前夜:荷の軽きを案ず
今や薫風の候、世は大型連休に浮かれてどこもかしこも混雑至極だ。
この春三学年目に上がった大学生の私とても、俗の例には漏れることなく表へ繰り出す所存であった。私は俄の旅好きである。昨年夏には西国諸国を七泊八日で巡り巡って、去る三月には友を伴い、京阪の名所を渡り歩いた。
敢えて俄と上述したのは、語弊を排せんが為である。
何せ私は世間知らずで、浮泛なおかつ意志薄弱の不束きわまる若輩なのだ。凝った言葉をぎとぎと鎧って取り繕っても居たいけれども、あまり中身の無きに過ぎては社会に出でてきっと困ろう。我が見聞を広むべく、この目と耳と身体で以て津々浦々を気ままに歩く。それぞいわゆる旅なるものに、私の覚えるところである。
旅行と称さず旅というのは、どこか風趣の香りさえして、げに気味の良い言葉ゆえ。一人旅とも号した日には、傍目を気にせず自分に酔える。
何ぞ憂おう旅の恥。褻をば離れて遠離を往けば、ものは掻き捨て、得るは思い出。万事易くも済みはすまいが、ひっくるめてこそ面白い。
斯様にすっかり味をしめてしまった私は、纏まった休日とあらば積極的に足を伸ばそうと決めている。今般はアルバイトと遊び絡みで暇の中々ない連休であるが、五月の四日と五日においてはどうにか空けることが叶った。
敬慕する知人が名古屋について話し給うたのは、そんな折である。
“めたるぞんび”先生は王道異世界ファンタジイから、大時代的な伝奇作品まで幅広く手掛けられる秀抜のなろう文士だ。
当先生が以前名古屋を訪れし際、たいへん痛快だったのが、熱田神宮参拝と名物「ひつまぶし」であったという。とりわけ熱田の街に座する「蓬莱軒」なる老舗がよいと、私は彼より示唆たまわった。
やはりいささか値は張るけれども、一四〇年脈々継がれし名店中の名店が味。下手な酒盛りに数千円を投ずるより、よほどのこと有意義やに聞く。私はひどい吝坊だが、なるほど旅の豪遊くらい、たまにはするが善いやも知れぬ。げに何事も、経験である。立食い蕎麦と牛丼のみで、肥える舌など無かろうものだ。
斯くて私は今度の旅の、赴く先を名古屋に決めた。私は寺社仏閣のたぐいや、古城、史跡なんどを好む。左様の趣味によくよく響く、名所もひしめく土地である。漸う気分はた昂ろうかな。
地元をよく知る案内人も、こたびは取りつけることが出来た。旅のお供はありがたい。話し相手のいるも一興。これは楽しくなりそうである。
此旅は一泊二日に収まるごく小規模の道程である。しかし新幹線も使うし、飲食代に糸目は付けない。かつてのそれとは一風変えて、抱くは、かなり豪奢の心地。「こうでなくてはならぬ」というのは私の最も嫌うところだ。かつての旅とは一風変えて、気をば新たに往こうじゃないか。
上記をスマホでぽちぽち打ちつつ、私は荷造りをしている。やけに荷物は少なく思うが、なるほど斯様の弾丸ツアーか。妥当のような、然らざるような。
まあまあ成るようにこそ成れ。明日の起床のみ、案ずべし。
続く…はずです。