51 百人一首をアレンジ83 世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
今回からちょっと趣向を変えてみます。前書きに「歌意」を、後書に「品詞分解」を記載してみます。
(歌意)
この世の中には、悲しみや辛さを逃れる方法なんて、本当にないんだなあ。←二句切れ
思い悩んで分け入ったこの山の中にも、悲しそうに鹿が鳴いているようで、せつなくて、つらくて、たまらないよ。
つらいことがあると、誰もが一人になりたがる。涙を見せたくないから、弱っている姿を隠したいから、いろんな理由があるだろう。
それにしても、世の中は理不尽だ。
農家の三男・四男は、望めば家に残ることができる。ただし、家族としてではなく、労働力として。長男は跡を継ぐために家族を持てるが、次男以降は基本的に労働力でしかない。国によっては、父が生きている限りは家族として扱われ、長兄に代替わりしたところで小作人の扱いに変わるとか。いや、もっとひどいところでは農奴と同じ扱いになるらしい。
商家の三男であるアルバンは、正直に言おう、長兄よりも次兄よりも商才があると父親にも他の商家からも認められていた。だが、実家を継ぐことはできなかった。それは、この国が長子相続を基本としているからだ。能力よりも出生順が重視されるこの国では、暗愚な長兄と芸術にのめりこんでしまった次兄のほうが、アルバンよりも上の立場なのだ。
父が長兄に商家を継がせたら倒産すると分かっていたが、この国の法では長兄・次兄共に死亡しない限り、アルバンが継ぐことは叶わない。数十年前の飢饉の時には子殺しも横行したが、今は子を一人でも多く育てよ、という時代である。
優秀な子であっても跡継ぎにできないなら、せめて家に置いて兄の助けにさせよう。
そんな親の思いを感じ取った兄が、優秀な弟を使用人以下に扱って問題になることも少なくない。
アルバンの父は、悩んだ。結論が出ないまま、アルバンが成人する日を迎えた。寝付けず、重い瞼のまま食堂に向かった父は、そこで旅装のアルバンを見てすっかり目が覚めた。
「アルバン、お前……」
「いろいろ考えたんだけど、僕はこの家にいない方がいいと思うんだ。よその商家の婿って言っても、今は娘しかいない家なんてこの辺りにはないし、子どもがいない家は優秀な者を養子にしてしまっているから、僕が商人として生きていくことはできないだろ? でも、僕は商売が好きだ。だから、都に行って商売をしてみようと思うんだ」
「都の商業ギルドに登録できるようになるには、相当の資本金と実績と保証人が必要なんだぞ? 都に既にある商家からの暖簾分けか、貴族に保証人になってもらうしかないと言われていることを、アルバンだって知っているだろう?」
「もちろんさ。僕は自分の商会を持ちたいんじゃない。商売に携わることができればいいんだ。都に行けばこの町では見られないようなものも見られるだろうし、僕がこの町にいない方が兄さんたちも安心して暮らせると思うんだ」
「すまない、アルバン」
「いいんだ。兄さんたちのことをご主人様って呼べって言われるのが嫌なんだ。兄さんは、あくまで兄さんだから」
「わかった。すぐに行くのか?」
「うん。父さんにはちゃんと自分の口で顔を見ていて、それから、朝ごはんだけは食べて行けって、母さんが言うから」
「そうだったのか」
「都までの旅費もあるし、向こうで働く商会ももう決めてある。だから、心配しないで。落ち着いたら手紙を書くよ」
「お前にうちの商会を任せられないことだけが、わしの心残りになりそうだな」
「罵りあう兄弟を残す方が、もっと苦しいかもしれないよ」
「それもそうだな」
父は餞別だと言って、行くからの現金と小切手を渡してくれた。多くはないが、少なくもない額。アルバンはそれを固辞したが、父はどうしても持っていけと聞かない。アルバンは仕方なく、「これ以上の財産分与は一切求めない」という一筆を受け取ってもらうことで、現金と小切手を自分も受け取った。
