十八話
月の光の明るい夜
陽は黎明宮の一角で人を待っていた
「報告します」
待っていた人間が人間なので、突然かけられた声に驚く事も無く、また振り向く事も無く雰囲気のみで先を促した
「黎音は、頑ななまでに口を閉ざしております
このまま折れる事は無いと思いますが・・・」
「自白剤は」
「投与しましたが、効きませんね。
求め続けた至高のお方を捕らえて隠し続けた憎い奴ながら、天晴れですよ。
見ている此方が痛くなるほど尋問されてるのに、顔色一つ変えやしません」
息を吐く声の主にそうか、と一言漏らす
「そちらもイロイロ、有るみたいですね」
「まぁ、イロイロな。
・・・・・・・交代の儀まで二週間を切っている
紫白や耀明もイライラしているんじゃないか?」
「まぁお二人もですけど。何より、冥月の奴らが苛々していますよ
あいつ等全員目元以外布で覆っているから怖いんですよ・・・」
「思ってもいないことを・・・」
そう言って初めて陽は振り向いた
月光に照らされ此方を見て飄々と笑っているのは、陽の右腕である近衛隊副隊長の彰月だ
頭の上で結っている赤茶の髪が風に揺れている
「どうです?姫様は。」
「そうだな。ご自身もとても大変なのに、その中で我らを気遣う心優しい方だよ」
「其れは早く会いたいものですねぇ
黎音が吐いてくれれば私もお側にお仕えできるのに」
恨みがましく呟く彰月にそうだな。と頷く
「黎音の過去は洗ったのか」
「中々進んでないみたいなんですよねぇ
ただ、黎音が唯一呪で縛っているモノがありまして・・・冥月はそれにイロイロ隠されてるんじゃないかと躍起になって解呪しようとしてますね。」
「呪か」
この世界には呪い(まじない)というものがある
世界を作った神が気まぐれに力の片鱗を落としたものを拾い集め
長い年月をかけ作り出された聖獣以外の存在のための術
才能と勉強と根気の必要な其れは、結界として利用されている
術者によってその結界の強度は変わる
時の聖獣の怒りを買い大地が揺れたときも幾人もの人がこれを使って生き延びて来たらしい
そして祥蘭の閉じ込められていた牢の入り口の扉に掛けられていたものも侵入と脱出を禁じる呪いだった
しかしその呪いは専門ではない陽が破れたほどのものだったので、黎音の術者としての才は高くないと思っていたのだが、彰月の話を聞いていると其れが思い違いだったことを知る
「分かっているのは、黎音があの屋敷があった周囲では珍しい白国との混血児だったこと
そして、術者としての才能も溢れている事
彼が唯一、肌身離さず今も守り続けているモノには何かあること
こうして考えると全然分かってないですねぇ」
やれやれというように首を振る彰月にそうだな。と頷いた
「また何かありましたら報告しますよ」
「あぁそうしてくれ
それから、黎音の事はともあれ、交代の儀の時は同席するように。その直前には姫様に紹介するからな」
「分かりました。其れを楽しみに尋問に同席することにします」
「頼んだ。」
陽と彰月が会話している頃、祥蘭は夢の中に居た
凱志によって処方された眠り香は、強力なので数日に一度は使わない日を設けなければならず、この日祥蘭は三日ぶりの夢を見ていた
夢は、いつものように、幸せな時間から始まるのだが、この日は何時もとはほんの少し違った
朝、祥蘭は静かに庭に下りる為に設けられている数段の階段に腰掛け昇る朝日を眺めていた
その瞳に宿るのは困惑
「あれは、夢・・・?」
それとも、忘れてしまった現実なのだろうか
ぐるぐると頭の中が渦巻く
「お父さん
お母さん・・・・・・・・・・・どうして」
どうして、あの時
呟きは、宙に消えた
「姫様、どう致しました?」
「え?何・・・??陽」
「先ほどから、心此処にあらずという様子でしたので気になりまして」
「あ・・・なんでもないの」
にへらと笑う祥蘭を怪訝そうに見た陽はその顔にある隈が何時もの香を焚かない日以上に酷いのに気付く
「姫様、夢見が悪かったのですか」
直球で聞いた陽に肩を揺らしいた祥蘭は酷く解りやすい
