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鳥籠の姫  作者:
3/22

三話

紫白と耀明が動き始めた頃、次代とされた娘は夢を見ていた。


この十年、何度となく見た夢。

もう、今となっては戻れぬ過去の話。




「-----?」


「-----」


声は聞こえないし顔ものっぺらぼうで口元から下しか無いが、記憶に僅かに残る母は優しく私に微笑みかけ、無口な父は口元を緩め、私の頭を大きな掌で優しく撫でた。


何時もの、日常・・・・


優しい過去・・・・



そして優しい時間は突然終わる。


扉がこじ開けられ、抵抗もままならず父の首が宙を舞った。


母は悲鳴を上げて私を押し潰さんがごとく抱きしめ、そうして私の目の前で胸に銀の剣を生やし事切れた。



それは、悪夢だった。


鳥篭に閉じ込められて何度同じ夢を見たことか。


初めの頃は夢を見るたびに私は泣いて叫んだ。


だが、自分の身体は、流す涙すら惜しいのか、何時の間にか涙は流れなくなり、叫ぶ力もなくなった。


そんな私を、飼い主である男は何も言わず何も変わらず、ただ淡々と眺めるのだ。


その無機質な瞳は私を貫く。


それは罵倒されることより、余程心を鋭利に削った。


何時からか、私は鳥篭を出るということを諦めた。


何かを考えるということを諦めた。


けれども、自分の命を終わらせる事は難しかった。


色々な物を諦めても、感情は残ってしまった。


孤独に死ぬのが怖かった。


いつか朽ちると、そう思っていても自分で自分の命を終わらせる事は出来なかった。


未来さきが分からなくても、ただ其処に在り続けるだけであったとしても・・・






娘が目を開いてまず目に飛び込んできたのは、見慣れぬ天井だった。


そして背に感じるのは硬く冷たい石ではなく、ずっと柔らかい。


「(ここは、どこ?)」


眠りにつく直前を、思い返す。


何時もの石造りの鳥篭を思い出し、普段聞きなれない怒声を思い出し、順に縛られた飼い主のこと、陽と名乗った男を思い出した。


「(確か・・・)」


「お目覚めになりましたか姫様」


「!」


急に掛けられた声に、慌てて娘が声の方を向けば、そこにいたのは服装は変わっていたが陽という男だった。



陽は飼い主に比べれば横にも縦にも大きく、一目で鍛えてあることが分かる。


髪は黒髪で、左頬から鼻にかけて一線ある太い傷が目に付いた。


首も太く、捲くられた袖の下には沢山の傷跡がある。


何より目がいったのは、真紅の瞳に宿る、優しい光で、娘はそんな目をした人を二人、知っていた。


今は亡き娘の両親が、確かにその目を娘に向けていた。


そんな目を向けられたのは十年ぶりだ。


泣きたくなるのに、やはり娘の身体が涙を流すことはなかった。



一方で陽は娘の視線に嫌悪が混じっていないことに内心安堵していた。


陽は、半獣である。


半獣と人の違いは、半獣の種類にもよるが、身体が大きいこと、半獣は皆、真紅の瞳を持つこと、更には区別化のために半獣に生まれた者の名前は一文字でなくてはならないと六国共通の法で定められていることだ。


