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ヨケイナ線

作者: 馬口鹿下

高校3年2月。俺は美大に合格した。

合格通知さえ来てしまえば重荷も変な緊張もなくなる。

学校だってほとんどどうでいい気分だ。

でも周りはまだ受験だ。

受験モードの張りつめたピリピリとした空気がある。

いくら自分が受かったからと言って空気を壊して邪魔をするような自分勝手なことはしない。

俺は細々と高校生活の余生を過ごしている。

そんな生活で一番の楽しみがる。

絵を描くことだ。

これが楽しくなければ美大なんて目指さない。

だけど、やっぱり、今と前とでは天と地ほどの差がある。

受験という重荷は勉強以外の行動を心のどこかで咎めさせる。

遊びにしろ、息抜きにしろ、例え免罪符があっても心の底からは楽しめない。

だからこそ、今解放されてのびのびと描く絵は素晴らしい。

あの時描きたかったものに何時間も使ったっていい。時間を気にせずキャンパスに自分の心を映し出したっていい。

没頭できる。

だから最近は絵を描くためだけに学校へ行っているようなものだった。

放課後、美術部に顔を出して自由に筆を走らせる。

集中が切れれば後輩の絵を眺めたり、雑談したり。

そして今日は顧問が出張とかで美術部は休み。

――だったはずだが、そんなことは忘れて俺は美術室に足を運んでいた。

ガッ、ガッ。

「あれ、鍵がかかってるな。――あー、今日、休みだっけ?」

「んー、家に帰ってもなー。しゃあねぇ、鍵借りてくっか。」

美術室は1階。職員室は2階。軽い2度手間感を覚えつつも職員室へ行き、無事美術室の鍵を借りた。

「失礼しましたー。」

ガラララ。

ドアを閉めると、後ろから声がする。

「よっ!加井くん。」

「おー、三宅か。どうした?職員室に何か用があるのか?」

「んー、加井くんこそ何の用だったの?」

「ちょっとな、美術室の鍵を借りに。」

「え、なんでさ、今日美術部休みなの?」

「そうだったらしい。すっかり忘れてて、一回美術室行ったんだよなー。」

「へー、そっか。」

「あれ、でも帰んないの?」

「帰っても暇だからな。美術室で絵を描いてる方が楽しいんだ。」

「うわ、それ受験中の人に言う?」

「あーすまん。」

「クスッ。」

「私はいいよー。それでさ、私も美術室行っていい?」

「え、なんで?」

「だって静かでしょ?加井くんは絵を描いてるわけだし。」

「あー、勉強するのか。絵を描くのかと思った。」

「違う違う。机広いしさ、ピリピリした空気じゃないのに人がいるってのはいいなって。」

「そうかー?気が散るだけだと思うけど。」

「絵を描いてる時だってそうじゃない?家でやるより部員と一緒にの方がさ。」

「あー、そうかも。んー、いやっ、違うかなー。」

「はっきりしないなー。」

「まぁ、どっちでもいいわ。三宅がいいなら好きにしていいよ。俺は絵を描くだけだし。」

「分かった。ありがとね、加井くん。」

美術室にはあっという間に着き、三宅は机の上に参考書などを広げて勉強に取り掛かった。

俺も俺でパレットと筆を装備しキャンパスの前に腰を下ろした。




集中は大体30分ぐらいで切れるとか、どこかで聞いたことがある。

なんでも、何時間も集中しているようで集中の度合いが高かったり、低かったりするそうだ。

又聞きだから信憑性は薄いけど、そういう事らしい。

俺は絵に関してならこの話しは例外だと思っていた。だけど、1時間かそこらで集中が切れてしまった。

絵を描き上げて、新しいキャンパスを用意した後から筆が進まない。

どうにも意識してしまう。

全く恋愛感情を抱かれていないにしても、やっぱり2人っきりというのは考えさせられる。

でも俺に限ってそういうのは無い。そして向こうにも無い。

俺は恋愛抜きの友達関係ってのはあると思っている。

気が合う、趣味が合う、気楽に会話ができる。

友達としての色々な要素は、男女間になった途端に恋愛へと持っていかれる。

それはちょっと恋愛に敏感すぎるのではないかと思う。

そしてまた、男女が2人で仲良くしていたらすぐ彼氏だの彼女だのとしたがるのもおかしいと思う。

男女の友達だってあるだろうに。

だから、俺は間違えないし、これからも友達として接していく。

けど、まぁ、2人っきりて意識してしまうわな・・・。

心の乱れを反映したかのようにキャンパスに描かれたデッサンはひどく醜いものだった。

カタ。

「っふぅ・・・。」

「どうしたの?」

「あ、ごめん。気にさせたな。」

「違うよ。集中切れちゃっただけ。」

「そっか。俺もちょっと集中切れちゃってさ。」

「へー、珍しいこともあるもんだ。」

「いつもは部活終わるまで描き続けてたのに。」

そう言いながら三宅は立ち上がり、俺の方へと近づいてきた。

「おー、流石美大。やっぱ、うまいな。」

「それで、こっちが――あー、こりゃ調子悪そうだ。」