「姫様」
「・・・・・・・・」
ぐっと押し黙る祥蘭の目を逸らすことなく見続ければキョロキョロと忙しなく視線をさまよわせる
「姫様」
「う、あのなんでも「ないなんて、仰いませんよね?」あう・・・」
強く聞かなければ、祥蘭は話さない
それをこの約三週間の間によく学んだ陽は逃がさないとばかりに眼力が一層増す
「あ、その」
「はい」
「えっと、あの」
「はい、なんでしょう」
「ううーーー」
唸る祥蘭を更に視線で促せば、漸くポツリポツリと話し出した
その内容に陽は目を見開いた
白雲城の端に位置する刑部と同じ敷地に冥月が専用に利用する尋問場がある
陽の光は僅かにしか届かない薄暗い室内にある牢に、黎音はいた
元々決して体格が良いとはいえなかった黎音は拘束されその体重を更に減らし頬はこけている
身に着けているのは簡素な服で、唯一拘束以前からの持ち物である首から提げた楕円の石を握ってその日の尋問を黙し、瞳を閉じて待っていた
いつもならば、薄暗い室内が完全に暗くなって聞こえてくるはずの足音
しかしその日に限っては、まだ薄暗いのにも関わらず、足音が響く
「・・・・・・・・・・・・・・・」
閉じていた瞳を薄く開け、顔を上げれば三人の男
その中央に立つ男は、どこかで見たような気がしたが、牢に入れられてからは、いつも目元以外を隠した男達と、赤茶の飄々とした男しか見なかった黎音は、その男を何処で見たか中々思い出せなかった
「・・・祥蘭様のいらした石牢の前で会って以来だな黎音」
「・・・・・あぁ、お前か」
声を聞いて、その左頬の目立つ傷を見て、男が黎音の屋敷を急襲した近衛の隊長だと思い出した
「本当は、もう少し早く来るはずだったんだが、裏付けに時間が掛かった」
「・・・」
「姫様、・・・・祥蘭様が、いくつか思い出してくださってな
それで漸く膠着していた事態が動き始めた」
「・・・・・・・」
黙しながらも、陽の口から出た祥蘭という名に石を握ってい手に力が篭る
その名を黎音が呼んだ事は、十年の間一度としてなく、また直接声を掛けた事もなかった
ただ鉄扉の術越しに毎日眺めていただけの日々
蹲り襤褸布を纏う痩せ細った娘
きっと今は肉付きもマシになっているだろうと黎音は内心で思った
そんな黙視を続ける黎音に、苛々とするのは同席した耀明だ
足を鳴らし睨む耀明を短気な男だと紫白が溜息を一つ吐き、視線で陽に続きを促した
陽が同席を願い二人は此処に居るのだが、何をするのか、祥蘭に何を聞いたのか、詳細を何一つ知らされていない
紫白は耳を陽に傾け視線はこの度の全ての原因である黎音を眺めていた
「今から十年と少し前の事だ。白国のとある官吏が政戦に負け国を終われた
官吏は両手ほどの手勢を連れ、秘密裏に燕州暁山から紅国に亡命してきていた
燕州から山を抜け、目指したのは文州州都崋山に程近い釜楊
官吏は紅を抜け、黒国へ行こうとしたんだ
ところが、役所のあるような村や町は顔を見られたくない官にとっては避けなくてはならず、かといって、燕州から文州を行くには補給なしには先が見えていた
食料も尽きかけた頃、漸く文州の州境までやって来た一行は、小さな村を見つけた
公的施設なんて見るからにない、小さな村だった」
「・・・それなら私も調べた中にありました
村の名もないような小さな集落
ある日、賊に襲われ全滅したと」
紫白が付け足せば陽は頷き、続ける
「季節は秋の収穫も終わった頃で、村の男衆は冬の間働く為に街に下りたばかり
残っていたのは年端も行かぬ子供と力ない女達、それに老人ばかり三十にも満たないその村を絶えさせるのは苦労しなかったろう
そうして、冬の間、雪に閉ざされるその村で官達は過ごし、春先、男衆が戻る前に再び釜楊を目指した
だが、官達は山道を人里を避けて通ったがために見つけてしまったんだろう
一軒だけ佇む木作りの民家を
夏ならば、見つけられなかったろう・・・なにせ周囲は木で覆われていた
だが季節は春先・・・木々の新芽も未だ芽吹かぬ頃だ
今ほど、藪も深く無かったろうしな・・・」
