四話
文州のほぼ中心地、州都華山に到着したのは鳥篭を出て三日目の昼過ぎだった。
華山は近くに釜楊という隣国の船も止まる大きな港があることもあり、紅国でも1、2を争う商業都市である。
当然、人の行き交いも多く、崋山は活気と商店の客を呼び寄せる熱気に包まれていた。
「(すっごい)」
開いた口が塞がらないとはこのことなのか、州都に入る関所を通過して直ぐ目に入った人の多さと比例するように街にあふれる活気。
十年間人里離れた家で家族と暮らし、その後の十年間は石牢にいた祥蘭にとって、初めての大きな街だ。
目に映るもの全てが珍しくて仕方がないようで、キョロキョロと目は忙しなく動いている。
「姫様、ひとまず州城へ行きます。
そこで、今夜は休み、明日は朝一でまた移動になります。
州城には先に李伯が行って知らせてありますので医官と薬師に診て貰い、ゆっくり食事を取りましょう。
勿論、準備が叶わなかった衣類も手配しておりますし、風呂も準備してありますよ」
ニコリと笑う陽だが一方で祥蘭は首を傾げる。
二十年生きてきた中で、風呂というものに入ったことがない故に想像がつかないのだ。
州城の堅牢な門が開き、迎え入れられる。
待っていたのは伏礼するこの州城に勤める全官人で、300はいるだろうその人数に祥蘭は唖然とした。
そんな祥蘭の前で陽が眉を寄せ迎えた李伯を見る。
「豪勢な出迎えは不要と連絡していたはずだが?李伯」
「はい、確かに伝えたのですが、長きに渡って国民が総出で探し出していた次代のおいでに、感極まって集まったとか」
李伯は淡々と答える。
祥蘭とは三日も共にいなかった李伯であるがこんな冷めた目をするのを見るのは初めてでオロオロしてしまった。
そんな祥蘭に気がついたのは馬車の真横に居た公孫で、怒る二人に姫様が怯えていると一言告げる。
「申し訳ございません姫様・・・変なところを見せてしまいましたね。
州長道濫殿、案内役はどなたでしょうか。
姫様には連絡していたとおり、ゆっくり休むことの出来る部屋と体調を見て貰うための医官や薬師とその他必要なものを用意していただいていると思うが」
陽は、断定しながら祥蘭には見せない鋭い眼差しで伏礼する官人の一番先頭に居た男を見る。
「えぇ、準備してございます。直ぐに私の副官のこの者が案内いたします。翔雲」
「はい。翔雲と申します。
まずは部屋にご案内いたしますので、付いて来て頂けますでしょうか」
でっぷりと太った文州州長の道濫と異なり、細身の若干肌色も青白い男が先導して歩き出した。
翔雲と共に城の中に入った一行を見送った道濫はにんまり笑う。
「文州で次代様が見つかるとは、先が楽しみになったものだ」
道濫は祥蘭が置かれていた状況を知らないからこそ笑えた。
もし、自分の州の人間が次代の鳳凰を十年にわたって不当に閉じ込めていたと知ればその顔色は一変することだろう。
無知とは愚かで幸せな事だ、と陽は内心で呟いた。
「栄養失調に、発育不良、それから失語症・・・僅かな時間での診察ですので簡易ですがこれらは確実ですね。
素人目にも分かるような結果で申し訳ありませんが、何分にも詳しい診察ではないので・・・
白雲城の医官長によく見て頂いてください。
少なくとも一朝一夕で治癒するものでは在りませんから、治療には長い時間と根気が必要になるでしょう」
「薬湯を準備いたしまいた。焼け石に水かもしれませんが・・・」
苦い表情の医官と薬師の台詞に頷く。
「薬湯を作って頂き感謝する。何分にも急な出立だったので薬師も医官も連れて行けなかったのだ」
「今日は少しでも栄養のある食事を作るように料理長にも伝えておきましょう」
言って薬師と医官は伏礼して部屋を後にし、変わって一歩前に進み出て伏礼したのは三人の女性だった。
「姫様、私めは、美鈴と申します。
姫様がこの城で過ごす間、身の周りのお世話をさせていただきますわ。
後ろに控えているのは同じくお世話をさせていただきます花音と蒼凜でございます」
美鈴は五十を少し過ぎた位の女官で、若かった頃はさぞや異性の視線を集めただろうと予想がつく程、背筋はしゃんとし、白い物が混じった髪はしかし艶やかで、顔に刻まれた皺すら美鈴の美しさを邪魔しない・・・
若かりし頃どころか今でも視線を集めそうな美人である。
