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“め”  作者: 橘樒
6/6

永遠

 館長に礼拝しに行くのは俺と石田の二人だというと館長は悲しい顔もすることなく、ただ


「そうですか」


 と一言だけだった。その後館長は


「少しお待ちください」


 と言ってどこかへ行き、しばらくして数珠のようなものを持ってきた。数珠には数多の小さな傷が刻まれていた。


「ではいきましょう」


 館長の言葉に従い俺と石田は旅館を出る。館長は眼前に広がる山を見つめてから黙って山の方へと歩き出す。その時の館長の手は少し震えていたように見えた。


 館長の後を追って俺と石田は山登りを開始した。山の頂上にある社までは歩きで30分ほどだという。俺たちは館長のゆっくりとしたペースに合わせながら山を登り始めた。正直に言うと俺は昨日の今日でとてつもなく疲弊していたため、館長の歩くペースについていくのにやっとだった。


「山岳信仰は復活したんですか?館長さんのお話を聞く限りお世辞にも多くの旅行客が来られているというわけではないようですが……」


 道中石田が聞いた。


「ええ、その通りです。客足は大分遠くなってしまいました。山ノ目の噂が広まったのかもしれませんね。そうでなくても外観が古ぼけているでしょう。もう直すお金もないんですよ。外観はいわば旅館の顔ですから見てくれが悪いとそれだけでお客様はいらっしゃらなくなります。それに近頃は旅館やホテルも増えましてねえ。いわばライバルに勝てるはずもなく、どんどん人は来なくなっています。ですから山へ参るのは今となっては私が月に一度のものですね。当然山岳信仰も復活することもありませんし、ですからこそ今回このように佐藤様が大変な目に遭われたのだと思います」


「インターネットに旅館の情報がないのはどうしてなんですか?それに宿泊料が異様に安いのも気になります。ライバルホテルなどがあると値段は上がると思うのですが。そうすれば猪後が観光地としても名が知られるかもしれませんし」


「客足が途絶えだしたのは先代の頃からでしたから。インターネットが登場して普及する頃にはもう今と変わらぬような客足なんです。それで情報がないのでしょう。私も年ですから新しいことには弱くて私がホームページを作ったりもできませんで。値段に関してはお客様を満足させれればいくらでもいいのですよ。最悪お金を取らなくてもいいのです。なにせ私の代で廃業させるつもりですから。それにここら猪後をお調べになったのでしたら分かると思いますがライバルと言ったってこの辺からは随分遠い場所ですよ。観光地化するには足りないものが多すぎます」


「お社様はどういったものなんですか?」


「私が山ノ目に取り憑かれてから建てた小さなものです。中には山の命ともいえるような木の新芽を切ったものを祀っております」


 石田は質問しながら相槌を打っていた。以外にもこういった民俗学なんかに興味があるのかもしれない。


そうして山を登り続けて30分。とうとう山の頂上に着いた。周囲にはさらなる深い山々が広がり真上には晴れやかな青空があった。


「絶景でしょう。かつてはこのような場所であふれていたのですよ」


「ええ、そうですね」


 素直な感想だった。あんな悪神がいるとは思えないような絶景だった。確かに昔の人々はこれを見れば山に感謝していたに違いないだろう。


「それにしても急に暑いね。遮るものがないからかな。山の中は少し涼しいくらいだったけど」


 石田の言う通りこれまでの道は8月だというのに暑くなかった。しかしここはかなり暑い。炎天下の直射日光がそのまま降り注いでいる。逆に言えば社の真上に光が降り注いでいることでもあり社は小さいながらも神々しさを放っていた。


「ではお参りをしましょう、私が祝詞を唱えますのでお二人は手を合わせてください」


 俺たちは館長の指示に従い手を合わせる。館長が何やらぶつぶつと呟き始めた。これが所謂祝詞なのだろう。


 手を合わせている間様々な記憶が蘇った。昨日の化け物との記憶、最初に山の目に遭った時のこと、今朝聞いた山岳信仰と神の話……。どれも忘れたい、それでも忘れられない鮮烈な記憶ばかりだった。なぜこうなってしまったのだろうと今になって思う。なぜ俺が山の神に取り憑かれたのだろうかと。なぜこんな旅行になってしまったのだろうかと。


