安堵
「おそらく何事もないと思われますよ」
館長が答えた。
「山ノ目が見えたのは佐藤様だけなのでしょう?そして山ノ目を見たことを言っても信じてもらえなかったと。でしたら恐らくご友人の方々は山ノ目に取り憑かれてはいないと思います。恐らく山ノ目は佐藤様の頭の中に取り憑いたのでしょう。佐藤様が昨日ご覧になったことは全て佐藤様の頭の中の山ノ目が見せた幻覚かと思われます。実際私が取り憑かれた時も怪奇現象などに遭遇したのは旅館の中でも私だけで他の人やお客様は誰一人怪奇現象などには出会っていない、そんなものはいないの一点張りでした」
更に後ろからメガネの男性も続けた。
「無事だと思われます。私は昨日佐藤様を寝かせた後308号室そして307号室にフロントからお電話させていただきました。ご友人の佐藤様が体調が悪いそうなので現在フロントにてお休みいただいております、と。太田様はきちんと電話に出られ、そうですか、よろしくお願いしますと仰られておりました。307号室では石田様がお電話を受け取ってくださいまして、同様のことを仰られておりました」
「そうだったんですか……!ならよかった……」
俺はこの時初めて涙を流した。あいつらが無事だったこと、それが何よりもうれしかった。一日ぶりに安堵という感情を味わった。
「しかし佐藤様には申し訳ありませんが、まだ安心していただくには早いかと思います。本日はやっていただきたいことがございます」
館長はそういった。
「俺がやること……?」
「ええ、それは礼拝です。佐藤様がみた山ノ目、それは山岳信仰から生まれた山の神であるのではないかとご説明しました。そして信仰が薄れたことであのような悪神になってしまったのではないかと。ですから信仰や礼拝を通じて山ノ目のご機嫌を取るのです。今後も取り憑かれないように」
「そのために何かするんですか」
「ええ、あの山の上に小さな社が経ててあります。それは私が設置した物です。私は山ノ目に一度取り憑かれてから山岳信仰についての歴史を学び、結果的に信仰を復活させようと思いました。そのために私が建てたのです。地元の神主の方に協力していただいて山の頂上に社を立て、旅館に来られたお客様に良ければ尋ねてみてくださいとお願いしているのです。それによってかはわかりませんがここ数年は山ノ目に見られる方もおられなかったのですが。取り憑かれてしまった佐藤様、そしてご友人の皆さんは社に向かわれて礼拝されるのがよろしいかと思います」
「その社っていうのは山の頂上にあるのですか?昨日友人たちが散策に言って小さな祠のようなものを見つけたと言っていたんですが」
「おそらくそれではないでしょう。山の頂上に立ててあるものだけが山岳信仰のための社です。まあそのような小さな社もかつてこの地の人々が立てたものでしょうから全く意味がないと言えばそんなことはないと思いますが……」
もはや館長の言葉に疑う余地はなかった。俺だってこのまま怪奇現象と付き合って生きていくのは御免だ。太田たちももしもこんな目に合うことを避けられるならば礼拝ぐらい行っておくべきだろう。
「わかりました。でも、友人たちは山ノ目のこと信じていないんですよ?今日は帰りに廃トンネルによってそのあとキャンプでバーベキューをすると息巻いていましたから。付き合ってくれるかどうか……」
「そこは何とかして説得していただけたらと思います。ですがどうしても断られるようであればそれも仕方がないと思います。全てを話せば長くなりますし、ましてや若い方々には信仰や儀式など胡散臭いものだと思われても仕方がない。まあご友人の方々は山ノ目を見ていないわけですから、まあどうにかなるのではと思います」
館長は急に投げやりになった。それは恐らくここ最近の来館者はほぼ礼拝に言っていないことからの諦観のようなものだろうと思った。まあ俺だってこんな体験をしていなければ怪しんで絶対に行かなかったに違いない。
