Route:004『緑の海原、風の展望台』
「わぁ……」
助手席の窓に張り付くようにして、ルナが声を漏らした。
普段は無表情に近い彼女だけれど、今はその金色の瞳がキラキラと輝いているのが分かる。どうやら、ここまで登ってきた甲斐があったみたいだ。
「終わった世界とは、思えない景色だね」
「うん……綺麗」
廃駅を抜け、無人の町を通り過ぎた私たちは、今、山の中腹にある展望台――かつてはドライブインだったと思われる場所――に『ポラリス』を停めていた。
ここに来るまでの道は、正直かなり険しかった。
舗装された観光道路だったはずの場所は、アスファルトの割れ目から太い木の根が隆起していて、何度も車体がガタンッと大きく揺れた。
森というより、ジャングル。
道路標識は蔦に絡め取られ、ガードレールは錆びて崩れ落ちていたけれど、キャンピングカーの悪路走破性のおかげでなんとか辿り着けたのだ。
車を降りると、爽やかな風が頬を撫でる。
空は突き抜けるような快晴。
カレンダー上はもう夏、梅雨入りしていてもおかしくない時期なのに、不思議と蒸し暑さは感じない。
「空気が澄んでる気がする」
「ん。工場の排煙も、車の排気ガスもないから」
人間がいなくなったことで、地球のエアコン機能が正常に戻りつつあるのかもしれない。
錆びたフェンス越しに見下ろす景色は、圧巻だった。
眼下に広がるのは、圧倒的な「緑」だ。
かつて人間が住んでいた町は、森に飲み込まれていた。
ぽきりと折れて倒れた高層ビルや、へし曲がった送電鉄塔が、まるで緑の海原に沈む沈没船のように見える。
コンクリートの墓標を、蔦と葉が優しく覆い隠していく過程。
それは残酷だけれど、涙が出るほど美しかった。
「これから、この世界ってどうなるんだろうね」
「このまま……ずっと誰も居ないまま、森に還っていくのかな」
「そうかもね」
地球という惑星は、しぶとく残り続けるだろう。
そして長い月日をかけて、私たちの痕跡を分解し、元の姿に戻っていく。自然の治癒力というのは物凄いものだ。
「私たちが居たっていう事実は、消えてしまうだろうけどね」
「ん……」
「誰も語り継いでくれない歴史なんて、存在しないのと同じだもん」
ルナが少し寂しそうに眉を寄せる。
そんな顔をさせたくて言ったわけじゃない。私は努めて明るい声を出した。
「でもさ、逆に言えば新たな生命が生まれるチャンスかもよ?」
「新たな生命?」
「そう。私たちが恐竜のあとに出てきたみたいにさ。次はもっと賢くて、環境に優しい種族がここからの景色を見てるかも」
「……キノコ人間とか?」
「ふふ、なにそれ。ありそう」
ルナの独特なセンスに笑いながら、私はキャンピングカーのサイドオーニング(日除け)を広げた。絶景を前にして、少し遅めのランチタイムといこう。
今日のメニューは、先日通過した自衛隊駐屯地跡で拝借した戦闘糧食。中身はクラッカーと、レトルトのシチューだ。
味は……まあ、贅沢は言えない。
「食料、まだ余裕ある?」
固いクラッカーをコーヒーで流し込みながら、ルナが聞いてくる。
「うん、まだコンテナ二つ分はあるかな。自衛隊のご飯は長持ちするし、種類も豊富で助かるよ」
「ん。でも、これ飽きた」
「贅沢言わないの。贅沢は敵だよ」
そうは言いつつ、私もそろそろフルーツの缶詰か何かが恋しい。
私たちの食事は、基本的に一日二食。動かない日はもっと減らすこともある。
町に残されたスーパーや倉庫から、賞味期限の長い缶詰や乾パンを回収して食いつなぐ日々だ。水は浄水装置があるからなんとかなるけれど、食料は有限だ。
定住して畑を耕す、なんて選択肢もあったかもしれない。
でも、私たちは旅を選んだ。
一か所に留まっていたら、世界がどこまで続いているのか分からないまま、二人だけで腐っていくだけのような気がしたから。
「この山を抜けたら、どこに出るかな」
「地図データだと……少し大きな地方都市があるはず」
「お、いいね。スーパーとか残ってるといいな」
デザートのフルーツ缶と、あわよくば新しい服も見繕いたい。
「めぼしいものがあったら回収しよっか。まだ積載量には余裕あるし」
「ん。りょーかい」
最後にもう一度、眼下の緑の海を目に焼き付けてから、私たちは片付けを始めた。
文明は滅んだけれど、風は気持ちいいし、お腹も満たされた。
今はそれだけで十分だ。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「ん」
エンジン音とともに、『ポラリス』がゆっくりと動き出す。
次はどんな景色が、私たちを待っているんだろう。




