忉利天宮神通品第一 (後編)
又於過去不可思議阿僧祇劫時世有佛號曰覺華定自在王如來……
「それだけじゃなくてね。不可思議×阿僧祇(1,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000)劫ほどの昔、『覚華定自在王如来』という、寿命が四百千万億阿僧祇(400,000,00,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000)劫くらいあったブッダがいたんだけど。
「そのブッダの像法の時代(正法がなくなり教えの効果が薄れた時代、末法の前)にね、あるバラモン(インドの最高身分、司祭階級)の女性がいて。あつく福徳をつんでいて、みんなから尊敬されてて、行住坐臥すべて神々に守られていて、聖女とまで言われるほどだったんだけどね。
「でも彼女のお母さんは三宝(仏法僧)を軽んじて邪教を信じていたんだ。
「バラモン女性は、広く方便を説いてお母さんの目を覚まさせようとしたんだけど。残念ながら完全には納得してもらえないうちに、お母さん、亡くなっちゃってねぇ~。……不信心の因果で無間地獄(地獄の最下層、別名・阿鼻地獄)に堕ちちゃったんだわ。
「バラモンの聖女は、
聖女『お母さんてば生前の行いがああだったから、もしかすると悪いところに転生しちゃってるんじゃないかしら?』
「と心配して、ついに家も売り払い、そのお金で香華や供養道具をそろえ、覚華定自在王如来を祭ってる塔のあるお寺で大いに供養をしたんだ。
「お寺には覚華定自在王如来の像があった。塑像で、その威容ときたらすんげえ荘厳だった。バラモンの女性はその像を、ブッダ本人と同じように礼を尽くして敬い、その全ての真理を知って悟りを開いたそのブッダの名を唱えてたんだけど……その後でつい、つぶやいちゃったんだ。
聖女『もしブッダが在世の時代なら、お母さんの死後がどうなったか教えていただけたでしょうに』
「そう言って、わんわん泣き出した。するとだね、覚華定自在王如来の声が空中から聞こえてね。
如来『そこな泣いてる娘さん、あんた聖女とまで言われた人なんだから、あんまり取り乱しちゃダメよ? お母さんがどこへ行ったかそんなに気になるの?』
「バラモンの女性は合掌して、姿の見えないまま空中にむかって言った。
聖女『どこの神様か存じませんが、お許しください。昼といい夜といい、失った母を想わぬときがありません。母がどこの世界に行ったのかを、誰に尋ねたらいいのかさえわからないのですぅ、ひっく、ひっく、えーんっ』
「すると空中の声がまた言った。
如来『私ゃ、いまあなたが拝んだ相手だよ、過去に覚華定自在王如来だった者だ。見たとこあなたは、普通の衆生の倍くらいに、母を失った悲しみを感じてる。悲しみすぎじゃないのかな? それを伝えに来たんだ』
「バラモンの聖女は大ショックのあまり、手足がみんな壊れたほど自分をぶん殴った。驚いた周囲の人たちがあわてて止めて応急処置したから、なんとか意識は取り戻せたけど。で、息も絶え絶えになった彼女が言うには
聖女『ブッダ様、お願いです、お慈悲です……母が、どこへ生まれ変わったのか、教えてくださいませ。私もまもなく死にますんで……」
「覚華定自在王如来が聖女に告げた。
如来『それじゃ供養はこれで終わりにして、あんたもう北千住に……じゃなかった、釜山港へ……でもねえや、え~っと……つまり、引っ越し先の小さなおうちにお帰り。そして静かに座って思惟しながら、ブッダの名を唱えてみなさい。そしたら、あんたは徳があるから、お母さんがどこへ行ったかわかるよ』
「バラモンの聖女は何度もブッダに感謝の拝礼をして、急いで、以前の屋敷よりうんと小さくなった新しい家に帰った。そしてお母さんのことを考えながら室内で静かに座り、覺華定自在王如来を念じつつ一日一夜の間、読経しつづけたんだ。
