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愛車

作者: みれと えみ

土曜と愛車と私

土曜の朝、公園に行こうと久しぶりに愛車のカバーを外した。


だが、リモコンキーを押しても愛車は反応しなかった。ドアロックすら解除されなかった。


「このままディーラーさんに行った方がいいかもしれませんよ」


大型ガスコンロを思わせる分厚い黒のバイクで駆けつけたロードサービスの青年は、眉毛を線にして描いていた。到着して作業を始めてもらって20分。その前に、私は青年を5分弱待たせてしまった。


 今朝、愛車に起こったことは極めてシンプルだった。バッテリーが上がってしまって、エンジンが掛からなくなった。3ヶ月一度も乗らなきゃ、当然だった。自分自身を責めながら後ろめたい気持ちで、車両保険のサポートセンターに電話した。丁寧な言葉遣いの、女性の交換手さんだった。


「いま現在、お客様は安全な場所にいらっしゃいますか?」マニュアル通りの声がけなのだろうが、正直胸に染みた。自宅敷地内の駐車場にいると答えた。そして、私は安全な場所にいるんだろうか、と足元に目を落とした。ここ3ヶ月ほど、私は疲れていた。余裕がなかった。多忙な仕事、半世紀を迎えた加齢、冷めた家庭、芳しくない健康診断の結果、どれが原因かわからなかった。どこから始まって、なぜこうなってしまったのか。わからない。でもそんなものでしょう?って思うのは私だけなのかな? 絡み合ってない問題なんてあるの? もうどうでもいい、と吐きたい。疲れているってそういうことなんだ。きっと。


 交換手の女性は、「担当から電話させますので一旦お電話を切って待ちください、20〜30分で連絡が来ると思います」、と待ち時間について申し訳ございませんと穏やかな口調で説明してくれた。実際、私は20分も待たず、担当者は10分後に電話をくれた。


「いま、安全な場所にいますか? バッテリーですね。リモコンキーは反応しますか?車内には入れますか?」人の良さそうな、でも丁寧な口調と声色の男性だった。私は再び、安全な場所(自宅前の敷地内駐車場)にいることを伝えた。リモコンキーは反応しないが、アナログ式の車の鍵で車の中に入れたこと、鍵を差し込んでも愛車はウンともスンとも応えてくれないことを伝えた。


「お話を聞いていると、おそらくバッテリーですね。リモコンキーの電池切れではない気がします」


「そうですか…。鍵を回してもパネル表示も何も反応しないんです。リモコンキーの電池切れとバッテリーの両方、もしくはバッテリーだけの問題、ふた通りの可能性って考えた方がいいですか?」


「うーん、お話伺っていると、バッテリーですね」


そうですか、私のため息の後に、男性の担当者は穏やかに伝えた。


「2時間以内には現地に対応できるスタッフが到着します。到着時間が分かり次第、連絡が行きますから。2時間以内には必ず」


分かりました、と応えて、私は近所の商店街にある金物屋に急いだ。ボタン型の電池と、リモコンキーの外蓋を開けるためのマイナスドライバーを買いに行かなければと走った。リモコンキーではなく、バッテリーの可能性が高いとは言われたが、ロードサービスの方が到着する前に、私側の鍵由来のトラブルではないことを明らかにしておいた方が良いと判断した。スタッフさんがきて、これ、鍵の電池が原因ですね、と迷惑をかけたくなかったし、中古で愛車を購入してから4年、リモコンキーの電池替えをしたことがなかった。それは私が不器用だから、月に2回も車に乗らないから、面倒くさかったから、そもそも電池交換の仕方を知らないから、夢だったスポーツカーを購入してまだ自分がオーナーである自覚を持ててないから。全部が理由だった。


「とりあえず、開けてみましょうか」

金物屋で、おそらくリモコンキーの外蓋に合うであろうマイナスドライバーを片手に、店主が開け方を私に尋ねた。私はYoutubeでリモコンキーの電池の開け方を検索し、動画を店主に見せた。最寄りの商店街の金物屋は、なんでも取り扱っているし、親切で押し売りもしない人だった。


 でも、まずお会計を済ましますよ、と私が言っても、店主は会計前にマイナスドライバーのパッケージを半開きにして、動画通りの手順で電池替えをしてくれた。ドライバーのサイズが合わなかったら他のサイズもありますから、と言いながら器用にドライバーを蓋に引っ掛けた。


「プラスチックの蓋って、下手に道具で触って割れたらどうしようって怖くなりますよね」


店主は器用に電池交換を終えると、私に笑顔を向けてくれた。かっこいい!すごい!ありがとうございます!と私が礼をすると、レジの後ろでアルバイトの女性が笑った。


「カッコイイだって。これで店長、一日上機嫌ですね」


店主は言葉は発さず両肩だけ上げて見せて、アルバイトの女性の言葉に応えた。


私は電池とマイナスドライバーを購入して、金物屋からすぐ近くのパン屋に入った。2時間待つ可能性と、愛車は直るのかしら、という不安で頭がクラクラしていた。何か食べないともたない、間違いない。それに、無事愛車のバッテリーが充電されて復活したら、そのまま公園でジョギングしに出かけるつもりだった。とりあえず朝ごはんがわりに何か食べたかった。メロンパンをトレーに乗せてクロワッサンを見つめていたら、スマホが鳴った。


