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44 百人一首をアレンジ 13 筑波嶺のみねより落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる

読みに来てくださってありがとうございます。

よろしくお願いいたします。

「ねえ、恋には2種類あるのではないかしら」


 ぼーっととりとめも無いことを考えていたマーヤは、突然ハンナにそう言われてどう答えたらよいか分からず、きょとんとした。


「あ、えっと、2種類?」

「うん。マーヤもそう思うでしょう? 落ちる恋と、積み上げる恋」

「ごめんなさい、ハンナ。私にはよく分からないわ」

「ええっ、マーヤみたいな頭のいい子よりも先に、あたしの方が分かってしまったってこと? これは重大事件だわ!」


 ハンナが走って行ってしまった。おそらく、マーヤにも分からないことを自分が理解した、そう吹聴して回るのだろう。だって、ハンナはいつだってマーヤをライバル視していたから……マーヤがどう思うかなど、お構いなしに。


 翌日、マーヤは同僚から、ハンナが「あたしはマーヤより頭は悪いかもしれないけれど、マーヤは恋のなんたるかを知らない、寂しい女だ」と触れ回っていたと聞かされた。


「いいの、マーヤ。あの子はすぐに増長するわ」

「気にした方が負けだと思っているわ。いえ、気にするだけの価値がないというべきかしら」

「相変わらず、マーヤもきついこと言うわねえ」


 マーヤは昔から勉強が良くできた。努力もした。すらりと背が高く、容貌も整っている。ただ、情緒面に難があった。愛想笑いをする意味が分からないと「スン」とした表情を崩さなかった。他人が驚いたり悲鳴を上げたりするような場でも、せいぜい大きく目を見開く程度。「G」を発見した時などは、騒ぐ人を「うるさいわね」と言わんばかりに一睨みした後、極めて冷静に箒の一撃で仕留め、ご遺体を外に放り投げる。


 一事が万事というわけで、マーヤは「感情を持たない、冷たい女」と周囲からは思われている。両親はそれをひどく気にしていたようだが、「羽虫の音など聞くに値しない」とマーヤがぴしゃりと言ったのを聞いて、全ては天の思し召しのままに、という心境に至っている。


 そんなマーヤが男性陣からどう見られているかといえば、これまた極端なものだ。いつも笑顔の可愛い子が好みだという男性陣からは「圏外」扱いされ、叱られたい願望を持つ男性陣でさえ「マーヤに叱られたら立ち直れなくなりそう」と敬遠される始末である。


 そんなことに構わないマーヤは、難関の地方官吏登用試験に合格して役場の官吏になれた……はずだったのだが、田舎の役人の上役は頭が固かったらしい、マーヤに正規の官吏としての仕事を与えず、書記官として配属した。


 さすがにマーヤにも思うところがあったのだろう、会議の議事録を取るように言われた時には、一字一句全て記録したものと要点をまとめたものの2種類を提出し、上司の度肝を抜いた。重要な書類の清書をさせれば、「起案は通っているようですが、間違いがあります。どうしたらよろしいですか?」と聞かれて確認したところ、金額の桁が1つ違っていたこともあった。


 ということで、マーヤは役場でも「便利であるが扱いにくい人材」として扱われることになった。


 こんなはずではなかったのだけれど。


 地方職とは言え官吏ともなれば女1人でも食べていける。親兄弟迷惑を掛けたくない一心でこの仕事を選んだだけなので、そもそも仕事の内容にはそれほど興味を持てなかった。ただ、みんなはどうしてそんなにいい加減な仕事をするのだろう、そう思っていた。


 役場には官吏だけでなく、お茶くみや受付などの職務を受け持つ、アルバイト職員もいる。ほとんどが年若い女性で、長くても3年で退職する。ほとんどの者が仕事をするためではなく、結婚相手を探しに来ているという感じで、女性の少ない職場に公式にあてがわれた花嫁候補たちという立ち位置だ。


