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悠里17歳  作者: xxx
第一章 「破」の巻。 打ち破れ、自分を――。
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5 お母さん

 私の母倉泉昌代(くらいずみ まさよ)は元国際線のCA(客室乗務員)で、まだ海外が今ほど身近でない頃に日系二世で当時日米間で貿易商をしていた私の父、倉泉スティーヴン清彦と出会ったそうだ。当時は国際結婚なんて母の出身地からすれば前例のないことで、結婚をめぐり両親とも意見が合わず、ほとんど勘当された状況で父と一緒になった。だから私は母方の祖父母についてはよく知らない。

 父との間に私を含め三人の子供が生まれ、私が生まれる前の六年間、父の出身地であるカリフォルニアの郊外に住んでいて、帰国そして私を出産したのを契機にCAの職を退いたそうだ。

 それから11年後、両親は離婚し父はアメリカへ帰ってしまい、母は三人の子供と神戸に残った。籍を抜いたのは母だけであるが、10年ほど前に始めた旅行会社の運営上今でも倉泉姓を名乗っている。

 離婚する前の四年間は、両親とも忙しくそれぞれが互いに干渉することもない凍りついたように冷たい、思い出したくない環境だったのは家族の共通の記憶だ。私自身もその頃の両親については記憶が薄い。お互いがそうなってしまったことに理由は色々あっただろうけど、私は聞かない事にしている。聞いたって何が変わる訳ではないし、まだ高校生の私では何ができる訳でもないから――。


 一人家を飛び出して父と一緒になったお母さん。でもその父とも離れ離れになることを選んでしまった。私たちには迷惑をかけて悪いねと言ってそれについて負い目を感じていた時期が長くあった。でも子供たちにとっては、話せば長くなるから簡単に言うとそれで得たものも多いから両親の離婚には断固反対する気持ちはない。当然の事だけど賛成はしていないけど。

 今は元CAの経験を活かし、会社の運営も軌道に乗り、時差が絡む不規則な仕事にもめげずに毎日国内外を飛び回っている。  

 年のわりには若くておしゃれな方だ。四十手前で私を産んでくれたが、他のお母さんと並んでもあまり遜色ないと思う。家事は全般的に苦手で、私と同じで内気なところがあって、気持ちを表現をするのはちょっと下手だけど、それでも私たちのことを気にかけてくれている母のことが私は好きだ。小さい頃、相手にしてくれない事が多く、身勝手な親だと思った時期もあったけど、今ならそれが理解できる、何となくだけど。


   *


 台所でご飯の支度をしていると、外から誰かが階段を上る音がした。流し台の前にある窓の外は廊下になってるので、誰かが歩くと聞こえてくる。今日はお母さんが出張先の香港から帰ってくる日だ。

「ただいまー」

「おかえりなさい」

 玄関のドアが開くと、お母さんは私に一言ただいまを言って部屋に入った。服を着替えてコンタクトから眼鏡に変える。どんな所から帰ってきても、私と全く同じ作業をするのだ。

「お母さん、ご飯出来とうよ」

「あーら、いつも悪いわねぇ」

 今日のメニューは炒めものだ。部活が忙しくて買い物に行けず、弁当用に買いだめしているチクワと、生ではちょっと厳しい野菜たちを一気に消費したものだ。

「『傷み物炒め』やけど、こんなご飯でいい?」

「何言ってるの、嬉しいよ」

 お母さんは私の向かいの席に座り箸をとった。そう言えば私が三年生になってから二人で食事をするのは初めてだった。本当はゆっくり話したい事がいっぱいあるのにお互いの時間があっていつも簡単な事務連絡みたいな会話で終わる。