「すみません、ロードスタッフの者です。近くまで来たんですけど、ご自宅が見当たらなくて。目印ってありますか? 車は何色ですか?」


スタッフ到着まで2時間も掛からなかった。2時間以内どころか、20分かかってないと思う。スタッフの方はすでに私の自宅近辺に到着したようだった。


「ごめんなさい、行かなきゃいけなくて、キャンセルして、戻していただてもいいですか?」


私はパン屋の店内にいた女性に声をかけて謝った。ごめんなさい、また必ず来ますと頭を下げると、走って自宅に戻った。店員の女性はトレイごと笑顔で引き受けてくれた。また必ず来ます!と告げて、電話先のロードスタッフの方に走って向かいうと伝えた。


「走らなくていいっすよ。待ってるんで」


電話の向こうでスタッフの方に声がけしていただいただきながら、私はすみませんと謝った。そして、愛車の色と家の色や形、目印になるお向かいの家のバラのアーチの説明をした。


 ここまでが、ロードサービスのスタッフさんに会うまで。


線状に眉毛を描いたロードサービスの青年は、獰猛な図体のバイクに積んだ機材を運んで、愛車のボンネットを開けると、手早くスターターの電極を愛車に繋いだ。そのまま約10分間、充電して再度愛車のバッテリーにワット数を確認すると、ああ、ダメだ、と青年は漏らした。


「このままディーラーさんに行った方がいいかもしれませんよ」


真剣な声で私に話しかけた。線状眉毛青年曰く、充電する前と後で、顕著にはワット数が上昇しなかった。おそらくバッテリーの寿命だろうと教えてくれた。


「まだバッテリー交換して二年ちょっとですよ?」三〜五年くらいは保つだろうと交換時にディーラーから説明を受けていた。


「どのくらいの頻度でお車に乗られてましたか?」


月に2回程度と私が答えると、線状眉毛はなだめるように、そうですかと説明を続けた。


「バッテリーの寿命って、週に1回1時間以上乗ることを前提に、使用期間を謳ってるんですよ。 月に2回の頻度だと厳しいかもしれません。ちなみに最後に動かしたのはいつですか?」


3ヶ月前ですと答えると、私は最寄りの正規ディーラーに電話をかけた。


「よかったら、ぼく、ディーラーさんに説明しましょうか?」


素直に甘えて、私はスマホを線状に渡した。


「このまま、今エンジンがかかった今のこの状態のまま、ディーラーさんまで向かってください。エンジン切らない限り、お車は動くと思います。エンジン切ったらちょっと怖いかも。エアコンも切って、屋根も開けずに、ただただディーラーさんを目指してください。そうだ、アイドリングもオフにしてくださいね」


アイドリングオフするのってどのボタン?と線状に聞いて設定してもらった、そのまま車庫から愛車を安全に出庫するための誘導までお世話してもらい、私は家を後にした。


 今日、私に何かのバチでも当たっているのだろうか?


 ある晴れた土曜の朝に、100パーセントのコーディネート具合のスポーツウェアを着て久々に公園に行こうとしたら、愛車が動かなかった。サポートデスクに電話して、ロードサービスを呼んで、リモコンキーの電池替えに走り、金物屋の店主に助けられ電池交換を終わらせると、自宅まで走った。ロードサービスの眉毛が細い線で描かれた青年にバッテリー充電をしてもらうが、寿命ですと宣告されバッテリー交換のために、いま吉祥寺方面に向かっている。ちなみに、ディーラーとの電話で、バッテリー交換の見積もりを聞いた。7万円。


 今日、私に何かのバチでも当たっているのだろうか?


私が何した?


 空は秋晴れで、道路は行楽に向かうであろうファミリーカーと業務用車で混んでいた。エンジンはどうにか動いてくれていた。お腹空いたなあ。コンビニに寄ってエンジンを止めるわけにも行かなかった。


「ようこそ、いらっしゃいました」


ディーラーに到着すると、100パーセントの明るい笑顔と艶やかな髪の受付の女性が出迎えてくれた。日焼け止めにスポーツウェアだった私に彼女は眩しく映った。いや大切なことは、車がエンジン停止せずに無事目的地に到着したことだった。


受付の女性の後に駆けつけた営業担当に説明して愛車を任せると、肩の力が抜けた。




「今月のおすすめは、スイートポテトクリームラテでございます」


ディーラーのショールーム内のテーブル席に案内された私に、100パーセントの受付の女性がドリンクメニューを見せてくれた。勧められたままスイートポテトクリームラテをお願いすると、私はショールームを見渡した。欧州車ディーラーらしい、垢抜けた音楽が流れていて、乗せられてテンションが上がってきた。


