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第一日:名古屋珍道中

遅くなりましたが、熱田神宮名古屋城編です。

 数日前のことである。ひつまぶしの老舗とぞ名高き「蓬莱軒」の予約をくわだて、(わたくし)狂枢亭交吉は電話片手に張り切っていた。

 何せ連休真っ只中だ。不用意これすなわち頓馬(とんま)、馬に食わせる鰻も無かろう。予約のたぐいの大切なるは、私もこれまで経てきた旅で重々心得たることである。


 そんな大威張りの私が、告げられたのは以下の言葉だ。

「ゴールデンウィークは電話予約承ってないんですよ。ごめんなさいね」と。店のご婦人は愛想よくそう云った。


 はてさて、これはどうしたものか。夕御飯をば食わんとするに、大人ふたりで入るためには()の手続きを要するか。一体全体思い付かない。

 早くも頓挫が危惧されて、電話越しにて私の声は血の気を欠いていたやも知れぬ。ところが続けてご婦人は、ごく(にこ)やかにこう語る。


「二時頃までに来ていただいて、お名前だけお書きおき下さい。きっと七時くらいには、ご案内出来るかと思います」

 ははあ、なるほど。こういうことか。食通御用達の名店は、斯くなる押さえ方もあらん。私は一つ利口になった。小さきこととて、経験値である。


 迎えて本日五月四日は、まさしく雨過天晴だった。

 昨日のじめじめとした大気や何より疎むべき風雨は、まことに打って変わったようにからりと青き空を呈した。行楽日和に絶好である。こたび(とも)する案内人は、「さすがわたしは晴れ女」とて冗談まじりに嘯いていた。

 何はともあれ感謝感謝だ。私は新幹線を待ちつつ、にやにやするのをやっと我慢する。品川の空もいつになく爽やかであった。


 ところでこの案内人なるは、名古屋に住む快活な女子大生である。彼女とは友人の友人に過ぎぬ遠縁の間柄なのだが、今や便利な時代ゆえ、いつの間にやらネットを介して冗句を投げ合う仲である。

 今回案内役を引き受けてくれたのは、ちょうど私が名古屋行きを息巻いている折だった。何せ我らも初めて会うためどうなることやら知れなかったが、日頃ふざける()()が合うので特に大きな不安もなかった。


 難儀したのは合流くらいだ。


「来たこと無いから、てんでわからん。桜通(さくらどおり)改札ってどこよ」

『今どこいるの。目印はある?』

「味付け海苔の広告がある」

『え? 何それわかんない』

「何か薬局的なのもある。青いカーデガンを着たのが、そこらでまごまごしてるはず」

『ア……今たぶん、交吉のうしろ』

 斯かる具合の一幕である。

 私はあわてて(きびす)を返して、背後とされる景色を睨めた。けれども女子大生は居ない。何かの間違いだろうと云って更に遠くを眺めてみたが、次の瞬間、我が左手にひょこっと美人が現れた。電話で聴くに同じの声で、彼女はけらけらと笑っている。

 この()こそ、こたび案内役をつとめるメイちゃんという人である。


「うひゃアびびった、近いも近い。灯台元暗しってか何てか」

 などと私は素っ頓狂に、挨拶がわりの台詞を吐いた。もはやお互い、笑うほかない。

 我らは初対面でこそあれ、そうらしからず砕けた様だ。きっとこれなら今日一日は、愉快に過ごせることであろう。私は左様の確信をして、尾張(おわり)巡りの端緒に立った。


 名古屋というのは交通の便に驚くほど優れた街である。市内は便利な地下鉄が、環状線を中心として各所に張り巡らされている。

 合流したのは十一時。

 事始めとして我々はまず大須の町へと赴いた。そこは大須観音まわりに(ゆか)しき商店街のにぎわう、辺りきっての人混みだ。

 陽もすっかりと高くなり、歩けば暑い心地さえした。気候はいつしか初夏である。


 観音詣りを済ませて(のち)に、ごった返しの大須観音通りをあれこれ云いつつ歩く。議題はひとえに昼飯の、果たして何を食うかの論だ。味噌カツ、きしめん、手羽先餃子……旨いものがそこらに溢れて胃腸が幾つあっても足らぬ。