「投げやりだと思いますか。でも仕方がないのですよ。相手は神であろうものですから。私の憶測もどこまで合っているのかなんて分からないし、これから何が起こるとも分からない。全ては神の掌の上なのです。所詮人の身でできることなぞ限られています。もしもこれから佐藤様の身に何か起きても、ご友人の方に何か起きても、当然私の身に何か起きてもそれは全くおかしくない。神は気まぐれなのです」
館長の言葉はもっともだがやや不気味に感じた。やはり信仰というものは必要であるが危険なものなのだろう。恐らく館長は自身の考えた仮説に絶対の自信をもって信仰でそれを示している。その危うさが俺には不気味に映るのだろうと思った。
「では、ご友人の方々をお呼びしますのでしばらくお待ちください」
男性はそういって部屋を出ていく。
「私もお邪魔でしょう、出ていきます。重ね重ねになりますが、佐藤様この度はご愁傷さまでした。それとまさかとは思いますが、心霊スポット、というかあの廃トンネルには近づかない方が良いと思います」
そういって館長も部屋を出ていった。部屋には俺一人取り残された。館長の話を聞く限り、間違ったことは言っていないように思う。俺は確かに山ノ目を見たし、きっと機能のあれは全て幻覚なのだ。頭の中に何かが巣食う感覚が無くなっているのがそれを現状唯一証明していた。
しばらくして仮眠室に太田たちが入ってきた。
「お前大丈夫か?」
「なんかぶっ倒れたって聞いたけど?」
「やっぱりお疲れだったのかな?それとも飲みすぎ?」
ケロっと何事もなかったように無事そうな太田たちに再び俺は泣きそうになる。
「お前ら……!」
「おいどうしたんだよマジで」
「なんで泣いてんの?」
「いや……。なんでもない……!」
「バグったか?こいつ?」
俺はたった数時間ぶりの再会に涙が止まらなかった。太田たちは困惑していたがそれでもゆっくり見守ってくれていた。泣き止むのに、時間を要した。
「やっと泣き止んだよ、マジで何があったんだよ、これでいつもみたく“なんでもない”ことはねーだろ」
「何かあったんだよね?話してくれる?」
石田がそう聞いて全員が黙った。俺の答えを皆待っているようだった。
結局俺は全て話した。館長から聞いた話も自分が体験した話も感じていた違和感も全て。頭の中で思い出せる限りのことを全て思い出し喋り倒した。途中口を挟んでくる奴は誰もいなかった。
話し終えて数十秒経って長嶋が口を開いた。
「それって……マジ?マジで言ってんの?お前がおかしくなったようにしか聞こえねーんだけど」
長嶋から手厳しい言葉が飛んでくる。
「ちょっと、言い方ってもんがあるでしょ。事実だとしたら相当怖いよ?こんなの。しかもリアリティある話し方だったし、全部が全部妄想とは言い切れないんじゃない?」
石田は半信半疑の様子だったがとりあえず俺の肩を持ってくれるようだった。
「事実だとしたらな。俺には信じられん。そりゃお前が心霊写真を見たとか旅館の情報が出てこないとか近くが山だらけとか、異様に外観がボロい旅館とか、近くに心霊スポットがあるだとか。そんなんは確かに違和感と言えば違和感だけど全部合理でも説明できるじゃんか。というか館長の話だって全部が本当か分かんないだろ。山ノ目?に遭った部分だけ嘘でそのほかの歴史だとかの部分だけ本当とかそういうこともあり得る」
「全然意味わかんねーんだけど、俺だけ?化け物にあったってこと?佐藤が?」
長嶋は太田を無視して言葉を続けた。
「俺は何も信仰とか神とかを否定しているわけじゃない。むしろそういうものが重要だからこそ軽々しく佐藤の話を全部信じるのも館長の言葉を信じるのもどうかって言ってんの」
「意外と長嶋君信心深いところあるんだねえ」
