表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/61

60 百人一首をアレンジ74 憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

 初恋は実らぬもの。


 誰もが一度は耳にしたことがある言葉だ。だからこそ、初恋が実ったならば、決して手放してはいけないのだという言葉も続くのだが、最初の一文だけでも十分に人の心に突き刺さる格言だ。


 アルバンはおとなしい子どもだった。生まれた時には12歳年の離れた姉が一人いたが、姉は13歳で奉公に出た後、16歳の時に奉公先の同僚に望まれて嫁ぎ、夫婦ともども同じ場所で今でも奉公しているらしい。


 らしい、というのは、アルバンは両親の話でしか聞いたことがないからだ。物心つく前に離れた姉の顔など覚えているはずもなく、奉公先は大人の足でも歩いて二週間はかかるほどの場所。江戸時代の日本で言えば、東海道を踏破するのと同じくらいの距離だ。幼いアルバンが行ける場所でもないし、姉が気安く帰省するような距離でもない。いや、往復だけでひと月を要するのだ。帰省するだけのまとまった休暇など与えられるはずもない。


 結婚が決まった時だって、姉は手紙で知らせてきただけだった。両親は「相手の顔くらい見せろ」とか、「嫁入りの準備が」などと怒っていたが、身一つで来ればよいと言われているし、そのまま同じところで働き続けるので住まいも単身者用から家族向けの寮に変わるだけ、花嫁衣裳を筆頭に特別な物はいらない、と書き添えられていたようだ。両親は、仕送りと娘を一度に失っただけだった。


 その分、両親はアルバンに期待した。アルバンが6歳になったところで町の教会で行われている読み書き教室に通い、少年聖歌隊に入って音楽も学んだ。アルバンは素直に教室に通い、歌を学び、ついでにオルガンのレッスンもしてもらえた。アルバンは音楽にのめり込んでいった。


 両親は、めきめきと腕を上げていくアルバンを自慢した。美しい歌声の持ち主は天使の生まれ変わりであるという伝説があるこの国で、アルバンは「天使の声の持ち主」として次第に有名になっていった。初めは近隣の教会の聖歌隊にゲストとして招かれる程度だったが、次第に遠い町の教会からもお声がかかるようになり、そのたびに両親は謝礼を受け取って機嫌をよくしていた。


 アルバンも自信をつけていった。このまま歌って生活をしていくためには、聖職者になるか、半分ボランティアの教会所属聖歌隊員となるか、音楽家になるか、その中から選ばねばならない。


アルバンはできれば音楽家になりたいと思っていたが、音楽家として活動するためには首都にある音楽院で学び、演奏家として活動する許可を得なければならない。音楽院の学費は、一般庶民が5年働いてようやく手にすることができるほどの金額であり、一般庶民のアルバンの両親に払えるようなものではない。


 そうなると、働きながら週末の礼拝の時だけ歌う聖歌隊員か、出家して聖職者になるか。


「聖職者になんてなったら、年を取った父さんと母さんの面倒を誰が見てくれるって言うんだい?」


 父親はそう言って、アルバンが聖職者になることを認めてくれなかった。


 つまりは、働いて金を稼ぎ、親の世話をしろということだ。アルバンはふと、自分がこれまでに相当額を稼いでいたはずであることを思い出した。だから、ごく自然なこととして父親に尋ねた。


「そういえば、僕が歌った時に支払われた謝礼はどうなっているんだい?」


 突然父親が拳を机にたたきつけた。驚くアルバンに、父親は顔を真っ赤にして怒鳴った。


「お前を育てるために使ったに決まっているだろうが!」


 ああそうか、とアルバンは一気に心が冷えていくのを感じた。父親は……おそらく母親も、あのお金を使いこんでいたのだ。父親が以前ほど仕事をしなくなったことに気づいていたし、両親が今まで買っていたものより一つ二つランクが上の物ばかり買うようになったのにも気づいていたが、まさかその金の出所があの謝礼金だなんて思ってもみなかったのだ。


 アルバンはがっかりした。誰かに相談できるようなことではない。胸のもやもやを制しきれなくなったアルバンは、存在しか知らない姉に思い切って手紙を書いた。一月後に来た返事には、「あの二人を信じたお前が愚かなだけだ」と書かれていた。


