五話
そこは暗い世界だった。
何時もの夢のはずなのに、何時もと違う・・・
過去を見るのではなく、右も左も前も後ろも分からない、誰も居ない何もない世界。
それなのに、飼い主の、あの日初めて聞いた声がどんどん大きくなって聞こえてくる。
「よくも、逃げたな・・・お前は私のものだ」
「この私から逃げることが出来るとでも?」
「飼われている分際で、飼い主から逃れようなど・・・!」
「お前を連れ去った奴等全員、お前の父母のように殺してやろう・・・!!!!」
怨嗟の声は大きくなっていく。
・・・耳元でそっと呟かれる・・・
「さぁ・・・早く戻ってこい。鳥篭へ」
バッと起き上がる。
「(ゆ、め?)」
脂汗が、背中を伝い、息はまるで全力疾走したかのように荒かった。
「(そうよ・・・飼い主は、きっと怒ってる。
・・・・・このままじゃ、また殺されちゃう)」
ガタガタと震える寒くないのに、止まらない。
陽は祥蘭の為にとても気遣ってくれた。
李伯は、まるで兄弟のように思えた。
公孫は父のようで安心した。
他の皆も、名前が覚えきれないことを気遣って、何度も自己紹介してくれた。
そんな優しい人たちが、また殺されてしまうかもしれない。
自分だけなら、いい。
だけど、飼い主は祥蘭を得る為に両親を殺したのだ。
きっと、また・・・・!
頭を振った祥蘭は泣きそうな目で着替えると、まだ暗い夜の城の露台から掛布を結んで地に垂らして抜け出した。
「(ごめんなさい)」
心で呟いた謝罪は、助けてくれた、良くしてくれた優しい人たちに向けて。
滲んだ涙を強く拭って、月の光を導に、衰えた筋力を叱咤して、祥蘭は音無く駆けた。
祥蘭が夢が現実になることを恐れて城を抜け出した二刻(四時間)後、城内は騒然としていた。
漸く見つかった鳳凰の姫が姿を消したのだ。
気がついたのは夜が明けて間もなく・・・祥蘭を起こす為に部屋に入った美鈴が声を上げてからだ。
城内中を慌てた顔で近衛は勿論、州城に勤める様々な人間が捜索に動いている。
捜索の拠点にした一室で陽は目を硬く瞑り、仁王立ちになって、走り回る部下の報告を待っていた。
本来ならば、自ら探しに行きたいところだが、報告を聞く人間もまた重要だと公孫に宥められ、逸る気持ちを強く抑え陽は待っていた。
扉が勢いよく開く。
「隊長!!失礼致します!!報告します!!!
城内、草の根を分けて探しましたが姫様は何処にもいらっしゃいません!!!」
その後も続々と報告に来る部下達だが、望む報告は無い。
とうとう全員が戻ってくる・・・
「まさか誰かに連れ去られたんじゃありませんか???!!!」
「そんな形跡は部屋にも恐らく下りたであろう場所にもありませんでした!」
「分からんぞ!?そう見せかけるのが狙いだとしたら!!」
部屋の中がざわめく。
どんどん大きくなるざわめきに、陽はようやく瞳を開けると、ガツンっと剣で床を鳴らした。
騒然とした室内は一気に静まり返る。
「姫様が自分で出て行かれたのか、或いは誰かに連れ浚われたのかは現時点で不明だ!!
だが一刻も早く姫様を探さなければ!!!
どこに危険が転がっているのか分からん!!!
捜索範囲を城の外まで広げる!!」
陽は部下に指示を出しながら焦っていた。
昨夜までの祥蘭は、陽たちにも少しずつ慣れて来ていて、淡い、笑顔すら浮かべるようになったのに、自分で逃げる理由が分からない。
「付近の村や町もくまなく探せ!!
二人一組で行動し、見つけたら片方がこの城に報告に来るんだ!!
道濫殿、引き続き州官に協力していただいて構いませんか?!」
報告を聞く為にやって来た道濫と翔雲を目敏く見つけた陽はすかさず声を掛ける。
「ももも勿論です!!!州官300、全て捜索にまわします!!!