 ハンナは学生時代からの知り合いだ。いつも男子生徒の後ろを追いかけていたが、誰からも相手にされていないと言う点ではマーヤと同じだ。だが、マーヤと根本的に違うのはハンナが恋に恋する女であり、女の幸せは結婚でしか手に入れられないと信じていることだろう。


 ハンナが職場で「恋を知らないマーヤ」について大声で話しているのを遠くに聞きながら、マーヤは黙々と仕事をする。その日も、頼まれていた中央政府への回答書を清書しおえると、既に定時を2時間も過ぎていた。


 ふっと息を吐いてから書類を定められた場所に置いて鍵を掛け、鍵を決められた場所に納めると、片付けをして帰宅する。実家からは3つ領を隔てたこの地に来たばかりの頃は、買い物1つするのにも苦労したが、今は暗い夜道を平気で歩けるほどに慣れたとマーヤは思っている。この時間では、既に食料品店はしまっている。家にあるもので夕食を済ませる他ない。次の休日にまたある程度の買い出しをしなければ、そんな事を考えながら役場から出ようとすると、マーヤさん、と声を掛ける者がいた。


 振り返れば、アルバンだった。アルバンは中央から派遣されている官吏で、こうやっていくつかの地域を回った後、将来の上級官吏候補として出世の道を歩くことが確定している、優秀な人材だ。マーヤはアルバンとほとんど接点はないが、中央に問い合わせをしなければならない時、宛先を誰にすればいいのか困り、アルバンに聞きに行った事があるという程度の知り合いだ。


「マーヤさん、今お帰りですか?」

「はい。堤防工事への助成を願う文書を清書しておりました。明日の朝になればインクも乾いているでしょうから、発送できるかと」

「ああ、オイゲン部長のところに送るんですね」

「はい。アルバンさんも遅いんですね」

「中央にいたら、こんな時間に帰れると思う官吏はいませんよ」

「ええっそんなに遅くまで?」

「全ての地方から上がってきたものを精査しなければなりませんし、首都近郊については直接統治しなければなりませんからね」

「全地方の業務を担っているということですか」

「そうです。だからこそ、僕たちは地方の状況を知らなければならない。そうしないと、予算を必要な所に分配できませんから」

「扱う金額も桁違いでしょうから、大変でしょうね」

「まあ、桁が違うことは確かですね」


 何となくアルバンと歩き始めたが、ふと、同じ方向でいいのだろうかと思ったマーヤは、素直にそう尋ねた。


「女性を夜、一人歩きさせるのは、僕のポリシーに反します」

「いやいや、ここは治安もいいですし」

「そうやって油断して、犯罪に巻き込まれた人を知っています。だから、僕は、自分のために、自分の自己満足のために、マーヤさんが玄関の戸を閉めるところまで確認したいのです」

「まさか、遠回りさせているのでは?」

「官吏となるか、軍人になるか、最後まで迷ったくらいなんです。体を動かさないと、肩が凝っていけない」

「肩が凝るのは、よく分かります」

「ですから、不足している運動の代わりとして、一緒に歩かせてください」


 男気ってこんなことをいうのだろうか、そんな風に考えながら、マーヤはアルバンと歩いた。そして、マーヤが借りているアパルトメントまで来ると、ここなので、と言って挨拶し、こちらを見ていたアルバンに頭を下げてから扉を閉め、鍵を掛けた。なんだかくすぐったいような、そんな時間だったな、とマーヤは思った。


 その日以降、マーヤは時々アルバンと一緒に帰るようになった。首都に行ったことのないマーヤは首都の話をせがみ、アルバンはこの領だけでなく、マーヤの実家がある領についても話を聞きたがった。互いに、情報共有している、そんな風に感じていた。