長嶋の言っていることは正しい。俺だってこんな体験してなかったりしたら館長の話は胡散臭く聞こえるだろうし、身の守り方として信仰だのなんだのには近づかないのはもっともだ。ただ俺は実体験と皆を守りたいという気持ちから皆にも礼拝に行ってほしかった。
「つーか化け物に大浴場であったって言ってるけど俺もそのときいたじゃん。俺はなんも見てないぜ?」
太田が聞いてくる。
「だから俺だけが取り憑かれてたんだって。部屋でも話しただろ?」
「してたけどその時も俺見てないから」
「いやだからその時に見たせいで取り憑かれたっていうことなんだよ」
「はあ?じゃあなんでお前だけ取り憑かれて俺はなんもないわけ?そもそもお前俺の顔が山ノ目になったって言ってたけどなってねえし。お前大浴場から帰ってこなかったじゃん」
「え?いや俺は確かに大浴場出た後部屋に向かった。部屋入った瞬間中が薄暗く赤くておかしなことになってたけど」
太田との会話は堂々巡りだ。太田は俺の話は全く信じていなさそうだし、これでは埒が明かない。
「意味わかんね。俺まともだし。佐藤返ってこないなと思ってたらフロントから電話来て佐藤預かってるからって」
「というか俺らも部屋いたけどお前が俺たち呼んだり、部屋の扉叩いたりしてるとこなんか聞いてないぞ。なあ石田?」
「うん……。悪いけど僕も全部は信じられない。実際扉とかは叩かれてないし。電話は僕らのとこにも来たよ。僕が電話取って同じように佐藤君を預かってますからって。まあ全部幻覚だと言えばそうなるけど」
やはり誰も信じてはくれないか。もしも俺が逆の立場だったら絶対に信じないし頭の病院にでも行って診てもらえとかいうだろうし、真剣に聞いてくれただけでもこいつらは優しいのかもしれない。
「結局どうすんの?佐藤の話が本当でも嘘でもどっちでもいいんだけど。つーかそれで何が決まるんだっけ」
「今日の予定な。信仰のために山登りして社にお参りするか心霊スポット行くかどっちかって話だ。バーベキューは夜だから影響無し。最悪焼肉予約して済ますでもいいだろ」
「太田君はどうしたい?」
「そりゃまあ心霊スポットのがいいけど、佐藤が来ないっていうんなら別に山登りでもいいけど。別に心霊スポットも行ければ行くぐらいの気持ちだったし」
「長嶋君は?」
「俺は怪しい信仰とかには御免だね。心霊スポットはまあ別に最悪どうでもいいし言っちゃえばバーベキューもどうでもいいけど、そういうのにかかわるのは御免だわ。行くなら行きたい奴だけで行けよ。俺だけ残る。館長の頼みなんだろ?交渉すればチェックアウトくらいのばしてもらえるだろ」
「なるほどね。で、佐藤君は行くんだよね?お参り」
「ああ、信じてもらえないかもしれないけど俺は実際に体験した身として館長の話に乗る。山の社まで行ってお参りするし、心霊スポットは絶対行かない」
「石田はどうすんの?」
「長嶋君には悪いけど行こうかなと思ってる。僕ビビりだし、全部信じてるわけじゃないけど実際そんな目に合ったらヤダし。それに地元の山登りもまあ興味ないことはないから」
「んじゃあ俺長嶋と残るわ」
太田が意外なことを言いだした。
「行きたきゃ行けよ」
「なんでそんなに不機嫌なんだよ、まあ俺残るから」
太田はやはりこう見えて気遣いができる人間だ。バランサーとでもいうべきだろうか、誰かを一人にさせようとしない。
「じゃあ僕と佐藤君が山登りで太田君と長嶋君が残るってこと?」
「俺はお前らにも行ってほしいんだけど。もう誰もこんな目に合ってほしくないんだ」
「優しいのは結構だがお断りなもんはお断りだ、わりぃな。二人で行ってこい」
長嶋はこうなると強情だ。だいたい意見が対立しても引っ込めようとしない。それどころか頭の回転が速いのでどんどん不機嫌になってどんどん攻撃的になる。
「わかった、じゃあそれでいこう。館長に話付けてくる」
こうして方針が決まった俺たちは太田と長嶋を置いて館長のもとへ向かった。