 本当は平和で楽しい旅行のはずだった。誰も何も起こらない、記憶の片隅ある程度の旅行。いつの日かまた四人であんな旅行あったねと笑い合えるような、思い出せるような、そんな旅行にしたかったのに。

後悔なのか自責の念なのか、わけも分からず俺は涙していた。


 館長が祝詞を唱え終わる。不思議と俺だけを見つめて館長が言う。


「お疲れさまでした。佐藤様、どうかなされましたか?」


「ああ……、いいえなんでもないんです」


 俺はそう言う。


「これで終わりですか?」石田が聞いた。


「ええ、普段から私はこうしています。これで安全なのか何が起こるか分かることはありませんが、山への感謝を忘れないことが重要なのではないかと思います」


「そうですか。じゃあ帰ろうか。佐藤君」


「ああ、そうだな」


 こうして俺たちは館長と共に山を下りた。ホテルの前まで着くともう一度館長は山の方を見つめた。そして一礼をした。俺も石田もそれを見て黙って同じようにした。しばらくの静寂の中俺たちは目を閉じていた。


 館長の数珠の擦れる音が聞こえる。俺は音につられて目を開けて、館長の方を見やる。すると館長の目に映る山は異常に赤黒く染まっていた。


 山から下りて旅館へ戻ると太田と長嶋は部屋で荷造りをしていた。一応心霊スポットに行かなくてもいいのか、行きたいなら三人で言ってきてはどうかと聞いたが、太田の返事は


「お前がいないならいいや」

 

 となかなかに嬉しいものだった。


 俺と石田も荷物をもって部屋を出る。


 ガチャン


 ほとんど俺がいなかった308の鍵を太田が締めた。


「なんかいろいろあった旅行だったな」


「災難だったね、佐藤君」


「事実ならだけどな。俺は信じてないから」


「いいよ別に信じなくても、皆には悪いことしたと思ってる」


「そんなこと気にしなくていいのに。変なところで責任感強いんだから」


「まあいいだろ、夜はバーベキューするぞ。俺たちの思い出、取り返そうぜ」


 いつものように俺たちは飄々としながら旅館を後にしようとした。


「誠に申し訳ございませんでした」


 メガネの男性が入り口で謝ってきた。


「いいっすよ、別に気にしてないんで」


「ご不便おかけしましたことお詫び申し上げます」


「いいですって、タダ飯くらってるし、佐藤だけならまあ別に」


「おい、どういう意味だ、長嶋」


 メガネの男性は最後に少し微笑んで、こう言った。


「こういったことを言える立場でもないのですが業務上言わせていただきます」


「またのご利用をお待ちしております」


「二度と来ません」


 俺は即答した。


 笑いながら俺たちは今度こそ旅館を後にする。玄関口から見える山々の中に目はもう浮かんでいなかった。俺は一安心する。


「なんか見えんのか?」


 ニヤニヤしながら太田が聞いてくる。


「やめなよ、トラウマになってたらどうするの」


「なんも見えん、幻覚だったのかもな。全部俺が見た夢ってことでもう解決しようぜ、この件は。引きずるのもやめよう。良い旅行だったって思いだしたいじゃん」


「まあ、佐藤君がそれでいいならいいけど……」


 笑いながら俺たちは車に乗った。帰りは太田が運転してくれるそうだ。口には出さないが俺を労わってのことなのだろう。嫌な経験も大量にしたが、俺はこの四人で旅行に来れて本当に良かったと思った。