 私も食卓に座り箸をとった。向かい合って食事をすると鏡を見ているように動作が似ている。これも親子だからか似るのだろうか――。

「お母さん」

 私が声を掛けると箸を止めてこちらを向いた。

今日外国から帰ってきたのに疲れた様子はなく、至って普通の調子だ。それだけ環境の変化に強い。

「前にも言ったけど、明日面談あるねんけど」

「わかってるわよ。4時半に三年五組の教室やったね」

「うん――」

 大事な事は早く伝える、忘れっぽい性格は自分が一番よく知っているからいつも自分に痛いほど言い聞かせている。

 私の学校では三年生の最初に三者面談をする。お母さんは家にいることが少ないので、忘れないうちに確認しておきたかったが、どうやら了承済みの様子で安心した。

「悠里」今度はお母さんが私の顔を見た「進路――、決めた?」

「うん……」一瞬だけ返事が遅れた「一応進学希望で」

「そう――」お母さんはその遅れに違和感を感じたようだ「悠里は将来、何がしたい?」

「それなんよ……」私は苦笑いした。

「あれもしたい、これもしたい。でも結局まとまっていない」

 正直な答えだった。剣道もしたい、音楽もしたい、進学先は……、それも国内でも海外でも構わない。別に就職してもいいと思うけど、今はこれといってなりたい職業があるわけでもない。

「でも、進学は今しか出来ない。試験は時期が決まってるから、それまでは一生懸命勉強しようと思う」

 今現在の倉泉悠里が出した中間結果はこれだ。ぼんやりとはしているけれど、向いている方向は決めたと思っている。

「そう――」お母さんはご飯をおかわりしながら答えた。「悠里も自分で方向決められるようになったんやねぇ」

 子供と言うより孫を見るような優しい目でお母さんは私を見ていた。言外できょうだいと比較してそう言っていることは言わずともわかった。


   * 


 姉は11歳年上、兄は5歳年上だ。年齢は離れているが同じ両親との間の子で、離れて住んでいるが今のところはきょうだい仲良くしていると思う。末っ子の私はきょうだいに守られて、既に拓かれた道を走るだけで良かった。反面、自己分析と判断が下手なのも末っ子だ。母はここが言いたかったんだと思う。

 姉は家庭の事情で四年制の大学に進学せずに自らの意思を押し通して短大に進学したし、兄も東京という街にこだわりは全くないけれど、自分を見つめるために高校を卒業後神戸を離れた。

 どちらも18歳の春までには先を見た自分の生き方を自分で決めている。それは私から見れば素晴らしい決断だと思う。今その年を迎えようとする自分にはできない事ができるのだから。

 末っ子だから、さらにきょうだいとは年が離れている分、支援という点では大きな恩恵があるようにも見える。

 しかし母の優しい目に、私にはもう一つの意味が見えた。

「お母さんはどうするの?悠里が高校出たら……」

 末っ子には末っ子なりの悩みがある。上のきょうだい達はそれぞれ自分の意思を持って神戸から巣立って行った。残されたのはお母さんと私の二人だけだ。となると私がここを出ればお母さんは一人になってしまうではないか――。

「まさか、お母さんがいるから、って考えとう?」

 私の動きが一瞬だけ止まったのを見て私の心配はまるで関係ないようにお母さんはクスクスと笑い出した。

「どうもせえへんよ。お兄ちゃんのいる東京に行ってもよし、アメリカへ留学してもよし、したい仕事があって就職してもお母さんは反対しない。ただ……」

「ただ?」

「それはあなたが決めなさい。悠里が決めた事には全力で支援する。金銭的な事は心配せんとって。それだけはお母さんが何とかする、『やらずの後悔』は一生モノよ」

「『やらずの後悔』ねぇ……」

 お姉ちゃんにもよく同じことを言われた。お姉ちゃんもお母さんによく言われて来たのだろう。お母さんに言われるとお姉ちゃんにも言われたような気になって私は少し吹き出した。