「子どもは親の所有物。子どもは親の言う通りにしなければならない。子どもは将来の金づる。そう思っている人に自分のお金を預けるなんて、私には信じられない」


 そんな内容が書かれていた。姉は、分かっていたのだ。だから両親の手が届かない所に逃げたのだ。


 だが、12歳のアルバンが自分の財産を自分で管理するというのは、現実的ではない。そのあたりを理解してくれない姉に、やはり自分が生まれたことで姉の居場所がなくなったのかもしれない、とアルバンはさらに気落ちした。


 姉から届いた手紙を封筒に戻そうとしたアルバンは、封筒を大きく開き、驚いた。封筒の裏側に、何か書いてある。姉は手紙を書いた後、封筒に仕立てたのだろう。アルバンは封筒を開いた。そして、目を見開いた。


「もしお前が家から逃げ出したいと思っているのなら、遠い場所に行くか、権力者を味方に付けなさい。数日程度なら、うちにいても構わない」


 アルバンは姉から来た手紙をすぐに燃やした。両親に見つかれば、アルバンは永久にこの家から出られなくなる。アルバンは一晩考えた。そして、翌日、読み書き教室に参加するために教会に行くと、すぐに司祭様の所に向かった。そして、小遣い稼ぎをさせてほしい、お金は親に奪われるので直接自分に渡してほしいと願い出た。


「ご両親を裏切ることになってもよいのかね?」

「僕のことを金づるとしか思っていないんです。このままでは、僕はただ使いつぶされてしまいます。僕はもっと歌いたい。そして、この声を神様に届けたいのです」

「聖職者になる気はありますか?」


 司祭様の言葉に、アルバンはうなずいた。


「わかりました。それならば、歌の巡礼者に推薦しましょう」


 歌の巡礼者とは、美しい歌声を持つ聖職者が何人かのグループになって、国の各地を回り、人々に、そして神に歌を捧げるという形で髪に奉仕する者たちのことだ。教会から正式に推薦された者でなければ歌の巡礼者とは認められない。認められれば、各地の教会で宿泊できる上、歌を捧げた時に信徒から納められたお布施の半分をグループ内で分けることもできる。条件はただ一つ、3年間は旅を続けること。それさえ終われば遠い地に聖職者として根を下ろすことも認められている。


「は、お願いします。ありがとうございます!」


 アルバンは中央教会からの認定状を受け取ると、ちょうどこの町にやって来た歌の巡礼者たちとともに旅立った。両親は行かせまいとしたが、司祭様がとりなしてくれた。


 これまでアルバンが聖歌隊のゲストとして訪問した場所は、せいぜい二日も歩けば行ける場所だった。だが、歌の巡礼者たちは国の隅々に、どこへでも歩いていく。山奥にある、巡回だけで常駐する司祭さえいないような教会にも出かけて、信徒が誰もいなくても、教会に祀られた神の像に向かって歌う。


 最初は、どうして聴衆のいない所でも歌うのか、アルバンは理解できなかった。だが、仲間の一人が笑いながら教えてくれた。


「俺たちは聖職者だ。俺たちが神のために歌い、それをよしとして神が地上に恵みを与えてくださる。人がそれを耳にするのは、ついでというか、便乗犯みたいなものさ」


 歌そのものが興味の対象だったアルバンにとって、聖職者視点から教えてくれたこの言葉は衝撃だった。だが同時に、自分たちの歌声が神に届き、その結果世界の平和と安寧に貢献しているのだと思うと、素晴らしいことなのだと思えた。


「こういう、人がほとんどいないようなところであっても、一生懸命に歌えば神は歌声が聞こえてきたこの地に恵みを届けてくださる。だから、俺たちはできるだけ多くの土地を巡らなければならない。司祭が常駐できない場所ほど、俺たちの役割は重要なんだよ」

「わかりました。肝に銘じます」


 事件は翌日起きた。アルバンの口から、あの美しいボーイソプラノが出なくなったのだ。痛みと共に、かすれた音しか出なくなる。アルバンは慌てたが、仲間たちは「ああ」とうなずきあった。


「声変わりだな」

「今、無理に歌うとのどをつぶす。絶対に無理しちゃだめだ」

「どのくらいでまた歌えるようになりますか?」

「こればかりは分からない。季節一つで歌えるようになった人もいるし、一年かかったものもいる」

「一年、ですか?」

「いいか、歌えないからと自分を責めるな。今までのお前の声は、子どもだった。体が大人になりつつあるんだ。オルガンが弾けるんだから、伴奏してくれてもいいし、オルガン単体で神へ音楽を捧げるのもいい。曲を覚えることも必要だ。のどを大切に守りながらやれることをやるんだ」

