六話
船室の小窓を覗けば、毛布を被った祥蘭が紙をなぞっているのが目に入る
無事な姿に小さく息を吐いた陽は、そっと扉をひらく
「姫様」
「!!!」
バッと振り返った祥蘭に微笑む
「お傍に寄っても、宜しいでしょうか」
陽は、つい四日前の出会いを思い返しながら訪ねた
四日前と違うのは、足元が揺れているということと、祥蘭の格好だろうか
余り変わらない・・・当たり前といえば当たり前だ
待ち焦がれていた、ずっと傍に侍る為だけに生きてきた陽の唯一無二の主
近衛隊に入隊して十年、それは決して平坦ではない道のりだった
だから、出会えたことに、救出したのが自分だということに、実は結構浮かれていたのだと今更思い知る
祥蘭とは、まだこんなにも距離がある
四日しか経っていないのだ・・・祥蘭にとって
四日しか経っていないのに、碌な説明もせず此方の都合を押し付け、駆けてしまった
「沢山、沢山説明しなくてはなりません。
そして私も、沢山お伺いせねばならないことがあります
初めにその必要があったのに、つい浮かれて、疎かにしてしまった
私が、しなくてはならなかったのに・・・」
祥蘭は、訳が解らなかった
逃げたのは、自分だ
助けてもらったことに礼も言わず、自分の心の為に逃げた
怒られても仕方ないのに、何故陽が謝るのだろうか
「お傍に寄って、宜しいですか?」
解らなかった
けれど、陽が困ったように言うから、祥蘭の首は縦に振られていた
側にそっと近寄った陽は、静かに祥蘭と視線を合わせた
「祥蘭様、私は、貴女のことを何も知りません。今更ですが、教えていただけませんか、貴女の事を
どう過ごして、何を思って、何故城を離れたのか
私も、貴女に私のことを知って頂きたい・・・少し遅いですが、自己紹介をいたしましょう・・?」
小さく頷いて返す
祥蘭にしても、ずっと聞きたかったことを聞く機会だった
・・・側を離れて漸くというのが何とも言えないが
「改めまして、私は陽と申します。普段は、白雲城で次代鳳凰様付きの近衛隊の隊長をしております
生まれは紅国の北に位置する鋼州で、家は代々武官を輩出しています
年は今年三十を迎える獅子の半獣です」
自己紹介というのは、少しばかり照れくさいですねと頬を掻く陽に祥蘭は漸く、肩の力を抜いて小さく微笑んだ
<私は、祥蘭といいます。年は二十になります
ご存知の、あの家で家族三人で十迄過ごし、それから飼い主に両親を殺され、以来あの鳥篭にいました
飼い主に捕まる前は、畑仕事をして、山を駆け回り、川で泳いだり魚を釣ったりしていました>
それから、謝らなくてはなりませんと続ける
「・・・?」
<私は、貴方の求める鳳凰の姫ではありません。私は農民の娘です
とても良くして頂いたのに、求めている人間で無くて・・・ごめんなさい>
伏礼して謝ろうとする祥蘭を慌てて止めた
「本当に、私は不甲斐無い・・・自分のことしか考えていないと改めて思い知りました」
<?>
「まず、貴女は紛れもなく次代鳳凰です。まだ未完全ですが、瞳が金に輝いています。
・・・鏡を見たことはございますか?」
鏡は、庶民の家に置いてある事はまず無い・・・農民ならば余計だ・・・当然のことながら、祥蘭は見た事が無かった
「・・・州城で、鏡を見て頂ければ直ぐにわかります。貴女の瞳は紛れもなく金・・・鳳凰を示す色です
姫様は神話を聞いた事は御座いますか?」
首を横に振る
「では、お話いたしましょう。蒼国に伝わる、歴史書でもあるのですが」
そう言って、<紅国・聖獣と鳳凰と継承>を掻い摘んで話す
「・・・鳳凰の世代交代は、規則性が無く行われています。鳳凰の在位年数も凄く差があるのです
今上は200年ですが先代は70年足らず、先々代はそれに対して600年でした
鳳凰の生まれもバラバラです。今上は礼州の学舎の教師の息子でしたし、先代は商人の子です
先々代は、姫様と同じ、農民の子でいらっしゃいました・・・鳳凰の出生に、生まれは関係ないようです」
陽の言葉に目を見開く
鳳凰といえば、この国の絶対で、神の様な存在だと聞いていた
だというのに、農民の出の鳳凰もいたなんて、と祥蘭はただ驚くばかりだ
「祥蘭様、少しは、納得いただけましたか・・・?」
一応は。と頷く
「祥蘭様、私に教えて頂けませんか?貴女は十年の間どのような生活をされていたのか」
