55 百人一首をアレンジ24 このたびは幣も取りあへず手向山紅葉のにしき神のまにまに
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美しい風景を見れば、そこに人ならざる者の大いなる御手の存在を感じずにはいられない、そんな経験はないだろうか。
今、アルバンはまさにそんな風景を目の前にしている。風のない晴れた日の昼間ならばまだ薄いコートでも過ごせるが、日が落ちれば首と呼ばれる部分や背中に寒さを感じるような晩秋とも初冬ともつかぬこの時期、あちこちで木々が美しく色づく。黄色、朱赤、やや黒ずんだ赤、茶色、そして常緑樹の緑が織りなす自然の絵画は、何時間でも見ていられるほどだ。
ふと、アルバンの心が痛んだ。逃げ出すようにして王都から南の旧都へ向かっている今、こんなところで紅葉を見て楽しんでいる余裕などない。アルバンは神に心の中でこうつぶやいた。
今回のこの旅はあまりにも急なものでしたので、旅の安全のために神様にお供えすべき幣さえ用意せずに来てしまいました。その幣の代わりとはなりませんが、この山の美しい紅葉をお供えいたしますので、どうか神様、御心のままにお受け取りいただき、私の旅も無事にすむよう、お守りください。
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アルバンは第三王子である。兄二人は王妃腹であるが、アルバンだけは母が違った。王妃の元に仕えていた侍女に、王の手がついた。たった一度の過ちだったが、侍女は孕んだ。伯爵家の娘ではあったが、四女と言うこともあって嫁ぐための持参金を親は用意することを諦め、宮中に出仕させて一生一人で身を立てるようにと送り出したが、その結果がご側室である。
伯爵家は王妃に睨まれることを恐れ、実の娘を後見しなかった。王子が生まれたことで、事態はさらに複雑になった。この国では女性には王位継承権がない。嫁ぎ先に王位継承権を与えないためである。その代わり、男性の場合は、町娘から生まれたとしても王が認めた子であれば王位継承権が与えられた。アルバンは望む望まない以前に、生まれた瞬間から王位継承の争いの中に放り込まれたのだ。
側室にとって、王から支給される側室としての歳費と王子の歳費だけが頼りだったが、それは途中で抜かれ、側室の元に届くころには半額以下になっていた。側室は自分と息子が王妃や兄王子たちに歯向かうつもりがないことを行動で表すため、王家が持つ最も小さな離宮という名の屋敷に移り住み、王族としての教育をアルバンに施さず、王族の行事にも出席せず、ただひたすら屋敷に引きこもった。
こうなると王はさすがに側室が不憫になる。自分の責任でもある。王は側室の歳費以外に、側室と第三王子を守るために王の近衛から一班を選び、彼らの屋敷を守らせた。側室はそれを監視だと受け取り、邸の中で震えていたが、アルバンにとってはよい遊び相手となった。
そんなアルバンが彼らから身を守るための剣を学ぶようになったのは自然なことだった。アルバンはめきめきと腕を上げた。小さな屋敷とはいえ庶民の家よりは大きいし、庭には大きな木が何本も植えられており、木登りをしたり、低い枝から飛び降りたりしながら、アルバンは体を作っていった。
やがて、まだ15歳にも満たないアルバンが優れた剣の使い手になったと近衛から報告が上がると、王はアルバンを王宮に戻そうとした。だが、側室と王妃がともに反対した。アルバンも「できることなら王宮には入りたくない」と言った。
王は見込みのある息子に、王子としてふさわしい教育を与えてやりたかった。王位継承権を放棄させ、王家の血を引くが王族ではない、アルバンをそういう微妙な立場に置くことで、ようやく教育を与えることができるようになった。
問題だったのは、アルバンが想像以上に優秀だったことだ。兄二人にも教えたことがある教師の何人かは、明らかにアルバンの方が優秀だと王に報告した。はじめは王もただ喜ぶだけだったが、次第にアルバンから王位継承権を奪ったことを後悔するようになった。
こうなると、王妃も、特に王太子である長兄も心穏やかではいられない。その頃からアルバンはちょくちょく身辺に危険を感じるようになっていった。下剤程度の毒であったり、画鋲がばらまかれたり、馬に乗っている時にハチの巣が投げ込まれたりと言った、用心していれば被害はそれほどではないが、その注意をしていることで精神的に疲労がたまっていく、そういうやり方である。
