53 百人一首をアレンジ4 田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
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アルバンは旅の画家。「流離いの風景画家」なんて言う人もいてちょっとカッコよく聞こえるかもしれないが、なんてことはない。いつでもどこでもトラブルを起こして、一か所に長く住めないだけだ。アルバンに問題がある場合もあるし、言いがかりをつけられてしまうこともある。
だが、アルバンは困っていない。確かに、自分のアトリエを持ちたいと思ったこともある。だが、帰巣本能を持たないアルバンにとって、新たな題材を得られる「旅」は常に心躍らせてくれるものだ。そういう意味では、アルバンは常に動き続けていないと死んでしまう回遊魚のようなものなのかもしれない。
昨日も、アルバンは2か月滞在した街を出て、北へと向かっていた。今回町を出なければならなかった理由は、一番単純な理由……次の町への旅費を除くと所持金がなくなって、もう宿代が払えないからだ。
簡単に言えば、この町では絵が一枚も売れなかった。風景画でも静物画でも人物画でも、アルバンは描ける。ただ、少し他の人と色彩が違う。人物で言えば、その人に感じた色を使うから、緑や紫で描かれる人もいる。その人らしさを表現できたとアルバンはまさに自画自賛だが、依頼者の大半はそんなアルバンの絵に怒り、代金を払ってくれない。仕事をしても、その仕事で生活費を稼ぐのが難しい、それが通常モードのアルバンだ。
みんな「見たままに描けばいいんだ」と言う。アルバンは、自分の瞳に写った通りに描いているのだが、それが理解されない。
もしかしたら、僕の瞳は特別なんじゃないか?
そう思うことで、アルバンは何とかその日を生きている。稀にアルバンを絶賛してくれる人が現れ、パトロンになると言ってくれる。だがパトロンには様々な制約が課される。女性のパトロンが付いた場合は、もれなく「愛人になること」が求められている。
そう、夫や恋人ではなく、愛人。愛人など、トラブルの元でしかない。だからアルバンはパトロンの申し出は受けない。男性ならば大丈夫だろうと思って受けたこともあったが、それが妻からのお願いを夫が聞き届けたというケースだったこともあり、とにかく「ノー」なのだ。
不器用なアルバンに「生活の心配がなくなれば思い切り絵が描けるぞ」と忠告してくれた先輩もいた。だが、アルバンには苦い過去があった。絶対に色恋にはかかわらないと神に誓っていた。
アルバンがかたくなにパトロンを断り、恋愛を拒絶するのは、若い頃の失恋……いや、手痛い裏切りの、苦い記憶があるためだった。
もともとアルバンはある地方の子爵子息だった。兄が二人いて、自分が家に残る道はないアルバンは、将来どうやって生きるかを定めなければならなかった。自分のように跡を継げない者は、娘しかいない家に婿入りするか、騎士となって騎士爵、もしくは一代男爵の取得を目指すのが一般的だ。
だが、アルバンは騎士になれなかった。なりたくもなかった。両親が喧嘩しているのを見聞きすると三日は寝込むほどに、争いが嫌いだった。相手に刃物や矢を向ける等、どうしてもできなかった。両親もアルバンの性格を知って諦め、商家に出すか、文官としてどこかで働かせるのがよいだろうと考えていた。
アルバンは勉強が嫌いではなかった。だが、将来家を出るのだからと貴族向けの寄宿学校ではなく、裕福で優秀な庶民が通う学校に通わされた。それでも、アルバンは学校に通うのが好きだった。貴族のマナーや迂遠な言い回しは身に付けられなかったが、商売に必要な速算や交渉術、それに芸術を学ぶことができた。
