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推しの皇太子殿下が眩しすぎてサングラスを外せません。破滅フラグを折ったら求婚されました

作者: 文月ナオ
掲載日:2026/06/01

 

「なんだ、そのふざけた眼鏡は。処刑されたいのか」


 地の底から響くような低音が、私の鼓膜を震わせた。


 私は反射的に背筋を伸ばし、鼻の上に鎮座する黒いサングラスを押し上げる。


 目の前に立つのは、この国で最も高貴で、最も恐れられているお方。


 第一皇太子、オルヴィス・フォン・ローゼンフォーゼス殿下。


 月光に輝く銀髪。

 氷河のように冷たく、けれどあまりにも美しい切れ長の瞳。

 整いすぎた鼻梁と口元は、もはや芸術品というより凶器だ。


 歩く国宝。

 存在するだけで周囲の空気が浄化される、生ける世界遺産。

 そんなお方がいま、ゴミを見るような目で私を見下ろしている。


(っっっっっっかぁぁぁぁぁ……!)


(むりむりむり無理! 生ボイス! 生の罵倒! ありがとう世界! 今日の運勢、大吉を通り越して天元突破なんですけど!?)


 私は心の中で絶叫しつつ、表向きはひたすら恭しく頭を下げた。


「申し訳ございません、殿下。処刑の前に一つだけ弁明をお許しください」


「……言ってみろ」


「これは病気なのです」


「病気?」


「はい。殿下の御尊顔があまりにも眩しすぎて、直視すると網膜と心臓が同時に焼き切れる奇病でして」


 周囲の侍従とメイドたちが、ひっと息を呑んだ。


 当然だろう。

 皇太子の前でサングラスなど前代未聞。しかも言い訳がこれだ。

 不敬罪で首が飛んでもおかしくない。


 だが私は外せなかった。


 なぜなら、前世で給料の大半を公式グッズに注ぎ込み、睡眠時間を削って二次創作を読み漁り、人生の全てを捧げた「最推し」が、いま目の前にいるのだから。


 直視なんて無理である。

 情報量が多すぎて脳が処理落ちする。

 サングラスという物理フィルターなしでは、私のオタク心は三秒と保たない。


 静まり返る廊下。


 処刑宣告を待つ私に、オルヴィス殿下はしばし沈黙したあと、吐き捨てるように言った。


「……好きにしろ」


「へ?」


「俺を見て怯える目も、媚びる目も見飽きた。お前のように、半分見えていないくらいの方がまだましだ」


 そう言って、殿下は漆黒のマントを翻した。


「ついてこい、黒メガネ。茶を淹れろ。ぬるかったら首を刎ねる」


「は、はい! 喜んでぇっ!」


 私は感涙を噛みしめながら、最推しの後を全力で追いかけた。


(聞いた!? 今、『黒メガネ』って呼ばれた! 認知! 推しに認知された!)