「じゃあ、行くよ」
「体には気を付けて」
兄たちには声をかけたが、部屋から出てくることはなかった。両親と商会のメンバーだけが見送る中、アルバンは長距離馬車に乗って都へと旅立った。
長距離馬車を乗り継いで5日。アルバンはとうとう都に到着した。前もって約束してあった商会に向かうと、奥の商会長室に通された。商会長は「馬車は?」「ご両親は?」などと言う。
「乗り合いの長距離馬車に乗って一人できました」
と言えば、怪訝な顔をされた。
「あの、もしかして、従業員にしてくださるという話は……」
「従業員ではなく、婿にという話だったはずなのだが? 従業員って、ああ、だから荷物がそんなに少ないうえ、一人で来たということか」
先方は婿取り希望、こちらは就職希望。お互いの間に沈黙が重く重く流れた。
「娘のことをすべて理解したうえで、婿入りしてくれるということだと聞いていたのだが」
「申し訳ありません、一番下っ端の従業員としか伺っておりませんでした」
「そうか。それは……」
その時、商会長の部屋の扉がノックもなく開かれた。そして、キンキンと響く大きな声が聞こえた。
「ねえ、パパ! 婿様が来たって、本当?!」
「あ、いや……」
商会長が顔色を青くしてうつむいた。何だろうと思って後ろを振り返ると、化粧の濃い、贅沢だが趣味の悪い服を着、アクセサリーをごちゃごちゃと身に着けた女性が仁王立ちしている。
「パパ、まさか、これなの?」
「いや、それが……」
「私、嫌よ! 金髪碧眼の美男で、かつ、私を守ってくれる騎士のように体を鍛え上げた人でなければイヤって、私、パパに言ったわよね!」
「か、彼は従業員として……」
「だめ! うちの店は金髪碧眼のイケメン以外雇わないのよ! こんな、赤毛にそばかすだらけのもっさりした男なんて、門前払いよ!」
呆気にとられたアルバンを、商会長の娘と思しき女性に張り付いていた金髪碧眼男性3人が担ぎ上げる。そして、商会長が何か叫んでいるのも構わず、外に運び出された。
「お嬢様がだめだと言えば、旦那様は何も言えないんだ。気の毒だが、他の店に行った方がいい」
「そんな……」
「君の安全を保障できないんだ。頼む、このまま出て行ってくれ」
金髪碧眼たちに哀願されたアルバンは、仕方なく立ち上がった。
「私たちは、奴隷だった。この容姿だったのでお嬢様に買い上げていただけたが、お嬢様の言うとおりに動かなければ何をされるかわからないんだ。この建物からお嬢様のお付き以外では一歩も出られない。君は早々に開放されてうらやましいよ」
彼らの一人はそうそっと耳うちすると、商会の扉を閉めた。
アルバンは、働く場所を失ってしまい、途方に暮れた。紹介状なくまともな仕事にありつけるほど、都はやさしい場所ではない。アルバンの家は都の商会と直接取引するような店ではなかったため、間に入っている商会に頼み込んでようやく見つけた職場だったのに。
仕方なく職業斡旋所を訪ねたが、最近アルバンのように実家から出て都で仕事をしようというものが多く、条件の良い仕事は職業斡旋所で記録される就労実績のよい者に割り振られ、新参者は汚れ仕事かきつい仕事か安い仕事しか回されないと教えられた。それでも、実績を積むしかない。
「あの、実家から持ってきた資産を預かってくれるようなところはありませんか?」
「資産ですか?」
「現金と小切手なんですが」
「うちでも預かりますよ。中にはその日の給料を全額手にすると酒代に消えてしまうような人もいるので、先に契約して、給金を直接払いではなく、斡旋所経由で払う仕組みがあるんです。週の終わりにいくら出す、というふうに決めたり、半額は自分が必要だと言っても絶対に出さないようにしてためる、なんていう契約をしている人もいます」
「銀行は?」