「だろー?なーんか、急に描きたいものが浮かばなくなってさー。」

「受験終わったら描き続けてやるーって嘆いてたのに、ホントにどうした?」

「なーんでだろな。昨日まではいけてたんだけど。」

「ふーん。じゃあ、私を描いてみる?」

「は?」

「いや、勉強しろよ。大事な時期だろ。」

「それ禁句ー。受験生に勉強しろとか言わない。後違くて、勉強してる私を描いてみれば?って提案。」

「いや、でもなぁ。さすがに気になるだろ。」

「あー、確かにちょっときついかも・・・。」

「だろ?流石にそれはできないな。」

「んー・・・、分かった。携帯で写真撮って、それ見ながら描けばいい。」

「今日は先生もいないし、携帯出しながらでもオッケーだって。」

「まぁ、それなら。」

「じゃあ休憩終わり!勉強するから撮って。」


カシャリ。

風通しの良い窓からは、夕暮れ前の明るい光が射し込んで、三宅のノートに明かりを与える。

部屋の蛍光灯の光は弱く、三宅を優しく照らして顔に上手く影を作っていた。

描くにはなかなか面白いワンシーンが撮れた。

そうして、休憩で集中力を取り戻した俺と三宅は先ほどやっていたお互いの作業に戻った。

シャッシャッシャッシャ。

デッサンを描く小気味よい音は、三宅にはどう聞こえているのだろう。

程よい集中を促すBGMとなっていれば幸いだ。

腕は次々に動き、キャンパスに広がる線達は徐々に形を作り、人と風景を映し出して行く。

完成・・・。

デッサンが終わり、手を止めた。

ゆっくりと目を閉じ、ゆっくりと呼吸をする。今度は音を立てずに。

そして目を開けた。すると目の前に不思議なものが現れた。

違う。

このデッサンは違う。

変だ。納得がいかない。

汚い、醜い、そして下手だ。

先ほど納得したデッサンにはとても見えない。

描き直しだ。




とうとう時間が18時を迎え、美術室を閉めざるをえなくなった。

三宅は机に広げたものを片づける前に俺のキャンパスを覗いた。

「あれ、まだデッサン?しかも終わってないし。」

「あぁ、なんだかな、上手く描けなくて。」

「本当に大丈夫?なんか変なもんでも食べた?」

「変なもん食べたら絵が下手になんのかよっ!」

「ったー。叩くことないじゃない。」

「痛くしてないだろー。っさ、片づけた片づけた。」

「全く、馬鹿になったらどうすんのさ。」

それから鍵を閉めて職員室へ鍵を返してから校門で三宅と別れた。

三宅の家がどこかは知らないけど、俺と帰り道は真逆。

正直、三宅のことは全然知らない。

そもそも知り合ったのが高校に入ってからで、小中は同じ学校ですらなかった。

仲が良くなったのもたまたま同じ部活だったからってだけで、クラスが一緒になったこともない。

おかげでクラスの女子とかとは違って過剰に意識するような事もないし、返って程よい距離感を取れていい友達になれている。

三宅の方も、たまに男子と仲良くしているとこを見かけるし、なんて言うか、そういう素振りが見えない。

だから、あっちもきっといい友達だと思っているだろう。

そんなことを思いながら歩いていたら、いつの間にか景色はっすかり明度を失っていた。

空は水色のような薄めた青で、それを隠すように赤に近い薄いオレンジの雲がまんべんなく広がり、ところどころで空を覗かせていた。

遠くを見渡せば、明度を失った建物と綺麗な空が見え、雰囲気のある風景が広がっている。

こんな素敵な一枚はなかなか見られない。

だけど、今日の俺は描きたいと思わなかった。




あの日から俺はおかしくなった。

どこか重要なネジを取り除いてしまったかのように絵を上手く描くことができなくなった。

どんな絵を描こうとしても何かが足りない。決定的に後もう一つ足りていない。

その何かをどこにどう足せばいいのかが分からない。

そして、あの日描こうとした絵も描けていない。

ここまで描けないのは初めてで、初のスランプだった。

幸い、本人の三宅とは会っていない。

部活以外で三宅と会うことは稀だ。

クラスが違うし、朝は俺が遅刻か遅刻ギリギリの登校しかしないから会わないし、放課後は絵を描くのと勉強。当然行く場所が違う。

だから絵を見せろとも言われていないし、まだ余裕がある。――

そんなことを考えながら他の絵を描き続けていたら、いつの間にか卒業式当日。

俺は未だにあの絵を描き終えていない。

そんなことはお構いなしに最後の高校行事は想像以上に早く終わってしまった。

その後、教室で色紙やプレゼントを渡して先生を泣かした。

次に在学生たちに見送られてから、外で卒業生を中心に別れを惜しみ合った。

そして――

「よ!加井くん。」

「うっす。」

「これで私たちも卒業だねー。」

「お、何々?三宅って卒業式泣いちゃうタイプ?」

「泣かないよ。ただ、辛いかなぁ。離れ離れは。」

「へー、そっか。まー、俺も寂しいこともなくはないかな。」

「ホントかー?大学生活楽しみにしてるくせに。」

