54 百人一首をアレンジ14 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに
読みに来てくださってありがとうございます。しのぶずりに使われる捩花と、紫のグラジオラスは、サイズ感こそ違いますが、なんとなく雰囲気が似ているように感じるのは私だけでしょうか。
よろしくお願いいたします。
「紫のグラジオラスの花言葉を知っているかい?」
隣に座っていた男が突然声をかけてきた。
「さあ、僕はあまり花言葉に詳しくないんで」
「あんた、恋人か奥さんはいないのか?」
「まだいませんが」
「じゃあ、すぐに覚えるんだ」
「どうしてそんなこと、初対面のあなたに言われなきゃいけないんですか?」
「俺みたいにならないためさ」
「え?」
僕はその言葉の意味を図りかねて、隣の男の顔を見た。中年と老年の間ぐらい、僕の父親よりも少し年上と言ったところだろうか。身なりはきちんとしているし、背筋も伸びている。金に困っている様子は一切ない。だが、その顔には、困苦が深く刻まれていた。
「花言葉一つで解決できることがあるんですか?」
「そうだよ。あるんだよ」
男は言った。
「爺の昔話に付き合ってくれるか?」
僕は肯定の意を示すために自分のグラスを男のいる側に置くと、体を男の方に傾けた。男の手には、ロックのウイスキーがある。
「俺の昔話で酒がまずくなるかもしれんが、つまみの一つに聞いてくれたまえ」
男のグラスの氷がカラン、と音を立てた。それが始まりの合図だった。
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俺は貴族階級でも下っ端の方の生まれでね。革命前には帝国軍人として仕官して、皇后陛下の近衛隊にいたんだ。実力もまあ一定以上、身長も178センチ以上、顔も、まあ、自分で言うのもなんだが、悪くはない方だったこともあって、選抜試験に受かってね。合格を知った時には、本当にうれしかったよ。
三男だったから早々に家を出て全寮制の士官学校に行ったんだ。勉強させてもらえるのも、鍛えれば鍛えるほどに体が出来上がっていくのもうれしかった。何よりも友だちができたことがうれしかったね。俺の周りには同じ年頃・同じくらいの身分の男がいなくて、いつも兄さんたちの下っ端扱いだったから。
近衛隊にいると、それだけでエリート扱いされるんだ。それまで俺を下に見ていた兄たちまで俺のご機嫌伺いをするようになったよ。そりゃそうだよな、兄たちが話しかけることさえ許されない皇帝一家に近侍することだってあったんだ。上位貴族の名前と顔を覚えるのはもちろんのこと、向こうも俺の名前を顔を覚えてくれることもあってね。たまたま兄たちが領地のことで参内していた時に俺が通りかかってさ。道順を教えてやっていたら、たまたま軍務大臣が通ったんだ。侯爵家の当主だ、兄たちなんて頭を上げることさえできずにいたのに、俺は一言二言会話した。
兄たちはそれ以来、俺を見下すことがなくなった。それどころか、俺を利用して上位貴族とのつながりを持とうとしたんだ。うまくいったかって? 俺は拒否したよ。どうしてって? 兄たちがしくじれば、俺の立場まで危うくなるじゃないか。兄たちは決して愚かではなかったが、優秀でもなかった。地方の大領主の土地を預かり、代官として治める小領主そのものだったのさ。
そうやって働いていた時に、皇帝ご一家が夏の静養に出ることになってね。南の海辺にある皇室の離宮に行くことになったんだ。俺が近衛隊に入隊してから1年も経っていなかったよ。初めて離宮での護衛業務に就くことになって、俺は張り切っていた。
護衛業務って言っても、いろいろあってな。傍で守るのはもちろん、ご一家が滞在する場所だけでなく道中に危険がないか事前に調査するのも護衛業務の一環だ。怪しげなところ、不審者が潜みそうな場所、爆破物が仕掛けられそうなポイント、そういうところを全て事前にチェックする。事前に確認して排除し、数日前、当日にも確認する。結構大変なんだよ。
離宮の近くに不審者がいないか調査している時だった。本来ならばそれなりの貴族の邸宅であったはずだが、手入れがされておらずに廃墟のようになっていた邸を見つけた。そういう場所にはテロリストが集まりやすい。特に貴族の邸宅ともなれば、大人数を隠すことができるし、通りからの目も届きにくい。俺は俺たちの班は、別の班が所有者などを調査しに行っている間、それと気づかれないように周囲の様子を見て回った。
庭木は手入れされず、嵐の時に折れたと思われる枝がそのまま放置されていた。芝生は整備されず、花壇には雑草が生い茂っていた。噴水から水は出ておらず、当然水はよどんで異臭を放っていた。邸の壁にも亀裂が入り、数か所、窓が割れたままになっていた。
こんなところに、人が住んでいると思うか?
