Route:055『終末のバレンタイン』
――2224年2月14日
朝、スマホのディスプレイに表示された日付を見て、私は思わず口元を緩めた。
「ふふ」
「どうしたの? 朝からご機嫌」
コーヒーを淹れていたルナが、不思議そうにこちらを振り返る。
「いや、今日は特別な日だなって」
「特別?」
「うん。今日は2月14日。何の日か分かる?」
私が勿体ぶって聞くと、ルナは少し考えてから、ポンと手を叩いた。
「……あ、バレンタイン」
「正解!」
かつて人類がいた頃、この日は国中で甘い香りが漂う日だった。
好きな人にチョコレートを贈り、愛を告白する日。女性から男性へ、というのが日本の通例だったけれど、今はそんな性別の垣根も、相手もいない。
あるのは、ここにいる私たち二人だけ。
「誰もいないこの世界に、チョコレートを売ってくれるデパートはないしねぇ」
「ん。あったとしても、とっくに賞味期限切れでカビてる」
「夢がないこと言わないの」
まあ、事実だ。
手作りのチョコレートケーキでも焼いてあげたい気持ちはあるけれど、小麦粉やバター、砂糖といった製菓材料を揃えるのは至難の業だ。
基地で見つけたレーションの中には調味料もあったけれど、お菓子作りに特化したものはなかった。
「……だから、今回はこれを使います!」
私は棚の奥、一番大切な場所にしまっておいた箱を取り出した。
以前、基地の冷凍庫で発掘した宝物。『携行型食糧Ⅲ-S型』だ。
「とっておきのType-B(洋菓子セット)。今日はこれを解禁しよう」
「おー……ガトーショコラ」
ルナが目を輝かせる。
貴重な食料ではあるけれど、私たちは普段から消費量が少ないし、回収ペースのほうが上回っている。たまの贅沢くらい、バチは当たらないだろう。
「そのまま食べても美味しいけど、今日はひと手間加えます」
私は真空パックからガトーショコラを取り出し、耐熱皿に乗せた。そして、電子レンジで数十秒だけ温める。
チーン、という音と共に、濃厚なカカオの香りが車内に充満した。
「はい、フォンダンショコラ風」
「ん……いい匂い」
中がとろりと溶けて、まるで焼き立てのような艶が出ている。フォークを添えてテーブルに出すと、立派なカフェのメニューみたいだ。
「ハッピーバレンタイン、ルナ」
「ん。ありがと、ユキ」
ルナは嬉しそうにフォークを入れ、とろけるチョコを口に運んだ。
「……んっ。美味しい」
「でしょ? 基地のパティシエさんに感謝だね」
「甘くて、温かい」
幸せそうに頬を緩めるルナを見て、私も満足感でいっぱいになる。手作りじゃなくても、気持ちは伝わったみたいだ。
すると、ルナが自分のフォークにチョコをたっぷり乗せて、私に差し出してきた。
「ユキも」
「え?」
「あーん」
「……あーん」
パクり。
濃厚な甘さが口いっぱいに広がる。自分で食べるよりも数倍美味しく感じるのは、きっとルナのおかげだ。
「……来年は」
ルナが口元のチョコを指先で拭いながら言った。
「材料、探そう。小麦粉とか、カカオマスとか」
「え、手作りするの?」
「ん。ユキのために、わたしが作る」
「おー! それは楽しみ」
来年の話をすると鬼が笑うと言うけれど、この世界には鬼もいない。未来の約束ができることが、何よりのプレゼントだ。
「じゃあ私も、来年は腕によりをかけて作るよ」
「ん。楽しみにしてる」
私たちは甘いチョコとコーヒーで、廃墟のバレンタインを祝った。外はまだ雪景色だけれど、春はもうすぐそこまで来ている気がした。
(続く)




