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⑼『白日と喝采』
⑼『白日と喝采』
㈠
とにもかくにも、もう何度も言ったかもしれないが、白日と喝采において、我々が有するところの、超現実主義の観点から、思想を原理的に標榜し得る、我々の我々、詰まるところ、我々=我々、という図式は、論を待たないのだ。
㈡
当たり前だと、嘯いた俺の脳髄において、白日は白日だし、喝采は喝采だから、別物だよ、と発言する俺を、世界は糾弾するだろう。それは、神に問えばすぐにわかる、お前は、結句俺のことだが、権力に歯向かったのだ、という風に。
㈢
しかし良いだろう、時は満ちた、あとは、白日と喝采に任せて、堂々と歩いて行くことが、その運命の諸行を語るのであるから。分からない、俺には、分からないよう、そう嘆いている間は、未だ無事だということだ、何の話なんだよな。