「その民家が何だ」
「耀明、おそらく、その民家が、姫様の生家。そうですね?」
「あぁその通りだ。官達は冬の間暮らした村で殆ど食料を持ち出せなかったに違いない
きっと食べきったか、それに近かったはずだ
だから、姫様の生家を見つけたとき、きっと官達はほくそ笑んだに違いない
官達は、その生家に押し入った
違うか黎音
姫様は思い出されたそうだ
飛ばされた父の顔が襲われたにしては酷く安堵していた事を
そして、母が剣で一突きされた時開いた扉の先を見て大丈夫だと呟いた事を
黎音、お前は事態に気付き、姫様の父母を守ろうと駆けつけたのだろう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・違う」
「何が違う」
「・・・・・・・間に合わなかったのだ。私が殺したも同然だろう
私の、唯一無二の光だったのに」
吐息を漏らすように小さく呟いたその声は、しかし静まり返った牢ではよく聞こえた
紫白と耀明は黎音を凝視する
「お前の言うとおりだ。黙っていたところでとうの昔に詳細まで知られていたなら隠す必要もない」
「ならば、この先はお前の口から語れ黎音。例えお前が姫様の父母の仇でなかったとして、何故姫様を十年にわたり拘束し続けた?
その答えはお前以外知らぬ
お前が語らねば、姫様はずっとずっと、夢に魘され続けるのだ」
「
・・・・・・・・・あの娘は、まだ夢に見ているのか・・・・・・・・」
呟きながら黎音の脳裏には牢で魘され泣き続ける祥蘭の姿が思い浮かぶ
一度溜息を吐いて黎音は首から提げていた石を外し、解呪した
継ぎ目の無かった筈の石は、二つに開きそこには二十年近く前の、絵が空洞に納められていた
絵には若かりし頃の、黎音と生まれたばかりの祥蘭を抱く母の祥華と父の洸輝が描かれている
黎音は僅かに目元を和ませた
「私は、白国の母と紅国の父を持つ混血児だ
そして、文州州境の襲われ今は最早ただの草原になっている嘗ての村は、私の屋敷に程近い唯一の村で、そこは祥蘭の、父母が生まれ育った村だ
小さな村でな・・・混血児は珍しく異端で、我が家が代々続く地方の下級とはいえ貴族だったこともあり私を見る村人の目1は優しくなかった
友人の一人も出来なかった私の手を最初に引いてくれたのは、祥蘭の母で祥華だった
祥華は、私が混血児だという事を気にすることなく、貴族に臆することなく私に世界を見せてくれた
朝日が昇るところが好きだと楠を登って見てみたり、紅葉の林に連れて行ってくれたり、雪遊びを一緒にしてくれたり・・・
楽しくて仕方なかった
そして、祥蘭の父、洸輝が加わった
子供とは思えない大きな身体
その割には年と共に随分物静かになったが・・・
三人一緒に過ごした。遊び学び・・・
何年も何年も
ある日、二人が揃いの耳環をして結婚の報告に来たときは驚いたが、嬉しかった
おまけにあの二人、子供の名付け親になって欲しいと頼んで来たんだ
コレにも驚いたが、同じように嬉しかった
あの二人は、村に来るより来易いだろう、と祥蘭が生まれる前にあの家に越したんだ
近くに民家の無い、不便であろうそこだが、三人の暮らしは何時も穏やかで、私も祥蘭が幼い頃は何度か邪魔したものだ
あそこは温かかった
・・・・・・・・・・・・異変に気付いたのは村からあいつ等が出た後だ
冬の間は雪に閉ざされるので気付かなかったが、煮炊きの煙が上がらないのに不審に思った
あの辺りは殆ど山賊の類が出ない
山賊が暮らすには、少し住みにくい場所だったからな
だが、確認に行かせた下男が飛ばした速鷹の報告書を見た時、悪寒が走った
報告書には、村人が半分骨になって見つかった事、複数の足音が文州釜楊方面に向かって山に進んでいる事が書かれていた」
そこで一旦切った黎音は目を一度堅く瞑る
次に目を開けたとき、その瞳には、憎悪が宿っていた
「あいつ等に追いついたとき、洸輝の首に剣が下ろされんとした時だった!!交わった洸輝の視線が!!私は忘れられぬ!!間に入るには、余りに遠かった!!!
