42 百人一首をアレンジ92 わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし
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マーヤは静かに泣いている。暗い部屋の中でたった1人、声を殺して泣いている。
偉い人の言うことなんて、二度と信じない。生きているのも辛い。
マーヤはその内、泣き疲れて眠ってしまった。夜中、合鍵を使って母が様子を覗きに来た。瞼を真っ赤に腫らしながら、男の名前を呼んでいる。母はその名前に心を痛めた。
「かわいそうに」
だが、マーヤの母にはマーヤの恋を助けることはできない。それができる人などこの世にはたった1人しかいないが、その人物がマーヤを助けるとは到底思えないからだ。
「ご縁がなかったのよ。ご縁がなかったということは、たとえ結婚できても長続きできなかったということ。泣いてもいい、引き裂いた相手を恨んでもいい。だから、生きて」
誰にも聞かれぬ母の言葉が、夜の闇の中に溶けていった。
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マーヤは王宮で、王女様の侍女をしている。王女様の侍女ともなれば、平民では務まらない。伯爵家以下の令嬢の中から跡取りを外し、働く気のない者を外し、できあがったリストから選ばれ、面接を受け、王女様がリストの中から適当に丸印を付けられた者が、王女様の侍女候補として宮殿に上がった。
マーヤは男爵家の三女。嫁ぐための持参金もないので、将来は平民の妻として細々と暮らしていくつもりだったのに、なぜかこの運試しのようなリストに丸印を付けられてしまった。婚約者がいたわけでも、恋人がいたわけでも、片思い中の相手がいたわけでもない。だから、両親は「金が手に入る!」、マーヤは「初めての一人暮らし!」と、お仕えすることを了承したのだが。
正直に言おう、王女様の侍女は、とてつもなく重労働だった。裕福ではない男爵家ゆえ、マーヤの家には住み込みの侍女や使用人などおらず、日勤の使用人が3人いただけ。洗濯は洗濯屋に持っていった方が安かったし(その代わり、一張羅のドレスがくたくたになったので、それ以来ドレスだけは専門業者に頼んでいる)、料理は母も一緒になって作っていたし、掃除は姉妹3人も参加していた。ちなみに、跡継ぎの兄は、父と2人で庭師を兼務している。
これが王女様の侍女ともなると、真夜中だろうと入浴中だろうと、いつ呼び出されるかわからない。交代制にはなっているが、妙に王女様に気に入られたマーヤは、当番を差し置いて指名されることも多く、慢性的な睡眠不足に悩まされていた。
「眠い~、死ぬ~、誰か助けて~」
棒読み状態の魂の叫びも、他の侍女たちからは気の毒そうな目で見つめられるだけで、誰も代わってはくれない。
いや、正確に言えば、代わっても無意味なのだ。マーヤが事情になったばかりのころは、王女様に自分の担当時間だとみんなが言ってくれた。だが、「私がマーヤにお願いしたいの!」っとぷっくり頬を膨らませるので、次第に誰も交代すると言えなくなってしまったのだ。
1人だけ、マーヤが寝不足でこのままでは死んでしまうと侍女長に掛け合ってくれた人がいたが、その人は解雇された。王女様の意に反することをしたら、首なのだそうだ。
それを聞いたマーヤは、王女様の意に反することばかりやってみた。だが、王女様からも侍女長からもクビを宣告されることはなかった。
おかしい。
その頃になると、侍女たちの間でも王女様のマーヤに対する執着は変だという噂が流れ始めた。
「マーヤ、あなた王女様との接点ってあったの?」
「あるわけないじゃないですか! ただの田舎の下級貴族ですよ? 王都にだって、片手で数えられる回数しか来たことがなかったのに」
「王女様がマーヤの所に来たことがあったとか?」
「ないない、そんなことがあったなら両親が大騒ぎしたはずだから」
王女様のお気に入りということでもない、ただ、頻繁に呼びつけられる。大変な用事ではないが、時間がかかる用件ばかり言いつけられる。些細なことを揶揄われる。地味にボディーブローが効いてくるものばかりだ。
「はあ、私が何をしたって言うのよぉ!」
寮では一人暮らしだと思ったのに大部屋でプライバシーなどないし、食堂の食事は上位貴族のご令嬢に合わせて少なめだし、その上外に出た同僚に買い物を頼んでも、毒味が終わらないと持ち込めないし、毒味係は安全だと分かっていて半分以上食べてしまうし……
そう、マーヤは眠いことと同じくらい、食べられないことに嘆いていた。毒味係が少しずつふくよかになっていくのは気の毒だと思うが、一口で止めるべき所を半分も食べているのだ。あれは天罰だと思ってきゅるきゅると鳴るお腹に手を当てる。何とか取り戻したクッキーも、残り2枚。次のおやつを買いに行けるのは、一体いつになるだろう。それまで、マーヤはおやつを食べられない。
ああごめんね、私の胃袋ちゃん。あなたが欲する量は、ここにいる限り手に入らないのよ!
