第三話
そして、つれてこられたのはたくさんある中の一つの部屋の真前。
そこまで連れてくると戸松は、つかんでいた私の手を離した。
「雪野」
「何や?」
強引につれられたことへの腹立たしさを顔に出しながら、私は返した。
すると、戸松は
「一寸、此処居って」
と、またもや意味の分からんことをゆうてきた。
しかも、その一言を残し、戸松と石井。そして浩二とかいった男は部屋の中へと入っていった。
私一人、残して……。
「何やねん…、あいつ………」
そのとき、何でか寂しさがこみ上げてきた気がした。
「素直におったるわけないやろ……」
べっと、見えるはずもない相手に向けて舌を出してから、私は廊下を歩き出した。
辺りを見回しながら歩くと、目に付くのは数々の部屋ばかり。
その部屋のほとんどには、張り紙がされとって『○○様の楽屋』と書かれとった。
途中、赤い自販機を見つけた。
「なんか買おか……」
自販機の前に立ち、何を買おうか迷う。
珈琲かお茶。どっちにしょうか迷った結果、お茶にすることにした。
ポケットに手を突っ込み、財布を取り出す。
が、
「うわ…小銭ないやん……」
お札のほうを見ても、千円札はなく、あるのは五千円札と一万円札だけ。
私は自販機を前に大きくため息をついた。
「しゃーない。あきらめよ……」
そう思って、自販機に背を向けると、腕が何かにぶつかった。
「っと…」
「あ、すいません」
ぶつかったのは、どうやら後ろに立っとった人物のよう。
顔を見るとなかなかの男前で、きっと、女にもてるんやろな〜…なんて、考えがよぎった。
男前の男は、にこやかに謝り、私がさっきまで立っとった位置に立った。
そして、財布から千円札を取り出し、紙幣投入口に入れ、ボタンを押す。
『ガコッ』と、言う音を立て、お茶の缶が吐き出された。
男はその缶を手に取ると、いきなり私の前に差し出してきた。
「お茶で大丈夫ですよね?」
「へ?」
目の前の男前は、笑顔で言うた。
なんで目の前の男前は、はじめてあった赤の他人に、お茶を奢ろうとしとるんや?
そんなことを考えながら、目の前の男前の顔をじっと睨む。
いくら見ても、こいつの事なんか知らんし、見たこともない。
「雪野さん。俺が男前やからって、見惚れんといてくださいって!!」
「え!?」
けらけらと、さっきまでのにこやかな笑顔でなく、子供のように笑う男前。
せやけど、そんなことは問題やない。
さっき、私の名前呼んだか……?
目の前に居るのは、今日初めておうた、赤の他人。
それやのに、何でこいつは………?
いや…、それとも、さっきのは俺の気のせいなんか………?
ぐるぐると、頭の中で疑問が巡った。
「『雪野』さん。さっきからなんか可笑しいですよ?」
「!!!」
違う。
気のせいなんかやない。こいつは私のことしっとんや。
でも、私は知らん…。
なんで……なんでなん………
ズキッ……
頭のずっと奥のほうで、鈍い痛みが走った。
「いっ…」
ズキッ……
その痛みは増す一方で、私は頭を抱え、少しでもマシになって欲しい意をこめ、その場にしゃがみこんだ。
しかし、痛みは増しになるどころか酷くなる一方。
「雪野さんっ!?雪野さん!!」
私の名前を呼ぶ声がした。
『雪野!!雪野っ!!!おい、大丈夫か!?』
「雪野さん、大丈夫ですか!?雪野さん!」
目の前の男と、どこかで聞いた事のある懐かしい声。
その二つの声が頭の中で交わり、霧のように消えた。
『あんな殺人車に乗るなんて、絶対に嫌ですって!!』
……私?
『それに、この時間なら歩いたほうが早いですよ』
……私が、喋っとる。
『だったら、ハッキリいいます!!子供やないんですから、家ぐらい一人で帰れるんですよ!!!』
……でも、相手は誰なん?
相手の顔が見えん……。
それどころか、声でさえも聞こえてこん……。
『ええですか!!私は……さんより、しっかりしてるんですよ』
……誰より?
誰よりしっかりしてるって?
『せやから、どっかで事故にあうなんてこと無いんです!!わかりました?『戸松』さん』
……戸…松………。
「…きの!雪野!!」
「ぁ……」
しつこく名前を呼ぶ声が、再び聞こえてきた。
ゆっくりと重い瞼を開けると、目の前には人の顔のアップがあった。
「うわっ!!」
「何、人の顔みて驚いてんねん……ι」
少し怒った風な口調。
それでも、その人は笑っていた。
…この人、さっき石井と一緒に居った人や。
確か『浩二』とか、言うてたっけ?
私は上半身を起こし、浩二…さんに声をかけた。
「あの…」
「お前、廊下で倒れたんやで」
「廊下…で?」
そういえば、頭に激痛が走ってからの記憶が全く無い。
「せや。坂木の奴が慌ててお前担いで来て…」
浩二さんは、いきなり笑い出した。
一体何が面白いのか?