「すると……とつぜんその身が空中へ浮き上がり、猛スピードで移動してはるか遠くの、夜の海へと飛んだ。
「海はボコボコと沸騰していて、鉄の体を持つ悪の猛獣(フカ?)が食べ物を奪いあって体を傷つけ合っていた。
「彼女は海上を西へ東へ飛び回った。すると、百千万(つまり十億)人の男女が海に漬かり、悪の猛獣たちが人々を奪いあって食っているところが見えた。
「そこにはいろんな姿をした夜叉たちもいた。たくさんの腕や眼や足や頭を持っていた。口から出た牙は剣のように鋭く、体は人よりもむしろケダモノに近い。なかには、腕や足がたくさんありすぎて、たくさんの腕が自分に絡まって動けなくなってて、自分の頭を自分の足で蹴ったりもしちゃってたやつもいた。それはもう、見るに耐えない醜い姿だった。
「でもバラモンの聖女は、ブッダを念じていたのでそんなものを見ても恐くはならなかった。そのうち、そこへ『無毒』っていう名前の鬼王(地獄の管理者)が空を飛んでやってきて、彼女を出迎えお辞儀したんだ。
無毒『熱烈歓迎っス、菩薩さんっぽいお嬢さん。でも、なんでまたこんなとこへ?』
聖女『わたしはどこ?』
無毒『鉄輪山の西、一つめの海っスが」
聖女『鉄輪山といえば、世界の東の端で地獄があるって聞いてますけど……』
無毒『ん~っ……正解! ここ~ぉは地~獄の一丁ぉ目~ッ♪』
聖女『でもわたし、なんでこんなとこへ来たのかしら?』
無毒『もし神仏に送りこまれたとかでなかったら、業によってでしょうな。そのどっちかでなきゃ、こんなとこに来ないっスもん』」
業とは。
過去の行いが波のように世界へ広がっていき、やがて未来の自分に返ってくるという考え方です。ぶっちゃけ、他者を喜ばせれば嬉しいことが(善因善果)、他者を苦しめれば苦しいことが(悪因悪果)、それぞれ返って来る、と、まあそんな感じに考えとけばだいたい近い。
仏教では森羅万象全てにおいて完全な偶然ということはなく、全ては何か原因があって生起したり死滅したりすると考えてました。これを古代インドの言葉で「カルマ」、日本語では「因縁」とか「業」とか申します。
業は、一生では終わらず、果たされてない因果がまだ残ってるとふたたびどこかに生まれ変わってしまい、その報いを受けることになるとされてました。これが「輪廻転生」です。
因果をすべて0にできたらもはや輪廻せず、命が終わると入滅……すなわち『涅槃に入』り、大宇宙と一心同体になることになります。つまり、あなたの意思がそのまま宇宙の意思となります(汗)。
入滅するためには悟りを開いて仏陀とか阿羅漢とかに成らねばなりません。そう成れた状態を「ブッダに成った」、すなわち「成仏」と申しました。
ところで現代の日本では「成仏」というと多くは天国や極楽浄土など苦しくない冥界に転生することを意味します。が、それは実は「昇天」や「往生」と言うものであって、正確には「成仏」ではないのでした。
ナンテコッタイ;<(T△T)>
日本で主流となってる浄土系の仏教では、「極楽浄土に往生すると自動的に、そこにいるブッダの阿弥陀如来がその人を阿羅漢や菩薩にしてくれる」ってことで「往生すればもう成仏と同じ」という考え方だったようです。それはそれで一理あるのだけども混乱を避けるため、このお話では「往生」と「成仏」はいちおう別物として考えてくださいませ。
……ってあたりで閑話休題、お母さんを探して沸騰する海上空をふわふわ飛んでるバラモン聖女さんの話に戻ります。
「さて、聖女はさらに質問した。
聖女『この水はなんでこんなに沸騰してて、罪人と悪獣がたくさん泳いでるんですの?』
無毒『ここにはね、閻浮提で死んだばかりの奴らが来るんスよ』
閻浮提とは、娑婆世界の中の、今あなたがいるこの島を含む大陸のことです。
須弥山を囲む東西南北の四大陸地のうち、南側にある大陸と考えられており、『西遊記』などでは「南閻浮州」と書かれています。
「で、無毒は続けた。
