Route:056『雪解けの泥と洗車』
雪解けの道路を走り抜ける。
タイヤがシャーベット状になった雪と土を巻き上げ、バシャバシャと音を立てていた。
「……快晴だねぇ」
「ん。季節的にも3月。そろそろ冬の終わりが見えてくる」
「だね」
――2224年3月。
いつものように『ポラリス』を走らせながらルナと話す。
路肩に積み上げられた雪はまだ高いけれど、アスファルトの上は黒々と濡れていて、確実に春が近づいているのを感じる。
ただ、気温はまだ低い。
「でも寒いね。日差しはあるのに」
「ん。記録によれば、かつての3月はもっと暖かかったはず」
「だよねぇ。東京とかじゃ、もう桜の便りとか聞こえてくる時期だった気がする」
人間という熱源を失った地球は、やはり少しずつ冷えているのかもしれない。
それでも、真冬の突き刺すような痛みは和らぎ、空気には湿り気を含んだ柔らかさが混じり始めている。
「あ、あそこ。コンビニの廃墟」
「あ、本当だ。駐車場も広い」
泥だらけの国道沿いに、見慣れた看板を見つけた。
私たちは休憩のためにウインカーを出した。
「……うわぁ」
車を降りて、まずは愛車の惨状に苦笑する。
銀色に輝いていたはずの『ポラリス』は、下半分が茶色い泥まみれになっていた。雪解け水と土埃のコーティングだ。これぞ旅の勲章、と言えなくもないけれど。
「とりあえず、中に入って休憩しよっか」
「ん。賛成」
私たちは泥を落とさないように気をつけながら、コンビニの店内へと入った。
自動ドアはスムーズに開き、チャイムの音が鳴る。ここもまた、電気が生きている「営業中」の廃墟だった。
商品は散乱し、床には埃が積もっているけれど、レジ横のホットスナックのケースには明かりが灯っている。
そして、そのガラス面に貼られた一枚のポップが、私の目を釘付けにした。
『今だけ! 中華まん全品20%引き!』
手書きのポップ。可愛い豚のイラスト。
色褪せたその紙切れだけが、あの日から時を止めていた。
誰かが一生懸命書いて、貼ったんだろうな。仕事帰りのサラリーマンや、部活帰りの学生が、これを見て肉まんを買っていったんだろうな。
今まで何度も見てきた景色だ。
でも、季節の変わり目のせいか、今日は妙に心に刺さる。ここには確かに、日常があったのだ。
「……」
「ルナ?」
「だいじょうぶ?」
ふと、温かい感触がした。
隣に立つルナが、私の手をぎゅっと握ってくれていた。心配そうな金色の瞳が、私を覗き込んできていた。
「あ、ごめん。大丈夫。ちょっとしんみりしちゃって」
「ん。……わたしがいる」
「うん。そうだね」
私はルナの手を握り返し、深呼吸をした。
過去のこと思い浮かべるのもいいが、今、こうして2人で居る、この時代。過去に思いを馳せるのはほどほどでいいだろう。たまにでいい。未来、今が大事だ。
「よし! ルナ、提案があります!」
「なに?」
「洗車しよう!」
私は窓の外、泥だらけの『ポラリス』を指差した。
「春を迎える前に、一年の汚れを落とそう。このコンビニ、外に水道があったはず」
「ん。……水、出るかな?」
「電気生きてるし、井戸水ポンプならいけるかも」
確認してみると、駐車場の隅にある散水栓からは、勢いよく水が出た。
冷たい雪解け水だ。
「つめたっ!」
「ん。……修行」
私たちは袖をまくり上げ、スポンジとブラシを手に取った。
冷たい水に悲鳴を上げながら、車体の泥を洗い流していく。タイヤのホイール、バンパーの裏側、そして曇った窓ガラス。泥水が流れ落ち、下から本来の銀色のボディが現れる。
「あはは、ルナ、顔に泡ついてる」
「……ユキのせい」
ルナがホースの先を私に向けて、冷たい水をかけてきた。
わーわーと騒ぎながら、私たちは全身びしょ濡れになって車を磨き上げた。
一時間後。
『ポラリス』は新車のようにピカピカに輝いていた。水滴が春の日差しを反射して、キラキラと光っている。
「きれいになったね」
「ん。気持ちいい」
かじかんだ手をお互いに温め合いながら、私たちは満足げに愛車を見上げた。
泥を落とせば、心も少し軽くなる。
「さあ、行こうか。春を探しに」
「ん!」
私たちはピカピカの『ポラリス』に乗り込み、南へのアクセルを踏み込んだ。バックミラーの中で、中華まんのポップが小さく手を振っている気がした。
(続く)