将来画商になる者もいるし、貴族の家に出入りするような商売をするならば骨董品についての知識は必須となる。目利きになることも求められたが、実際に絵をかいたり、食器を作って焼いたりといったことまで学ぶことができる学校だったのだ。
もちろん、絵を描く授業もあった。額装の仕方、偽物と本物の見分け方、そんなことも学ぶ中で、アルバンは水彩画を描く授業で、今まで生きた中で最もわくわくした感情を持つことができた。湖を描いたアルバンの作品は評判を呼んだ。独創的な色彩感覚が斬新だと先生にも褒められた。
これだ、と思った。アルバンはそれから、毎日絵を描いた。小さな画廊では、お小遣い程度に買い取ってくれることもあった。最初の絵が売れた時には、浮かれた。これで自分も画家の仲間入りをしたのだと夢ばかり膨らんでいた。
その頃、アルバンの絵を高く評価してくれた同級生がいた。マーヤの家は画商だった。
「アルバンの絵、素敵ね。私も欲しいけれど、もう値が付くようなものになってしまったから、私の手に入らないわね」
小さい頃から絵を見て育ったマーヤにそう評価されたことで、アルバンはますます自信を深めた。
「マーヤが気に入ったのなら、いくらでも持っていけばいいよ」
「え、本当に? ありがとう、アルバン!」
かわいらしいマーヤにおだてられて、アルバンは絵を描くとマーヤに渡していた。マーヤはいつだって嬉しそうに受け取ってくれた。喜ぶマーヤの顔を見たい、そう思ううちに、死ぬまで毎日マーヤの笑顔を見たいと夢見るようになっていった。
そんなある日のことだった。教室に入ろうとしたアルバンは、マーヤが女子生徒たちと話す声に気づいて足を止めた。
「ねえマーヤ、あなたいつまでアルバンを利用するつもり?」
「え~、だって、勝手にくれるんだもの」
「勝手にくれたって言っても、アルバンはマーヤにプレゼントしているつもりでしょう?」
「もらったプレゼントをどうしようと、私の勝手じゃない? 所有権は私に写っているわけだもの、アルバンに文句なんて言わせないわ」
「だからって、親に売りつけた上、自分のお小遣いにして彼氏へのプレゼント代にするなんて、さすがにやりすぎよ」
アルバンの中でぴしり、とひび割れた音が聞こえたような気がした。
「自分が貢がれないからって、私を悪く言うのはやめて頂戴。ほいほい私に貢ぐアルバンに問題があるのよ」
思わずカバンを落としてしまったアルバンは、物音に気付いて顔を上げたマーヤたちと目が合った。
「あ……」
アルバンは廊下を走り出した。待ってという声が後ろから聞こえたが、振り返りもせずにひたすら寮の部屋に走った。自室に飛び込むと、鍵をかけた。ベッドにもぐりこむと、声をあげて泣いた。
絵をよく知るマーヤに認められたことがうれしかった。
マーヤが喜んでくれるならと絵を渡していた。
それなのに、マーヤにとって都合の良い金づるでしかなかったことがわかり、悔しさと悲しさがあふれ出した。
その夜、アルバンは寮の管理人に申し出て、実家に帰った。画材だけ持って。
「どうしたの?」
母が驚いたように出迎えてくれた。
「もう、学校はやめます」
「どうして? 楽しいって言っていたじゃない」
「もう、同級生たちと顔を合わせたくない」
「何があったの?」
アルバンは答えなかった。貴族用寄宿学校よりは安いとはいえ、普通の庶民や貧乏貴族では払えないような学費を要求する学校である。子爵家の負担になっていたことは間違いない。父にも退学を申し出ると、中途半端に投げ出すとはとため息をつかれた。
アルバンは、あまり多くないが、庶民が持つには少し大きめの額を父親に要求した。
「この家を出ます。貴族籍から抜いていただいても構いません。相続権も放棄します。ですから、少し財産をください。二度と請求しないし、その旨の契約書を書きます」
「待て、学校で何があったんだ?」
「気づかずに貢がせられていたんです。もう恥ずかしくて学校に行きたくありません。それに、僕の絵で少しは稼げそうなんです。だから、ここから離れたところで、画家として生きていこうと思います」
