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前妻  作者: 佐伯琥珀
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中編 2

 それからしばらくして、僕は自分の息子であるルカに会いに行った。

 本当はリサも来たかったそうだが、たまたま仕事の関係で来ることができなかった。


 私もルカに会いたいのに。なんて恨めしげに僕を睨むリサ。

 ああ、ルカに会うのが楽しみだ。なんてわざとらしく言えばリサはどん、と僕の脇腹を突いた。



 ルカと待ち合わせをしていたのは、ルカが住んでいる街のカフェでだった。

 先にコーヒーを飲んでいれば、カランカランという扉についた鐘が鳴った後、ルカがカフェに入ってきた。


 そして僕をちら、とみた後に店員に「コーヒー」と呟きずんずんとこちらに向かってくる。


 ブスッとしたまま、かぶっていた帽子を取り「やぁ、父さん」なんて。

 そして、ルカはどんと音を立てて僕の前に座った。









「父さんは、いつも自分勝手なんだ」


 ルカは、先ほど店員に出されたコーヒーをすすりながらそう言った。


 ルカは、僕をあまり好いていなかった。昔は、パパなんてよく言ってきたけど。

 年を重ねるにつれて、僕がリサを愛していなかった事。リサに酷い態度をとっていた事に気付いてきたのだろう。



「母さんの故郷に2人で帰る? なんで僕に何の相談もなく」

「……悪かった。でも、リサとはずっと昔から約束していたんだ」

「ふぅん……本当に父さんはよく分からない人だな……」


 かちゃ、と食器の擦れる音だけがやけに耳につく昼下がりであった。



 家に帰ればリサは、僕が息子との久々の再会という事もあって「ルカはどうだった?」なんて根掘り葉掘り聞いてきたが、残念な事に大した土産話を持ち帰ることはできなかった。


