46 百韻一首をアレンジ23 久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
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昨日咲いたマグノリアの花が、ひとつ、またひとつと散っていく。小さな花びらの花がハラハラと散っていく様も美しいが、花びらの大きなマグノリアの花が散っていく様はむしろ潔ささえ感じさせる。
アルバンは思う。
どうしてそんなに散り急ぐ? もっと花を楽しんでいたいのに。
「ねえ、何を見ていらっしゃるの?」
「……」
「旦那様?」
「あ、すまない。マグノリアの花が散っているだろう? それが気になって」
「散った花に何の意味があるのですか?」
「え?」
「今咲いている花であっても、萎れ始めたらもう用済みですわ。すぐに取り替えさせねばなりませんのよ。散った花などただのゴミ。何の意味もございません」
ああ、この人とは理解し合えないのだな。
その思いで、アルバンの心は潰れそうになる。もし今隣にいるのがマーヤだったなら、きっとアルバンの気持ちに寄り添ってくれただろう。
いや、マグノリアの花であればこそ、マーヤは共感してくれたはずだ。
馬車は既にマグノリアの並木通りを通り過ぎてしまった。不満げに自分を見る妻に気づかれぬようそっとため息をつくと、窓の外に視線をやった。マグノリアの木も花も、もうどこにもなかった。
・・・・・・・・・
マグノリア騎士団は、アルバンの故国にいる優秀な女性騎士たちだけを集めた騎士団であった。マグノリアの花を紋章に、「高潔」というその花言葉の通りに高潔な騎士であることを誓った者たちが集っていた。国内の女性要人だけでなく、各国からの女性賓客の警護、戦場での戦闘行為はもちろん、野戦病院で働く女性スタッフを守ること、敵の襲撃を受けて様々な被害に遭った女性たちを保護することも、マグノリア騎士団の任務だった。
アルバンがそんなマグノリア騎士団の女性騎士マーヤと出会ったのは、やはり戦場だった。マーヤは、マグノリア騎士団の中でも医療に特化したチームに所属しており、衛生兵として野戦病院で活動していた。
アルバンは数年前に、隣国との戦争に徴兵されてすぐに負傷し、野戦病院で応急処置を受けた後、一旦後方の拠点にある軍の病院に転院することになった。一進一退の最前線。野戦病院はテントの下で応急処置をするのが精一杯。このままでは脚を切断することになりかねないと軍医が判断し、一刻も早く手術ができる病院に向かうことになった。
だが、砲弾が飛び交う中では、戦場を離脱するのも途中で包帯を交換するのも難しい。5人の負傷兵を、食糧と弾薬補給の後方支援に回っていた一小隊が回収していくことになった。そこに、看護用の衛生兵として帯同したのがマーヤだったのだ。
女性騎士の中には、男性の騎士以上の体を手に入れ、力業で武器を振り回す人もいる。素早い動きで翻弄する人もいる。マーヤは、ライフルと短銃が得意なのだと言った。いつもゴーグルを着用して、いつでも銃撃できるように備えていた。
「マーヤさんは、強いんだね」
包帯を交換してもらう時、アルバンがぽつりとこぼしたことがあった。
「僕は徴兵されてきた、素人の兵だ。ただ盾になることしかできない」
「そんな君の命が助かってよかったよ」
マーヤは包帯をきゅっと結びながら言った。
「私たち正規兵が効率よく動くために、どうしても君たちのような駒が必要になる。だからこそ、君たちを死なせてはならないと私は思っている」
「マーヤさんがそう言ってくれると、少しだが役に立てたような気がするよ」
「そうか? まあ、事実なんだ。早く病院に行って処置してもらえば、足だって失わずにすむはずだ」
「そうだといいんだが」
そんな何気ない会話が、アルバンの心の支えだった。その後も、国境を越えてこちら側に入り込んだ敵の斥候との小競り合いがあり、マーヤのライフルのおかげで事なきをえた事もあった。
病院に辿り着いたアルバンは、マーヤに言った。
「戦争が終わったらお礼がしたい。いつかリンデンの街に来ることがあったら、僕の親の店に来てほしい」
マーヤは目を見開いたが、アルバンの父の店の名前を覚えておく、と言ってくれた。
そのままアルバンは手術を受け、医師の診断によって徴兵を解かれた。足の切断は免れたが、最前線に出すのは無理だという判断だった。