無毒『死んでから四十九日、後を継ぐ人が徳を積んで彼らを助けようとかせず、本人も生きてるときに特に善因を作ってもいなかった、つまり地獄行きの業を持ってる奴らは、死んだあとまずこの海を東へと渡らなきゃならんのですよ。泳ぐ距離は約70万キロメートル。次にその倍くらい苦しい海、その東にさらにその倍くらい苦しい海。三業……つまり怒り/妬み/貪りの悪因を積んじまったことが、この三つの苦難を招く原因なんでさぁ。人呼んで、號業海とはこの海のこと!』」
どうやら日本で「三途の川」と呼ばれてるもののようです。このお経によれば実は70万キロの遠泳を強いられるゴーゴー海との由……名前はなんか楽しそうですけど、苦しい海のようですね。
「聖女はまた無毒鬼王に尋ねた。
聖女『それじゃ、地獄はこことは別にあるんですの?』
無毒「大地獄はこの三つの海の領域内にありまさぁ。その数、百千以上(つまり十万ヶ所)! それぞれが違う地獄っス。いわゆる大地獄が18ヶ所。次に苦毒無量という地獄が500ヶ所。それから無量苦という地獄が10万ヶ所くらいでさぁ』
「バラモンの聖女はこのスケールの大きさにちょっと圧倒されつつも、気を取り直して
聖女『鬼王様。わたしの母が他界したばかりなんだけど。母の魂が何処にいるかご存知ありません? もしや、ここへ来てたりなんてことは……」
無毒『菩薩さんの母上っスか……生きてるときにどんなことされてました?』
聖女『邪教による悪意の解釈をしてたもんで、三宝(仏・法・僧)を敬わず、時には毀ったりもしてました。死んでから日は浅いのですが、何処へ行ったか心配でして……』
無毒『ちなみに、親御さんのお生まれは?』
聖女『父も母もバラモン、つまり上級身分の生まれでした。父の名は尸羅善(シーラーゼン?)、母の名は悦帝利(エッティリー?)と申します』
「それを聴くと無毒鬼王は驚いて聖女に向かい合掌した。
無毒『願わくば聖なる菩薩様、本来いるべき場所にお帰りください。憂い/憤り/悲しみ/寂しさなどは、あなた様に必要ありません』
「そう言ってから、
無毒『罪女エッティリーが天界へ生まれ変わってから、今日で三日めとなります。伝え聞いたところによると、エッティリーには親孝行な娘さんがいて、覺華定自在王如来を祀ったお寺でおおいに施しをして福徳を積んだそうで。
無毒『その因果が広く衆生に回向されたことで、くだんの母上はもちろん、他のおおぜいの罪人たちまでがいっしょに地獄から出て、天界や人界へ生まれ変わることができたんだとか。そんな大偉業をやらかした聖者というべき娘さんが、菩薩様、あなた様でしたか。うわさの聖人にまさかチョクでお目にかかれるとは、ありがたや、ありがたや……』
「無毒鬼王はそう言って合掌し、彼女を拝んでから去って行った。
「バラモンの聖女は夢かうつつか、いつのまにか帰宅していた。そして、この経験から、とあるレベルの悟りを開いてしまった。」
誰しも悟りを開く前には地獄を見る、と聞いたことありますが、このバラモンの聖女さんもそうだったようです。
「そこで彼女は寺院へと再び赴き、覺華定自在王如来の像の前で、願を立てたんだ。
聖女『私はこれから、未来が終わるまでの計ることもできない長い期間、罪を犯して六道(天界/人間/修羅/畜生/餓鬼/地獄)を輪廻転生している衆生たちを、方便を説いて広く片っ端から解脱させ、それが終わるまで自分は成仏しません(=究極の悟りを開いて楽にはなりません)!』」
ここまで説明してブッダは文殊師利に、
「このときの無毒鬼王は、輪廻転生を繰り返して今では財首菩薩となってる。
「そしてバラモンの聖女はというと……実は地蔵菩薩になってるのさ♪」
と言ったそうな。
- つづく -
第一章読了、お疲れ様でした、、、
なんか、のっけから大スケールな話が展開されてますね;
この先の章は、さらにふぁんたじぃぃぃになりますがこんなに長くないのでご安心ください。