ヒロインの私
始まりは、些細な事だった。
街を歩いていた。高さ三センチのハイヒールで。
段差に躓くと、眩暈が襲ってきた。
その瞬間。
ーーーーーーえっ?
フラッシュバックする記憶たち。
洪水のように流れ出したそれに、私の理解は追いつかない。
気がつけば、歩道にうずくまる。
ようやく落ち着き、顔を上げた。
そしてーーーーービルにガラスに映る自分の姿が目に入った。
目をまん丸に見開いている、美女。
誰?
そこに映っているのは、二十数年付き合った自分の姿じゃない。
・・・・疲れ切ったフリーター女はいない。
う、嘘。
見慣れているはずなのに、見慣れていない姿。
流れるような黒髪、等間隔に配置された顔のパーツ。
睫毛も長く、ぱっちりとした瞳、形のいい桜色をした唇。
それらが完璧に顔の中に収まっているーーーー彼女は私が手を振ると、手を振りかえす。
瞬きをすると、瞬きを返す。口を開くと、口を開ける。
それを繰り返す。
これは、私?
嘘だ嫌だ嘘だ嫌だ嘘だ嫌だ嘘だ嫌だ嘘だ嫌だ嘘だ嫌だ嘘だ嫌だ。
また、段差につまづいた。
しまった・・・・っ、受身が取れな・・・
ーーーーーーー痛くない。
誰かに支えられている。
視線を上げると、
「タカユキ、さん・・・・・」
私の声が、その男の名を呼んだ。
耳に馴染まない、鈴のなるような綺麗な声。
男は、心配そうに腕の中に収まっている私を見つめた。
「大丈夫か?サツキ」
サツキ。私の名前。
「は、はい。」
男は、私を支える。
「タカユキさん、どうして・・・」
お店で待っているんじゃ・・・・今向おうとしていたレストランで。
「サツキを迎えに来たんだ」
「ご、ごめんなさい、」
私の中のヒロインが勝手に喋ってくれている。
向けられる甘い、愛情のこもった瞳にくらくらする。