その時「ぶはっ」という笑い声が聞こえた。
「え、まさか私、声に出していたの?」
「それも大きな声でね」
いつの間にそこにいたのだろう、背中合わせのベンチの反対側に、見慣れた騎士が座っていた。
「アルバン様! お願いです、黙っていてください!」
「どうしようかな」
「また王女様にまた揶揄われます。もう、メンタルやられそうなんですから」
「揶揄われる?」
「はい。24時間逸呼び出されるか分からないから熟睡できないし、それなのにご飯も少なくて……」
「それでどんどん痩せてしまったのか」
「どうしてそれを?」
「鏡を見ているか? 毒味係のハンナが制服のサイズアップを申請して笑われていたが、マーヤは支給された服を詰めて着ているだろう? どうしてサイズダウンした制服を申請しないのかって、縫殿寮で話題になっているんだ」
「食べられるようになれば、詰めた分を戻して着られるかと」
「いつ食べられるようになると?」
「……さあ。王女様だけがご存じです」
「またあの方か」
アルバンは天を仰ぎながら言った。
「あの方のターゲットになったら、もう逃げられない。それを知っているから、両陛下も注意なさらない。ますますあの方が増長する。悪循環だな」
「まさか、侍女が大々的に集められたのって……」
「そ。前の侍女たちがみんな辞めてしまったからさ」
「信じられない! ただの我が儘ってことですか?」
「今頃気づいた?」
「王女さまが適当に丸を付けた人が王女様付きの侍女になるなんて、普通は思わないじゃないですか!」
「確かに、そうせざるを得ないほど、あの方のお側で仕えるのは難しいからな」
「アルバンさんだって、王女様付きの近衛騎士じゃありませんか」
「そうだね、僕の場合は……家の都合もあるからね」
「上位貴族は大変ですね」
アルバンは、マーヤと違って侯爵家の子だ。だが、三男ともなれば家を出て自分で生きていくしかない。株のように与えられる爵位がちょうど今はないということもあり、アルバンは早くから貴族としてではなく、騎士として生きる道を選んだ。だが、顔はいいし、出自も悪くない。その上腕もいいと来ている。それだけではない、とにかく性格がいいのだ。王女様と正反対である。
「王女様とのつながりは、そのまま王家とのつながりになる。侯爵家としては、そのつながりがどう生きるか分からないから、近衛を辞めるなって言われているのさ」
「親って、どうしてそう我が儘なんでしょうねえ。お金を送る暇もないって言っているのに、お給金を早く送れって矢のような催促です」
「それもまた大変だな」
「内憂外患って奴ですよ」
「随分と大げさな表現だな」
「内なる家族も、外なる王女様も、一筋縄では行きません」
「確かに。僕たち、似ているね。王女様に振り回されている。それも家の都合で」
「そうですね」
その日以来、合えばお互い微笑み合うようにあり、立ち話程度に話をするようになり、食堂で会えば一緒に食べるようになった。
一緒に食事をするようになってから、マーヤが1つだけ怒ったことがある。
「侍女と騎士では、食事の量に差があるって、どういうことなんですか!」
「待ってマーヤ、体を動かしている騎士と侍女では食事量が違うのは当然なんだ」
「あり得ません! 侍女は思いきり肉体労働なんですよ! 食べなきゃやってられないわ!」
「ならば他の侍女はどうして平然としているんだよ」
「みなさん、お菓子をお部屋に置いているのです! それもご実家から送っていただいたものを! ハンナったら毒味係を口実にして、持ち込みのお菓子の毒味の量を変えるんです! 高位貴族家の方に対しては一口、私のように格下の家のものは半分以上も食べてしまうんですもの! 買ってもすぐに消えてしまうのよ! それに家にはお給料をオ送らないといけないから、お小遣いなんてたかが知れているのに。」
「それが本当なら、ハンナは罷免されるぞ」
「え?」
「業務の名の下に私欲をむさぼっている。その結果、サイズアップした制服が高頻度で必要となり、縫殿寮の業務を増やし、余計な支出をさせている。これだけでも十分ではないか」
「あ……ええと……その……」
「いい、任せておけ」
