第1話 道場破り
「頼もおぉぉう!」
俺はお決まりの掛け声に合わせて土井垣弓道場なる看板の掲げられた木造の建物の扉を勢いよく開け放った。
「今日も来たぞ、例の道場破りだ!」
「また来たのかよ」
「あいつ一回でも勝ったことあったか?」
道場破りの襲来を受けにわかに騒々しくなる弓道場の面々。
が、彼らに敵を前にした時のような緊張感は毛ほどもなく、むしろ皆一様に呆れた風な笑いを浮かべていた。
稽古を中断し、俺の元へと集まって来るその様子からは、物珍しさなどはない。
それどころか慣れ切った雰囲気すら伺える。
道場破りに慣れている理由は勿論、日常的にそういった輩が門戸を叩いてくるからだ。
ではこの道場はそんな輩が殺到するほど名の知れた所かと言われたら、そうではない。
ここは所詮この町で唯一の弓道場、という程度の存在でしかない。
要するに他に挑む場所が無いからこの道場にやってくるのだ。
毎日昼過ぎの決まった時間に、毎日同じ男が。
その男の名は真緋路烈まひろじれつ。
即ち俺のことだ。
「なあ真緋路よ、ひた向きなのは結構なことだが時には潔さも大切だぞ?
いい加減諦めてお前も弓術を学んだらどうなんだ?」
「うるせよ、最初はどいつからだ」
何となく上から目線の諭すような声を一蹴すると、俺は得物をビシリと前に突き出して、総勢二十名ほどで周囲を取り囲む弓道場の面々に睨むような視線を向ける。
「どいつからって……いつも一人目で終了じゃねえか」
「この前は落ちこぼれの三瓶太にも負けてたよな確か」
気合の入った俺の様子を見てヒソヒソと会話をする門下生達。
そこからは失笑すら漏れ聞こえてくる。
相変わらず慢心しているな、こいつら。
今日辺りいよいよ足元を掬ってやろうか。
「よぅしじゃあ新入り! 今日はお前が相手してやれ」
「ええ僕ですか……? 無理ですよいきなり道場破りの相手なんて」
「大丈夫だってあいつなら」
「そうそう、それにこういうのも良い経験だと思うぞ」
弟子の中でもそれなりの立場にありそうな仕切り役のような奴が、囲いの後ろの方にいた気弱そうで腰の引けた奴を指して押し立てる。
昨日はいなかった気がするから、恐らく本当に今日入ったばかりの奴だろう。
しかし、周りの連中はその新入りが俺の相手をすることを誰も止めようとせず、面白がって囃し立てている。
流石に舐められたものだな。
「じゃあそいつからで構わん!」
「おっ、新入り相手なら勝てると踏んだか?」
道場破りである以上、全ての敵を打ち倒すくらいの気概で臨まないとな。
新入りだろうと容赦はしないのだ、俺は。
相変わらずヒソヒソ話が聞こえてくるが、それは無視だ。
大事な勝負の前に気を散らすわけにはいかない。
「あの……お願いします」
「おう!」
断り切れなくなった結果一歩前に出てきた新入りのか細い声に対し、それを掻き消すほどの声で返事をすると、新入りはびくりと肩を震わせていた。
どうやらかなりビビッている様子だが、既に勝負は始まっていると言っても過言ではないのだ。
そんな様子では話にならんなと思いつつ鼻で笑っておく。
さて、弓道場にやってきた道場破りの俺であるが、何も射場で的当てをしてその精度を競おうというわけではない。
というかそもそも、俺は彼らと違って弓は使わない。
剣士なのだ。
故に突き出した得物は太刀。
対する新入りの得物は当然ではあるが弓。
この全く異なる二種類の武器で競う場合、どういうルールになるか。
それは、五メートル程離れて向かい合った状態から開始して先に一本取った方が勝ち、なんて実にシンプルなものだ。
刀なら相手の体にその刀身を一撃、弓なら矢を一発命中させるというわけだ。
掠っただけの場合は一本として扱われない。
有効打足りうる一撃のみを一本として見做すのだ。
ところで、この五メートルという間合いは一見すると剣士の側が不利に思える。
矢はその場からでも命中し得るが、刀はまず接近しないことには如何ともし難いからだ。
逆に、刀を振ればそのまま相手に届く位置というのは論外としても、例えば三メートルとかまで間合いを詰めた状態から開始した場合、今度は逆に詰める前よりも勝負にならない。
それが適正で、公正な距離だと判断されたが故の五メートル。
無論、両者の了解済みである。
そんな説明を兄弟子の一人が経験の無い新入りにしてやった後、俺と新入り以外の人間は道場の両脇に捌け、座した状態で試合の開始を待っていた。
道場の中心で五メートルの間合いを取って刀を逆さに、両手で下段に構える俺。
要は峰打ちだ。
別に俺は相手の命を欲しているわけではないからな。
向かい合う新入りは左手で弓を構えるが、一方で右手は徒手で、何も持っていない。
が、それはふざけているわけでも俺を侮っているわけでもないし、新入りだから扱い方を知らないというわけでもない。
その状態が、正しい構えなのだ。
そしてそれが、この世界で弓が最も優れた武器とされる所以でもあった。