アルバンはリンデンの街に戻ると、今までやりたがらなかった親の仕事を真面目に手伝うようになった。死を覚悟したこともあるが、もしマーヤが訪ねてきてくれた時、今までのような、何となく生きているような男のままでは会えないと思ったのだ。
真面目に働くようになったアルバンに、両親は喜んだ。負傷した右足は雨が降ると痛んだが、歩くことに問題はない。元々要領もよい男だったアルバンは見る間に仕事を覚え、父に跡継ぎとして正式に認められた。
そんな時だった。戦争が終わったという知らせが届いたのは。
アルバンはマーヤがいつか来てくれるのではないかと心待ちにしたが、戦争が終わって半年経っても、マーヤがリンデンにやってくることはなかった。
片思いか。
そう思い始めた頃、マーヤからの手紙が届いた。
「元気になっただろうか」
そんな書き出しから始まったマーヤからの手紙には、正規兵ゆえ戦後処理にもかり出されてここまでまったく休暇がなかったこと、そのせいで訪問することも手紙を出すこともままならず申し訳なかったと謝罪が綴られていた。同時に、都からリンデンまではそれなりに距離もあるため訪問はできそうにないこと、だから手紙のやりとりをしないか、という提案もあった。
さすがは「高潔のマグノリア騎士団」だな。
アルバンはそれ以来、マーヤと不定期に文通をするようになった。リンデンより北にある王都とは、季節の訪れが少しずれている。
「こちらではもう麦が実り始めた」
「そうか、王都はまだようやく春の花が咲いたところだ」
そんなたわいもない言葉のやりとりが、アルバンにはうれしかった。
ある春の日に、マーヤからこんな手紙が来た。
「王都では今、マグノリアの花が咲き誇っている。だが、すぐに散ってしまう。まるで我々のように。だが、私はその散り際にこそ、意味があると考えている。君との文通は楽しかった。心の支えだった。今までありがとう」
意味深長なその言葉に胸騒ぎを覚えたアルバンは、両親の許可を得て王都に向かった。そしてマグノリア騎士団の本部を訪問した。
「うそだろう?」
マグノリア騎士団は解散させられていた。前の戦争で活躍したマグノリア騎士団だったが、他の騎士団からの恨みを買い、陥れられたのだというのが王都の民の話だった。
「陥れられたって?」
「騎士団に振り分けられる予算を、団長たち上層部が横領していたっていうんだ。証拠には不審点がいくつもあったのに、国はその不審点については何も触れずに、いきなりマグノリア騎士団を解散させたんだ。ひどい話だろう?」
「マグノリア騎士団にいた女性騎士たちはどうなったんだろう? 何か知っているか?」
「騎士団長は最後まで潔白を主張したが受け入れられず、収監されたらしい。他の騎士たちは実家に戻った人もいれば、実家から拒絶された人もいるって聞いた」
「そんな! 無実の罪なのに?」
「正式な処罰がくだったからな、罪人集団にいた者が家門にいることが許せないという親父もいるんだろうよ」
「知り合いがいたんだ。調べる手段は」
「ないね。抹消されている。ただ、変な噂もあるんだ」
「へんな?」
「マグノリア騎士団の団長を含めて、国の上層部がマグノリア騎士団にいた女性騎士たちを囲っているって噂さ」
「囲うって、まさか」
「きっと兄ちゃんの想像通り。騎士団長は王族か軍務大臣に狙われたんじゃないかって。他にも綺麗な人ががいただろう? 愛人になることが命じられる判決なんて、聞いたことないんだが、どうしても手に入れたいと思われちまったんだろうなあ」
アルバンは何日もマーヤを捜した。だがマーヤの行方は全くつかめなかった。最後の手段として、アルバンは父親が時々使うという情報屋に接触した。
「ああ、マグノリア騎士団のその後ですか?」
情報屋の男は、真面目そうな男だった。
「マーヤという騎士を探している。命の恩人なんだ、困っているなら助けたい」
「無理ですね」
「無理?」
「マーヤ・シュトルンツ殿は既に死亡し、この世にいない」
「死亡? どうして?」
「マーヤ・シュトルンツ殿はね、第二王子のお気に入りだったんだ。一部貴族の間でマグノリア騎士団の女性騎士たちを振り向かせるという賭け事がはやった時第二王子はマーヤ・シュトルンツが自分に靡くと賭けた。だが、第二王子だけでなく、全員が失敗した。さすがはマグノリア騎士団だと称賛されたんだが、それを根に持った連中が裏で動いて、罪をでっち上げた。そしてマグノリア騎士団を解散させ、お気に入りの騎士たちを捕らえて愛人にしようとしたのだよ」
「なんて下劣な!」