「わかりました!」


 アルバンは声変わりをきわめて前向きに受け止めた。歌えない分、オルガンの腕をさらに磨いた。写譜をしてぼろぼろになった仲間の楽譜を交換した。新しい曲を学び、頭の中で歌った。


 4か月が過ぎた頃、少しずつ声が出るようになってきた。


「焦るな、今はまだ歌ってはだめだ」


 アルバンは素直に従った。そのおかげだろうか、半年ほどで声が出せるようになったアルバンは、驚愕した。ソプラノの声は消え去り、その声はテノールの甘やかなものになっていた。


「おいおい、そんな声でセレナーデを歌ったら、年頃の娘たちが卒倒するぞ?」

「ああ、本当だな」


 それがよいことなのかどうなのか、アルバンにはわからない。それでも、もうこの声になってしまったのだから、それを受け入れて自分らしく神に届ける歌を歌うほかない。


 そうこうしているうちに、3年が過ぎた。アルバンは両親の住む町からはるか遠く離れた土地に住み着き、教会に所属する下級聖職者の身分を得た。アルバンに求められるのは、聖歌を歌うこと、オルガンで演奏すること。そのほかにも、教会付属の孤児院での奉仕や、読み書き教室の手伝い、少年聖歌隊の指導など、様々な仕事がある。


 アルバンは孤児院に赤ん坊のころから預けられているという、マーヤと言う少女と出会った。マーヤもまた、美しい声の持ち主だった。アルバンがかつてそう呼ばれたように、天使の歌声などともてはやされた。マーヤに歌を教えるのは、アルバンにとっても楽しい時間だった。20歳のアルバンと、16歳のマーヤ。アルバンはいつの間にか、マーヤを特別にまぶしく思うようになっていった。


 聖職者としては、抱いてはならない思いだった。だから、隠した。


 やがて、マーヤはその才能を買われ、都の音楽家が養女として迎えると申し出があった。誰もが喜んだ……アルバンただ一人を除いて。


 アルバンはマーヤを、遠い都に行かせたくなかった。マーヤにも同じように自分を愛してほしいと思った。だから、アルバンは山の奥にある「願いことをかなえてくれる」と有名な泉に何度もお参りした。それだけでなく、マーヤのためにあれこれと尽くした。


 だが、マーヤがアルバンの気持ちにこたえることはなかった。アルバンが尽くせば尽くすほど、マーヤは離れていった。都に旅立つその日、馬車に乗る前に、マーヤはアルバンにはっきりこう言った。


「聖職者なのに、気持ち悪かったわ。二度と関わらないで」


 アルバンは呆然としたまま、マーヤが乗る馬車を見送った。


 恋は、成就しなかった。初めての恋だった。周囲の聖職者は、見て見ぬふりをして教会の中に戻っていく。孤児院でマーヤと仲良くしていたハンナが、アルバンの袖をツンツンと引いた。


「マーヤはね、男の人にひどいことをされそうになったことがあるの。だから、聖職者なのに同じような気持ちを向けてくるアルバンさんが怖かったのよ」


 ああ、間違えていたのは自分だったのだ、とアルバンは頭を抱えた。ただ、マーヤに頼られる存在になれればよかったのに、欲が出たから、大切なものを失ったのだ。


アルバンはその日を境に、恋する気持ちを封印した。その代わりに、聖歌よりもバラードを歌うことが増えた。教会の司祭は、それを認めた。


「人の心に寄り添う歌が、人には必要なのですから」


と。アルバンは感謝しながらも、こう思うのだった。


マーヤが私に振り向いてくれるように、願いが叶うという泉にお参りした。だが、泉の側にある山から吹き下ろす山おろしよ、お前のように、マーヤのそっけない態度がますますひどく、冷たくなってほしいだなんて、祈らなかったのになぁ。


読んでくださってありがとうございました。

いいね・評価・ブックマークしていただけるとうれしいです!


憂かり(形容詞・ク活用・連用形)ける(助動詞・過去・連体形)

人(名詞)を(格助詞)初瀬(名詞)の(格助詞)

山おろし(名詞)よ(終助詞)

はげしかれ(形容詞・シク活用・命令形)と(格助詞)は(係助詞)

祈ら(動詞・ラ四・未然形)ぬ(助動詞・打消・連体形)ものを(終助詞)


私につれなかった人がどうか私に振り向いてくれますようにと長谷寺の観音様にお参りしましたが、長谷寺のある初瀬山から吹き下ろす山おろしよ、お前のように、あの人のつれない態度がこれまでよりもより一層ひどく、冷たくなれとは祈らなかったのに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