その後、ハンナは毒味係どころか女官の仕事を失って実家に去った。実家では、体重が二倍になって帰ってきたハンナに驚き、その理由を知って顔を青くし、脱力して何も手に付かなくなってしまったらしい。王宮内の窃盗に準じる罪で王宮を追われた娘にはもやは嫁ぎ先など見つからないだろう。ハンナの両親はハンナをとある男爵に預けた。男爵自らが農業を営み、小作人たちと一緒に汗を流すような人物だ。その妻も、子どもたちも同じように畑で働いている。ハンナはそこで、食べ物がどうやって作られるかを知った。それを料理する人の苦心を知った。わずかな金しか持たぬ者が、月に一度の楽しみとして焼き菓子を1つ買い、家族で分け合っているのを知った。
食べたいものを食べたいだけ食べたい。それもおいしいものでなくては嫌。そう考えていた自分はどんなに傲慢だったのかとハンナは反省した。ハンナはそのままその男爵家で娘たちのマナー教師をしながら農業に触れる生活をしていくことになる。
さて、ハンナ事件を境に、アルバンとマーヤは急接近した。お腹がすいてならないというマーヤに、自分の皿から肉を切ってマーヤに食べさせたり、パンをマーヤの口にちぎって入れるようになった。もぐもぐと食べるその姿はまるで秋のリスのようで、アルバンはそれが愛しくてならなかった。マーヤはマーヤで、かっこいいアルバンが構ってくれるのがうれしかった。いつしか2人は恋人として、王宮内でも知らない者のないほど仲良くなっていった。
だが、それをよく思わない者がいた。王女様である。
王女様は、自分と同じ年なのにくるくるとよく働き、可愛がられているマーヤが気に入らなかった。度々嫌がらせをしてきたが侍女長にも命じて絶対にマーヤを辞めさせず、どうしたらマーヤの絶望顔が見られるだろうかと、そればかり考えていた。
実はハンナにマーヤの持ち込み菓子をたくさん食べるようにとそそのかしたのは、王女様だった。給料のよくないマーヤがお菓子を取られたらどれほど惨めな顔をするだろうと思っていたのに、自分に仕える近衛騎士のアルバンがその話を聞いてハンナを告発し、解雇させてしまった。
それどころか、アルバンがマーヤと交際を始めたと聞いた。アルバンに確認すると、アルバンの耳が赤くなった。近衛騎士には、自分好みの美形ばかり集めてある。己の近衛騎士が、他の女にうつつを抜かすなど、言語道断である。王女は考えた。そして、いいことを思いついた。
「お父様、私、アルバンと結婚したいわ!」
「アルバンか。あそこの侯爵家ならいいだろう。だが、アルバンは三男で侯爵家を継げない。どうするつもりだ?」
「アルバンに何か任務を与え、その報償として私を下賜するというのはどうかしら?」
「今のお前の生活レベルは維持できないぞ?」
「そこはお父様がなんとかしてください!」
王は考えた。この我が儘娘が小姑のように王宮に居座り、これから王太子妃、王妃となる人物に危害を加えるのは避けなければならない。アルバンに押しつけられるなら、多少化粧料などとして王女に毎年金を出した方が安上がりかもしれない、と。
急遽組まれた任務は、国交のない国と国境を開くという、近衛騎士に与えるには大きすぎる任務だった。だが、王には考えが合った。アルバンの父侯爵は外交を総括する担当大臣である。交渉団に王女も入れれば、親交も深まるだろう。
王の命によりアルバンが団長となって外交団が組まれた。父侯爵と兄は王が何かを企んでいると考えたが、彼らには外交団に参加することを禁じた。出発前の一ヶ月、アルバンは父侯爵たちから相手国についての情報をみっちりとたたき込まれた。外交に大切なことなども教えられた。
その間、アルバンとマーヤは一度も会うことができなかった。父侯爵の授業はスパルタで、アルバンはマーヤからの手紙に返事を書くこともできず、王女と出国してしまった。
マーヤは不安だった。忙しい様子ですまないね、とアルバンの2番目の兄が時々近況を教えてくれたが、返事は預かっていないといつも言われた。
憔悴していくマーヤを、王女様は心配するふりをしながら、扇の向こうで笑っていた。
マーヤの分際で、私のアルバンを誘惑しようとした罰よ。
外交団から国交成立の知らせが来ると、王宮はお祭りさわぎとなった。王宮には連絡できるのに、マーヤには一言のカードさえ来ないことで、アルバンに嫌われたんだろうかと思うようになった。