紅国には、半獣が決して少なくない。


むしろ他国に比べれば多いほどだ。


他国では人とは異なる半端な存在として排除されることも少なくないというのに、この国では実力さえあれば重要な地位に就くこともできる。


陽もまた、半獣でありながら武人の栄誉である近衛隊の、更に精鋭百人を率いる隊長を勤めている。


しかし、紅国の国民であっても、半獣を嫌悪する者も少ないが、いる。


自身の主たる娘に嫌悪の目を向けられる事ほど危惧していたものは無い為、内心で安堵したのだ。



「さぁ姫様、二刻(四時間)も眠っておいででしたので喉も渇いたでしょう・・・


薬湯があれば良いのですが薬師も医官も同行していないので用意が出来ませんでした。


・・・ひとまず白湯で喉を潤してください。粥もありますからそちらもお持ちいたしますね」


陽は娘に優しく告げると、竹に入った白湯を手渡した。


娘は少し戸惑いながら竹に口をつけると、程よい温かさの白湯が喉を通る・・・温かいものを口にしたのは十年ぶりだと内心で思っていた。


陽の説明により娘が眠っていたのは馬車の中で、外では陽と共に奪還作戦に参加した近衛隊の面々が野営の準備をしていると馬車の扉を開いて知った。


「おはようございます姫様!」


「気絶なさったようですが、体調は如何です?」


「白湯はもういりませんか?」


強く望んで馬車を降りた娘は次々に掛けられる声にポカンと口を開く。


「(こんなに沢山の人初めて見た)」


元々家族で住んでいたのも人里離れた場所だった為、30人はいる屈強な男たちは威圧感があった。


「姫様、粥です。熱いのでゆっくり飲んでくださいネ」


パチーンとウインクしながら粥の入った竹の器を渡してきたのは李伯いはくという名で、飼い主を連れて行った男だった。


蜂蜜色の柔らかそうな髪、深い蒼色の瞳に頬には蔦の刺青、屈強な男達の中では一番細く、背も低い・・・とはいえ、飼い主より遥かに鍛えられているのが服の上からも分かって驚いた。



陽に全員紹介されたものの、30人近い人間を容易く記憶できるような優秀な記憶力は持たない娘が、僅かな時間で記憶出来たのは、陽と李伯と公孫こうそんという父に似た雰囲気を持つ男達だけだった。


それにしても、と娘は思う。


何年も言葉を発することがなかったし、その必要もなかったが、今は喉が治ればいいのに・・・・、と。


勿論其れは久しくすることがなかった会話を懐かしんでというのもあったが、何より現状の説明をしてもらいたかったのだ。


何故彼らは助けるという名目で娘の前に現れたのか?


何故娘を鳳凰の姫と呼ぶのか?


飼い主は何処に行ったのか?


何処に向かっているのか?


何一つ現状を知ることが出来ない娘は歯がゆさを感じながらも、十年ぶりに遮る物がない夜空を見上げた。


「(つかめそう)」


手を上に高く上げて星を掌に収めるようにする。


遮ぎるものはなく、何処までも広がる空は酷く娘の心を躍らせた。


心を長年抑え続けて、今、ほんの少しずつ溢れてきているのを感じていた。


そんな娘を近衛隊は切なさを感じながら見つめるのだが、娘が気付くことはなかった。




相変わらずの夢を見ながら眠り、馬車で一晩過ごした翌朝、朝食の粥を啜った後、直ぐに馬車は走り出した。



馬車には娘と陽が乗り、馬車に併走するように他の近衛隊は馬に跨り疾走している。


何気なく、外を見た娘は、流れる風景に目を見開き、陽の腕を力いっぱい掴んだ。


「姫様?如何いたしました・・・??」


「(止めて!!!!)」


娘の強い訴えに陽は何があるのかと直ぐに御者に止めさせた。


「どうなさいました?隊長」


「姫様が・・・っ姫様!!??」


止まった馬車に近くの近衛が近寄る。


すると伝達する為に陽が僅かに開けた扉の隙間から娘が物凄い勢いで飛び出て、あっという間に藪の中に消えた。


「っ李伯!公孫!続け!!残りの者はこの場に待機!!!」


陽は何時、熊などの猛獣や賊が来てもいいように銀に光る剣を鞘から抜き、二人の部下を伴って急いで娘の後を追った。


娘は脇目も振らず藪の中を駆け続けその背中はあっという間に小さくなる。


それでも近衛隊の精鋭三人は、何とか見失わないように後ろを走った。


藪の中は大の大人が走るには狭く、苦労する。


「姫様、どこに向かっているんだ!!??」


「分からん!!だが、まるで迷いが無い!」


大声をだして会話する部下二人の前で、陽はただ後悔していた。


娘は、裸足だ。


そして駆けているのは藪の中・・・・


何で足を怪我するか分からない・・・いや、娘が身に纏う衣服は急ごしらえの簡素なもので、決して丈夫ではないから、下手したら藪が身体に突き刺さるかもしれない。


「(どうして簡単に扉を開けたんだ!!!)」


助けた娘は大人しく、油断した。


なんて愚かだったのかと自身を叱咤しながら娘の後を追う。


どこにそんな力があったのか、娘に追いついた時には娘は一軒の廃墟の前で立ち止まっており、その瞳には不安と、安堵と、恐怖が混ざりながら渦巻いていた。



「姫様・・・?」


伺うような陽の声を合図に娘はそっと扉を開けた。


部屋の中は埃が厚く被っている。


「・・・こんな所に民家があったなんてな。

周辺には村がないし、立地的に山賊達にもバレなかったのか荒らされてもいないようだけれど・・・


結構蔦は絡まっているなぁ・・・」


「・・・見てみろ李伯・・・床が変色している」


「こりゃ、血の痕か・・・?」


入り口と部屋の奥の床が一部変色していた。


娘はその場所が紛れもなく、母と父の殺された場所だと、そして、随分古びているが、この廃墟となっている木製の家は10年間娘が愛しい家族と過ごした場所だということを覚えていた。