「定職があれば銀行でも預かってくれますが、今のまま無職で行っても窃盗を疑われる可能性があります。下手をすれば、そのまま警邏隊に突き出されて取り調べを受けることになるかもしれません」
「遺産分与に近い形でもらってきたので、まずいですね」
「では、こちらで口座と貸金庫を作りましょう」
帳面に丁寧に文字が書かれる。金額が確かめられ、両者確認の上で、持ってきた金と小切手を預けた。手元にはとりあえず10万ほどの現金を、使いやすい硬貨に崩して持つことにする。
寮に入る予定だったアルバンは、今日寝るところがない。とにかく安い宿を探していると言えば、そう遠くない場所に、日雇い向けの、寝るだけならというレベルの宿泊所があるという。
「アルバンさん、その恰好で行くと狙われるかもしれませんよ」
職業斡旋所の職員にはそういわれたが、これしか服はない。無事を祈ります、できればこちらの宿の方が安心だと思います、と言われて、念のため、二軒目も紹介してもらってから、職業斡旋所を出た。
最初に教えられた宿に行くと、明らかによくない雰囲気が感じられた。近づくのも危険なような気がして、アルバンは二軒目に行くことにした。先程の所よりは清潔感もあり、日雇いではあろうが毎日ちゃんと働いている人間の顔がそこにあった。夜には大浴場も使えるという。
「臭いがきつい仕事をする人もいるからね」
女将の説明にアルバンは納得し、一か月の予約をした。
「前払いできるかい?」
「手持ちで間に合えばいいんだが。最低、何日分払えばいい?」
「10日、払えるかい?」
「いくら?」
「一泊で1000だから、10日で10000だよ」
「10000か。今は5000が限度だ」
本当はそんなことはない。だが、現金を持っていると思われるのは危ないとアルバンは考えた。
「5日分だね。はい、鍵。でもね、錠前破りの前じゃ、こんなものないのと同じだ。あんたは服がきれいだから狙われるだろう。気を付けておくれ。あたしたちは何にも助けてやれないから」
「忠告ありがとう」
渡された鍵を持って指示された部屋に入ると、今まで自分がどれほど恵まれた生活をしていたのか、身に染みた。扉を開けた瞬間に中から酒の匂いがして、思わず鼻を覆った。扉を閉めてから部屋を改めてよく見ると、ベッドが一つ、サイドテーブルが一つ、備品はそれだけだ。窓はあるが、カーテンはない。寝るためだけに使う場所なのだということがよくわかる。壁にくぎが打たれており、そこに服をひっかけろということらしい。とりあえず荷物を枕元に置いた。
こんな部屋だが清掃はされているようで、シーツも新しいものに交換されている。使い古しだが、確かに洗濯されたシーツ。これだけが、この部屋の良心のように思える。自分がこれまでためてきた金も、父親からもらった金も小切手も、ここに置いておくわけにはいかない。たとえ今、使わないものだとしても、自分の物を他人に奪われるのは納得がいかないものだ。職業斡旋所に預けて正解だった。アルバンは帳面も預けられないか、明日聞いてみることにした。
夕食はまだだったが、食べる気になれなかった。ベッドに横たわると、とろとろと眠気が襲ってきた。そのまま、アルバンは眠りに落ちた。泥のように眠り続けた。
・・・・・・・・・・・
翌日から、アルバンは仕事を始めた。アルバンが狙ったのは、商家の下働き。特に輸送業務や荷物の積み下ろしといった業務だ。もちろんアルバンには狙いがある。都にある商家の名前と取扱品、どこの国、地域の、なんという商家・貴族家やギルドと取引があるのか。そういう情報を得られるのだ。
日銭を稼いで五日ごとに宿泊代を払い続ければ、他の宿泊客や女将たち宿のスタッフとも軽口が叩けるほどになっていく。半年もたてば、常連扱いになる。華やかな美男ではないが、人当たりの良いアルバンは「おばさま」たちからかわいがられた。アルバンはみんなの息子ポジションを得たのだ。同時に、おばさまたちから様々な情報をもたらされるようになってきていた。女性のネットワークから得られる情報量はすさまじい。それを知ったことも、大きな意味があるとアルバンは感じていた。