と、審判役を買って出た仕切り役が、俺たちの準備が出来たと見計らうとその右手を上に掲げ、振り下ろした。
「では、始め!」
はっきりと聞こえてくる開始の合図。
それと同時、俺はまず右側に半歩ステップを踏み、僅かに横へと移動する。
直後、俺の肩のすぐ左を小石ほどの大きさの緋色の球体が目にも止まらぬ速さで通り過ぎる。
低級火弓術「炎の玉ファイア・ボール」。
殺傷能力は低いが術の出が早いのが特徴だ。
この間合いなら遠距離攻撃の手段がある相手が先手を取れるのは必然、スピード重視の弓術で優位を保ったまま速攻で決めに来ると踏んだ俺の、予測の範囲内の攻撃だ。
最小限の動きで初撃を回避することに成功した俺は、間髪入れずに距離を詰めるべく一歩踏み出すが、そこに慌てた様子で額に汗を浮かべながら徒手で弦を引き絞った新入りの更なる追撃が飛んできた。
今度は同様の球体が二発、胸元に直撃コース。
弾き落とすことなど叶わないその弾丸を身を低くして回避するが、避けきれずに一発耳元を掠めてくる。
五メートルより近い位置から始めた場合勝負にならないとはこういうことだ。
ちょっと距離が詰まるだけで高速の弓術――即ちこの世界において矢の代わりを果たす存在を回避する余裕がなくなる。
初撃もあの間合いだったからこそ避けられただけだ。
もっと近いところから始めていたら避けきれずにあれで終わっていた。
小さな火の球が掠めた場所からジュッと肉の焦げるような音が微かに聞こえてくるが、直撃ではないので問題ない。
事実、審判も一本の声を上げてはいない。
回避行動により速度を落としつつも足は止めず、三歩で必中の距離まで接近すると、次の弓術を放つ隙を与える前に決着をつけるべく下段に構えていた太刀をそのままの勢いで斜め上へと切り払った。
間違いなく捉えた、と思われた一撃。
が、それは空を切った。
新入りは俺の至近距離からの剣閃すら上回る反応速度、およそ人間離れした挙動でバックステップを取って攻撃を回避すると、着地の反動を利用するような動きで天井スレスレ宙空を舞って俺の背後へと回り込んだ。
俺はその動きから目を離すまいと頭上を仰ぎ見るが追い切れずに首がいっぱいまで伸びきる。
やられた、と思いつつも視線を戻し振り返って身構えようとするがやはり手遅れ。
今俺のいる位置からちょうど五メートル程離れた位置、即ち最初に俺がいた辺りに着地した新入りが放った四発目の高速の球体が、胸元まで迫っていた。
直後聞こえるジューっとしっかり肉を焼き付けるような音色。
「あっつ!」
「そこまで!」
俺が刀を放り投げ悶えるのと同時、審判である仕切り役の試合終了の合図が聞こえた。
これが俺の記念すべき七百敗目だった。
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現代のこの世界における弓は、旧来のような木の枝の先に鏃の付いた、特定の形を持った矢を必要とせず、その用途も若干異なっている。
まず矢の代わりに、光と闇の二大属性もしくは火、水、風、土、雷の基本五属性が付与された弓術という攻撃を発射する。
弓術とは、生命の内側に存在する霊力なるエネルギーを攻撃に変換したものなのだが、本来霊力は人族に扱うことの叶わぬ代物で、弓術も元々は魔術と呼ばれる異能の類の代物だった。
だが今から二百年ほど昔、恐らく最初の弓術士と目されている西の国のとある男によって、その常識は覆された。
より正確には、彼の生み出した法弓なる武器によって。
法弓を持てば、誰しもが霊力を操ることが出来てしまったのだ。
左手に弓を構え、今まで矢を番えていた筈の右手はただ弦に添えるだけという、簡単なことだけで。
霊力を操ることが出来れば、異能の力を手にすることが出来る。
異能の力……とは勿論弓術のことでもあるのだが、霊力を支配することによって得られる恩恵はそれだけでは無かった。
――身体能力の飛躍的な向上。
この力は弓術士という存在を常人とは一線を画したものへと昇華させた。
接近されたらなす術もないという、遠距離用の武器である弓にとって致命的な弱点を克服したのだ。
所詮は弓、近づいて斬ればいいと血気に逸る者共を、まず彼らの想像の埒外の攻撃によって未然に撃滅する。
そんな天変地異の如き弓術の嵐を見事に凌ぎ切った上で間合いを詰めて一撃見舞わせようとしたとしても、弓術士は霊力の補助によって尋常ならざる挙動で回避し、翻弄する。
そんな超人とも呼ぶべき敵と戦う手っ取り早い方法。
それはこちらも法弓で武装することだ。
無論弓術士の間にも才能の差はあるが、全く歯が立たないということは無いし、弓術士以外の存在に対しては絶対の優位を得ることが出来るのだ。
武士や騎士たちがこぞって己が得物を法弓へと鞍替えしていった結果、中流以上の身分にある者たちの間では剣は旧時代の棒切れ、ゴブリンの道具などと揶揄されるようになった。
それでもなお剣を握り続けていたのは時代遅れの馬鹿や法弓を買う金のない貧乏人、あとは盗賊みたいな無法者が大半であった。