そうだろう、君も思わないだろう?
離宮にも近い場所なんだ、管理さえすればそれなりの者が住めただろうし、帯同する貴族の誰かが買ってもおかしくはないはずなのに、どうして放置されているんだろうとその時の俺は思ったよ。
別の班が、この邸はとある伯爵のマナーハウスであったという情報をつかんできた。マナーハウスと言えば、領主の館。この地の政治の中枢だったはず。
「なぜ皇室の離宮の近くに、マナーハウスがあるんでしょう?」
「もともとは皇后を出すほどの高位貴族がこの地を収めていた時代に建てられたそうです。ところが時の皇帝陛下の逆鱗に触れて爵位を落としたのです。伯爵家としてこの地に残り続けたのですが、十年ほど前に当主が詐欺にあい、この邸を売るか、家宝を含めた邸内のものを売るかという選択の中で、邸だけを持って爵位も返上し、この邸に引きこもって暮らしていたようです」
「金もないのに、この広大な邸を手放さなかったのか?」
「病弱な娘がいたため、邸の外に出したら死ぬのではないかと恐れたそうです」
「とはいえ、この荒れ具合、本当に十年程度のものなのだろうか?」
「その前から借金で首が回らなくなっていたそうです」
「なるほどな」
班長はうんうんとうなずいた。
「それで、現在の所有者は?」
「それが、名義変更されていないのです」
「では、平民となった家族がまだここに住んでいるというのか?」
「引っ越したという話は誰も聞いていないそうです」
自分たちの没落の原因が、もし皇帝の理不尽な行為にあったとすれば、この一族は皇室を恨んでいるはずだ。
「中をきちんと調べる必要があるな」
俺が考えたことと班長の考えは一緒だった。
「よし、正面から調査として入る者と、裏口から侵入する者の二手に分ける。お前たちは裏からいけ」
「はっ」
俺たちは裏に回ると、建物内に侵入する者と、周辺を伺う者、庭に侵入して建物を外から伺う者の三手に分かれた。俺がどこだったか? 俺は庭に侵入する者だったよ。
近衛と言うと儀仗兵だと勘違いしている者もいるが、本当の近衛は皇室を守る最後の砦であり、経験豊富で老獪と言うべき人が班長につく精鋭だ。諜報活動をするグループもあったよ。
訓練どおりに庭に侵入しようとした時、ベランダに人影が見えた。すっと庭木の陰に身を潜めて様子をうかがう。
「このお邸、いつまで保つかしら」
「いくら私たちが頑張っても、使用人たちがたくさんいてきちんと管理していた時と同じように維持することは難しいわ」
「お父様が早々にこのお邸を諦めていれば、きっと高く売れたでしょうに」
「仕方がないわ、お父様はこの家で生まれ育ったわけだし、寝たきりだったあなたを動かすわけにはいかなかったのも事実だし」
「お姉様、それは」
「恨んでいるんじゃないわ。あの時お父様は、あなたの命を最優先した。そして、それは正しかった。実際にあなたは今、こうして元気になったのだから」
「お姉さま」
「さあ、洗濯物を干してしまいましょう」
姉妹はずっと裏の方で洗濯をしていて、表の呼び鈴には気づいていないのだろう、そうお思って俺は姉妹の顔を覗き込んだ。
驚いたよ、都の貴族のお嬢様みたいにきれいな姉妹が二人、町娘よりも質素なワンピース姿で洗濯物を干していたのだから。
正直言って、あまりにもミスマッチだった。ここは確かに皇室の離宮があるような場所だが、静養のための場所であるとおり、正直に言ってド田舎だ。かつてはこの地の政治の中枢であり、多くの人が忙しく働いていたであろう立派な邸が今は廃墟のようになり、平民落ちした没落貴族の家族がひっそりと住む場所になっているんだから。
それにしても、姉妹は2人とも美人でね。妹の方は病弱だったそうだが、今はすっかり元気になったようで、姉と一緒に洗濯物を干すとき、ぴょんぴょん飛んだり、風に舞った洗濯物を走って追いかけたり、まあお転婆な感じだったよ。姉の方はそんな妹をいとおしげに見ていた。二人とも、本当はこんなド田舎にいるような人じゃないって思った。
同時に、平民落ちして倹しく暮らしているなら、貴族の跡継ぎではない俺でも結婚相手になれるんじゃないかって思ったよ。
撤収の合図が来たが、俺は立ち去りがたかった。持っていたハンカチを見たら、紫のグラジオラスだった。俺はバラの花言葉と紫のグラジオラスの花言葉しか知らなかったが、ちょうどいいと思った。だから、彼女たちが立ち去った後、ハンカチにこう書いてベランダに結んでおいたんだ。
『この紫のグラジオラスの花の刺繍のように、あなた方を見た私の心は乱れています。いったい誰のせいでこんな私になってしまったのでしょう。私のせいではないのに(あなたのせいですよ)』
知っているかい?