優しさも、愛おしさも、そして悲しみも全てこの場所で感じた。


懐かしむように、幼い頃壁に直接書いた落書きをなぞる。


少し薄れてはいるが、見れない事はなかった。


「姫様・・・その絵は、姫様とご両親・・・?」


何で書いたのかはもう覚えていないが、壁には拙い字で父と母、綺麗な字で祥蘭と書かれていた。


字を習い始めた頃で、自分の名前は難しく、母が代わりに書いたのを思い出す。


「姫様の、御名は祥蘭様というのですか」


陽の言葉に、こくりと頷く。


娘、祥蘭ですら忘れていた名前だ。


誰も呼ばない上に、自分の名前は愛しい父母が付けてくれた名前・・・・


名前一つにしても父母の死を思い出させるので記憶のそこに閉じ込めて蓋をしていたのだ。


「姫様、・・・・・祥蘭様、この耳環に見覚えはありませんか?」


公孫は部屋の中を見渡し、隠れるように物と物の間に落ちていた耳環を見つけ祥蘭に掌を差し出す。


掌には赤い小さな硝子球が付いた耳環が一対乗っている。


祥蘭は、それが何なのか直ぐに分かった。


父母の生まれた集落では一対の耳環を男女で分けて付けるのを夫婦の証にしていたようで、決して裕福でない父母には小さな硝子球が精一杯だったけれど、とても幸せなのだと、母はにこにこして、父は頬を緩めて祥蘭に何度も寝物語のように語ってくれた。


幼かった祥蘭はそれがとても素敵なことだと二人の話をニコニコしながら良く聞いたものだった。


公孫から受け取った耳環を両手でぎゅうっと抱きしめて泣き笑いの表情かおをした。


耳環は祥蘭にとって幸せの象徴だった。


今となっては幸せだったことの記憶の証。


「姫様、これをどうぞお使いください」


李伯がそんな祥蘭を見て懐をあさり手渡したのは小さな紐付きの守り袋だった。


「これの中に、耳環を入れたら持ち歩けますよ。


・・・大事なものなんですよね?俺の使っていた物で申し訳ありませんが、暫くはそれを使ってください」


申し訳なさそうにする李伯の言葉に首を振り、その手をとる。


「姫様?」


掌に、<ありがとう>と指で書けば分かったのか驚いた顔をして、李伯は蕩けるように笑った。


同じように、公孫の掌にも<ありがとう>と書く。


公孫もまた、一瞬固まり、次いでゆるく微笑んだ。


その笑い方が父に似ているような気がして、長く枯れていた涙が瞳に浮かぶ。


この家に帰って来て、忘れていた筈のモノを幾つも思い出した。


記憶の底から溢れ出す、優しい思い出。


抑えていた心が、どんどん溢れる。


「(私は、幸せだった。


本当に、幸せだった)」



「姫様、裏に盛り土がありました・・・姫様!!??お前たち何してる?!」


「誤解です隊長!!いや、誤解でもあながちないような・・・でもやっぱり誤解です!!!」


「訳が分からん。・・・姫様、二人に嫌なことでもされましたか?」



心配そうに李伯を押しのけ視線を合わせて尋ねてくる陽に祥蘭は慌てて首を振って否定した。


「・・・隊長、盛り土があったと?」


さらりと公孫が話題を変えれば陽は表情を少し厳しいものに変えた。


「・・・あぁそうだ。家の裏手にあった。


盛り土自体は最近のものではなかったがこんな辺鄙な場所にあるのに、盛り土の周辺に雑草の背は低くまだ新しい花が供えられていた」



「可笑しな話ですね」


「あぁ・・・・姫様、とにかく見に行かれますか?


