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悠里17歳  作者: xxx
第一章 「破」の巻。 打ち破れ、自分を――。
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3 桜花荘

 私は家の前でサラと別れた。時間がある時は家の前にある小さな公園で駄弁って行くのだが、明日会うのでサラは早々に帰って行った。夕陽に照らされた黒い髪が光って茶色く見える。その姿が見えなくなると、私はカバンに手を当てた。

 家の鍵はカバンのストラップに紐で付けている。友達からは「ダサダサやん」と言われるけど、そのカッコ悪さと鍵を亡くした時の悲壮感と何とも言えない恥ずかしさを秤にかけると私は前者をとる。最近は自分が大切にしている竹刀の革鍔をキーホルダーがわりに鞄に着けるようになってから鍵を忘れることは減った。忘れっぽい性格は自分が一番知っている、それもウンザリするくらいに――。

 私は灯りのついていない家の扉に鍵を差した。地震の影響でさらに立て付けが悪くなった扉は古っぽい音を立ててゆっくりと開いた。


「ただいまー……」

 家には誰もいない。だけど私は帰宅すると必ずただいまを言うことにしている。小さい頃は家の中が荒れていた時期があって、家に帰った時は誰も返事してくれなかったし、今は帰っても誰もいないことが多い。結局今も昔も「おかえり」と言ってくれる人はいない。それでも私は「ただいま」を言い続けている。自分の中で決めたから、言わないと自分が寂しい気持ちになる――。何気ない一言なのかもしれないが、その何気ない一言で、留守番をしていた「寂しさくん」が役目を終えて帰っていくんだ、小さい頃年の離れた姉に教えてもらった時から今も私はそう思い込んでいる。

 

 家に帰ってする作業はいつも同じだ。灯りを付けて、制服から家着に着替え、髪を束ね直し、コンタクトから眼鏡に替える。コンタクトは視界が広がって、特に部活の時は便利だけど相性が悪いのか学校から帰る頃には目が痛くなる。だから極力コンタクトは入れないようにしている。それから洗濯物を取り込み、弁当箱を台所に置いて、冷蔵庫の側面にある白板に目を通す。今日はお母さんからの伝言はない、それは

「今日は仕事で遅くなるから適当にやっててね」

ということだ。小さな旅行会社を切り盛りするお母さんは、時差の関係で仕事が遅くなることがあるだけでなく、海外に直接行ってしまうこともしばしばある。

 ここまでの作業は帰宅して三分とかからない。毎日してるうちに慣れてしまった。

 

 小さな古い文化住宅「桜花荘」の二階が今の私の家だ。今は私とお母さんの二人しか住んでいないので、2DKでも狭いとは思わない。6年前の夏に両親が離婚したことが理由で、倍以上も広い近くの一戸建てから今の家に引っ越して来た。その時はお姉ちゃんとお兄ちゃんもこの家にいて、四人で住むには狭かったけど、お姉ちゃんは嫁いで行き、お兄ちゃんは東京の大学に進学したのを契機にこの家を離れて行った。私にはその経験があるから、今の家はむしろ広いとさえ感じる。

 一通りの日課を終えると私は部屋にあるCDプレーヤーを食卓に置いて音楽をかけた。プレイヤーに好かれて中々離して貰えないCDは高速回転を始めると、ジャカジャカとしたギターのリフが流れてきた。

 メロディに合わせてハミングしながら冷蔵庫を開ける、弁当ついでに朝の内に作っていた夕食を出してフライパンに移した。

 恣意的には思い出したくない倉泉家の暗黒時代。小学校二年生くらいだったろうか、両親の仲が段々悪くなって行き、それから正式に離婚するまでのおよそ四年、今だから分かるけどきょうだいも多感な時期だったことから、家に帰っても家族には誰にも相手にされなかった時期が長らくあった。この頃に両親や兄に何かしてもらったという記憶は残念なことにほとんどない。

 しかし、その中で料理の腕を始め、生活する力は確実に上がった。これも怪我の功名だろうか――。上達の経緯は抜きにして、料理をするのは嫌いじゃない。だから炊事洗濯は基本的に自分でする。

 自作の弁当を見て学校の友達は、

「偉いね」

と言われることがあるけどあまり嬉しくない。できれば思い出したくない事を思い出してしまうし、遊びでやってるのでないから、本当は褒めて欲しくないのが本音だ、誰にも話した事はないんだけど。


「っただきまーす――」

 自分で作った食事でも「いただきます」と「ごちそうさま」は忘れない。思えばこれも姉に教えられた。家が荒れていたあの頃、仕事で忙しいお母さん、家にいることがほとんど無かったお父さんに代わって私を教育したのはお姉ちゃんだった。私が小学校に入学した時には既に高校に通っていて、しっかり者で英語が堪能なお姉ちゃん、二人一緒で外にいると「親子ですか」と聞かれてムッとする事が何度かあったけど、私にとってはきょうだい以上の存在で、姉抜きに私のここまでの成長はなかったとハッキリ言える。

 英語では「いただきます」といった言葉はあまり使われない、というよりそれだけを意味する言い回しがない。姉も私と同じクォーターだから、英語だけでなく日本語の持つ美しい響きを教えたかったと知ったのは自分が姉の年齢になってからだった。おかげで私は自分の住む国や人が持つ美しさに興味を持つようになった。