花音と蒼凜は美人というより栗鼠を思い浮かべるような小動物的愛らしさがあった。
「さあ、まずは旅の汚れを落とさせて下さいまし」
微笑んだ美鈴は、そう言って祥蘭の手を取る。
「近衛の方々はお待ち下さいね」
「わかっている」
しっかり釘を刺され、陽は、苦笑混じりに頷いた。
三人に連れられ向かったのは、湯殿・・・陽曰くの風呂で、未だに想像がつかない祥蘭は頭上に疑問符を浮かべながらゆっくりと歩いた。
風呂というものは紅国では貴族を中心に極限られたものしか利用する事がない。
大多数の庶民は河で水浴びをしたり、濡らした手ぬぐいで身体を拭くぐらいなのだ。
崋山城の風呂は木作りで非常に大きく祥蘭は始めての風呂に目を丸くした。
「(あったかい・・・!!)」
溢れた湯にびくびくしながらそれでも興味津々と言った様子の祥蘭を背後から見守っていた美鈴達は顔を見合わせ微笑みあった。
「さぁ姫様、しっかり磨きましょうね」
「「さぁ姫様!!」」
じりじりと三人に寄られて祥蘭はダラダラと汗を流しながら後ずさるのだった。
「(なんか怖い・・・・!!!!)」
半刻後、部屋に戻ってきた祥蘭は随分様変わりしていた。
「随分、変わりましたね・・・」
「しっかり磨かせていただきましたわ」
ニコリと笑う美鈴達のやりきった顔と、祥蘭のかなりぐったりした様子を見て陽は頬を引きつらせた。
そうして視線を祥蘭に留め磨き上げられた姿を失礼でない程度に見る。
数年間日に浴びることなく暮らしていたからか肌は白く、栗色の髪はほつれなどを丁寧に直され揃えられ紅国の国花の桜の髪飾りを付けている。
ボロボロだった服は救出後に簡易衣装に着替えていたが、今は可愛い女の子らしいものに着替えており爪も鑢を掛けられギザギザだったものが滑らかに磨かれていた。
そんな祥蘭を例えるならば、開く前の蕾のような危うさと美しさが滲み出ている。
そんなことを思っていると、美鈴が小さく溜息を吐いたので何事かと視線を移せば、酷く残念そうな表情で口を開いた。
「本当はもっとさせて頂きたかったのですが、体調も万全ではないということなので・・・控えたのでございます」
「(あれで全部じゃなかったんだ・・・)」
祥蘭の心の声が聞こえたような気がして、陽は苦笑を一つこぼした。
その夜、祥蘭の為にと滋養の高い食材を使った料理が振舞われた。
祥蘭にとって悲しいのは生まれて始めて見るご馳走だったのにも関わらず、殆ど胃に入らなかったことだ。
十年の間、食事は三日に一度だった祥蘭の胃はかなり小さくなっているようで食べたいという心と裏腹に喉を通らないのはかなり切ないものがあったのか、席を立つときも酷く名残惜しく食事から視線が中々外れなかった。
「おやすみなさいませ姫様。
我ら近衛は隣室に控えておりますので、何かございましたら遠慮なくお申し付けください」
そういって陽たちは部屋の扉をゆっくり閉めた。
「(三日ぶりの一人)」
宛がわれた部屋の露台に立てば、風に乗って潮の香りが祥蘭の鼻をくすぐった。
鳥篭を出てずっと近衛たちが何かしら傍にいたから変な感じがすると思って、不意に笑う。
「(可笑しい・・・つい三日前まで私は二度と外に出ることが出来ないと思っていたのに。
今はほんのちょっぴり寂しい)」
寂しいと感じるなんて贅沢なことだと思う。
鳥篭から出されて、毎日食事が出来て、鳥篭に入れられる前にも着る事が無かった綺麗な服を着させてもらって、更に大きな部屋で休めるのに・・・
そこまで考えて不意に考えるのは彼らと別れた後。
初めは楽観視していたが、不可抗力とはいえ、鳳凰の次代を語っている・・・という事になっている。
こんなにも丁重な扱いを受けて果たして別人だと気付かれて何もなく解放されるのだろうか?
「(捕まっちゃうかな・・・殺されるのは怖い、けど・・・捕まるのは別に良いかなぁ)」
捕まるのなら、元の暮らしに戻るだけで何も変わらない・・・
そりゃあこんなにも良くして貰ったから少し寂しいのかも入れないけれど・・・・。
多分、両親の顔や幸せだったはずの時間と一緒で忘れてしまうのだろう、と祥蘭は小さく呟いた。
ふと夜空を見上げる。
もしかしたら明日にでもこの直に見ることの出来る空は見れなくなってしまうかもしれない。
そう思うと名残惜しくて中々部屋に戻ろうという気になれないのだった。
5/18バルコニー→露台