その矛先は、気づけば母である側室にも向けられていた。ある時、側室の食事に毒が混ぜられた。体力のあるアルバンとは違い、母は毒慣らしさえしてこなかった人物である。少量の毒でもあっという間にその体を蝕んだ。
側室は悟った。アルバンが王都にいる限り、王がどれほど自分たちを守ろうとしても王妃たちの手が止まることはないだろうと。側室は信頼できる近衛を通じて王に手紙を書き、アルバンの身の振り方について頼みごとをした。
「どうか、お聞き届けください」
震える文字を見た王は天を仰いで目をつぶった。王妃は王妃だ。力を使うことを知っている。その力を使い続けるためには目障りだと判断したものを排除する、それが王家のやり方だ。
王は旧都を管轄する自分の弟に連絡した。そして、アルバンを保護してくれるよう、頼んだ。だが、弟は拒否した。弟もまた王弟であったことで、王妃に睨まれてこの地に逃れてきた男だったからだ。
だが、弟は一つの提案をしてきた。
「南の辺境に行かせたらどうか」と。
南の辺境伯は、海賊退治と海獣駆除のために武に長けたものを常に受け入れている。王都の派閥にも属せず、領地と領民を守ることを第一に考える男だ。王は弟の助言を聞き、アルバンに命じた。
「王妃の手から逃れて一人の男として生きるために、南の辺境伯領に行け。推薦状は書いてやる。それを生かすも殺すもお前次第だ。ただ、お前が行くと知れば、王妃が何をしでかすかわからない。すぐに出発するんだ。それから、旧都にいる余の弟の所に立ち寄れ。不足のものはそこで用立てしてもらえる」
「母上はどうなりますか?」
「これはお前の母の望みだ」
アルバンは三秒だけ目を閉じて呼吸を整えた。そして「かしこまりました」と言うと立ち上がった。
「また会えるだろうか」
「どうでしょう。最後かもしれませんね」
「そうだな」
王も立ち上がると、王よりも少しだけ背の高いアルバンをひしと抱きしめた。生まれて初めて、父親に抱きしめられたことにアルバンは気づいた。
「父親らしいことをしてやれず、すまない」
「だったら、二度と過ちを犯さないでください」
「もう、こりごりだ」
「では、参ります。母上のこと、お願いします」
「ああ」
父の手が離れた。アルバンは厩舎に向かった。男が一人、アルバンの馬の側にいた。
「お供します」
「一人で良い、戻ってくれ」
「いいえ、道案内いたします。推薦状は私がお預かりしております」
「全く、強情だな」
それは、母が信頼していた近衛騎士だった。母がその男をひそかに慕っていたことを、そしてその男も母を大切に思っていたことを、アルバンは知っている。母が側室だったのは、アルバンがいたからだ。アルバンがいなくなれば、母は側室でない人生を歩めるはず。そうなれば、この男が母をめとることだってできただろう。
「なぜ、という顔ですね」
「教えてくれるのか?」
「陛下に恩を売れば、あの方を下賜してくださるかと」
「なんだ、そういうことか」
アルバンは、ますます早く南の辺境伯領に行かねばと気持ちを引き締めた。
「行こう」
「は」
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旧都に入る直前で見た紅葉の美しさが、今も時折よみがえる。南の辺境伯領には秋がない。いや、ほのかな変化はあるが、王都のような季節がない。あるのは雨季と乾季だ。つまり、紅葉もない。
神にささげたいと思ったほどのあの紅葉は、アルバンの一生でもう見ることはないだろう。だが、アルバンが今、この辺境伯領で人間に狙われることなく生きていられるのは、きっとあの時神にあの景色を捧げたからに違いない、とアルバンは思っている。
母もあの騎士に迎えられ、王妃の手に怯えることのない生活を送っているという。あの騎士は王に願い出て近衛を離れ、アルバン同様にどこかの地方都市の騎士として、母と静かに暮らしているそうだ。
神様、ありがとうございます。願わくは、この平和を全ての民にあたえられますように。
読んでくださってありがとうございました。
こ(名詞)の(格助詞)たび(名詞)は(係助詞)
幣(名詞)も(係助詞)取りあへ(動詞・ハ下二・未然形)ず(助動詞・打消・終止形)
手向山(名詞)
紅葉(名詞)の(格助詞)にしき(名詞)
神(名詞)の(格助詞)まにまに(連語)
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