 半年が経った頃。あと2ヶ月で、ハンナの契約が切れる。そうすればまた静かな環境に戻るだろうかとマーヤは思いながら今日も仕事をしていた。


「マーヤ、今からお昼? それなら一緒に食べない?」


 偶然ハンナと食堂で出会したマーヤは、断ることも無かろうと了承した。


「ねえ、聞いて! 私、一目惚れしたんだ!」

「そう。お相手は?」

「中央から来ているアルバンさん! あの人、出世も間違いないっていわれているし、なんて言ってもかっこいいじゃない? 私、ああいう人の奥さんになりたいわ!」


 思わず咀嚼していた口が止まった。


「マーヤ? どうかしたの?」

「いいえ、ちょっと思いだしたことがあっただけ。それで、アルバンさんのような人がいいのね?」

「違うわ、私はアルバンさんのような人ではなくて、アルバンさんがいいのよ。ねえ、マーヤ、あなた時々アルバンさんとお話ししているでしょう? 私を紹介してくれない?」


 急に、体中が不快感で一杯になったように感じた。


「自分からアプローチすればいいじゃない。私を巻き込まないで」

「ええ、だって共通の知り合いがいた方が、近づきやすいじゃない」

「ハンナ、ごめんね。私、急ぎの仕事を思いだしたの。もしよかったら、このデザート、口を付けていないから食べて」

「あ、ええ、ありがとう。私、プリン大好物なのよ」


 知っている。だから、あなたにあげるのよ。


 マーヤはドキドキする胸を押さえながら、庭に出た。アルバンとハンナが並び歩く姿を想像した瞬間、嫌だと思った自分に驚いた。紹介しろと言われても、絶対にしたくないと思ってしまった自分を、愚かだと思った。


 そう、マーヤは気づいてしまったのだ。自分が少しずつ少しずつ、アルバンに対して好意を積み上げ、恋していたことに。


 マーヤは呼吸を整えると、午後の仕事に取りかかった。そして、提示ギリギリになってマーヤに持ち込まれた別の領へ送付する公文書の清書を、嫌な顔1つせずにやり始めた。いつもなら遅くても定時2時間後には上がるのだが、今日は役場を出るのが嫌だった。浅ましい自分に気づいてしまった以上、アルバンに合わせる顔がなくて、アルバンよりも遅く帰ることしか思いつかなかったのだ。


 ようやく清書を終えると、マーヤは室内を見回した。さすがに3時間後ともなれば、誰もいない。他の部署は分からないが、文書課というのは緊急の清書以外、基本的には定時内で働ける部署なのだ。ため息をついたマーヤは、保管箱に入れて鍵を掛けると、明かりを落として部屋の鍵も掛け、警備員に鍵を預けた。


「今日は遅かったんですね」


 待合スペースのベンチに、アルバンが座っていた。


「どうして?」

「マーヤさんの帰りが遅くなればなるほど、僕は心配で溜まらないんです」

「だから、どうしてそんなに私のことを気に掛けてくださるのですか?」

「理由を教えろ、と?」

「はい。あなたの善意を信じないわけではないのですが、理由が分からないのもふあん難です」

「じゃ、帰りながら話しますよ。行きましょう」


 まだ秋だと思っている内に、夜は既に冬の気配を漂わせ始めている。この時間はジャケットでは寒いな、そろそろコートや手袋も用意しなくては、そんなことを考える。


「寒いでしょう? 手、貸して」


 あ、と思うまもなく、アルバンに右手を取られた。


「ほら、冷えている」


 アルバンが優しく、だがしっかりとマーヤの右手を掴んで離そうとしない。


「あ、あの、手」

「うん?」

「手、離してください」

「嫌。だって、マーヤさん、手を離したらもうポケットに入れるつもりでしょう?」


 なぜバレた? マーヤはきょとんとしてその場に立ち尽くした。


「マーヤさん。僕に手を握られて、嫌?」

「嫌、では、ありませんが……その、不慣れなので」

「不慣れ? いや、慣れていたら僕、泣いちゃうよ」

「え?」

「僕は、毎日マーヤさんとこうやって手を繋いで帰りたい。願わくば、同じ目的地に向かってね」

「ええっ?」

「あなたのように、仕事に真面目に取り組める人は、どんなことにも誠実に対応してくれるだろう。それに、あなたは群れていなければ生きていけないような人ではない。その上、あなたは……美しい」