おそらく、ご両親の墓だと思いますが」


その言葉に祥蘭は目を見開くとしっかりと首を縦に振ったのだった。


その推定両親の墓は、家の裏手にあった。


かつては野菜畑だったその場所に、盛り上がった土が並んで二つ、それぞれの上部分には見覚えのある懐剣と簪が突き刺さっていた。


懐剣は父が、自身の父親から譲られたのだと宝物のように扱っていたもので、簪は母が父に初めて贈られた夫婦の証である耳環は別にして、唯一の装飾品だった。


守り袋をきつく握り締める余りに強く握ったせいで、掌は十年間まともに手入れされていないギザギザになった爪で傷が付いて、赤い血が滲み出る。


「姫様」


陽がそっと方膝を付けて座り、血が滲み出る掌を包んだ。


自分の手より何倍も大きくて厚みのある手にゆっくりと解かされる、その自分以外の温かさに、祥蘭の瞳からはとうとう涙がポロポロと零れた。


悲しくて、哀しくて、かなしくて頭の中はぐちゃぐちゃになり涙はどんどん溢れ止まらない。


十年分纏めて流すように、その後暫く、祥蘭は声なき声で泣き続けたのだった。



散々泣き続けた祥蘭は、家の中に戻り椅子に座らされると、李伯の手で傷ついていた足と掌の治療を施された。


「姫様、藪の中を裸足で走ったりするから怪我していますよぅ。


今度からはちゃーんと、隊長とか、俺達を頼ってくださいネ!!


俺達は姫様の為だけの近衛なんですから!!」



バチーンとウインクして見せた李白に涙の止まった祥蘭は困ったように笑って見せた。


何故、出会って二日の彼らは良くしてくれるのだろうか?


自分が<鳳凰の姫>だからなのだろうけど、祥蘭にはそんなモノであるはずが無いと断言できる。


自分は農民の両親の元で生まれ、育った農民の子だ。


久しくしていないが土を弄り、山菜を採るために山を駆け、川で泳ぎ魚を釣る、そんな生活を物心付いてから鳥篭に入る日までしていた。


鳳凰という、余りモノを知らない自分でも知っている神様のような存在になるなど有り得ない。


だから、彼らはきっと勘違いをしているのだと祥蘭は自己完結した。


優しい声も眼差しも、差し出された手も、全て自分とは違う誰か、別の娘の為のものだと思うと寂しさが胸を過ぎるが、ココまでしてもらえてだけで自分にとっては奇跡なのだと思い直す。


何時、求められている<鳳凰の姫>と別人だと知られるかは分からないが、声が出ない以上此方から言うことも出来ない。


生憎と、字は読めても書けないので李白や公孫にしたように掌に書いて伝えることも出来ない。


自分が書けるのは、母・父・ありがとう・おはよう・こんばんは・さようなら位・・・・


浚われる数日前に書きの練習を始めたばかりなのだ。


十年という歳月もあり、この六語をむしろよく覚えていたものだと思う。


祥蘭に伝える術が無い以上、鳳凰の姫でないことは、陽たち自身に気付いてもらうしかない。



そんな事をつらつら考えていると、怪我の治療が終わっていた。


白い包帯は病的な肌の色と合わせて目に痛い。


「姫様、お抱えしても宜しゅう御座いますか?」


公孫が聞いて来たので慌てて祥蘭は頷く。


そもそも自分で歩くのは選択肢にないらしい。


公孫は、灰色の髪に青みがかった垂れ目の持ち主で、身体の大きさは陽より大きい。


父に雰囲気がよく似ているので懐かしさと、切なさを感じながらその腕に収まった。


ぎゅうっと服を握れば、あやす様に背を撫でられる。


懐かしいのと恥ずかしいので、祥蘭は照れたように頬を染め、そんな様子を見た公孫は眦を緩めた。



馬車に戻った祥蘭たちは、近衛達に心配したと口々に声を掛けられ迎えられまた直ぐに走り出した。


祥蘭が生まれ、育った土地はあっという間に見えなくなった。


流れる故郷の風景を目に焼き付け、今は無理でもいつか戻ってきたいと祥蘭は心の中でそっと呟く。


嘘みたいな話だが、鳳凰の姫として連れられている。


だから直ぐには戻れなくても、誤解が解けたらきっと戻ろう、戻ったら、両親の墓を守りながら畑を耕して昔のように暮らす事ができたらと願った。




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