「楽な仕事ではないぞ。本当に縁を切るのか?」
「貴族が画家など、本来は許されないでしょう?」
父は黙ったまま、小切手を切った。
「死ぬくらいなら、戻ってこい。3年は籍を残しておくからな」
そのまま、アルバンは姿を消した。
翌日、退学届を出しに行った父親は、昨日何があったのかを偶然知ることになった。
「マーヤ、絶対にアルバンに謝るんだよ!」
「そうだよ、アルバン、あんなにショック受けていたじゃない」
「どうして私が!」
「アルバンは、絵をよく理解している、画商の娘であるマーヤに評価されたことがうれしかったんだよ? それなのに、その絵を大切にするんじゃなくて、自分のお小遣いために換金するなんて……」
「私、知っているよ? マーヤのお父さん、アルバンの絵を無名作家の絵だって言って売りつけていたって」
アルバンの父は全身の血が沸騰するように感じた。そして職員室に戻ると、マーヤという娘の実家について尋ねた。
「個人情報については、お答えできま……」
「娘がうちの息子から巻き上げた絵を、その娘の親が売っていたそうだ」
職員は顔を青くした。そして、画廊の名前だけ口頭で伝えた。アルバンの父が、マーヤの実家だった画廊に乗り込んだことは言うまでもない。マーヤはプレゼントを平然と換金するような女だという噂もあっという間に広まり、マーヤの一家は逃げるように他の国へと引っ越していった。
アルバンはそんなことなど知らず、描きたい絵を描いて収入を手にしたりできなかったりしながら、ふらふらとあちこちを旅した。
思いがけないトラブルに巻き込まれたこともある。アルバンに恋した女性につきまとわれ、結婚してくれないなら殺すと言われたこともある。
アルバンは今、思う。ただ一枚、納得のいく絵を描けたらそれでいいのに、と。
この国もほとんど回ってしまった。船に乗って、外国に行ってみようと思った。パスポートなどない時代だ。船に乗ってしまえば、どこへでも行ける。
アルバンは思い切って南の国へ行く長期航路の切符を買った。四日かかるという。日持ちのしそうなドライフルーツ入りのパンを買ってから乗船したアルバンは、甲板に出た。
船が港を出た。少しずつ岸壁を離れ、陸が遠ざかっていく。ふと、横を見ると、山が見えた。独立峰のその山が雪をかぶった姿が、なんとも言えず美しいと思った。アルバンはスケッチブックを取り出すと、さらさらとスケッチを始めた。遠ざかる山を見ながら、その場でパステルを削り、指で色を塗りつけていく。その絵を覗き込んだ人が、感嘆の声を上げた。
この国を出ていくにあたり、後ろを振り返ると美しい雪山が見える。真っ白になったその山頂に、今、まさに雪が降っているように見えるよ。
「この絵、いくらで売ってくれる?」
「じゃあ、この金額で」
「いや、それは安すぎる。ああ、手持ちでは足りないな」
男はアルバンに言った。
「この船に乗っているということは、よその国に行くんだろう? 到着するまでに、何枚かあの山の絵を描かないか? 俺は向こうの国で画廊をやっているんだが、あの山の絵は人気があるんだ。高く売れるだろう。いや、なんならうちの画廊に来ないか?」
「絵は描きますが、僕はどこにも長居しませんよ」
「ああ、かまわん。うちで君の絵を売らせてくれ。契約書を作ろう」
「はあ……」
アルバンはまだ、この男に飼われる気はない。ただ、自分の絵を買ってくれれば旅が続けられる、ただそれだけだ。
田子(名詞)の(格助詞)浦(名詞)に(格助詞) ※「田子の浦」で一つの名詞とするのが一般的
打ち出で(動詞・ダ下二連用形)て(接続助詞)見れ(動詞・マ上一已然形)ば(接続助詞)
白妙(名詞)の(格助詞)
富士(名詞)の(格助詞)高嶺(名詞)に(格助詞)
雪(名詞)は(係助詞)降り(動詞・ラ四連用)つつ(接続助詞)




