Route:039『雪の回廊と温泉への誘い』
「ねね、ルナ」
「ん?」
青森県に入ってから数時間が経過した。
海沿いの道を離れ、内陸へと進路を変えると、景色は再び白一色に染まり始めていた。ハンドルを握りながら、私はふと思い出したことを口にする。
「青森ってことはさ、有名な温泉があるよね。なんだっけ、すかず? すかお?」
「……もしかして、『酸ヶ湯』?」
「そう、それ!」
私が指を鳴らすと、ルナが呆れたようにタブレットを表示させた。画面には、木造の巨大な湯船の写真が映し出されている。
「確か、豪雪地帯に位置する温泉旅館で、観光地としても有名だった気がするんだよね」
「ん。八甲田山にある『酸ヶ湯温泉』。国民保養温泉地第一号」
「へぇ、すごい称号。……行ってみたいと思わない?」
私が提案すると、ルナが少し考え込むように口元に手を当てた。
「ん……ん……」
ルナが悩んでいる。
衛生面やリスクを考えているのかもしれないけれど、我慢しなくてもいいのだよ、ルナさん。
温泉というのは、日本人(たとえ文明が滅んでいても)であれば惹かれて当然の魔力を持っているのだ。
「シャワーばかりじゃ、味気ないと思わない? 広いお風呂で、手足を伸ばしたくない?」
「ん。それはそう。お風呂は正義」
「でしょ!」
節水のために毎日は浴びていないし、シャワーブースは二人で入るには(密着できて嬉しいけど)やっぱり狭い。
本能が「湯船」を求めているのだ。
「お湯に身体を浸からせて、癒やされたくない?」
「ん……行く」
その言葉がとどめになったのか、ルナが頷いた。
「でも、無事とは限らないけどね」
「そうなんだよねぇ」
期待は高まるけれど、問題はそこに行けるかどうか、そして施設が生きているかどうかだ。
青森に入ってから、雪の勢いは増している。東北地方、特にこの八甲田山周辺は、世界でも有数の豪雪地帯だ。
窓の外を見れば、道路の両脇には除雪された雪(といっても、自然に積もって風で削られたものだろうけど)が高い壁を作っている。いわゆる「雪の回廊」になりかけている。
北海道にいた時と景色は似ているけれど、雪の量と圧力が違う気がする。
「外気温、マイナス1度」
「相変わらずの氷点下だね」
やはり地球は、人間がいなくなった影響で寒冷化しているのかもしれない。
この寒さの中で、温泉が湧き続けているのか、配管が凍結していないか。不安要素はある。
「どうせ急いでる旅じゃないし、ダメ元で行ってみない? もしやってたらラッキーくらいの気持ちで」
「ん。ユキがそう言うなら。……それに、AI管理の可能性も高い」
ルナがタブレットを操作しながら補足する。
「有名な観光地なら、温度管理や湯量の調整は自動化されていたはず。地熱発電があれば、電源も落ちていないかも」
「機械はヒューマンエラーを起こさないもんね」
「ん。メンテナンスフリーで数十年稼働するシステムもある」
期待値が上がってきた。
機械たちが主人の帰りを待ちながら、適温の温泉を守り続けている。そんな健気な光景を想像すると、少し胸が熱くなる。
「じゃあ行ってみようか。雪山登山だ!」
「ん。ナビゲーションシステム、オンライン」
「ナビって役に立つ?」
「ないよりはマシ。……ただ、積雪で道幅が変わってるから注意して」
「りょーかい」
地図データは古くても、地形データは生きている。
『ポラリス』の走行モードを「スノー・ディープ(深雪)」に切り替える。
タイヤがグリップ力を増し、頼もしい駆動音を上げた。
山道を登るにつれて、周囲の木々が奇妙な形に変わっていく。
雪と氷が木に張り付き、大きく成長した「樹氷」――通称、スノーモンスターだ。白い怪物たちが並ぶ道を、銀色のキャンピングカーが突き進む。
「すごい景色……」
「ん。異世界みたい」
雪は降っているけれど、視界を塞ぐほどではない。
これなら行ける。
待っててね、酸ヶ湯温泉!
冷え切った私たちの身体を、その歴史あるお湯で温めてほしい。日本人故のDNAが、温泉を求めてうずいていた。
(続く)