やがて、王宮内で「王女様がアルバン様の報償になるらしい」という噂が出回り始めた。周りの人が、マーヤを気の毒そうな目で見ることが増えた。ますますやつれていくマーヤに、同僚たちは休むようにと言った。だが、侍女長はそれを許さなかった。それが王女からの命令だったからだ。
痩せ細ったマーヤはある日、とうとう立ち上がれなくなり、その場に倒れた。うわごとを言いながら涙を流しているマーヤを見て、侍女長はさすがにやり過ぎたと考えたのだろう、マーヤを故郷の家に連れて行くよう命じた。
マーヤが実家に帰されたあと、アルバンは華々しく王宮に戻ってきた。そして、マーヤに会いに行こうとして、同僚たちに睨まれた。
「おまえがそんな奴だと思わなかった」
「騎士ではなく外交官として行ってきたことか?」
「違う! マーヤさん、お前の縁談の話を聞いてから何も食べられなくなって、やつれ果てて、倒れて、実家に送り返されたんだぞ!」
「マーヤが倒れた? 縁談? おい、どういうことだ、詳しく話せ!」
「お前、しらばっくれるのもいい加減にしろ!」
「本当に何も知らないんだ! 手紙を送っても返事も来ないし、どうしたのかとは思っていたが……」
「マーヤさんが手紙を送っていた。返事が来ないって、目の下に隈を作っていたよ」
おかしい。それから縁談とは何なのか。王から、直接報告に来るようにという呼び出しが有り、アルバンはとりあえず王の下に参じた。
「アルバン。このたびはよくやった。よって報償を授ける」
「はい」
「報償は、これだ」
奥の扉が開いて、王女様がしずしずと出てきた。
「そなたに宮中伯の地位を与えた上で、かの国へ我が国の大使として派遣する。また大使は妻帯せねばならぬ故、妻として王女を与える」
「お待ちください! 私には思う女性が」
「王女では不満か」
「不満などとは」
「ならば、王命である。従え」
「……はっ」
そういうことか。つまり自分は王女に嵌められたのだと、ようやくアルバンは気づいた。王女様はマーヤをどん底に突き落とし、アルバンを手に入れ、外国で元王女として社交という名の贅沢と遊びに金を使うつもりなのだろう。
顔を上げることができなかった。うなだれるアルバンに、王は一言だけ言った。
「このじゃじゃ馬を、頼む」
王と王女が出て行った後、アルバンはマーヤの故郷に馬を走らせた。馬を交代させながら三日走り通し、アルバンはマーヤがいる邸に辿り着いた。
当然のことながら、アルバンはマーヤに会わせてもらえなかった。事情だけでも話したいと食い下がると、マーヤの父と兄が出てきて、話だけは聞いた。そして、マーヤをいびっていた王女に嵌められたと言うと、2人は暗い顔をした。
「嵌められたとおっしゃいましたね。ですが、そんなこと、関係ありません。あなたはマーヤを守れなかった。マーヤを守れないような男に、マーヤを会わせることはできない」
アルバンは何度も振り返りながら都に戻っていった。父と兄から話を聞いたマーヤは、げっそりとやつれて落ちくぼんだ目から、また涙をこぼした。
「マーヤ、諦めろ。アルバン殿のことは残念だが、王家が絡んだ以上、アルバン殿が王女様との結婚を回避するにはアルバン殿が死ぬしかない。そうなれば、実家の侯爵家がおとがめを受ける。まったく、狡猾な方だ」
マーヤは、ただアルバンに捨てられた訳ではない、王女様の策略で引き裂かれたのだと知って、無理矢理自分の心を落ち着かせようとした。
それがよくなかったのだろうかマーヤはどんどん弱っていった。アルバンたちが大使として国を出発した後。差出人不明の手紙がマーヤ宛に届けられた。よく知っている近衛騎士に似た顔をした配達夫だった。
マーヤは手紙を開いた。そこには、見慣れたアルバンの字があった。
「マーヤ、こんなことになって、本当に残念だ。僕は今でもマーヤただ1人を愛しているし、王女様と結婚しても、王女様に触れることはない。いつかそれを理由に離縁されたらマーヤと一緒になりたい。でも、それがいつになるかは分からない、マーヤをおばあさんになるまで待たせるわけにもいかない。だから、いい縁談があったら、僕に構わずに受けてほしい。僕は遠い国から、マーヤの幸せを祈っている。愛している。守り切れなかった僕を、許してくれ」