例えば。
あそこの商家の若奥様がつわりで苦しんでいるのに、若旦那はどこそこに隠している妾の所で遊んでいるとか。
向こうの大きな商家では税のごまかしがばれそうで、誰それという貴族家に頼み込んで何とかもみ消そうとしているとか。
都だけではなく、各地から集められてきた情報の中に、聞き覚えのある商家の名前を聞きつけたアルバンは、思わず「もっと教えてくれ」と、その話をしていた行商人の男に食いついていた。
行商人によると、地方にある一軒の商家が倒産し、一家離散したということだった。優秀な子供が出ていったあと、芸術にのめりこんで商売の仕事を手伝いもしない次男が旅芸人の一座の踊り子と懇ろになり、旅の一座とともに家を出て行ってしまったのだとか。
それはまだいい。残っていた暗愚な長男が、両親に黙って投資話に乗ってしまったのだという。両親が気づいた時には既に相手の男は姿を消しており、商会の全財産を失ったうえ、莫大な借金を背負わされていたという。
「長男は、自分は相手を信用できると思ったと言ったようだが、商会長である父親の了承を得ずに商会の金を動かし、契約印を押していた。長男は両親に窃盗犯として警邏隊に突き出され、両親は商会を解散して、自分たちは奴隷落ちして借金の返済に充てたらしい」
そのまま両親のもとに走っていきたかった。だが、もう長距離馬車の出ている時間ではない。妙に落ち着きのないアルバンに気づいた女将が、死んだような目で部屋に戻ろうとするアルバンに声をかけた。
「さっきの話、もしかしてあんたの家のことかい?」
否定も肯定もしないアルバンに、女将はそれを「肯定」であると受け止めた。
「行って来たらどうだい?」
アルバンは女将の顔をうつろな目で見た。
「気になるんだろう? そんな状態じゃ、あんただってちゃんと働けないはずだよ」
「僕が、兄さんたちの使用人になってあの家に残れば、あの家を、あの商会を守れたかもしれないって思うと」
「馬鹿言ってんじゃないよ!」
女将の声に、アルバンははっとした。
「そんなの傲慢だね。自分がいたら丸く解決したはずだなんて言えるほど、あんたは成功しちゃいない」
その通りだ。アルバンはその言葉の重みをかみしめた。
「あんたは実家に残るのではなく、外に出るという選択をした。あんたが家を出てからのことにあんたが責任を感じなきゃならないほど、あんたは実家にかかわって来たのかい? 違うだろう? あんたの知らないところで、あんたの家は坂道を転げ落ちた、それだけのこと。あんたの兄さんたちを御しきれなかった親御さんの不手際だった、それだけのことさ。それでも、あんたは気が優しい。だから責任を感じちまう。なら、もうどうしようもないんだってあきらめるためにも、一度見に行ってくればいい。親御さんがどうなったのか、わからないかもしれない。でも、頑張れば、頑張って働けば、親御さんを買い戻せるかもしれないだろう?」
アルバンはうなずいた。
「女将さん、いつもありがとうございます」
「いいんだよ。あんたは部屋をきれいに使ってくれるし、時間があればうちの仕事も手伝ってくれる。うちの息子はこんな汚い仕事は嫌だって出て行っちまったからね、あんたが力仕事を手伝ってくれて、助かっているのはあたしの方さ」
翌朝、アルバンが階下に降りていくと、女将さんは既に食堂にいた。いつもなら奥でまだ料理をしているはずなのに、と思っていると、紙袋を渡された。
「大したもんじゃないが、腹が減ったままよりはいいだろうから」
慌てて紙袋の中を覗き込めば、昨日の夕食の残りをパンにはさんだものが三個、入っていた。
「女将さん……」
「もうじき長距離馬車が出る時間だ。馬車の中で食べな」
「ありがとうございます。行ってきます」