 お母さんは喋り続けるけど箸は止まらない。自分的にはちょっと手を抜いたご飯を喜んで食べてくれる。

「まあ、簡単に決められる問題とちゃうわね。ええんとちゃう?入試はもうちょっと先の事やし、今から意識付けするのは」

「悠里もそう思う。したい事はこれからもできるもん」

「そうね……、悠里も大きなったよ」

 お母さんは目を細めると、目尻にシワが寄る。見た目は若く見えてもそれは実年齢との比較で、50も半ばを過ぎているのだ。私もしっかりしなきゃ、と思う瞬間だ。


   *


 食事が終わり、台所で後片付けをしていると、後ろからお母さんが問い掛けた。

「そうそう、時間なかったから今まで聞かれへんかったんやけど、アメリカ(あっち)は、どうやった?」

「ああ、みんな、元気だったよ。お婆ちゃん(グランマ)も悪いなりによくしてくれた」

「そう……」

 今年の春休み、私は親戚の計らいでもう一つの祖国、アメリカ・カリフォルニアに行ったのだ。

 というのも私の祖母、(ブリアナ・オコナー)Brianna O'conner の容態がよろしくなく、もって半年くらいだと言う知らせが届いたのは今年の頭だ。離婚したので母から見れば他人だけど、それでも一応元姑で、私から見ればコンタクトが取れるただ一人の祖母だ。

 といっても祖母とは10年も会ってない上、言葉(母語)も違う。現地に住む年配の人の英語はかなりクセがあるので、話が出来るかは自信はなかったので行くまでは正直不安でいっぱいだったことを思い出した。

 チケットはお母さんが手配してくれた。その辺は旅行業を営んでいるだけあって手早い。

 そんな時期に春休みの補習にも部活にも行かずに遠い外国に行くのは周りに遅れを取らないかと半信半疑だったけど、今は行って良かったと思う。お母さんがその時言ってた

「悠里が行くのはこの時期しかない」

という意味は帰国してからわかった気がする。


「そうじゃなくて……ほら」

 お母さんは本当に聞きたいことをなかなか言わない。相手の方から言わせるようにヒントを出す。私もその性格がわかっているからジラそうかと考えたが、すぐに答えてみた。

「お父さんのことでしょ?」

「そう、それ」

 今まで軽快に動いていた母の箸が止まった。

「――会えたよ、お父さん」

「何て言ってた?」

 何だかんだ言いながらもお母さんはかつての夫、倉泉スティーヴン清彦の事は気になっているようだ。

 日系二世の父は離婚後、故郷のアメリカ・カリフォルニアに戻ってしまった。それ以前に家庭がうまくいかなくなってきたのが4年ほどあったため、7歳くらいの頃までは父と接する機会があったがそれ以降はほとんどなく、今では全くといっていい。

 見た目は明らかな外国人というわけでもなく、私が生まれた後に日本国籍を取得したそうだが、日本語は理解できるが話すのは苦手で、逆に英語が苦手な実の娘である私ともうまくコミュニケーションが出来ない時があるほどだったから、今思えば日本での生活はだいぶ窮屈だったんじゃないかと思う。

 そういう経緯から、私は父についての思い出話は他の人と比べてあまりない、接してきた時間が長く、かつ言葉がわかるきょうだいと比べても少ないと思う。だけど私が覚えているお父さんとの思い出は優しくて楽しかったことの方が多い。離れて暮らしているけれど、子供とはいい関係を保っていると思う、ただ(お母さんとは)お互いに何かがうまくいかなかったんだろう、私が詮索するような事じゃないけれど。

 遠いところで父と娘が久し振りの再開を果たしたのだから、何もなかったはずがない。だけどお母さんの質問に正確に答えるのであれば、このセリフ以外に思い当たる節はなかった。

「特に、なかったね」

 お母さんの顔色はひとつも変わらない。

「あらぁ……、そうなん」

 母の箸が再び動き出した。まるで何も聞いていなかったかのように元通りの調子に戻った。気になっている割には私の味のないこんな回答で、いつも通りに振る舞うお母さんが私にはわからなかった――。

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