 前世の私が聞いたら、その場で昇天していただろう。



 ◇◆◇



 私の名前はチェルシー。

 前世はブラック企業で働く限界社畜、兼、重度の乙女ゲームオタクだった。


 人生最大の楽しみは、乙女ゲーム『悠遠のクロノグラム』――通称『悠クロ』。


 その中でも私が最も愛し、最も拗らせて推していたのが、攻略対象ですらないラスボス、皇太子オルヴィス様だった。


 冷酷無比な暴君。

 ヒロインにも攻略対象にも心を開かず、最後は異母弟である第二皇子に討たれる、悲劇の悪役。


 でも私は知っていた。


 彼の冷酷さは、誰より不器用な責任感の裏返しだということを。

 彼がこの国を愛し、孤独に耐え、誰も信用できない宮廷で一人踏ん張っていたことを。


 ファンブックの開発者インタビュー七行目。

 そこに書かれていた「実は猫が好き」の一文を、私は一字一句忘れていない。


 そんな私が過労死の果てに転生したのが、『悠クロ』の世界。

 しかも、ただのモブメイドとして。


 ならばやることは一つだ。


 サングラス越しに推しを拝み倒しつつ、原作通りの破滅ルートから全力で守る。


 そう、固く誓ったのである。




 ◇◆◇




 オルヴィス殿下付きメイドとしての毎日は、戦場そのものだった。


 殿下は、噂通り恐ろしい。


 人を寄せ付けない威圧感。

 鋭い叱責。

 完璧すぎる仕事ぶり。


 けれど、三日も見ていれば分かった。


 この人は冷酷なのではない。

 言い方が壊滅的に下手なだけで、求めていること自体は驚くほど真っ当なのだ。


 ある日、殿下は決裁書類の束を机に叩きつけた。


「書き直せ。こんな数字遊びで国家予算が組めると思うな」


 文官たちは顔面蒼白。

 けれど私には分かった。


(翻訳:地方への配分が少なすぎる。民が困るからやり直して)


 私は散らばった書類を回収しつつ、修正のあたりを付けたメモを一番下に挟み込む。


「おまとめしました、殿下」


「……黒メガネ。これは誰が書いた」


「紙に最初からついていたのでは?」


「白々しいな」


 そう言いながらも、殿下はそのメモを引き出しにしまった。


 また別の日。


「窓を開けろ。空気が淀んでいる」


(翻訳:煮詰まった。あと庭の薔薇が見たい)


 私は窓を開け、いちばん薔薇園が綺麗に見える位置にカーテンを寄せた。


「……」


 沈黙。

 つまり正解だ。


 さらに別の日。


「全員出ていけ。視界に入るな」


(翻訳:疲れた。甘いものが欲しい。でも人前で食べたくない)


 私は人払いをし、一口サイズのマドレーヌと、濃いめのホットチョコレートを置いて静かに退出した。


 数分後。


「……入れ」


 戻ると、皿は綺麗に空になっていた。


「黒メガネ」


「はい、殿下」


「……今日の茶は、悪くなかった」


 耳が少しだけ赤い。


 私はサングラスの位置を直すふりをして、溢れそうになった感涙を押し込んだ。


(ツンデレッ! いまのは完全にツンデレです! ありがとうございますッ!!)


 そんな日々が続いて、ある日、殿下が不意に問うた。


「なぜお前だけ分かる」


 私は瞬いた。


「……何がですか?」


「俺は何も言っていない。だが、お前だけは、俺が本当に欲しいものを持ってくる」


 サングラス越しでも分かる。

 その瞳は、いつもの冷たさの奥に、ほんの少しだけ不安を抱えていた。


「誰も俺の言葉を聞かない中で、お前だけが裏の意味を拾っている」


 私は一拍置いて、答えた。


「熱心な()()()ですので」


「物好きだな」


 けれどその言い方は、前よりずっと柔らかかった。




 ◇◆◇




 平穏は、唐突に終わる。


 原作イベントが始まったのだ。


 ある日の午後。

 執務室に騎士団長と兵士たちが踏み込んできた。


「オルヴィス殿下。国家反逆罪の容疑でご同行願います」


 その背後に立つのは、異母弟――第二皇子レインハルト。

 『悠クロ』の正ヒーローであり、原作ではここからオルヴィス様を追い落とす。


「兄上。残念です。まさか隣国へ軍事情報を流していたとは」


 机の上に投げ出されたのは、捏造された密書の束だった。


 ああ、来てしまった。

 最推し破滅ルート、開幕である。


 殿下は一瞬だけ目を細め、それから嘲るように笑った。


「……そうか。俺など、初めから不要だったというわけだ」


 抵抗せず、両手を差し出す。


 やめて。


 そんな諦めた顔、見たくない。


 殿下は兵に囲まれながら、ちらりと私を見た。

 唇が、わずかに動く。


『行け』


 巻き込まれるな。

 そう言っているのだ。


 最後まで自分より他人を逃がそうとする、不器用な優しさ。


 その瞬間、私の中で何かが切れた。


(――ふざけるな)


