1 始まりの町、新宿
視界が真っ白になった、途端。
突如賑やかなファンファーレが鳴り響き、軽快なメロディと光の輪が幾重にも重なり、その輪の中をくぐって、くぐって、くぐって、その先にあったものは。
「ようこそ!メディック・ホスピタル・ワールドへ!」
2014年の新宿駅と、宙に浮かんでいる一人の仮想空間案内人の、可愛らしい看護師であった。
※※※
「長谷川さーん、これ508号室のカルテ」
「ありがとう」
カルテに目を通し、必要事項を記入していく。勿論ボールペンなどという前時代的な物は使わない。ここは仮想遊戯空間の中。カルテは全て音声入力かタッチパネルでの入力のどちらかである。
2094年。
2000年代前半に比べて人類が作り上げた文明は飛躍的に発展した。特に目まぐるしい発展を遂げたのは医療の分野である。
2014年に、VR技術の基礎と呼ばれる、通称「スカーレット・システム」が誕生した。開発者は楡原深紅。見目麗しい外見とVR開発界の中では珍しい女性開発者という事で一躍注目を浴びた。
楡原は、VR技術と医療という分野との融合に着目していた。脳は生きているが、全身不随や身体に異常のある者、そういった者達に仮想空間にダイブしてもらい、患者が仮想空間でメンタルケアを受けている間に現実世界で治療を行おうというのである。
その斬新な発想は世界中を揺るがした。それが実現すればVR技術にも医療界にも新しい風が吹くことになる。そうして「スカーレット・システム」は日本政府直属の機関の元で開発が進められた。
「スカーレット・システム」の実現は困難を極めた。まずダイブした先である仮想空間の制作に多くの時間と費用を要した。MMORPG開発者らも参加した仮想空間の制作は、結局「スカーレット・システム」が作られた2014年の東京を基礎に、現実世界での日本を1/10に縮小した世界を仮想空間とした。
次に医療情報、個人情報の管理方法でもめた。医療情報には一般には公開されてないものもあり、またカルテの管理は個人情報の管理にも繋がるので、国家レベルのセキュリティシステムの開発が進められた。そちらは「スカーレット・システム」のスカーレットに引っかけて、「オハラシステム」と名付けられたのは余談である。
こうして、斬新なVR技術「スカーレット・システム」と、常に鉄壁のセキュリティを誇る「オハラシステム」に守られた、医療目的の巨大VRMMORPGが誕生した。
その名を、「Medic Hospital World」《メディック・ホスピタル・ワールド》、通称「MHW」という。
「長谷川さん、そろそろ新規患者の初ダイブ予定時刻よ?」
「だから本名はナシだって。ここではアリスって呼んでっていつも言ってるじゃん」
「ごめーんって。現実世界の点呼に慣れちゃっててさ」
「はいはい、言い訳はあとで聞きます。じゃあセルセラさん、わたし新規患者迎えに行ってくるから後よろしく」
「了解-」
そう言って長谷川亜梨子―――MHWでは「アリス」というハンドルネームを使っている―――は、同僚に手を振り、皇居エリア―――現実世界で皇居があるエリアには、システム管理者と医者か看護師しか出入りできないことになっているのだ―――を出る。
皇居エリアには現在MHWで治療している患者と、一般会員と呼ばれる、お見舞いのためにMHWにダイブしてくる患者の家族や、単純に世界初のVRMMORPGを楽しむためにダイブしてくるゲーマーなど、このMHWに登録している全ての人間のデータが保管されている。
そのため警備も厳重で、システム管理者と医者と看護師以外のアバターが侵入しようとすると強制的にログアウトさせれれてしまい、それを三度繰り返すと強制的にダイブする権利を奪われる。
皇居エリアから地下鉄に乗り、新宿方面へと向かいながら、アリスはふう、と重たいため息を知らず知らずのうちについていた。
というのも、新規患者が現実世界でヘルメット―――前時代のヘルメットとは違い、頭と目を覆う薄いアクリル製の防御力のないものだ―――をかぶせられ、初めてこの世界にダイブしてくるのを迎える際は、必ずと言ってもいいほど面倒な事があるのだ。
新宿駅に着くと、旧アルタ前にアリスは向かう。
新宿駅は、このMHWにおける所謂「始まりの町」的な場所である。中でも旧アルタ前は一般会員の初期装備を身につけた者や、「ホワイトカラー」と呼ばれる白い詰め襟服のようなものを着た新規患者の姿が多い。
「あっ、アリスさん、こんにちは!」
「あらミルフィーじゃない、あなたも新規待ち?」
「そうなんですよ、もー嫌になっちゃう」
「こらこら、そう言わないの」
「だってホワイトカラー達ったら、自分達が現実世界でほぼ全身不随状態だってなかなか認めないじゃないですかー」
そう、そこなのよ、とアリスは内心毒づく。
ここ、MHWに患者としてダイブしてくる患者は、大抵事故や事件に巻き込まれ、緊急搬送されたのち、家族の同意書によってMHWにてメンタルケアを行う目的でダイブさせられてくるケースが多い。そのため本人にとっては急に目が覚めたら昔の新宿駅に居た、というような感覚なのだ。そのため、いくら説明しても、VRMMORPG?何それ?状態で聞き入れてくれない場合が多いのである。
「そろそろ時間よ…気合い入れて説得しましょ」
「はぁーい」