その日の夜は計画通りキャンプ場に行きバーベキューをすることができた。いつものように馬鹿騒ぎして笑い合った。その夜は最高の一日だった。



 それから一カ月後のことだった。またいつものように俺たちは木曜日なると集まって飲んでいた。


「いやー先月の旅行も良かったよな」


「結局あの旅館佐藤が呪われたこと以外はまあまあ良かったよな」


 長嶋が言った。


「そういう言い方辞めなって。あの後ちゃんとお参り行ったんだから」


「まあ飯もうまかったし、激安だったし、佐藤一人の犠牲と思えばお釣り来るよな」


 太田も悪ノリしている。酒が入るといつもこうだ。


「最低だなテメー」


「結局あれからなんもないのか?」


「え……。何が?」


「お前がだよ、何も起きてないのかって聞いてんの」


 長嶋が真剣な顔で聞いてくる。あれから思ったがこいつには意外と信心深い一面があるようだ。


「ああ……。なんでもないよ」


「んならいいや、今度どこいく?」


「今度っていつだよ」


「冬休みとか?今度こそUSJいきてー」


 談笑の中俺は静かにジョッキについた結露を見つめていた。


「「「「じゃなー」」」」


 そういって皆と別れる。


 一人で帰路に就く。


 ふと空を見つめると烏が飛んでいくのが見えた。人の顔をした烏だった。


 駅に着く。

 

 電車に並ぶ人たちの中に明らかに人でないものが見える。黒い靄に包まれたその体は現れては消え現れては消えを繰り返している。


 電車を降りる。


 少し歩くと横断歩道の真ん中に泣いている女の子が見える。口元は不自然なほど笑っていた。


 更にしばらく歩くと家に着く。安アパートの扉を開ける。


 ガチャン


 扉の閉まる音が部屋の中にやけに大きく響く。


 まるで一か月前のあの時のように。


 今日俺は嘘をついた。あの大切な友人たちに。絶対に守りたい友情のために。自分を犠牲にする嘘をついた。


 「結局あれからなんもないのか?」


 長嶋の声が頭の中で再生される。ごめんな、皆。なんでもないって嘘なんだ。


 あれから俺は明らかな怪現象や奇妙な出来事に遭遇するようになった。もともと霊感なんてない。契機は間違いなくあの山ノ目だった。


「ただいま」


 一人で呟いてみる。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」


 返事をするように、頭の奥であの声が、響く。


 洗面台に行き手を洗う。鏡を見ると俺の顔半分に山ノ目が浮かんでいる。


 きっと半分は取り憑かれたままなのだ。


 全てが嫌になり、鞄を放り投げてベッドに倒れこむ。


「ぐっ……、うっ……」 


 嗚咽が止まらない。どうして俺がこんな目に遭わなくてはならないのか。あの時にきちんと山にお参りに行ったはずなのに。


 館長が言っていた言葉を思い出す。


「神は気まぐれなのです」


 あんまりじゃないか。気まぐれで取り憑かれてたまるか。ふざけるなよ。


「俺の人生、返せよ……」


 声は誰にも届くことなく部屋に響いた。



 あれから三年が経つ。いまだに怪現象は日常から失せないままだ。俺は精神病院に入院していた。


 誰にも信じてもらえないまま怪現象と共存していくには無理があった。あの日から日に日に俺は疲弊していった。最初は心配してくれていたあいつらも付き合いの悪くなった俺から自然と離れていった。


 それだけではない。就職や卒業という人生の岐路が近づくにつれ皆がばらばらの方向へ進んでいった。


 太田はあのあとメーカに就職したらしい。長嶋は公務員試験に合格し、新しい彼女と同棲を始めたとのことだ。石田は大学院の入学に向けて早々に付き合いをやめて勉学に励みだした。


 そしてこれらのことはすべて石田からのメッセージで知った。石田が大学院に受かったとの報告以来、俺たちのグループLINEは止まっていた。


 あのとき俺が信じた友情はいとも簡単に崩れ去ってしまった。あの日俺が吐いた嘘は誰のためにもならなかった。


「佐藤さん、あの“目”の話はもうやめましょう。ここはあなたを安全に守る場所なんです」


 主治医が言う。未だに誰も山ノ目について信じてくれる者はいなかった。


 病室に戻ると、同室のやつがテレビを見て笑っている。ニュースでどこかの観光地が映った。山だった。一瞬それらしい形が見えた気がして、思わず目をそらした。


 「なんでもないよ」


 あの時ついた嘘を、今でも悔いていない。信じてもらえなくてもいい。俺のせいであいつらまで巻き込まれるのが嫌だっただけだ。


 なのに――なんで俺だけなんだ。その後悔は消えない。


 目を閉じれば、頭の奥であの声がする。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」

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