Route:046『Side:L / 観測者が掌握した目(衛星)』
「むぅ」
「どうしたの、そんな可愛らしい顔して」
「……茶化さないで」
「あはは、ごめんって。で、どうしたの?」
私が眉間に皺を寄せて唸っていると、運転席からユキが楽しげに聞いてきた。
可愛らしい、なんて。
真剣に悩んでいるのに、この人はいつもこうだ。
「……ハッキング完了。衛星を乗っ取った」
「うん。それで?」
反応が軽い。
高度2万キロ上空にある国家予算レベルの塊を、いま私が手玉に取っているというのに。まあ、ユキにとっては「いつものこと」なのかもしれないけれど。
「既に、この衛星はわたしの手のひらにある」
「……なんか、悪の組織の幹部みたいなこと考えてない?」
「ない」
「そう?」
「そう。わたしは正義の味方」
「まあいいや。それで、我が愛しの姫君は何をむくれてるので?」
姫君。
またそうやって、恥ずかしげもなく甘い言葉を投げてくる。心臓に悪い。でも、その響きに心地よさを感じてしまう自分が悔しい。
「……今まで、地理データをアップロードしてた衛星」
「あ、言ってたね。バグってるやつ?」
「ん。それを完全に掌握した」
「え……それはすごい、と言えばいいのかな」
「褒めてもいい」
「すごいすごい(棒)」
「む。……ちょっと棒読み」
「雪だるまの時のお返し」
「むぅ……」
ユキのおバカ。根に持ってる。私は気を取り直して、タブレットの画面をユキに見えるように掲げた。
「結論から言うと……何もなかった」
「何も?」
「ん。物理的な損傷も、システム的な障害もなし。あの乱雑なスパゲッティコードも、単にプログラマーの癖が酷かっただけ」
拍子抜けだ。
何者かによる妨害工作や、未知のウイルス感染を疑っていたのに、ただの「仕様」だったなんて。
日本製の情報収集衛星。機体名は不明だけど、ハードウェアの作りは驚くほど精密で頑丈だ。さすが高品質な日本製品。人類が滅んでも壊れない。
「ほうほう。まあ、日本の技術力は変態的だからね」
「ん。否定はしない」
私は管理者権限を行使して、衛星の姿勢制御スラスターにコマンドを送る。カメラのレンズを、地球――日本列島へと向けさせる。
「地名データは破損してるけど、リアルタイムの光学映像なら見れる」
「おー! 宇宙からの眺め!」
画面に映し出されたのは、青い海と、細長い緑の島国。
雲の切れ間から見える地形は、見知った日本列島そのものだ。
「これだけ見ると……普通の日本だね」
「うん。特に他の大陸と繋がっている感じもないみたい」
「大陸移動とか、地形が変わるほどの大災害は起きてない」
それは安心材料であると同時に、謎を深める要素でもある。世界は壊れていない。ただ、中身(人間)だけが空っぽになった。
「……むぅ。痒いところに手が届かない」
「もっと拡大できないの?」
「無理。この衛星のカメラは、あくまで広域監視用。地上の看板の文字を読んだり、人を探したりするほどの解像度はない」
軍事用(スパイ衛星)ならもっと高解像度だろうけど、近くにリンクできる機体は見当たらない。
結局、宇宙から見ても「誰もいない」ことは分かっても、「なぜいないのか」は分からないままだ。
徒労感。
期待していた答えが得られず、私は小さくため息をついた。
すると、ふわりと温かいものが頭に乗った。
「まあまあ、そんな時もあるよ」
ユキの手だ。
優しく、子供をあやすようにポンポンと撫でてくる。
「ん……」
「衛星からのリアルタイム映像が見れるだけでも、かなりの進歩でしょ? これで天気予報もバッチリだし」
「……そうだけど」
「それに、ルナが頑張ったのは私が一番知ってるから」
その言葉と、手のひらの温度が、強張っていた心を溶かしていく。
ずるい。
こんなことされたら、何も言えなくなってしまう。
謎は解けなかった。
世界は依然として不透明なままだ。でも、隣にユキがいて、こうして触れてくれるなら、それだけでいい気もする。
「……ん。ありがと」
私は少しだけ目を細めて、その心地よい感触を受け入れた。
宇宙の果てにある冷たい衛星(機械)よりも、今ここにある体温のほうが、わたしにとっては遥かに確かな真実だった。
(続く)