走り書きの手紙は、おそらく王女様の目を盗んで書類を書く合間に書かれたのだろう。王宮の配達部に渡せば王女様の命令で抜き取られる可能性を恐れ……いや、もしかしたら互いの手紙もそうやって届かないように手を回されていたのかもしれない。それで、友人だった近衛騎士に頼んで、直接届けてもらったのだろう。変装までしなければ届けられないのだとすれば、これまで様々な方法で、何度も、マーヤに手紙を送ろうとしてくれたに違いない。
マーヤはその日、手紙を握りしめて泣いた。飾らない自分を、貴族らしくない自分をありのままに受け止めてくれたアルバンが恋しくてならなかった。もう二度と会えない、手紙も送れない。
ねえアルバン。わたしの袖も、枕も、シーツも、潮が引いた時でさえ海面の下にあって陸からは見えない、沖にある石のように、あなたも誰も余所の人は知らないでしょうけれど、(あなたへの思いが溢れて悲しくて流す涙で、乾くひまさえないのよ。
アルバン、会いたいよ。また一緒に笑いたいよ。あなたも私も、お互いにこんなに好きなのに、どうして一緒になれないの? どうして王女様はあんな意地悪をするの? もう死んでしまいたいよ……。
1年後、アルバンと王女様が離婚したというニュースが新聞の一面を飾った。
「元王女、初夜を拒否されて激高!」
「間男は1人ではなかった!」
刺激的な見出しに、まだ体重が戻らず、自力で歩けなくなったマーヤでさえ表情がはっきりと変わる。あれ以来感情も失ったようになり、ぼーっとベッドの上で寝たきりになってしまったマーヤだが、今日は来客があるからと父に命じられ、楽な服装ではあるが客に会えるような服に着替え、こうやって車椅子で庭に出てきたのだ。
「仕事もせずに遊び歩く元王女は、先方の国から白い目で見られていた。外交官の妻として失格との烙印を押され、元王女は帰国することになったようだ。陛下も娘かわいさに元王女の我が儘を許したのだろうが、とんだ赤っ恥をかくことになったな」
アルバンは、どうしているだろうか。傷ついていないだろうか。
今でもマーヤの心はアルバンで占められている。
「旦那様、お客様がお見えになりました」
「お通ししてくれ」
穏やかな春の日。マーヤの目に、色とりどりの花が映る。
「マーヤ」
聞き覚えのある声がしたような気がした。
「マーヤ、ただ今」
「アルバン様?」
見上げたマーヤの視線の先には、同じようにやつれ果てたアルバンがいた。
「どうして、アルバン様、痩せてしまったの?」
「とんだ阿婆擦れのお世話係をしていたからね、マーヤがいつも目の下に隈を作っていたのはこういうことだったのかと思い知らされた」
「ようやく、私の苦労が分かったのね」
「ああ。それに、あの女からようやく解放された。陛下からも慰謝料をたっぷりもらったから、もう一生働かなくてもいいくらいだ」
「そう、なの」
「マーヤ。僕が最後に送った手紙は届いただろう?」
「はい」
「マーヤ、僕はね、この国に帰ってきたんじゃない、マーヤの所に帰ってきたんだ。マーヤ、僕の隣に、一生いてくれないか。この地で兄上の補佐官をしながら、都から離れたこの地でマーヤとゆったりと人生を歩きたい」
「私、こんな体になってしまったわ」
「僕も似たようなものだ」
「なら、うちでおいしいものをいっぱい食べて、元気にならないといけないわね」
「そうだな。ここでなら、僕も元気になれそうだ。マーヤさえいればいい。もう二度とマーヤと離れたくない」
「アルバン様!」
泣きながら抱き合う2人を、両親は物陰から見ていた。
「お前、優秀な補佐官が手に入ったな」
「父上、手に余ります。できたら彼に男爵位を譲りたいくらいです」
「いや、駄目だ。マーヤはあそこまで体を壊してしまった。おそらく子どもは産めないだろう。跡継ぎの問題を抱えるのは得策ではないから、補佐官で居てくれるのが丁度いいんだよ」
「それもそうですね」
抱き合ったまま離れようとしないアルバンとマーヤの周りを、春風に散った花が飛んでいく。
ああ、春だな、とマーヤの兄は思った。
読んでくださってありがとうございました。
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