1 桜咲く道場
桜の咲く新学期、神戸の山の麓にある高校の道場からは元気のいい声と、カチン、カチンと竹刀が当たる音が漏れてくる。年度が変わり、卒業生は抜け、新入生はまだ入ってきていないが、道場にいる者たちはそれを感じさせないほどの声を張り上げて自らの気を高める。
地稽古の後の終わらない打ち込み稽古、生徒たちの大きく張り上げた声は今にも途切れそうだ。先生がその途切れるタイミングをしっかり見極めて「切り返ーし」と叫ぶと、さらに大きな声を搾り出して、息の続く限り左右の面打ちを続ける。生徒たちはこうしてギリギリまで息を上げて体力と気力をつけていくのだ。
「整れーつ」
主将の掛け声で私たちは一列に並んだ。二学年しかいないけど今日は多い方だ。
私たちは面と小手を外して、再び主将の掛け声で中央に整列し、先生が正座のまま無言で両手を結ぶと、最右翼の主将が声を上げた。
「着座、もっくそーっ!」
今までの喧騒から一転して道場が鎮まり帰った。耳を澄ませばさっきまで動き回っていた生徒一人一人の息が次第に小さくなるのが聞こえてくる。
先生が手を叩く音で目を開けると、道場は練習前の静寂とした姿に還った。窓の外、一片の桜の花弁が落ちる音さえも聞こえて来そうだ。先生に礼、そして神前に礼をして今日の稽古を終える。私はこの動と静のコントラストこそが日本人の持つ「美」なのだと思っている――。
私は倉泉悠里、ここの高校三年生。この街で生まれ、この街で育った。日本国籍を持つ日本人であることに間違いないのだが、私にはもう一つの国籍、そして日本人とは違うDNAを持っている。祖母はアイルランド系のアメリカ人で、父は日系二世だ。しかし、そのもう一つのDNAは全体の四分の一に過ぎないし、アメリカには行った事がある程度で、住んでいたわけでも自分の成長に大きな影響を与えたわけでもない。そして両親の離婚により、そこはさらに遠いところになり、残ったのは国籍くらいのものだ。
何より私はこの国に生まれ、この国の国民としての教育を受けている。だから、人よりは髪と肌の色が少しだけ薄いかも知れないが、日本人としての自負がある。剣術と呼ばれた頃から見れば何百年も前からあった日本独特の文化である剣道をすることの意味も自分なりにわかっているつもりだ――。
*
「ありがとうございました――」
私は先生にお礼を言った。自分より段位の高い人に稽古を付けて貰えば、お礼を言うのが剣道の決まり事。大抵の場合、そこで稽古の総括、良かった点、悪かった点、個別にアドバイスをもらえる。
「修行の成果が少しあったようだな」
「えっ」
私は頭を上げた。自分ではいつもと変わらない調子だったので、先生の言う事の意味がわからなかった。
「胴は打たんか……」
「――はい、打てませんでした……」
地稽古のとき、先生は敢えて胴を空けていたことは知っていた。私にはそれが誘いに見えた。確かに、普段の私ならあの場面では胴を狙っただろう。しかし、今日の私には、打てば返されると無意識に感じたのかとにかく打てなかった。ならばあくまで自分の得意で攻める、空いた胴を崩して自分の形に持っていきたかった――。先生にはほんの数分の稽古で私の考えていることがわかるようで、自分で総括できるよういつもヒントを与えてくれる。
「そうか……」
自分の剣道はあくまでメンだ。すべての基本は面打ちだと思う。コテですら面打ちのための見せ玉である。自分の中で一番の基本が完成せずに、その先が上手に出来るはずがなく、それで強くなっても嬉しくも美しくもない。
「いや、倉泉が考えて言うのならそれで良い。自分の自信のある技を磨く、それも剣道だ」
「ありがとうございました――」
私は先生にもう一度礼をして、後ろで挨拶の順番を待っている後輩にこの場を譲った。