時刻はMHW時間で17:00。少しだけオレンジに染まってきた空を見上げながらアリスはもう一度ため息をついた。
※※※
「な、なんだここは…」
ちょっとそこのコンビニまで行って帰ってくるつもりだった。それなのに一瞬激しい衝突音がしたかと思うと、気がついたら知らない場所にいる。
否。知らない場所ではなかった。よくよく見渡すと、昔父親に見せられた70年ほど前の新宿駅に酷似している。どうしてこんなところにいるのだろう、と、武知浪漫は考える。
すると。
「はい、皆さん、ようこそメディック・ホスピタル・ワールドへ!」
という可愛らしい声が後ろから聞こえてくる。そこには旧アルタ前としてかつては待ち合わせ場所などに使われていたという建物があった。父親が母と初めて出会ったのもこの場所だというのは余談だが。
「えー混乱している方もいらっしゃると思いますが冷静に私たちの話を聞いてくださいね-」
そう言われて自分の他にも数人、なぜか同じ白い詰め襟服のようなものを着ている人たちがいることに気がつく。そして自分も同じ服装をしていることに。
とりあえず話を聞いてくれと言われたからには何か説明してくれるのだろうと、可愛らしい声―――真っ赤な髪にファンタジー要素の強い露出度が良い感じのナース服みたいなものを着ている女の子と、同じ服装でこちらは金髪の大人の女性だ―――に従おうとしたその時。
白い詰め襟服の中年のおじさんが前に出てきた。
「なんだね君たちは!!!ここはどこだ!!!俺は実家に妻を迎えに行く途中だったんだぞ!?」
そう言ってわめき立てるおじさんに、金髪のナースは呆れたような、めんどくさそうな顔をして、はぁ、とため息で返す。
「もー。だから嫌だったんですよう。ホワイトカラーのお出迎えは!アリスさん、こいつらほっときましょうよ~どうせ段々に自分の状況勝手に把握しますって」
「だめよミルフィー。そうしたいのは山々だけれどね。これもお仕事のうちなの」
どうやらミルフィーと呼ばれた金髪の方が、アリスと呼ばれた赤髪より身分が下なのだと推測して、浪漫はやりとりをじっと眺める。
アリスと呼ばれたナースがおじさんに向かって微笑む。
「山中忠さんですね?ここは仮想空間MHWと呼ばれている所です。一度は聞いたことがあるでしょう?」
「MHW…息子がやっているあのゲームみたいなやつか?なんで俺がその中にいるんだ!?」
「あなたは別居している奥さんを迎えに行くために、高速道路を飛ばしすぎて事故を起こして現実世界の大和病院に運ばれて来ました。そこで検診した結果、事故による全身不随と診断されました」
「なん、だと??!」
「幸いにも脳は正常な状態でしたので、医療用VRMMORPGであるこのMHWにフルダイブ、つまり意識だけをゲームの世界に飛ばして、この中でメンタルケアを行いながら、現実世界で治療を行います」
「ど、どういうことだ…?」
「つーまーりー、ここでしばらくゲームして遊んでくれてたらそのうち現実世界の私ら医療スタッフが治すからってこと!」
「息子さんはお話を聞いた様子だと一般会員のようですから、この仮想空間内でお見舞いもできますよ、よかったですね」
にっこり、と効果音がつきそうなほど完璧な笑顔と説明をした二人のナースに、他の患者―――どうやら理解したようだ―――達も大人しくなる。
アリスというナースは、さらに説明を続ける。
「ここでは皆さんに患者さんとしてすごしてもらいますが、その白いホワイトカラーと呼ばれる服は患者である印みたいな物ですので絶対に脱がないでください」
「そのホワイトカラーに書いてある数字があなた達を識別するナンバーになっているので、脱いだら治療できないよ~」
「また、皆さんには本名とは別の、ハンドルネームを登録していただきます。これは患者さんの個人情報を漏らさないための措置の1つになります。この世界では基本的に本名は名乗らず、ハンドルネームを本名だと思って過ごしてください」
そういってナースが指を虚空でスライドしたかと思うと、目の前に半透明なポップが出てくる。そこには「名前を入力してください」とある。
「入力方法は音声入力かタッチパネルで行います。慣れてない方はポップに向かってハンドルネームを言ってみてください。自動的に入力されるので」
そういうので、少しだけ考えた末、誰も本名だとは思わないだろうと思い「ロマン!」とポップに向かって入力してみる。すると、「登録されました」の文字が点滅した。
「どうやら皆さん入力し終わったみたいですね!これできょうからあなた方はMHWの住人となります。これから皆さんの病室の住所をお渡しするので、そこに向かってくださいね」
「病室はいろんな所にあるから地下鉄とか使うと良いよ~。ホワイトカラーは全ての乗り物がタダだからね、うらやましいッ!」
「はいはいミルフィー、私たちもタダでしょう?…では皆さん、これにてMHWの簡易説明を終わりにします。あとは虚空を左から右にスライドするとポップやステータスや取り扱い説明書がでてくるので、それを見てくださいね」
お疲れ様でした、と早々に帰ろうとするナース達を横目で見ながら、浪漫は虚空をスライドした。
その一番上に表示されていたのは、【ステータス:全身不随】だった。
どうも、VR技術にくわしくないえるです。
初めてのVRMMORPGものなのでおおめにみていただけるとうれしいです。