小首をかしげていると、浩二さんは笑いながらも説明を始めた。
「いや、実はな。雪野を運んできたとき、福田も此処居ってん。雪野担いだ坂木見て、坂木が雪野になんぞ悪さでもしたんちゃうかて、福田が怒り始めて……」
そういって、浩二さんは再び笑い始めた。
そこまで面白い内容なんか?と、いう疑問とともに、その『福田』と『坂木』という人物のことが気になった。
「あの、福田と坂木て……誰ですか……?」
聞くと、浩二さんは『しまった』と言った顔をした。
が、慌てた様子も見せず、二人の説明を始めてくれた。
「坂木と福田は、『メビウス』って漫才コンビなんよ。ちなみに、雪野の後輩に当たるわけ」
「メビウス……?後輩……?」
全く意味がわかれへん。
それどころか、余計に意味が分からんなってきた……。
「まぁ、そのうちなんとなく分かるようになるわ」
そういって、浩二さんは立ち上がった。
「待ってください」
「ん?」
私は、いつの間にか浩二さんを引き止めていた。
これ以上聞きたいことなんか無いのに。
「あ……」
「どないした?」
座った上体から立ちあがった中途半端な体制のまま、私を見下ろしてくる浩二さん。
呼び止めたことに理由なんか無いのに。
私の頭の中は真っ白になってしまった。
「……………」
「…もしかして、寂しいとかか?」
優しい笑顔で俺に微笑みかけてくれる浩二さん。
どうしようもなかったので、私はその問いに対し、首を縦に振った。
「確かに、自分の知らんとこに一人では居れんわな」
そういうと、浩二さんは中途半端な体制から、また、元の体制に戻った。
「十分ぐらいしたら、迎えが来るから。それまで待っとくか」
「…迎えって?」
「ん〜……」
下あごに指をあて、少しの間考え込む。
そして答えが見つかったのか、下あごから指を離し、その指を私に突きつけてこういった。
「『ナチュラル・キング』」
「ナチュラル……キング…?」
日本語訳は『天然の王様』?
天然の王様て、どんな奴やねん!?
と、心の中で呟きながらも、その人物が来るのを待つことにした。
待っている間、浩二さんがいろいろな話をしてくれたので、退屈には感じられんかった。
そして約10分後………。
バンッ!!
「浩二、スマン!!遅なった!!!」
乱暴に扉が開かれる音が聞こえ、あわただしそうな声が聞こえてきた。
アレ…この声……
私はゆっくりと、扉のほうへ顔を向けた。
「雪野、起きとったんや!?」
「お前かぁ!!!」
声の主は予想通りの迷惑人間。
って、まてよ…。
浩二さんの言うてたお迎えって、もしかして………。
「よかったな雪野、お迎えが来てくれたで」
「やっぱり」
「何が、やっぱりやねん?まぁ、ええわ。帰るで」
「帰るって何処に?」
「雪野の家」
「は!?」
こいつ何言って……、なんて考える間も私には与えられず、戸松は早くも人(私)の荷物を持っていた。そして、私の荷物を持っていないほうの手で腕をつかまれ、きたとき同様、引っ張られる形で私は部屋を出た。
それから再びエレベーターに乗せらた。
「仕事のほう、今日は一先ず中止になったから」
仕事て……。
ホンマに事情が飲み込めへん。
私は、まだ私の手をつかんでいる戸松の手を振り解き、睨みつけた。
「あんた、ホンマ何なん?」
「何て、雪野の友達」
『友達』?
そのとき、さっき見た夢を思い出した。
あの時私と会話してたんは、多分、この男や。目の前にいる、『戸松』という男。
「ホンマに…友達やったんか………?」
私は恐る恐る尋ねた。
そのとき一瞬、戸松の目が揺らいだ。
「それて、どういう意味や?」
「そんままの意味や。ホンマに、私とお前は……」
チンッ…――――
タイミングよく、エレベーターが目的の階へと到達した。
扉が開き、廊下の風が入り込んでくる。
「雪野。着いたで」
話が途切れた事に、安堵の表情を出す戸松。
私は何も言わず、無言でエレベーターを出た。その後に続いて戸松も廊下へと出た。
「せや!帰るとき、どっか寄りたいトコあるか?」
あまりにも不自然な話題。余程、さっきの話題には戻したくないらしい。
私は何も答えなかった。
「なぁ、雪野〜」
「……………」
「頼むって、無視せんといてやぁ」
「……………」
「雪野ってばぁ!ゆきてぃ〜」
何やねんそのあだ名…。『ゆきてぃ』て……。
ふとそのとき、以前にもこんなことがあったような気がした。
ソレは気のせいなのか、それともホンマにあったんか。
ホンマにあったとしたら何時何処で?
私の頭の中で、疑問の渦が渦巻いていた。
「ゆきてぃ……」
「五月蝿いな!考えに集中出来んやろ!!!」
「やって、ごってぃが無視する……」
「あんたが私の話はぐらかそうと……」
「あ。その前に、そっち出口と逆方向」
そういって戸松はアッチアッチと、私が進もうとしていた方向と逆の方向を指差した。
私は恥ずかしさと怒りで、顔が真っ赤になっとるんやろう。身体が熱くなるのを感じた。
「はよ言え!!!」
「雪野が先先進むからやんかぁ」
結局、また、話はぐらかされた…。でも、今、再び聞く気にもなれん。
私は何も言わず、ただ、戸松が言う方向へ歩を進めることにした。