「騎士たちが寮から逃げだそうとした時、既に寮は取り囲まれていた。名と顔を調べられて、対象者でなければ出られたが、対象者はみな留め置かれた。マーヤ・シュトルンツ殿は対象ではない女性騎士を通じて最後に手紙を書いた。一通は君の手元に郵送され、もう一通は、私の所に逃げ出せた騎士が持ってきた。君がいつか尋ねてきた時に渡してほしいという遺言だったよ」
情報屋は書類ケースから手紙を取り出した。差出人の名はなかったが、アルバンの名が書かれたその文字は、確かにマーヤのものだった。
「その手紙を手渡された私は、すぐに隠した。それから、マグノリア騎士団の寮に向かった。外から見えないよう布が貼られていたからただ事ではないと思ってね、情報屋らしく中が見えるところに行ったよ。そこで私が見たのは……運び出されていく遺体だった」
「生存者は?」
「ゼロ。全ての伝手を使ったが、生きてあの寮から出たのは、前日までに出ることを許された者だけだった」
「どうして死んだと確認したんだ?」
「互いの胸を、向かい合って刺したまま倒れていたという声が聞こえたからな」
「集団自決ということか?」
「状況から考えれば、そういうことになるだろう」
情報屋は手紙をアルバンに手渡した。
「ここで読んで、問題が無いようなら持ち帰ればいい。だが、まずいことが書いてあれば、君にも飛び火するかもしれない。そうしたら、父上たちまで殺される可能性がある。だから、ここから出る前に焼き捨てること。約束できるか?」
「わかり、ました」
震える手で封を切ると、手紙を開いた。
「アルバン。この手紙を読んでいると言うことは、あなたが私を探しに来てくれたということになるだろう。
本当はあなたの住む街に行ってみたかった。私の好みに合いそうなものがたくさんある街に行ってみたかった。
でも、もう無理のようだ。騎士としてこの国に仕えてきたが、こんな形で裏切られるとは思わなかった。せめてもの抵抗として、我々は自決することにした。誰の慰み者にもならない、団長もそう言ったんだ。
我々は、結婚も恋愛も否定していない。ただ、我々が心から望んだ者と結ばれて初めて、神の祝福が得られるものと信じている。重婚を禁じながら愛人を持とうとするこの国の上層部には反吐が出る。
ああ、すまない、ついついあなたなら笑って受け止めてくれそうで、思いのままに書いてしまったよ。
我々は、信条に従い、自分の身を守るために死ぬ。どうかそのことを理解してほしい。
最後にもう1度だけ、あなたのあたたかな笑顔を見たかった。
どうかあなたは心を許せる人と結ばれてほしい。心から願っているよ。
あなたの友 マーヤ・シュトルンツ」
アルバンの目から涙が溢れて止まらなかった。
「すばらしい人たちを、自分たちの欲望のために死に追いやったような連中のために働きたいと思うかい?」
「ふざけるな、そんなわけないだろう!」
「今、私たちは動こうとしているんだよ」
「動くって、何だよ」
「上層部を全員消してやろうって話さ」
「おい、それって」
「ああ、そうさ。革命だ」
情報屋の顔が一変した。
「自分たち以外には人間じゃないって思っている連中のために、どうして税を払わねばならない? どうして奴らの私利私欲に使われるための金を渡す? 私はもうたくさんだ。だから、この国を変えてやる」
アルバンはこの国が滅びかけているのだと気づいた。
「俺は……」
「君に参加しろとは言わない。マーヤが気にしていた男だからどんな奴かと期待していたが、打たれ弱そうだからな。だから、君には外国に逃げていてほしい」
「逃げろって」
「いずれこの国が新しく生まれ変わった時、外国から資金援助できるだけの力を付けておいてほしいってことさ。この話は、君の父親も知っている。同意しているよ」
「……」
・・・・・・・・・・・
アルバンは外国に支店を出した父に命じられて支店長となった。革命家たちが反乱の狼煙を上げたが、すぐに鎮圧された。父親からは「絶対に帰ってくるな」という手紙が来てから、一度も連絡が取れない。
どうしようもなく、アルバンはこの国での地盤を固めるため、同業者の娘と結婚した。美しく賢い娘だったが、商売人の娘らしく、ある意味ドライだった。感傷に浸る暇があったら新しく売れるものはないか探せ、というのがポリシーらしい。
悪い人ではない。しっかり者の、よき妻と言えるだろう。だが、マグノリアの花を愛でた女性騎士のような、風流を解する心はなさそうだ。それがアルバンには埋められない溝のように感じられた。
読んでくださってありがとうございました。
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