 通りを逸れてしばし歩くに、食を求めて進む我らは閑散とした仏具屋街に至った。どうやら当方二人揃って方向音痴の気があるらしく、おおよそ五分に一度くらいは日陰に入って地図を見る。行き過ぎたとか、逆だったとか、もう終日(ひねもす)の茶飯事だ。

 しかして遂に「一八本店(いちはちほんてん)」という、きしめん屋にて腰を下ろした。

 きしめん定食、一〇八〇円。斯様の日には冷たい麺をすすって爽やぐのに限る。加えて飯の一杯と、小ぶりな味噌カツまでが付く。ああ、名古屋かな。げに名古屋かな。

 心身嬉しいボリュームと、確かな質を誇る味。古き良き名店と云えよう。


 次に我らは上前津(かみまえづ)から、熱田のほうへと地下鉄に乗る。途中、環状線から外れて名古屋港方面に流されるなど()()()()もあったが、驚きつつも大笑いして再び乗り換え、先へ行く。

 さて、伝馬町とは熱田神宮門前町である。まだ日の明るいうちに私がここを目指して来ている理由(わけ)は、冒頭述べた「蓬莱軒」の席を押さえんが為であった。


 受付するに、席は五時四〇分からとのことだ。聞いていたより案外早い。ただいま二時過ぎであるので、ざっと三時間半あるか。

 ならば熱田に参拝をして、名古屋城のほうまで回って戻ってきても余裕があろう。……あるのか? きっとあるはずである。途中で喫茶店さえ寄れよう。


 熱田の宝物館を見学。世にも珍貴な品々に、私は興奮気味だった。落ち着き払ったふりこそしたが、展示は毎月変えるそうだな、けちをしないで今見せろ、とも(わめ)かんばかりの情緒であった。

 内なる意馬猿心を詫びつつ神宮本殿をば拝す。大した過酷の道もなかったが、まずこれまでの安楽を謝し、そして自今の安全を乞う。


「シロノワールってスイーツがめっちゃ美味しいんだよ」とはメイちゃんの弁であった。

 はてな、シロノワールとは何ぞや。聞くところ、円盤形のパンにソフトクリームと蜜をかけたものをそう称するそうな。関東では知られぬ食い物だが、すこぶる旨そうではあるまいか。

 市内いたるところに見かけるコメダ珈琲にて出るという。


「お城のわりと近くにコメダあるから、そこ行こう」

「腹一杯にはなっちゃわんかな」

「たくさん歩いてるから平気」

 西日のまぶしく射す道を、名城めがけて(ひた)に歩んだ。丸の内という駅に降り、一〇分程度かかったろうか。


「あのこんもりした木の向こう、あすこが城か」

「裁判所かな」

「おー、ならまたその樹のある向こうは。いかにもお濠という感じだねえ」

「ホテルっぽいけど?」

「城無くね……?」

 我々はかつての三ノ丸付近に至っているらしかった。どうやら現在このあたりは、愛知県の各種庁舎の立ち並ぶ地区になっているようである。

 

「ほら本丸は、あんな遠くに」

「うっげ、遥か彼方じゃんかあ。今から行って、登って出てだと」

「時間やばい?」

「コメダは、無理か」

「うなぎが大事!」

 にわかに二人の脚は早まる。時は四時半近かった。せめて五時には引き返さねば、きっと予約に間に合わぬ。かなり時間はあったはずだが、何ゆえ斯くも遅刻となったか。

 のんびり熱田の宝物館など見て回った為といえば楽だが、併せて、私が伝馬町にて道を間違えなんぞしたからこうなったとも白状しておく。


 圧巻の石垣であった。

 金色燦然たる(しゃち)を戴き、落陽に煌めく偉容が眼前にそびえている。これぞ尾州徳川家十七代にわたる居城の大天守である。

 私は不意の達成感にいささか言葉を奪われて、しばし齷齪(あくせく)するのをやめた。オーとか、ヘェーとか、こりゃすげえとか――ここから先の私は呑気な言葉ばかりをこぼしていたが、これは全く嘘偽り無く、我が感動の反比例である。例によって時間が無くて、展望台に行かれなかったというのが唯一心残りだ。