「ごちそうさま」

 食事が終わる頃にはお風呂が沸く、この辺の作業は毎日のルーティンなので、我ながら無駄なく出来ている。食事の後片付けを終えた私は着替えを取りに部屋の襖を開けた――。


   *


 私の部屋には机が二つと二段ベッドが置いてある。地震で家が一度メチャクチャになったことがあったが奇跡的に全壊を免れ、この家に越してから基本的に家具類は移動していない。

 一つは私の机、もう一つは兄のものだ。以前はこの部屋に私と兄、隣の部屋には母と姉とで生活していた。

「役に立つかはわからんけど、欲しいものは何でも使ってもエエし、いらなんだら棄ててもエエよ」

と半ば丸投げの状態で託された机とベッド。一人部屋になったのを機にベッドはそのままだけど、上段は物置と化し、下段は引き継がせてもらった。そして机のガラクタである、漫画や参考書の類いは役に立つけど、大概は要らないものだ。妹に全然サイズの違う服や作りかけのジグソーパズルを託しても喜ぶはずがないでしょ――、その上ピース足らないし。

 ガラクタの中に一つだけ、お兄ちゃんがこの家を出る時部屋に残していった大切な物がある。私はスタンドに立て掛けたそれを手に取った。

 お兄ちゃんが残していった、というより私のためにあつらえてくれたもの、ギターだ。

 私仕様のレスポール――。大げさな表現だけど左利きである私のためにお兄ちゃんは自分のギターの弦を逆に張り替えて私に残してくれた。だから私仕様なのだ。今は自分のギターを持っているけど、私が楽器を弾いて音楽をしてみようと思ったきっかけとなった大事な品だ。

「レフティだって気にしたらあかん。ジミ・ヘンドリックスだってカート・コバーンだって左利きやん」

 と言われて名前しか知らないミュージシャンのCDを聞かせてもらうと、すっかりそれらが自分のお気に入りになった。

 それから、初めて映像で見た時の型破りさは完全に自分の理解を超えていた。


   こんなのもアリなんだ!


 今までテレビの歌番組で流れる流行りものの音楽しか知らなった私に何かを呼び覚ますには充分すぎるものだった。

「ロックというのは音楽的な自由だ。何をしてもある意味では正解やねんで、前例がないなら作ればいい、くだらない型なんか棄ててしまえ、もちろん利き腕もだ」

 小さい頃の兄は、毎日ピアノの練習に熱心で見た目も色白で、姉と妹に挟まれた華奢な感じの、ロックといった類いの音楽とはまるで無縁の少年だった。私と違って武道のセンスはからっきしで、お母さんからお兄ちゃんが女で私が男の方がしっくりくると言われたもんだ。そんなお兄ちゃんだが、家が荒れていた頃つまり私とは疎遠だった頃に激しい音楽とバンド単位で演奏する楽しさを覚え、私のように虜になったようだ。小さい頃に身に付いた音感とセンスは素晴らしいもので、高校生の時には曲を作り、「ギミック」というスリーピースのバンドを組んで、そのドラマーとして地元の音楽シーンでは名の知れたバンドにまでなりアルバムを出した。残念ながらギミックは解散したが、現在は東京で別のバンドを結成し、今はギターを弾きシンガーとして活動を続けている。

 3~4歳の時、私も兄を真似てピアノを習おうとしたが、当時から数々のコンクールで入賞するほどの指を持つ兄に近付けることすらできず、さらに左利きが理由で長続きもしなかった。もちろん左利きでも立派に成功するピアニストはたくさんいる。私には敷居の高い楽器だっただけのことだ。


 レフティでも何の不便もなく活動できる


 日頃左利きで不便を強いられることが多い日常に現れたギター、そして型にとらわれない自由な音楽――。私はお兄ちゃんの説明を聞いて興味が湧かない筈がなかった。

 音楽をすることで不遇な中学時代を経験したこともあったけど、それがあったからこそ乗り越えたこともあった。

 

 複雑なのは自分に流れる血だけでなく、育った家庭環境もだ。だけど私は、しっかり者の姉に教育され、私には優しい兄の考え方に影響を受けてここまで大きく道を踏み外すことなく成長することができた。自己の形成について、姉と兄の存在は見方に寄れば両親よりも大きい。


   no changes

   whatever you do

no changes

wherever yo go

   we're here , off course you too

   (何したって、どこ行ったって変わらない

   俺たちはここだ、もちろんあんたもだ。)


 食卓に置きっぱなしのプレーヤーからお兄ちゃんの声が聞こえる。叫ぶように声を出しているけど、言ってることはどこか寛容だ。

 私はCDを取り出してケースに収めると、ジャケットには兄をはじめ三人の若者が映っている。日本のそれと海外のそれとどちらに並んでも違和感がないように見える。日本人でもアメリカ人でもない。逆に考えれば日本人であり、アメリカ人でもある。人とは少し違った身上だからこそ出来ることって、ある。

 私もこうでありたい。そう思いながら私はスタンドからギターを持ち上げた。

 今日は金曜日、明日は学校が休みだ。私は復習と予習をするのを忘れ、ギターを構えてアンプのスイッチをいれ、ヘッドホンを付け、しばしの間自分の時間に浸っていた――。一度脱線すると止まらないのは自分のいけない癖で、さっき沸かした風呂のことなんかすっかり忘れていた――。

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