(この州城で次代様が行方不明になったなんて・・・・・・!!)」
道濫は顔色を悪くして頷く
「(姫様・・・!何故・・・!!)」
少し時間はさかのぼり、祥蘭は部屋を出ると見回る州武官に気付かれないよう息を殺し、木をよじ登って州城を出た。
昔は軽々出来たのに、随分時間が掛かってしまったと衰えた、むしろもう殆ど無い自分の筋力に嘆きつつ、身を隠しながら裏道を使い河に出る。
河は広く緩やかで、祥蘭は迷わず入った。
十年ぶりの水泳は、思いのほか上手く行き祥蘭自身驚いているほどだった。
「(このまま異国に行けるかな・・・)」
両親の墓守をしたかったけれど、生家は飼い主も目を付けているだろう・・・
流石の飼い主も異国には追ってこれないかもしれないと、一度強く服の上から守り袋を握って河の流れのまま泳ぎ続けた。
河の水は何時の間にか塩っ辛さを感じるようになっていた・・・
「おい!!そんな所でそんなトリガラみてぇな身体で何泳いでやがる!!!!!」
「(!!!???)」
初めての海だと泳ぎながらぼうっとしていれば、突然船に乗っていた男に声を掛けられ驚いて止まってしまう。
「乗れ!!!」
がしっと腕を掴まれたと思ったら凄い力で引き上げられた。
それなりに年を取っている様だが、精悍な顔つきに日に焼けた肌、太い腕が男を若く見せている。
「ったく、信じられねぇぜ・・・おい嬢ちゃん、今は春だ春!!!
それも、雪解け水が流れ込んでくるから下手な冬より水温は低い!!!!死ぬ気か!!??」
男の言葉に違うと首を振らなければと思っていたのに、固まってしまった、気付いてしまった。
あの鳥篭では死ぬという選択肢がなくて・・・だから心を消して、ただそこに在るだけだった。
流れる季節を小窓から感じて、意味もなく、壁を削って年月を数えた。
ただそこに在るだけだったから、何時の間にか慣れてしまっていた・・・
外に出れないことも、寒さ暑さにも、孤独にも・・・
忘れることで、自分を消したような気になっていただけだ。
・・・それが、今は自由だ。
十年目で私は、自分の命を自分で握ることが出来た。
これで私は、終わらせることが出来る・・・
鳥篭で誰にも自分のことを知られることなく死ぬのは怖くて出来なかった。
けれども、両親の死ぬ瞬間を何度も見ることも、飼い主の冷たい視線に怯えることも、誰かの死を怯える事も、疲れてしまった。
この先も飼い主から逃げ続けるのか、逃げ続ける事ができるのか・・・
このまま、消えてしまったら・・・?
つらつらと考えているのが分かったのか、男は鼻を鳴らす。
「嬢ちゃん、何考えてんだか知らねえが、そんな未練たらったらな顔して死にたい何か言うんじゃねぇぞ。
いいか、終わらせるのはな、やること全部やってから、だ。
嬢ちゃんみたいに荷物を途中で放り投げてきましたって顔する奴はまだ死ぬモンじゃねぇ!!」
ふんっっと鼻息荒く祥蘭に言った男はそのままぽかんとする祥蘭の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
乱暴で、父や公孫とは似ても似つかないが、心が温かくなるような、優しい手だった。
「おおい偉白!!毛布もってこい!!あと温かい白湯ーー!!」
「はぁ!!??何してるのさジイチャン・・・・・・女の子?」
「おう。拾った」
「は!?」
「ほらさっさと準備しろ。嬢ちゃんが風邪引くじゃねぇか!!」
「わーったよ!!!!」
偉白と呼ばれた十歳前後の少年は急いで今まで居た船室に戻った
「(えっと・・・)」
「訳ありなのは、見たらわからぁ。
俺は秀英。紅国と黒国の連絡船の船長をしている。
んで、アイツは俺の孫で船員の偉白。
とにかく、何処に行く気なのかは後で聞く。
一旦釜楊に船を付けるそれまで、偉白の持ってきた毛布に包まって船内で暖を取っておけ」
秀英は再び祥蘭の髪をグシャグシャにすると、操舵に戻った。
「あーーっと、お姉さん?こっち!」
偉白は大きな毛布を祥蘭に被せると手を引いて船室に入った。
貨物とは別の船員用の休憩室も兼ねているそこは外より温かく首を傾げる。
「ん?あぁ!お姉さん熱炭は始めて?火を熾さないでも温かい特別な炭なんだよ。
紅国では余り流通してないし、知らないのは無理ないかもね」
にへらと笑った偉白に祥蘭は指差された先の赤くなっている炭を見つめた
「お姉さん、喋れないんだろ?字は読める?