 できた話といえば、ルカが昔の自分に良く似てきた。という事くらいだ。













 南部に移ってから少したった。

 北部で忙しく働いていた頃と違い、晴れの日は畑に出て雨の日は本を読む。そんな穏やかな日々に僕は埋もれていた。


 リサははじめ、僕の白い肌が焼けるのを心配していたが。

 もうそんなのを気にする齢でもないだろ、なんて言えばリサは、そうねぇ。なんて笑った。


 2人で、バルコニーから夜空を見上げる。


「あれは……たぶんオリオン座だろ」


 こちらに来てから、リサに星座を教えて貰った。

 リサの講義を思い出しつつ。適当に夜空の星を指さし、笑いながらそう言えば、リサはむすっとした表情で僕をみた。



「また適当な事を言ってる。この季節にオリオン座は見えないわよ」


 ああ、そうか。なんて言いつつタバコに火をつける。白い息を吐けば、リサは神妙な面持ちで僕を見た。



「イヴァン」

「何だ」

「驚かないでね」


 子供でも、できたか。なんて冗談を言おうとした時、リサは口を開いた。



 私、病気みたいなの。



 リサのその言葉に、世界が沈黙した気がした。



 僕が問いただしても、君は医者から聞いたであろう言葉をぽつぽつと零していくだけ。


 何も言えずにいる僕。

 こちらに来てから飼い始めた空気を読めないことに定評のあるロゼッタが、わふわふとしっぽを揺らしながらリサの足元を走り回る。



 リサは泣いていた。


 どうして、世界はこんなにも冷たいのか。

 やっと、君とまた笑顔の溢れる生活を始める事ができたというのに。




 ルカに連絡を入れれば、ルカは飛ぶような勢いでこちらにやってきた。

 それほどにリサの事が心配なのであろう。


 僕が病に倒れた。という連絡を入れた時はきっと違う反応になるんだろうなぁ。なんて心の中で少し笑ってみたりする。










「こっちの人はいいね。おばさんもおじさんもみんな優しい」


 リサが寝た後、ルカが伏せ目がちにそう呟いた。


 りんりん、となくこの虫の名前は何なんだろうか。確かリサは「田舎虫」なんて適当な事を言っていたけど。


 食卓の上でゆらりと揺れる、ランプの炎を黙って2人で見ていた。


「父さんも、こっちに来たから優しくなれたの?」


 そうじゃない。と言いたかったけど、何故か何も言えなかった。


 ルカは、僕を嫌っていた。だからわざとらしく、あんな事を言ったのだ。

 それでも、沈黙を貫く僕を見てルカは「変なの」とぼそりと呟いた。







「私はもう死んでしまうから……」


 ある日、もうすっかり痩せてしまったリサが窓の外を見ながらそう呟いた。

 この話の切り出し方ほど、僕の胸を痛ませるものはない。



「イヴァン、最後にお願いがあるの」


 リサはそう言って、僕の手を握った。

 少しずつ死ぬ準備を始める君に、僕は何も言う事ができない。

 何だい。と聞く事も出来ずに僕はただ黙って君の瞳を見ていた。



「ルカに本当の事を話してほしい」


 綺麗な瞳だった。

 初めて出会ったあの日と同じくらいに。


 それでもあの時の君はもっと元気で僕の手をぐんぐん引っ張っていくそんな人だったのに。なんて事を思い出してしまってまた泣きそうになる。



「……それは……できない」

「どうして?」

「今さら本当の事を話してもルカを混乱させるだけだろうし……」

「大丈夫よ、ルカは賢い子だもの」


 リサはそう言って笑った。

 ルカは恐らく、僕のリサへの態度が突然変わった事に疑問を抱いている。



「……もし、僕がルカの立場ならそんな話を聞きたくないと思う」


 少し目線を落としながらそう言った。

 もし、自分がルカであったとすれば。

 「父は記憶を失っていたから、母を愛していなかった。でも最近記憶を取り戻したから愛するようになったよ」なんて話を信じる事ができる訳がないし、信じたくもない。


 リサは、何故か泣きそうになっていた。



「僕は君から逃げたんだ」

「……イヴァン」

「記憶を失っても、また君と向き合えば良かったのに。……僕は『南部の女なんか自分が好きになる訳がない』と思い込んでいた」


 君は僕の世界を変えてくれた、とても大切な人だったのに。


 リサがよく読んでいた小説はとてもロマンチックで、小説のカップルはどんな障害も二人で乗り越えていた。

 喧嘩をしても、すれ違っても。お互いの事をきちんと見つめ、逃げなかった。



 少し日に焼けたその小説を見るたびに、胸が痛くなる。

 君は何度そのヒロインに自分を重ね合わせてきたのであろうと。そして、その小説のヒーローとは全く違う僕に、何度失望してきたのだろうと。



「愛した過程が分からなくても、リサはとても素敵な人だから……一緒に過ごすうちに、僕はきっと君をまた好きになっていたはずだ。でも、僕は逃げたんだ」


 怖かったんだ。

 そう小さく呟いた。


 記憶を無くしても、愛した過程が分からなくても、リサとしっかりと向き合えばよかったのに。


 南部の女なんか好きになる訳がない。

 愛した過程が分からない女なんて信じられない。


 そんな言葉を言い訳に、僕は君から逃げていたのだ。



「イヴァン、あの人とはどうなったの」


 窓の外をぼんやりと見ながら、リサがそう言った。

 あの人?突然何の話をしているんだ?という考えはすっかり表情に出ていたのか、僕の顔を見た後にリサは苦笑しながら口を開いた。



「あなたが本当に好きだった人」


 リサはそこまで言うと、にやと笑った。

 その言葉に「ああ、あのバールの女か」という風に一瞬で気づけてしまった自分が少し腹立たしい。



「……何で急に」

「そう言えば、聞いてなかったなぁと思って。いつか聞こうと思ってたんだけどね。ふふ、もう私最後だから聞いておかないと」


 リサは、口元に手をやって「ふふ」とまた笑う。

 僕は「別れたよ、もうとっくの昔に」と少し俯きながらそう呟いた。

 別れたのは、記憶を取り戻したその日であるが「とっくの昔」となんとなく自分のいいように、すんなり改ざんしている自分の口。本当にどうかしてるんじゃないか。



「僕が本当に好きなのは、君だけだから……」

「あなたって、本当に自分勝手な人ね」


 ぼくは俯きがちだった顔をぱっとあげた。

 リサは笑っていた。



「その人の時間を何年間も奪ったくせに、すんなり別れるなんて。あなたって本当に自分勝手な人ね」


 リサはまた笑った。

 僕は何も言えなかった。



「あなたが何と言って別れを告げたかは知らないけど、何年間も夢中にさせておいて。ある日いきなり背を向けるなんてあまりにひどいじゃない、ひどいじゃない」


 だったら別れなかったら良かったのか。なんて反論しそうになったけど、リサの顔を見ればそんな事を言う気は失せた。



「……リサ、僕は……」

「イヴァン」


 リサは僕の名前を呼んだ。

 ぱっとまた目線を戻せば、あの日のリサの瞳がそこにあった。



「そんな顔しないで」


 泣く事も出来なかった僕を見て、リサはそう言った。

 そんな顔、とはいったいどういう顔なんだろうか。鏡がないからよく分からない。



「意地悪を言ってごめんなさいね、イヴァン」

「……意地悪だなんて、そんな」


 僕はそれ以上何も言えなくなってしまって、ただぼんやりとリサを見つめていた。



「ねぇイヴァン。最後くらい、お願いを聞いてくれたっていいじゃない」


 リサが、ぽつりとそう呟いた。

 ルカに本当の事を話して欲しい。というお願い。



「言わない。ルカに本当の事は言わない」

「……私が居なくなった後、どうするつもりなの」

「ルカは僕を一生嫌って生きていくんだ、それでいいんだ」


 リサは僕の顔をまじまじと見つめた後に、呆れたようにため息をついた。

 そして「あなたって本当に自分勝手でバカな人よねぇ」と笑った。

 

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