私が剣道を始めたのは5歳の頃だ。ちょうど一回り年上の親戚のお兄ちゃんが正にこの高校の道場で稽古してるのを見てカッコいいと思ったのが始まりだ。始めた当初は基本の構えがしばしば逆になり、打たれた時の痛さに「何で好きで痛い思いをせなあかんのやろ」と思っては何度もやめようかと考えたが、気付けば竹刀を握って10年を越えている、17年の半生の半分以上はこうしている。自分自身も、私を取り巻く家族も、さらには先の大地震で街の環境もその時に比べて大きく変化したけど、これだけは今も続いている。左構えになる癖はもうないし、多少の痛さに動じることも怯むこともなくなった。
強いとか弱いとかの問題でなく、いつしか私は自分が日本育ちの日本人であることを確かめるために竹刀を握っていると思うようになったのはここ数年の事だ。道場に通い、竹刀を振り、大声を張り上げ、手や足のマメや皮が破れ、手首や二の腕にアザを作ることもしばしばあるのに、剣道をすることで何故か気分が落ち着く。
三年生の女子の部員が私一人であることや、男子と一括りで一緒に稽古しようが、そんなハード面が厳しい事なんか全然苦じゃない。私にとって、こうしていることは華美な装飾品を身に付けたり、自分をそれ以上に見せることよりも美しいことだと思う。美しいものを好み、それに近付こうと努力するという点に関しては、一般的な10代の女子と同じだ。だから、前者も後者も否定しない。
剣道は一見して激しい運動であるが、派手さはなく、一本を取ったあとの残心までをも大切とする。引っ込み思案で、学校でも目立たない自分が道場だけでは豹変すると友達は言うけれど、意外と内面は静かなもので、それもまた剣道なのかな、と思っている。そうした心の落ち着きを持つということも美意識の一つだと私は疑わない――。
*
稽古を終えた私はホウキを掃く手を止めて、戸の外に目を遣った。道場の外にある桜はもうすぐ満開だ。その奥に見える六甲山系の緑の濃さとは対照的に、淡く潔いピンク色をしている。
桜の品種は色々あるけれど、現代の日本において単に桜といえばソメイヨシノを指すようだ。ソメイヨシノは海外にも植樹され、今は世界のあちこちで見られるがそれらの故郷はこの日本で、接ぎ木をして増えた、いわばクローンみたいなものなので、開花の温度や環境などの条件がほとんど同じらしい、もちろん散っていく条件も同じだ。だから南の暖かい地域から順番に開花し、気温の上昇とともに日本を南からピンクに染めて北上していくというわけだ。
私はこの風景を見れば日本を連想する。それは「純粋な」日本人でない私だけではなく、世界中の人間がそうであると聞くと嬉しくなる。大陸の東、大海原の西に孤立して横たわる小さな島国から、世界中の人々に癒しを発信している――。それだけでもロマンチックな気分になる。私は桜の花のような静やかで美しい日本人でありたい。四分の一のYuri Kuraizumiが、四分の三の日本人である倉泉悠里に問い掛ける。
「私という人間が向かうべき方向はどっち?」
答えはまだ出ない。簡単には結論付けられないが、これだけははっきりしている。
どこへ行っても日本人としての心を持ち続けること――
自分の原点はこれだ、二つのルーツを持つ自分にとって、これは切り離す事が出来ないのである。
掃除を終えた私は竹刀を片手にもう一度戸の外を見つめると、合衆国にもあった桜並木のことが浮かび上がった。あの時も美しいと思った。確かにあれは「日本」だった。先週まで、機会があって10年振りに訪れたまだ記憶に新しい「もう一つの故郷」で見た桜の景色を目の前のそれにダブらせつつ、道場の戸を閉めた。
純粋な日本人ではないけれど、こんな境遇の私だからできることって、あるのだ。
ヤアァァァーーッ
私、倉泉悠里は竹刀を構えて、大きく一回振り下ろした。