 私の推しだぞ。

 人生を賭けて愛してきた最高最強の推しだぞ。

 それを寄ってたかって悪者にして、あんな顔をさせて――。


「お待ちください!」


 私の声が、執務室に響いた。


 全員の視線が一斉に集まる。


「その密書、捏造です」


 レインハルトの眉が跳ねた。


「メイド風情が何を――」


「風情でも何でも結構です。ですが、証拠ならあります」


 私はエプロンの内ポケットから、分厚い帳面を取り出した。


 業務記録帳。

 兼、オルヴィス殿下観察メモ。

 兼、尊い瞬間の時系列保存ファイル。


「この密書の日付、3月14日午後4時。ですがその時間、殿下は西棟の会計監査室におられました。お茶出し担当は私、同席した会計官三名の署名もここに」


 ページを開き、該当箇所を示す。


 騎士団長が奪うように記録を覗き込んだ。


「次。3月15日夜。隣国の密使と会っていた、とのことですが、その時間、殿下は北庭園で捨て猫に餌をやっておられました」


「な……!」


「証拠写真もあります」


 私は胸元から小さな魔導カメラの印画紙を取り出した。


 そこには、無表情でしゃがみ込み、子猫へミルクを差し出すオルヴィス殿下の姿がしっかり写っている。


 執務室が静まり返った。


「さらに言えば、この密書に使われているインクは、殿下が通常お使いになる宮廷書記局特製のものではありません。香りづけの樹脂が違います」


「香りでインクを判別するな!!」


 思わずオルヴィス様が突っ込んだ。

 良かった。まだ元気がある。


「加えて封蝋の刻印。皇太子府のものは縁に欠けが一つありますが、こちらにはありません。最近作られた複製印でしょう」


 騎士団長が、はっとした顔で封蝋を確認する。


「……本当だ」


「そして極めつけ」


 私はレインハルトを指差した。


「第二皇子殿下。そのジャケットの袖口に、同じ赤インクが付着しています」


 レインハルトがぎくりとした。


「さきほど入室された際、私は見逃しませんでした。ついでに申し上げますが、そのクラバット、結び目が左右非対称です。余裕がない証拠ですね」


「関係ないだろう!?」


「動揺している時ほど、身だしなみは乱れますから」


 勢いが大事だ。

 強火オタクの早口と、推しを守る執念を舐めてもらっては困る。


「裏を取ればすぐ分かります。印章工房の注文記録、宮廷の出入り記録、そして第二皇子殿下付き侍従の小遣い帳。買収に使った金も残っているのでは?」


「し、調べろ!」


 騎士団長が叫ぶ。


 兵士たちが一斉に動き出す。

 レインハルトは蒼白になった。


「ち、違う! 僕は――」


「逃がすな!」


 あっという間に取り押さえられる。


 形勢逆転だった。


 騒然とする室内で、オルヴィス殿下だけがぽかんと私を見つめていた。


「……お前、本当に何なんだ」


 私は胸を張った。


「ただのメイドです」


 そして、ひと呼吸おいて付け加える。


「ただし、殿下のことが好きすぎて、行動記録も生活リズムも嗜好も全部把握している、強火のメイドですが」


「それは()()()ではないだろう……」




 ◇◆◇




 事件の決着は早かった。


 私の記録帳と証言、そして騎士団の裏取りによって、第二皇子派閥による捏造はあっさり暴かれたのだ。


 数日後。


 私は再び執務室に呼ばれていた。


「チェルシー」


 初めて、殿下が私の名を呼ぶ。


 それだけで寿命が五年延びた気がした。


「はい、殿下。お茶のおかわりでしょうか」


「違う。……近くへ来い」


 私は恐る恐る歩み寄る。


 殿下はソファに腰掛け、手元の帳面をとんとん叩いた。


 見覚えしかない。

 私の業務記録帳だ。


「これを、全部読んだ」


「……どこまででしょうか」


「全部だ」


 終わった。


 『北庭園で猫に話しかけていた』も、『夜更けに毛布を一枚増やした』も、『疲れると甘いものを欲しがるが人前では我慢する』も、全部だ。


 私の頭の中を死がよぎる。