アルバンは「行ってきます」とは言ったが、もう都に戻ることはないだろうと思った。すべての荷物を持って、職業斡旋所に預けた金はそのままにしばらく置いておくことにした。破産しているのだから、小切手は今となっては紙くずだ。手持ちのわずかな現金だけを握り締め、来た時同様に5日かけて故郷の町に戻った。
春先に出ていったこの町。既に冬の気配が漂っている。南にある都ではまだ上着一枚で過ごせたが、北のこの町では、夜はもうコートが必要だろう。
実家兼商会だった店の入り口には「売り物件」の看板が掛けられていた。噂は本当だったのだという実感が、地面から這い上がって来た。こぶしを握り締めてその看板を見ていると、幼少時からよく世話を焼いてくれた近所のおばさんがアルバンに気づき、自宅に引っ張って連れ来てた。
「馬鹿、どうして来たんだい!」
「噂が本当か、確かめたくて」
「あんたが戻ってきたら、あんたまで借金取りにむしり取られるからって、黙っていろいろ処理したのに!」
「僕、あの家から放逐されたことになっているんです」
「え……」
「籍は抜かれているはずなんですが、まさか最後の処理を父さんたち、しなかったのかな」
「アルバンはそこまでしてから出ていったのかい?」
「僕がなにかしでかしても、兄さんたちに迷惑をかけたくなかったから」
「それでも、血縁関係があると分かれば狙われる可能性がある。借金はまだ残っていると言っていたし、奴隷落ちした以上、働いても給金はもらえないからね、返済できない。長男君は牢の中で、次男君はどこに行ったか分からない。あんたは間違いなく、狙われる。だから、すぐにお逃げ!」
「僕、借金を返すために戻って来たんです」
「どうして!」
「兄さんたちはどうでもいい。でも、父さんと母さんが奴隷落ちなんて忍びないし、借金は返さなければならないものだから」
「アルバン、あんたって子は……」
アルバンはおばさんから聞いた貸付先に向かった。名乗ればすぐに奥に連れ込まれ、奴隷として売ると言われた。だが、アルバンは根気よく説得した。
「僕を売れば一時的には金が取り返せる。でも、僕を働かせて、僕がしっかり儲けられるようになったら? 一時のはした金よりも、きっちり借金が取り立てられるんじゃないか?」
親分はアルバンをじっと見た。あの家で一番商才があったのはアルバンだった。同じ町に住んでいたのだから、そういう情報はもちろんつかんでいる。
「いいだろう。売上の半分を取り立てる。残りは1000万あるんだ。がむしゃらに働いてもらうぞ」
アルバンはすぐに働き口を探した。だが、働くのがアルバンだと分かると、採用を渋った。借金取りの親分はこの辺りでは知られた裏の人物だ。そんな人物と間接的につながってしまうことを、町の人たちは恐れたのだ。
「どうする? 俺の下で働くか?」
二日経っても働き口が見つからないアルバンに、親方が声をかけてきた。
「いいえ、こうなったら自分で店をやりますよ」
アルバンは、本当に店を立ち上げた。都にはあまりないが、この町では当たり前にあるもの。荷運びをしながら見つけたいくつかのの物に絞って商売を始めた。
特に力を入れたのは、この町の木工職人たちが作る寄木細工だ。もともとは端材を有効利用するために編み出された独特の寄木細工は、都では全くと言っていいほど取り扱われていなかった。だが、ある商会が、同じようなものを外国から輸入しているのに気づいたのだ。
国内生産であれば、輸送コストも安くつく。まずはオルゴールなどの小物を都にもっていった。もちろん、逃亡防止のため、親方から見張りをつけられている。オイゲンというその男は、用心棒でもある。都へ荷馬車を走らせていると、三回に一度は賊が出る。10人くらいの賊ならあっという間に倒してしまう、凄腕の用心棒だ。最も、警邏隊や軍人、プロの窃盗団ともなれば、話はちがうだろうが。
アルバンが都に持ち込んだ寄木細工は、静かに広がっていった。
陶器は割れやすいが、木では物足りない。