 まあまあ、名古屋城は逃げない。もう一度、いや、もう何度でも、訪れれば良いのであろう。


 日が長くなったものである。

 天道様が西に傾きずいぶん経った気がするけれども、じりじりとした陽光は我らを照るのをてんで止めない。いよいよ時刻は五時である。

 いざや、熱田へ戻らねば。


「あと二分っ」

「いかん、走れ走れ」

 蓬莱軒に続く歩道橋。店の裏からもくもくと、良い匂いの煙がただよう。甘味も食わずによくよく歩き、減りに減ったる我らの腹だ。今や何を食っても旨いが、そこに待つのは天下の絶品、名古屋名物ひつまぶし。定刻ちょうどと云うべきに、我らは店に転がり込んだ。

 

 ビールが、うまい。

 プレミアムモルツ……こんなものを呑むのはいつぶりであろうか? 

 未成年者を目の前にして、私は一人で悦に浸った。これは、何物にも代えがたい。疲れた体に沁みてゆく。これより入る至高の飯を、迎える準備は整った。

 立派な木のひつが運ばれてきたのは、まさにその時である。何とわきまえたる折柄か。


 ひつまぶしの食し方には、いくつか作法というものがある。櫃の中身をしゃもじで以てまずは十文字じゅうもんじに切って、脇に置かれた茶碗に四分の一ずつ入れて食うのだ。

 一にそのまま、二に薬味、三に出汁をかけて頂く。四は自由でよいともいうが、私はやっぱり出汁をかけた。「味の宝石箱」とはどこかの誰かがよく云ったもの。すこぶる上品なる美味さでも、決して我ら庶民の舌を置いてけぼりにはせぬ味である。同じ櫃から取った料理が、食うたび味を変えていくのも大変面白きものかな。


「君の彼氏ぴっぴには、よろしく謝っといてくれ。よそのもんが、こんな旨い物を食いに連れ回しちゃって」

「んっへへー。今度来たら奢ってもらっちゃおっかなあ」

「そりゃ良い。ここなら大喜びで、彼も出してくれるだろ」

「ぴっぴはめっちゃいい人だから」

「是非ともお幸せになすってね」

 恋する乙女の惚気のろける様も、この際、酒の肴であった。

 幸福な人間から、その裾分けをたまわる心地である。かけた出汁の最後の一滴も、むやみに美味く思われた。


 空が暗くなってきたのは、二人が店を出るころである。

 今日行くところは巡りきったが早解散も何だと云って、我らは夕方入り損ねた喫茶店へと行くことにした。コメダ珈琲という暖簾はまことにいたるところに有って、関東でいう吉野家だとかファミリーマートに迫る多さだ。八事やごとという学園都市へ行き、そこで我らは腰を落ち着けた。


「今日のデブ活っぷり、すごい」

 出てきたデザートを前にして、乙女はそんなことを云った。彼女自体は細身であるが、なるほどこのシロノワールなるは油と砂糖の権化であった。

 明日の朝もコメダで良かろう。手軽で安く、都合が良い。あとは宿やどたる漫画喫茶を、名古屋駅にて探さねば。私はそんな思いを巡らせ、今日一日を振り返る。

 なお、最後の喫茶店において――


「明日はぴっぴとピクニックなの。お弁当べんと作ってあげるんだ」

「微笑ましいなあ、愛情弁当」

「おかずはアレと、コレと、あとねえ、フルーツなんかも入れちゃって」

「ほうほう。良いね。卵焼きもいいぞ」

「ッ……! やば。無いや」

「何が」

「お弁当箱」

「駄目じゃね?」

「今から買いに行かなきゃ……」

 この流れには珈琲を噴き出すほど笑ったものである。

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