100パーセントの受付の女性が作ってきてくれたスイートポテトクリームラテには、ケーキ菓子のスイートポテト実物が一つ添えられていた。品よく斜め切りで一口大にカットされており、デザートフォークとスプーンが品よくティーソーサーに鎮座していた。


「ごゆっくりどうぞ」100パーセントの言葉を遮るように、営業担当が見積書らしき書面を持って早歩きで私の前に座った。確定された料金は、6万円強の純正バッテリーと2万円弱の工賃だった。よろしくお願いしますと発注書にサインをすると、即時の取り付け作業を依頼した。


 空きっ腹に、スイートポテトと甘い甘いラテは胃に応えたけど、無我夢中で完食した。甘すぎて頭がシュガーハイになった。今朝からの緊張で足元は冷たく感じた。店内には私ひとりしかおらず、相変わらず垢抜けたBGMが流れていた。


 30分程度で作業は完了すると告げられていた。ラテを完食した私に、100パーセントは再度私に飲み物を勧めてくれた。さすがに遠慮して、ショールームの雰囲気の良さについて彼女に話した。実際、雰囲気が良かった。100パーセントのホスピタリティも、営業担当の落ち着いた口調も、展示されているブランドグッズの陳列も整然としていた。欧州車ならではのチャラついた雰囲気は皆無で、実直に働く整頓された空間だと思った。


 無事、バッテリー交換を済ませて封筒に納められた領収書と納品書を確認すると、営業担当が道路に出るまで、左右確認をして、丁寧に頭を下げてくれた。私は窓を開けて、もう一度営業担当さんにありがとうございました、と伝えて、車の屋根を開けた。空は青くて、予定外の出費も無事完了し、エンジンの音は秋空に響いた。動くはずの車が動かないって驚くなあ、鍵を回して無反応の車って怖いなあ、でもどうにかなったなあ。そういえば3ヶ月前に動かした時、走行して充電してくださいってパネルに警告メッセージが出ていて、無視したなあと思い出した。


 帰宅すると、家族は全員出払っていた。飼っている猫さえ見当たらなかった。静かで冷たい家の中で、私は近所のガソリンスタンドに電話をかけた。


「洗車って、当日予約できますか?」


予約なしでいつでもどうぞ、明るく案内された通り、私は再度車に乗り込み、洗車へ向かった。


 3ヶ月乗られていなかった愛車は、雨の筋が黒く何本も縦に入っていて、ワイパー周辺もチリとホコリで茶色く汚れていた。布製の屋根には何らかの鳥の羽毛が何箇所が付着していた。ショールームの展示車を見て、実は自分の愛車への無頓着ぶりを恥じていた。反省していた。


 私は、生活に『楽しい』を取り入れたくてスポーツカーを購入した。時間がない、ゆとりがない、疲れている。愛車に乗れば『楽しい』が満ちた世界へ跳んでいけるって思っていた。


 ガソリンスタンドの待合室では、手が空いていたのだろうか整備士の方が相手をしてくれて車の話をした。車両のいたずら防止には何が最適策かとか、行楽のシーズンは給油ばかりで洗車が少ないとか、整備士の方も以前私と同じ車種に乗っていたこととか、話しながらあっという間に洗車は終わった。


「ここ、もう少し磨いていいですか?」


洗車後、私よりも先におしゃべりに付き合ってくれた整備士の方が愛車に近づいて、タイヤのワックスを再度かけてくれた。


「気になったもので」


ご丁寧にありがとうございます、ピカピカになって嬉しいです、と伝えた。


 愛車に乗り込むと、フロントガラスに自分の顔が反射した。最高だ。


「オーライ、オーライ」


整備士の誘導に、窓を開けてありがとうございます、またお伺いします、と車内から挨拶した。


 洗車から帰っても、家の中は静かで人の気配も猫の気配も感じなかった。


 私はキッチンでお昼ご飯を作って、一人で食べた。鮭を焼いて、味噌汁を作って、ウィンナーとズッキーニを炒めて、冷凍したご飯を温めた。食後に緑茶を淹れて、100パーセントの受付の女性とスイートポテトクリームラテを思い出した。


「甘かったなあ」


明日こそ、公園にジョギングに行こう。私は今日お世話になった人たちの声や顔を思い出した。


 夕方、食料品の買い物を終えて商店街を歩いていたら、閉店作業をしている金物屋の店主を見かけた。店主も私に気づいてくださって、午前中のやりとりのお礼を私が言うと、店主は車は大丈夫だった?と声をかけてくれた。結局バッテリー交換をしたこと、リモコンキーの電池交換は本当に助かった、自分ひとりでは自信がなくてとてもじゃないけどできなかったと伝えて、今後もよろしくお願いしますと双方頭を下げた。その場を去るときに、食料品のエコバッグが軽く感じられた。


 さて翌朝、私は愛車に乗ってジョギングに行けたでしょうか?


(おしまい)

困ったことがあると金物屋さんにいくようになりました。

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