絵付けをすればよいが、絵付けすれば値段は跳ね上がるから買えない。
人とは少し違ったものを手に入れたい。
そんな需要を、アルバンが持ち込んだ寄木細工は満たしていった。貴族や豪商などは見向きもしなかったが、中流層からの注文が相次ぎ、そのうちに新婚家庭用にあつらえる家具としての人気も出始めた。
そのころには職人たちも潤うようになってきたことで様々な工夫をする余裕が生まれ、素材の色を生かして麻の葉や市松、風車など、様々な模様を作ることができるようになった。
こうなると、新しいデザインを求めて値段が高騰を始める。
アルバンの商売は、当たった。職人たちも悲鳴を上げるほど忙しくなった。アルバンは職人たちとデザインを考えたり、貼り付けるための接着剤を改良したりと大忙しになった。
もちろん、借金取りの親方への返済は、約束通り売り上げの5割を守り続けた。人を雇うとお金がかかるので人を雇わず、職人に支払う額を確保し、両親を奴隷から買い戻すための金をためていけば、自分が贅沢をする余裕などどこにもなかった。
あと半年で借金が返し終わる、と言うところまで来るのに、5年。5年で1000万を返し終えるのだから、どれほど無茶な返済だったのか、そして寄木細工が売れたか、想像できるだろう。
その月の返済金をもって親方の所に行くと、親方が難しい顔をしていた。
「来月で終わりですね」
「ああ」
「返済が終わればもっとお金を貯められる。そうすれば、両親も買い戻せます」
「それなんだが」
親方が珍しく曇った顔をしていることに、アルバンはようやく気付いた。
「実はな、お前の両親がどこにいるか、調べさせたんだよ」
「はい」
「俺たちはある奴隷商人に二人を売った。そいつは信用できると俺が見込んでいるやつなんだ。そいつは身元が確かな、ある貴族家に売ったらしい。だがな。その貴族の領地が洪水被害にあい、邸の奴隷たちが住んでいた使用人棟が川に流されたそうだ」
アルバンは心拍数が上がるのに気づいた。息ができない。その続きを聞かねばならないが、聞きたくないという気持ちとの間でどんどん苦しくなってくる。
「ほとんどの奴隷が、溺死体で発見されたそうだ。見つかっていない者もいるそうだが、更に下流にある他領にまで流されている可能性がある」
「両親は……」
「奴隷頭は死亡。奴隷全員の顔と名前が一致していたのはそいつだけらしい。お前の両親がどうなっているかは、お前が確認するしかないだろう。生きていれば買い戻すこともできる。だが、死んだか、この機に乗じて逃亡していれば、買い戻すことはできない。わかるな」
アルバンはうなずいた。仕事のことは、オイゲンがわかっているから任せようと思えば任せられる。
「わかった。お前は、両親の安否を確認してこい。その間、オイゲンがお前の店を手伝う。残りの借金は、半年以内なら利子を増やさず待っていてやる」
「ありがとうございます」
アルバンはオイゲンに後を任せると、両親を買い戻すためにためてきた金を持って、両親が売られた先に向かった。
そこは、洪水被害でどうにもならないありさまだった。何とか邸にたどり着くと、事情を話して土葬直前の奴隷たちの顔を検めさせてもらった。そして、見つけた。
「父さん、母さん……」
「ああ、その人たちだったかい。名前は知らないけれど、上品で丁寧なご夫婦だったよ。流された時も手を取り合っていたんだろうね、死んでもほら、二人、手を離さなくてさ。二人一緒に埋めてやろうっていう話になっていたんだよ」
教えてくれたのは、ランドリーメイドだという女性だった。織物商をしていた両親らしく、生地によって洗濯の仕方を変えた方がい具体的なアドバイスをしてくれたのだと、その女性は言っていた。
「いい人たちだったの」
「僕にとっても、大切な両親でした」
「息子さんのせいで奴隷になったらしいけれど、一人だけ頼りになる子がいて、その子のことを心配していたわ。それ、あなたね」