<十歳を迎えるまで、私は家族としか会った事がありません。
鳥篭に入れられてからは、貴方が迎えに来たあの瞬間まで一度も外に出ることなく過ごしていました
私に許されたのは、三日に一度の食事と、一日一度与えられる水それから、襤褸布でしょうか
時折、酷く気まぐれに飼い主は本を持ってきてくれたので、そういう時は本を読み、後はひたすら小窓から外を眺めるだけの日々です>
「・・・先ほどから、気になっていたのですが、姫様はあの男を飼い主と呼ぶように強要されていたのですか?あの部屋を鳥篭だと・・・?」
陽がひどく不快そうに尋ねるので首を横に振った
<私が、内心で呼んでいただけです
逃げる手段の無い私は、空に焦がれる自由を知る鳥のようだと
鉄格子と石牢はまるで鳥篭だと、そう思って>
「(本当に、御労しい・・・)」
この国絶対の存在の鳳凰の次代が、あんな小物に心まで囚われている
とんでもない事だった
今上は勿論、紫白や耀明が知っても怒るだろう
陽は脳裏に氷のような瞳を持つ今上と、国の双璧を思い浮かべた
「姫様、最後に、何故城を出たのですか?」
<・・・>
陽の問に、それまでサクサク答えていた祥蘭の指が止まる
言いにくいのだろうかと、聞き出したい逸る気持ちを抑えて辛抱強く待つ
祥蘭自身の口から、きちんと聞きたかったのだ
そうして、数拍おいて祥蘭は紙に指を滑らせた
<夢を見るの>
「夢・・・?」
思っても見なかった答えに陽は目を見開く
祥蘭はそんな陽の表情に苦笑しながら再び指を滑らせた
<飼い主が、戻れと怒ってる夢
戻らないと、陽さん達を両親みたいに殺すと言っているの
・・・・だから、飼い主が手の届かないところに行こうと思って。
異国や、死の世界までは追ってこれないから・・・
でも、秀英さんに止められた。色んなもの置き去りにしてるって言われたの
私、生きるのは凄く疲れて、しんどくて、でも良くしてくれた皆さんにお礼も謝罪もしないで逃げちゃったから
きっとそれが一番の後悔だった
だから、謝る機会を与えてもらえて良かった
助けてくれたのに、お礼も言わず逃げてごめんなさい>
今度は陽が止める間もなく頭を下げる
陽は、何も言えなかった
自分たちのことを思って死ぬ事を思い留まったことを喜べばいいのか、安堵していいのか、そこまで追い詰められていた事に気付けなかったことを不甲斐無く思えばいいのか・・・
兎にも角にも黎音をもっと殴っていればよかったと凄く後悔した
「姫様、黎音はもう二度と貴女を害する事はありません。可能性は皆無だと断言いたします」
<え・・・?>
瞳を瞬かせる祥蘭に理由を正直に告げることを、陽は一瞬躊躇った
祥蘭は所々酷く子供なままだ
肉体の成長も年齢に追いついていないが、精神はより未熟で、だから迷った
けれど、秀英の声が脳裏を掠める
祥蘭には知る権利がある
知って、その上で自身の力で乗り越えて行かなければ、ずっと子供で、ずっと囚われたままだ
「あの男の末路は、貴州の刑場で間違いなく、斬首されるでしょう」
<ざんしゅ・・・?>
「首を刎ねるのです
貴女のお命は国の宝、いえ国そのものと言って良いでしょう
それを、一、人間が捕らえていた。過去に例がないほど罪深いことなのです
極刑以外の選択肢はないでしょう」
ゆっくりと告げる陽の言葉に、秀蘭の記憶が蘇る
首を刎ねる・・・父と、同じ・・・?
父の姿が、飼い主の姿に変わり、跳んだ首が此方を向く
その顔は・・・・・・・・・・・
祥蘭は、自分が鳳凰の姫だと納得しなかったが、それは今上に問えばハッキリするだろうと陽に促され、ひとまず貴州白雲城を目指すことに納得した
船室を出れば、待っていたのは安堵した顔の李伯に公孫、そして近衛隊の面々
困惑した表情なのは、偉白で、ニヤリと笑っているのは秀英だ
「嬢ちゃん、この国に居るのが嫌になったら、今度こそちゃんと黒国に連れて行ってやるよ」
「ジイチャン!!??」
<そのときはお願いします>
「姫様!!??」
「達者でやんな。俺は嬢ちゃんが逃げたいってんなら何時だって逃がしてやるよ。
だが、嬢ちゃんが国を治める姿も見てみたいもんだ」
にんまり笑う秀英に祥蘭は笑った
鳥篭を出て、一番の笑顔は夕日に照らされ一層輝いていた
5/19蒼国→紅国