利益存亡品第七
では、後半いってみましょう、後半スタートぉ! (……古っ(汗))
というわけで、地蔵本願経の下巻に入ります。
爾時地藏菩薩摩訶薩白佛言…
そのとき偉大な修行者・地蔵菩薩がブッダに言った。
(神奈川県大和市深見2257 地蔵堂)
地蔵「世尊。私が閻浮の衆生たちを観たところ、心は常に動き続けていて、罪から逃れられません。善の利から外れてしまい、初心から退くことも多く、もし悪い縁と出会うとそちらを増幅してしまいます。この人たちは、泥の中で重い石を背負ってしまうような状態で、深い泥に足が沈んで歩くことも困難です。
地蔵「もし、知識(指導者)に出会えば、その知識が本当にすごい人ならその負担の一部または全部を替わってもらうこともできるし、そうでなくともお互いに助け合って歩くことはできるでしょう。そして、乾いた平地に達したら、もう泥だらけの悪路は通りたくないと思うことでしょう。しかし、悪い奴が僅かの隙に彼を引っ張って戻しちゃうこともたくさんあり……これか衆生には一般的です。
地蔵「命が終わるとき、家族眷属はその人を少しでも長生きさせるためにと費用も使って、あるいは日傘をかけ明かりも灯し、あるいは尊いお経を読んだり仏像やいろいろな聖なる存在の像を供養したり、あるいは仏菩薩や独学の聖人の名を念じ、その名前を、いま臨終の人の耳の奥まで、心の奥底にまで届けようとします。
「が、これは衆生に生きる欲望に執着させることとなって、かえって悪い業を作る、むしろ悪趣に堕ちる結果となります。
地蔵「眷属が命を終える場に立ち会うことになったとき、人は聖因を修し、このように罪を滅ぼさなければなりません。
地蔵「彼の死後、七・七(=49)日の間、広く人々のために善を行うのです。こうすれば、亡くなった方も悪趣から離れられ、人界や天界に生まれて、妙楽を受けられ、現在の眷属にもおおいに利益を与えてくれるでしょう。
地蔵「ですので私は今、ブッダ世尊と天龍八部、人ではないひとたちまで閻浮提の衆生に、臨終の日は生き物を殺したり鬼神を拝み祭って魍魎たちの力を求めたりなどの悪縁を作ることの無いよう、お勧めします。なぜかというと、殺生から拝祭までどれもこれも、亡くなる人にとってなんの力も利益も無く、ただ罪の縁を深く重く増やし転がすだけだからです。
地蔵「仮に来世や現世で人界や天界に生まれて何がしかの悟りのようなものを開けていたとしても、命が終わるときに家族や眷属が悪縁の原因を作ってしまうと、命が終わろうとしてる人には、天界などいい場所に生まれ変われるチャンスを減らしてしまうのです。もしその命の終わる人が生きてる間に少ししか善根を作ってなかった場合、その業をストレートに受け悪趣に行ってしまうわけですから。
地蔵「眷属が業を増やすとはどんなことかというと。たとえば、三日間、何も食べずに遠くから歩いてきた人に、さらに100キロの荷物を背負わせるようなものです。こんなふうに重荷を背負わされたら、隣の家に持ってくことさえできないでしょう。
地蔵「世尊、私が閻浮の衆生たちを観たところ、いろいろなブッダの教えも、毛一本・砂一粒・塵一個ほどの善事でも、それらの利益はすべて自分が得ています。」
ここまで語ったとき、会衆の中から一人の長者(金持ちの商人)、名を大辯という人が立ち上がった。
この人は、悟りを開くことないまま十方の人々を救って生まれ変わり続け、今の一生は商人として生きている人だ(つまり菩薩だ)。この人が、合掌し敬意を示して地蔵菩薩に尋ねた。
大辯「大士(素晴らしいお方)さんってばよォ、南・閻浮提の衆生が命サ終わると、ハァ、眷屬たちゃあ功徳のためにって潔斎したりして善因を作ろうとしますけどが、こりゃあ命を終える人の利益とか解脱とかにサつながらねんだっぺか?」(なぜ茨城弁?;)
地藏「長者さん……私は今、未来と現在のすべての衆生のため、ブッダの威力をお借りしてそのことを簡単にだけ説明しましょう。
地蔵「命の終わる日に臨んで、仏・菩薩・独学の聖人らの名前をひとつでも聞いたら、罪があろうとなかろうと、みんな解脱できます。男でも女でも、生きてる間に善いことをせず多くの罪をおこなつてしまったとしても、命が終わった後で、眷属が少しでも大いにでも福徳を作れば、それらの聖事のうち7分の1は故人に行きます。でも7分の6は生きてる人の方の功徳になっちゃいます。
地蔵「このように、未来や現在の善男女たちも、善行の成果が自分に来ることはわかっても、無常の大鬼がいきなり来て冥界の神が現れても、罪福の結果はまだ解かりません。
地蔵「七・七(=49)日の間は、何も考えられない人のように耳の聞こえない人のように、業の結果の判断が出るのをただ待ち続け、それが決まってから、業によって次の生を受けます。それが決まらない間は、ものすごく心配で苦しい思いをします。命の終わった人が次の生を得ない状態で悪趣へ堕ちたいものでしょうか。七・七(=49)日のあいだ、血縁の眷属たちが福縁を作って助けてくれることを望み必死に念じるのです。
地蔵「この日々が過ぎてから業によって報いを受けます。
地蔵「もし罪人なら、1500年ほど経つまではもう助かりません。もし五無間罪だと大地獄へ堕ち、千劫万劫と永くいろいろな苦痛受けます。
地蔵「それから長者さん。衆生が命を終えた後の罪業はこのようなものです。
地蔵「眷属や家族血族が業道を助けるために『斎』(食事の布施)を設けても、まだ斎飯を食べる前または斎飯の後にでもいいから米、■、菜葉を大地に捧げず、また仏僧に献じないうちに先に食べてはいけません。正しくない食べ方をし努力を怠っては、命の終わる人に力を得させることができません。
地蔵「食べ物をできるだけ清く保ったまま仏僧に献じると、亡くなった人にその7分の1が行きます。
地蔵「だから長者さん、閻浮の衆生は、その父母や眷屬のために、亡くなった後は斎の席を設け、心からねんごろに供養することです。こうすれば、亡くなった人にも得るものがあるでしょう。
ここまで語ったとき、忉利天(とうりてん)の宮殿にいた千万億那由他というおおぜいの閻浮の鬼神が、みんな無量の菩提心(悟りを求める心)を起こした。
長者・大辯は一礼して、席に戻った。
- つづく -