 マーヤの顔がみるみる赤くなっていった。


「そんな、買いかぶりすぎです」

「おや、僕の審美眼を否定するのかい?」

「田舎でその審美眼が狂ったのかも知れませんよ?」

「それはない。僕は首都の気取った女性たちも、地方の最初から専業主婦狙いの女性たちにも、違和感しか持てない。同じように同じ未来を見据えられるマーヤに、僕は敬意をもったし、それが好意になるのはおかしいことじゃないだろう?」

「あの、私、よく分かりません」

「じゃ、分からせてあげよう」


 突然、右手を強く引かれた。蹈鞴を踏んだ先にあったアルバンの体に飛び込む形になったマーヤは、ごめんなさいといって離れようとし……そして、がっしり捕まれてその腕の中から抜け出せないのに気づいた。


「あの、アルバンさん!」

「ね、僕と付きあうって言って。今日、なかなかマーヤさんが出てこなくて、避けられているんじゃないかって、不安だったんだ。でも、こうやって手を繋がせてくれた。僕に抱かれても、助けを叫ぶこともない。それって、僕に少しは興味を持ってくれているってことじゃないのかい?」

「あ、あうう……」


 変な声しか出せなくなったマーヤを見て、アルバンはふふふ、と笑った。


「マーヤさん、僕と付きあってくれますか?」

「は、……はひ」


 アルバンにぎゅっと抱きしめられて、マーヤはどうすることもできずにされるがままになっていた。ただ、アルバンの胸の高鳴りに、緊張しているのは自分だけではないと思い、少しだけ安心していた。


 2人は交際を始めたことを誰にも言わなかった。ハンナ始め、アルバン狙いの女性職員が何人もいて、マーヤとアルバンが付きあっていると分かれば、マーヤに何をするか分からないと2人とも考えたからだ。


 アルバンを紹介しろとしつこかったハンナは、気づけば契約満了で役場を去って行った。


 毎日少しずつ、マーヤはアルバンとお互いのことを話した。思いも少しずつ、深いものへとなっていった。もう、アルバンなしでは生きていけないかも知れない、そう思い始めた頃だった。アルバンに首都へ戻るようにという辞令が届いた。


「マーヤ、一緒に行ってくれないか?」

「首都から通える範囲の地方官吏職に異動できないかしら?」

「心配しないで、マーヤの能力について報告したら、中央に異動させるって、オイゲン部長から連絡があった。明日にはマーヤの所にも届くはずだよ」

「え? 随分と手回しが……」

「そりゃ、マーヤにノーの言われたくないからね」


 ふふふ、と微笑み合う。恋を知らなかったマーヤは、恋も仕事も手にした。融通が利かない性格はそのままだが、そこを上手くあしらってくれるアルバンのおかげで、マーヤ自身のストレスも大幅に減っている。


 首都に入る手前に、大きな山がある。峰が2つに分かれており、片方が女神、もう片方が男神を祀っている。その山は2つでありながら、全体として1つに山であるという不思議な山だ。マーヤはそれを見ながら思った。


あの神様の山の峰から流れてくる川も、小さなせせらぎほどのささやかな流れから始まって、やがては深い淵を作る。それと同様に、私の恋もしだいに積もり、今では淵のように深いものとなってしまった。アルバンと出会えてよかった。アルバンが私を見つけてくれてよかった。

 私たち2人は2つでありながら、その心は1つに繋がっている。まるであの山のように。

読んでくださってありがとうございました。

今回のマーヤみたいな人には、今回のアルバンくらい強引じゃないと、気づかない&動けないような気がします。

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