私は目の前で!親友の首が飛ばされる光景を見たのだ!!!!」
吼える様に言った黎音
唇を強く噛み、今にも拳からは血があふれそうだった
「間に合えと願った祥華も間に合わず!!!私は気絶した祥蘭を抱え、奴等を殺した。
恩赦の台詞を言った時には腸が捩れそうだった!!
首を刎ね、衣服を剥がし獣にくれてやった」
「・・・・・・何故、祥蘭様を閉じ込めた」
「・・・あれらが目指したものなど知る由もなく・・・偶々目に入った祥蘭の瞳が、怒りと悲しみで金に輝いていたのだ
鳳凰を、狙って来たのだと思った
白国では、裏世界で流れる御伽噺がある
聖獣の肉を食い、血を啜れば、神の眷属になれるというな。
この上、祥蘭まで死なれては私はどうすればいい・・・
家人にも見られること無く祥蘭を長く使われていない石牢に入れ、家人の多くは暇を出した
残ったのは、血の契約をしている下男下女のみ
私は、祥蘭の力が強まれば鳳凰の存在が知られるのではないかと思った
最低限、生き残る程度の食事のみ与えたのは其れが理由だ
声を掛けず、理由を話さなかったのは、私を憎めば憎むほど、生き残ると思ったからだ」
もう疲れた、と言って全て話し終わった黎音に陽は深く息を吐いた
黎音が成したのは黎音なりに祥蘭を守らんとしたものだったが遣り方が悪すぎる
どちらにせよ極刑は免れない
この事を祥蘭に話すベきなのかどうか、陽は悩んだ
祥蘭は、公孫の予見通りならば成熟した精神も持ち合わせているはずだ
ここで内密にしたほうが、将来祥蘭に響く
「・・・・・・・・祥蘭に渡せ」
ひょいっと投げられたモノを慌てて受け止めれば、黎音が大事にしていた絵の入った石だった
「唯一の、家族の顔を知る手段だろう
私は十分見た」
「・・・わかった。今日はこれまでだ
重い口を開いてくれたおかげで漸くあの方の時は動くかも知れん」
「・・・・・・・・・・・・再び止まるやも知れぬぞ。あの子は心が弱いからな」
牢の壁をじっと見た黎音
その目は、切なさを宿す
すれ違いばかりですね、と牢を出て紫白は言った
「勿論、この国の文官長として、鳳凰を王に抱く紅国国民の一人として、黎音がやった事は許しがたい事だと思っているのです
姫様は、ずっと遠い目をしていらっしゃる
囚われたままだというのは、医術に心得の無い私にでも察せる
・・・素人から見ても分かるという事は大問題です
姫様の即位の儀まで残り時間は僅かとなっていますし、悪心ある官がいれば漬け込まれてしまうやも知れません
今迄のように、行かないでしょうね。姫様はお優しい
とても喜ばしいことに。
何事にも熱心でいらっしゃるし私の言葉にもきちんと耳を傾けてくださる
・・・しかしそれは、狐狸の多い政の世界で果たしてどう働くか・・・
・・・・・・・・本当に、儘なりませんね」
重い溜息を吐く紫白に耀明もガリガリと頭を掻く
耀明も紫白もそして陽も、今の地位に来るまでには様々な事を経験している
若く頭角を現すという事はそれだけ妬まれる事に繋がる
特に耀明や陽と違い腕っ節が強ければ強いほど伸し上がれる武官とは違い、文官である紫白は特に妬まれたものだ
三人共に脳裏に過去の苦い思い出が過ぎり大きく息を吐いたのだった
5/19黎音の父親の出身を蒼から紅に