「ぶっちゃけそっちの方が勝ってるけどさ。でも、寂しいは寂しいな。」

「ふーん。」

「でも、卒業式っていいもんだよな。ほら、あれ。」

俺は指で四角を作った。

「結構いい画になるじゃん?」

「そうだね。あっ、そうだ、あの絵はどうなったの?私の。」

「え、、、あー。まだ、描けてない。」

「ちょっと、嘘つくなって。描けてないんじゃなくて、描いてないんでしょ?」

「いや、その・・・。」

「え、ホント・・・?」

「そっか、まぁ、欲しかったけどいいかー。仕方ないね。」

「ごめん。できたら渡すから!」

「渡すってどこで?高校終わったら多分合わないよ。近いようで遠いんだから。」

「えっと・・・。じゃあ、遊ぼうぜ。休日にさ。俺ら友達だろ?」

「そうかな、私たち友達かな?」

三宅は遠くを見ているようだった。

「え?」

「一緒に遊んだことも、一緒なクラスになったことも、一緒に帰ったこともないよ。」

「友達らしいことしてないと思うんだ。」

「え、いや、確かに――でも・・・、じゃあなんなんだ?」

「分かんないや。」

三宅は見たことの無い微笑みを見せた。

「でもほら、仲いいだろ?何なら俺が絵を渡しに行くからさ。」

「いいや!もう諦めた。気持ちだけ受け取っておく。ありがとね、加井くん。」

話しはそれまで。と言わんばっかりに三宅は女子の方へと紛れて行った。

その後俺も友達に巻き込まれて、三宅との会話はなし崩し的に終わった。



そして、卒業式が終わってから1週間。

俺の気持ちは真っ黒に塗りつぶされていた。

(もや)が掛かっているどころではなく、全く何も分からないでいた。

さらに俺は、まだ絵を描き終えていない。







一向に抜け出せないスランプの気分転換に俺は画材屋へ行った。

絵描きにとって画材屋は一種の遊び場。

大変楽しい空間だ。

時間を忘れてあれよこれよと商品を見ていた時に後ろから声がした。

「あ、加井先輩。久しぶりです。」

「ん?お、おう、後輩!元気にしてたか?」

「加井先輩も元気そうですね。」

「え、そうか?未だにスランプでな、そうでもないぞ。」

「そうなんですか?大変ですね。」

「まぁ、そうだなぁ。だから、ここで息抜きしてるよ。」

「へー、でも休日なのにデートとかはしないんですか?」

「は?誰と?」

「え!?結局三宅先輩と付き合わなかったんですか?」

「結局って何だよ。どっちがいつ告ったって?」

「あ、いえ。てっきり卒業したら付き合うのかと・・・。」

「なんで俺と三宅が付き合う話になるんだよ。ただの友達だぞ?」

「だって、はたから見たら付き合ってるようにしか見えませんでしたよ?」

「それはよくある勘違いだ。俺はなぁ、男と女が仲いいからって付き合ってるとか気があるとか思わないの。お前も覚えといた方がいいぞ。」

「はぁ。でも、それは加井先輩の意見ですよね?」

「僕は違いますってか?生意気な!」

「そうじゃなくて、三宅先輩の意見。というか気持ちは確認したんですか?」

「そりゃ、もう・・・、してないな。いや、でもありえないだろ。友達・・な・。」

―――そうかな、私たち友達かな?

「ごめん。ちょっと用事思い出した。ありがとな。」

「あ、ちょっと――」

俺は飛び出した。背中から聞こえた大きな声の「がんばってください。」が後押しして、加速は十分。

早く家に帰らなくてわ!

せっかく気づいた重要なことを忘れないうちに。




卒業式の日、今まで見たことの無かった三宅の微笑みには悲しさがこもっていたことが今なら分かる。

未だに三宅が俺のことを恋愛対象として見ているかどうかは分からない。

けど、後輩に言われて気が付いた。

恋愛のあり方をややこしく、黒く染めていたのは俺だったことに。

変な汚い感情を恋愛に描き足して、分かりにくくしていた。

絵だってそうだ。

足りないと思っていたのは間違いで、本当は線が多かった。

複雑に描きこめば絵が綺麗になるというのは間違いで、バランスも大事なんだ。

俺は三宅に恋していることを余計な線で誤魔化し、友達という一線を引いた。

関係を崩さず、安定させるために。

けれどその線は歪で、汚くて。

消したくないその線が本当はいらなくて。

なのに汚い形を誤魔化すように線を増やした。

ほとんど黒で塗りつぶされたキャンパスには、もう何も(えが)けなくなって。

最後に俺の筆が止まった。

だから俺は消しゴムを持って、白を持って、線を取り除き、線と線に意味を持たせ形作ろうと思う。

もう遅いのかもしれない。はじめから三宅の気持ちは俺に向いていないのかもしれない。

だけど、俺のキャンパスには確かに三宅が(えが)かれている。

まだ春休み。部の連絡用に貰った宛先で会う約束をしよう。










なぜなら――


















三宅にどうしても見せたい絵があるのだから。

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