ほら、これ使ってお姉さんの事教えて」
断定する偉白に再び首を傾げると得意そうに笑った。
「さっきから何度か口を開けたり閉じたりしてるからさ!!なーんとなくだけど!!」
ニッと笑って紙に書かれた五十音の文字表を見せる
「連絡船の客に、何度か喋れない人いたんだ。作っといてよかったよ!!
今から質問するからさ、指差して答えてくれる?」
偉白の声に祥蘭は首を縦に振ったのだった
「名前は?」
<祥蘭>
「年は?」
<20>
「え!見えねぇ!!!本当に?!」
目をカッと開いて此方を凝視する偉白に頷けば、同い年かと思ったと小さな呟きが聞こえた。
「・・・(そんなに幼く見えるのかな・・・)」
「えーーーっと・・・じゃあ、アンタはナニカから逃げている?」
<うん>
「其れは、危険なもの?人?」
<人。その人から逃げちゃったから、私を助けてくれた人がきっと危ない目
にあうの>
視線を下に落とす祥蘭に偉白はじいっと見つめた
「あのさ、・・・・・・・・この連絡船に乗るのって結構訳ありが多いんだ。
どっかの貴族の御落胤連れためっちゃ美人の元侍女さんとか、奴隷として売られそうになって逃げた人とか、多くはないけど訳あって人殺しちゃった人とか、さ。
皆、黒国に、黒国から更に異国に逃げて幸せにしてるよ。うん。たまに文が届くし・・・
だからお姉さんもきっと幸せになれるよ!!」
偉白なりに励ましたのだろう、それが分かって祥蘭はありがとうと指差し微笑んだ
「おーい、港に着いたぞ!!!!偉白!!!」
「はいよー!!
お姉さん、出港には時間かかるし、この五十音表あげるよ。これで勉強しといたら?」
<本当にありがとう>
「へへ。じゃあ俺はジイチャンに説明してくる!!」
船室を飛び出した偉白を見送って祥蘭は五十音をなぞりながら勉強することにした。
生きるという事は、辛く哀しく切ないが、ひょっとしたらこれからは楽しい事や嬉しい事もあるかもしれない。
少なくても、優しい秀英と偉白に出会って嬉しいのだから・・・そう思って船室から見える青い空を見上げた。
「やっぱり訳ありだったか」
「ん。追われてんだってさ・・・可哀想だ。目が澱んでた」
「だが最後は微笑んだ。そうじゃろ?
ならその子はもう自分で自分の死を願ったりせんさ」
「だといいんだけど」
船を港につけ、荷物を降ろす。
定期運行している連絡船は秀英の船だけなので荷物も多い。
秀英の船は荷物は勿論、人も運ぶ。
ただし単なる旅人であることは稀で、多くの人は裏事情のあるワケアリだ。
国を出るというのは制限が掛かっていないもののとても度胸が要ることなのだ。
「んん?なあジーチャン」
「あ?」
「・・・州武官が居るぜ?めっちゃ珍しい。船内を調べてるみてぇ」
「・・・そりゃあ、してるだろうな」
「は?ジイチャンなんか理由知ってんの?」
偉白の橙色の頭の上には疑問符が幾つも浮かんでいる。
そんな偉白とは逆に、気付かなかったのか?と言う様に秀英は器用に方眉をあげて見せた。
「嬢ちゃんの瞳は、色は薄いが金色だ」
「は・・・」
「ありゃ間違いなく次代の鳳凰だろうよ」
「・・・・・」
「なに、間抜け面してやがんだ」
秀英の言葉に三拍置いた後、港中に響き渡るほど大きく、偉白は驚愕の声を上げた。
「うっせー」
「ジイチャン!!どういうことだよ」
「あぁ?トリガラみてぇな貧相な餓鬼が海を漂ってて、俺はそれを拾った。
んで拾ったやつが偶々金の瞳を持っていた。そんだけのことだろうが。
俺やお前は今迄通り、客の望むままに国を渡ればいい」
「だけど!!」
偉白は、鳳凰がどういう存在なのか御伽噺程度だが知っている。
簡単に国を抜けていいものではない。
鳳凰は国そのものなのだ。
最悪大地は揺れ、紅国は更地になる。
「どうかなさいましたか?先ほど、大きな声が・・・」
偉白の驚愕を聞きつけた州武官が近寄る。
「あぁ。吃驚させたな。悪かった」
「構いませんよ。何もなかったのならいいのです。
それと・・・船の中を見てもかまいませんか?実はとある方を追っているのです」
「・・・次代の娘なら船室に居るよ」
「・・・え・・・?」
「探してんのは、紅国次代の鳳凰だろう?