「へ、殿下。それは業務の一環と申しますか、愛ゆえの記録と申しますか――」


「変態だな」


「否定はしません!」


 半ばやけくそで叫ぶと、殿下は数秒黙り、それからふっと笑った。


 笑った。


 本当に、自然に。


 その破壊力に、私は椅子ごと倒れそうになる。


「誰も俺を見ようとはしなかった」


 殿下は静かに言った。


「恐れたか、嫌ったか、利用しようとしたか。そういう目ばかりだった」


 澄んだ蒼の瞳が、まっすぐ私を見る。


「だが、お前だけは違った」


 胸が熱くなる。


「情けないところも、みっともないところも、全部見た上で……俺を好きだと言った」


「好きです」


 即答だった。


「世界一、宇宙一、来世まで推せます」


「……重いな」


「強火ですので」


 殿下の耳が少しだけ赤くなる。

 その事実だけで今日も生きていける。


「なら、責任を取れ」


「へっ?」


「俺の恥をあれだけ知って、今さら離れるな」


 殿下が立ち上がり、すっと距離を詰めた。


 近い。

 近い近い近い!


「一生、俺のそばで俺を見ていろ」


 それは命令口調だった。

 でも、その奥には不器用な懇願があった。


「……それって」


「求婚だ」


 世界が止まった。


 待って。

 推しから。

 求婚?


「黒メガネも没収だ」


「えっ」


「俺の前でだけは、そんなものはいらない」


 そう言って、殿下の手が私のサングラスにかかる。


「ま、待ってください心の準備が! というか遮光フィルターなしだと情報量が――」


「慣れろ」


 するりと外された瞬間、視界いっぱいにオルヴィス殿下の美貌が飛び込んできた。


 まぶしい。

 尊い。

 近い。

 息が止まる。


「――っ、むり……」


「無理ではない」


 殿下が私の腰を支えた。


「お前には、俺だけ見えていればいい」


「それ、普通に独占欲強めの発言では!?」


「今さらだ」


 言い切られてしまった。


 そして次の瞬間、落ちてきた口づけは、予想よりもずっと優しかった。


 冷たい人だと思っていた。

 でも違った。


 不器用で、優しくて、少し臆病で。

 そしてどうしようもなく、愛が重い。


(神様。転生してよかったです……)


 私は目を閉じたまま、心の中で盛大に土下座した。




 ◇◆◇




 こうして私は、不審者サングラスメイドから、皇太子妃候補へとジョブチェンジした。


 サングラスは没収された。

 代わりに、殿下専用の魔導師が作った薄い色付きの眼鏡を与えられた。


「殿下の美貌で失神されては困るからな」


 とのことらしい。

 優しい。重い。好き。


 ちなみに、婚約後のオルヴィス殿下は、想像以上に面倒くさかった。


「チェルシー、どこへ行く」


「給湯室です」


「三分以上かかるか?」


「かかりません」


「なら二分で戻れ」


「無茶です」


 ある日は。


「チェルシー、その書類は後でいい。先にこっちを見ろ」


「殿下、いま決裁中です」


「俺の方が重要だ」


「その発言、仕事のできない上司の典型例ですよ」


 ある日は。


「今日は北庭園へ行かないのか」


「猫ちゃんのことですか?」


「……そうだ」


「では、お仕事が終わったらご一緒します?」


「最初からそう言え」


 冷徹皇太子の仮面はどこへ行ったのか。

 いまや彼は、私にだけやたらと構ってほしがる、独占欲強めの不器用な婚約者である。


 でも、そんなところまで含めて、私はこの人が好きだ。


 推しが現実になった日々は、網膜にも心臓にも多大な負荷をかけてくる。

 けれど、それ以上に幸せだった。


 今日もまた、私は薄い色付きの眼鏡越しに、最愛の推しを見つめる。


 もう、サングラスで隠す必要はない。


 だってこれからは、命尽きるまで堂々と、彼の隣で推していける。

 推しではなく、私だけの人になった彼を。

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