紫のグラジオラスには、「情熱的な恋」っていう意味があるんだ。俺はちょっとばかりしゃれたことができたって得意げだった。
翌日、調査のために俺たちはその邸に再度向かった。今度はちゃんと玄関から入ったよ。姉妹もいた。近くで見れば見るほどきれいだな、って思った。他の連中も同じだったようで、事情聴取の名のもとに話しかけている奴がいて、俺はそいつを殴りたくなったね。
さりげなく前の日にハンカチを結び付けたベランダに行った。返事がないかなって思ったんだ。
そうしたら、ハンカチが違う場所に結び付けられていた。それをほどいてみたら、イベリスの花が刺繍されていた。残念ながら、イベリスの花言葉を俺は知らなかった。
「なあ、イベリスの花言葉ってなんだ?」
俺は同じ班のやつに聞いてみたんだが、やつの答えは「イベリスって何の酒ですか?」だった。他にも聞いたが、誰も知らなかった。
俺が聞きまわっていたので気づいたんだろう。通りすがりに、姉の方がすっとメモを渡してきた。脈ありだって喜んだが、メモを見た瞬間、膝から崩れ落ちそうになった。
「紹介も教養もない方と結ぶご縁はございません」
イベリスの花言葉を知っていれば、こんな恥をかくこともなかった。姉妹だって名も知らぬ奴からいきなり恋を打ち明けられたら気持ち悪かっただろう、冷静になればそう思えた。謝りたかったが、もうその邸から別の調査対象に行くよう指示が出て、俺は彼女たちに謝罪するチャンスを失った。
そのあと、革命が起きた。近衛隊にいた俺はもちろん帝国のために戦った。そして、捕虜となった。革命軍につかまった俺が釈放されたのは、それからもう3年が経っていた。やっとの思いでその邸に行ったが、門には鍵がかけられ、「売家」の看板がかかっていた。彼女たちの行方も分からない。
俺は恋心も失ったが、謝罪さえさせてもらえないのがこんなにつらいものなのかと、今でも後悔しているよ。謝罪したいというのはこちらの都合で、相手は謝罪さえ受けたくないのかもしれないが、それでもきちんと一区切りつけたかった。今となっては、死後の世界で償うしかないんだろうと思っている。
お前さんたち、花言葉に限らず、教養は持っておくべきだ。それは身を助けてくれる。俺みたいな変な失恋をすることもないだろう。
花言葉を知っていれば、顔を合わせづらい状況であっても、謝りたいことを花が代弁してくれる。先に花に言いたいことを伝えてもらって、そのうえで謝罪すればいい。
知っていて損することはない。だから花言葉をしっかり知っておくべきだと俺は思うよ。
・・・・・・・・・・
男がバーから立ち去った。僕は男の話を聞いて、祖母が言っていた話を思い出していた。
「昔、ハンカチで告白してきた男がいたのよ。ラブレターみたいなことが書いてあったけれど、名前がなかったの。名乗らずに告白って何なのかしらって思ったわ。その人が誰だったのか、次の日にはわかったけれど、私たちを苦しめた元凶である皇室を守るような人なんて絶対に嫌だと思ったから、お断りしたわ。お前はそんな人になってはだめよ」
話がこれほど一致したのだ。男も同一人物に違いない。僕はバーの外に駆け出そうと思ったが、やめた。祖母はとある人物に見初められて隣国に嫁ぎ、革命を避けて幸せに暮らした。僕がこの国に今いるのは、あくまで仕事のためだけ。この国は僕の祖国ではない。
うん、祖母の幸せを、わざわざ彼に伝えることはないな。
僕はバーテンダーに、あの男と同じ酒を頼んだ。運ばれてきたその酒は、思った以上に苦い味のするものだった。
陸奥(名詞)の(格助詞)
しのぶもぢずり(名詞)
誰(名詞)ゆゑ(名詞)に(格助詞)
乱れそめ(動詞・マ下二連用形)に(助動詞・完了・連用形)し(助動詞・過去・連体形)
われ(名詞)なら(助動詞・断定・未然形)なく(助動詞・打消・未然形 ク語法)に(接続助詞)