さっき、無謀にも海を泳いで異国に渡ろうとしてたから船に乗せてきたんだ」
「なんと・・・!」
「俺らの船は、夕方まで出ねぇ。アンタは次代の保護者連れてきたらどうだい」
秀英の言葉に一拍おいて、武官は頷くと相方を呼び寄せ城に向かわせた。
「念のため、確認しても宜しいですか?」
「かまわねぇが、逃げられたくないのなら、小窓から見つからないように覗くのに留めておいた方が良い。
情緒不安定のようだからな」
「そうしましょう。案内お願いできますか?」
「偉白、行ってやれ」
「あ、あ。うん、わかった。付いておいでよ兄ちゃん」
複雑な顔をする偉白は一度秀英に視線を向けるも手を振れば渋々案内に向かった。
「(逃げたいのに偽りは無いんだろーが、何から逃げたいのか、未だ嬢ちゃん自身分かっちゃいない。
そんな状態で国を抜けてもきっと後悔しか残らんよ)」
秀英は未だ幼い頃からこの定期船に乗っていた・・・
それこそ偉白より幼い頃から、祖父に、父に連れられて・・・
人が国を渡るのには、様々な理由がある。
単なる旅人は勿論、罪を犯したり、売られたり、逃げていたり、産んじゃ行けない子供を産んだからだったり・・・最後が実は一番多い。
色んな渡航者を見てきたからこそ、色んなものを置いて来て、後悔していると顔に思いっきり書いているような祥蘭をこのまま渡すことは出来なかった。
秀英は先祖代々の仕事に誇りを持っている・・・だから、例え鳳凰の次代だったとしてもそれが納得の上なら他国に連れて行く。
だが、納得しきれていないなら、心が決まる手助けをするのもまた、秀英の役目だ。
一人黙々と荷物を降ろす秀英の一方、偉白は州武官と共に船室の小窓から小さくか細い祥蘭の背中を見つめていた。
鳳凰が、あんな細い娘だなんて、偉白は信じられなかった。
それでも横顔が見えて、改めてその瞳を見れば、薄いが金色で。
鳳凰なのだと納得するしかない。
隣の州武官も瞳の色を確認したのか安堵の息を吐いた。
待ち人達が来たのは、荷物を降ろしきった丁度その時だ。
荷物を降ろすのに手を貸していた州武官が立礼した方向に、急ぎ足でやってくる屈強な男達。
「・・・ココに、姫様が・・・?」
秀英の目の前までやって来て、先頭の男・・・陽が尋ねる。
「あぁ。次代なら確かにいるよ。今は暖を取りながら出港を待っているだろう」
「っ」
「先を急ぎたい気持ちは分かる。
だが、アンタはちゃんと考えたのか?
何故、次代がアンタの元を離れたのかを」
「なにを」
陽は目を見開いて秀英を見た。
「次代だから、って説明をしなかったんじゃないか?
何故次代なのか、何処に向かっているのか・・・?とかさ。
大切に真綿に包んでやる事だけが、守ることじゃないだろ?
喋れないからって、意思の疎通を図ろうとしなかったんじゃないか?
次代にだって感情はあるんだ。何を不安に思っているのか、きちんと聞かねぇから、殻にこもって自問自答するしかねぇんだ」
近衛だからって態度を変えない秀英に、見ていた偉白のほうがハラハラと落ち着かない様子を見せている。
陽は、秀英の台詞を反芻し、頷く。
「少し、船内を借りて構わないか?」
「良いさ。出港までは時間がある」
「ありがとう。少し話してくるから、お前達は半数は州城に戻り半数は船頭の手伝いをしながら見張っていてくれ」
直ぐ動き出した近衛の気配を背中に、陽は祥蘭の元に向かった。
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