アルバンは首を横に振った。両親が好きだった花はどこにも見つからなかったので、ちょうど持っていた押し花のしおりを、握り合ったその手の上に置いて、周りの人たちと一緒に土をかぶせた。
そうして、そのまま、こんもりと土を盛られた両親の墓の前に座り続けた。他の人たちはみんな、次の人を埋める作業を続けていたかが、いつの間にか日も暮れ、周囲には誰もいなくなった。
両親を買い戻すための金は、ここに置いていこう。そして、復興のために役立ててもらおう。父さんや母さんだって、その方が喜ぶはずだ。
アルバンは一晩、両親の墓の前で過ごした。そして、別れを告げると、故郷の町に向かった。
「行ってきました」
「両親は?」
「亡くなっていました」
「残念だったな」
「はい。ですが、最後は2人で手をつないだまま、逝ったようです」
「そうか」
親方は帰って来たアルバンをねぎらってくれた。
「明日から、仕事に戻ります」
「それなんだが」
親方の言葉に、アルバンは顔を上げた。
「残りの借金はチャラにする。だから、店をもらう」
「え」
「オイゲンがな、あんなに楽しそうにしているのは、初めてなんだ。あいつが笑っているところを初めて見た。アルバンには悪いが、借金の形としてあの店を接収させてもらう」
「待ってください、それじゃ僕は」
「お前なら、また新しい商売ができるだろう。両親を買い戻すために、ある程度まとまった金を持って行っただろう? だから、残りの金も、すべて借金の利子分として受け取る」
「そんな、あの金は復興のために使ってくれと全部置いてきました!」
「残念だな、だが、残債と今の資産はぴったりちょうどだという査定も出ている。借金のない、きれいな状態になった方がお前にとってもいいはずだ」
「待ってください、親方! 親方!」
用心棒たちに引きずられ、そのまま路上に放り出された。
「親方とオイゲンの奴にうまくやられたんだよ」
用心棒の一人がそう言った。
「オイゲンは、最初から、店を乗っ取らせるために付けていたんだ。あんたはまんまとひっかっかった。それだけのことさ」
両親も亡くし、立ち上げた商会も奪われてしまった。また一文無しの身一つから始めなければならないのかと思うと、ぷつりと糸が切れたような気持になった。
アルバンはそのまま、山に入った。狼もいるこの山は、昼間の山裾ならば子供や女性がベリーやハーブを取りに来るが、それより奥や夜間には猟銃を持った者しか近づかないような場所である。
もう、何も考えたくなかった。何をやっても、うまくいったと思った瞬間に積み上げてきたものが崩れ去る。幸せになろうという努力が、いとも簡単に覆されてしまう。それがつらかった。
山の頂上近くに、少し開けたところがあった。切り株に座って空を見ていると、月が昇って来た。このまま狼に襲われるならば、それでもいいと思った。この人生、苦しみしかないのなら、終わらせた方がいい。
そんなことを考えていると、あまり遠くないところから鹿が鳴く声が聞こえてきた。悲し気なその声に、アルバンの心がギュッと締め付けられた。
この世の中には、悲しみや辛さを逃れる方法なんて、本当にないんだなあ。思い悩んで分け入ったこの山の中にも、悲しそうに鹿が鳴いているようで、せつなくて、つらくて、たまらないよ。
アルバンがその後どうなったか、町の者は誰も知らない。
(品詞分解)
世(名詞)の(格助詞)中(名詞)よ(間投助詞/終助詞・詠嘆)
道(名詞)こそ(係助詞)なけれ(形容詞ク活用已然形)※係り結び=強調
思ひ(動詞ハ四連用)入る(動詞ラ四連体)※「入る」は「思ひ入る」と「(山に)入る」の掛詞か
山(名詞)の(格助詞)奥(名詞)に(格助詞)も(係助詞)
鹿(名詞)ぞ(係助詞)鳴く(動詞カ四終止)なる(助動詞・推定連体)※「なり」は推定の助動詞で、聴覚情報を根拠に推定した場合に用いられる⇔視覚情報ならば「めり」




