてルリエラが、カルダーを見て……青色がかったグレーの瞳でしばらく見つめる。

 ゆっくりと瞬きをして、それから一言。

「あまり似てない弟さんなのですね?」



 とりあえず、ルリエラは絵のモデルになることに関しては、家族に相談してみます、ということだった。

 まっとうなお家のちゃんとしたお嬢さんがいきなり家族の承諾も無しに、いかにもあやしげで、しかも妙に体格のいい年上の男である画家の雇われモデルになる、というのはまぁ最初から無理がある。とりあえず本人は前向きに検討してくれているので、あとはルリエラの家族がなんと言うか、にかかっていた。

 家族から承諾がもらえたら、明日も喫茶「のばら」に来るということになっている。

 カウンターでティーカップを磨いていた店主が、それならこの店でスケッチをするといい、と申し出てくれたのである。

 たしかに、いきなりカルダーの自宅に未婚の若いお嬢さんをつれこむことは、彼女に相当寛大な家族がいたとしても、無理がある話だったので、これはありがたいことだった。



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