41 百人一首をアレンジ82 思ひわびさても命はあるものを憂きに堪へぬは涙なりけり
読みに来てくださってありがとうございます。
恋の歌とされていますが、人生についての歌でもあるとされています。
今回は恋の歌説で妄想してみました。
よろしくお願いいたします。
「なあ、アルバン。いい加減諦めた方がよくないか?」
オイゲンが心配そうにしている。だが、アルバンは無理矢理微笑んで言った。
「諦められるものなら諦めているさ。諦めたくても諦められない恋をするなんて、一帯どうしたんだろうな。俺らしくない」
「アルバン……」
泣くこともできずにただ強い酒をあおり続けたアルバンは、そのうちテーブルに突っ伏して眠ってしまった。オイゲンは、店ではなく自分の家にアルバンを連れてきてよかったと思った。なんとかソファまで引きずると、アルバンを寝かせた。長い足が余って、膝から下ははみ出している。
「狭いが許せ。俺は自分のベッドを友だちに使わせる度量はない」
ブーツを脱がし、スツールを下に置いてやる。何とか足に血が溜まることは避けられそうだ。いや、こんなことなら床に寝転がして置いた方がよかっただろうか、などと考える。ふと、アルバンの靴下の刺繍にオイゲンの目が釘付けになった。そして、ため息をつくと思った。
マーヤは罪作りな女だな、と。
・・・・・・・・・・
アルバンは国境警備隊の兵士だ。特別優れた力があるわけでもないが、ただ真面目に、そして無駄死にしないように、コツコツと努力を続けられるところはある意味才能と言ってもいいかもしれない。
真面目なアルバンは、同僚たちが休みの前の晩に女性が接客してくれるような店に誘われても、参加したことがなかった。男兄弟4人の中で育ったアルバンにとって、若い女性は得体の知れないものであり、どうやって接したらいいか分からない存在であった。
長兄が親と一緒に農業を始め、次兄もその手伝いをするようになったが、アルバンはもっと家族に楽な生活をさせたかった。特に四男のマルクは賢く、上級学校に推薦される見込みだったが、今の家庭の収入では進学など難しい。ならば、自分が国境警備隊の兵士になろう。そうすれば農業を手伝って得られる収入の5倍は稼げる。危険なのは百も承知の上で、アルバンは入隊試験を受け、無事に合格した。
両親はこれまで兵になるための訓練なんてしていないのにと反対したが、アルバンがマルクの学費を出してやりたいのだと言えば押し黙った。
「それに、マルクが頑張って勉強して都で官吏にでもなれば、少しは仕送りだってしてもらえると思うんだ」
マルクは聡い子だったから、アルバンが危険な仕事で自分の学費を稼いでくれることに恐縮し、より一層励むと誓ってくれた。
「跡継ぎではないからこそ、マルクは自由に羽ばたける。頑張ってくれれば俺の生きがいにもなるから。それに、国境警備隊の兵士ってかっこいいと思わないか?」
「アルバン兄さん、ありがとう」
アルバンは自分が生活するために必要な金額と、将来のための貯蓄分を覗いた全てを、寄宿舎に入ったマルクと両親たちの元に半分ずつ送った。
訓練し、時々現れる山賊の討伐を行う。国境警備隊では一定の金額まで且つ兵舎内の衣料品店で見繕えば支給対象となる。散髪も兵士どうしでやるし、酒も飲まない。駐屯地から出ないアルバンが、金を使うことはほとんどない状況だった。
女性が接待するような店で常連となっているような仲間に一緒に行こうと誘われても、アルバンは断り続けた。付き合いが悪いとなじられたが、アルバンはそんな疑似恋愛など興味がなかった。国境警備隊は、25歳までに班長にならなかったら除隊となる。除隊となったら、その後傭兵団に入るか、ソロで商家や旅人の護衛業務に就く者が多い。アルバンも実家には帰らず、先輩たちと同じようにするつもりでいる。班長になれるのは、子供の頃から剣や弓などを鍛え上げてきた者か、作戦を立てられるような頭脳派に限られる。農家の子としてごく普通に生きてきたアルバンが班長になるとは思えなかった。
その日、アルバンたちの班は国境沿いの山で、街道から少し離れた場所をパトロールしていた。最近女性の誘拐が連続して発生しているのだが、国内で見つからないことから、隣国へ連れ去られている可能性が浮上し、その事前調査を命じられたのだ。
街道を避けて通っているならば、水を得やすいルートをまずは選ぶはずだと考えた班長は、山地を流れる比較的穏やかな川沿いに、人が通った痕跡がないか調べるように指示を出した。慣れた者なら、折れた小枝の高さやわずかな植物の立ち上がり具合から人が通ったかどうかを判断できる。アルバンにはそこまでの技量がないため、火の始末をした痕跡を探し地面を見続けていた。
「ん?」
アルバンは簪を拾った。この国では女性は髪を下ろさずに結い上げるので、簪は必須の品である。
「班長、簪がありました!」
「簪か。怪しいな」
証拠品と言うことで、白い布を広げて簪を拾い上げると、走ってきたオットー班長に見せた。
「これは」
「持ち主をご存じなのですか?」
「いや、この簪は店のものだ」
「店?」
「ああ、女性が男性を接待する店では、店員の女性に店の者だと分かるように、店の印が入った簪を持たせているんだ。店の簪を着けていたら店員、そうでなければ客ということになる」
「お詳しいんですね」
「馴染みの娘がいるからな」
班長は確か23歳と若い。将来を嘱望されたエリートということで、どこか遠い存在に感じていたが、そういう店に行くのかと思えば、遠い存在だった班長も人間なのだとアルバンは初めて思えた。
「つまり、その店の女性が誘拐されたか、一味として関与しているか」
「そうだな。被害者か加害者か分からないが、加害者であった場合は店を捜索することになるだろうな」
結論から言えば、被害者と加害者両方が発見された。最近店に入ったばかりの若い娘が一味の手先で、こういった店で働くことを痛う女性たちの心に言葉巧みに入り込み、助けてあげると言って一味に引き渡していたのだ。店から逃げ出した女性たちが送り込まれた先は、隣国の、元いた店よりも厳しい世界だった。後悔しながら働いていた所に2国の共同チームが踏み込み、女性たちは救出された。
「マーヤを最近見ないと思ったら、抜け出していたのか」
班長が呆れたように言った先に、人形のように美しい顔立ちの女性がいた。
「見つかっちまったねえ」
「なんだよ、助けに来たのに。こっちの仕事の方がよかったか?」
「いや、こっちでは給料さえ出なくてね。食べるものと寝る場所があるってだけで、ひどい目に遭ったよ」
顔は美しい人形のようなのに、話すと気っぷのいい女将といった風情のマーヤという女性に、アルバンは「簪を落としましたか?」と尋ねた。
「ああ、途中で喧嘩になって髪を捕まれてさ、簪が飛んで、髪がまとめられなくて、恥ずかしかったよ」
簪を着けていないということは、簪で髪がまとめられない子どもという扱いになる。それがマーヤには恥ずかしかったらしい。プライドが許さなかったのだろう。
「途中で一本拾ったんです。向こうの詰め所で預かっていますので、国に戻ればお返しできると思います」
「あたしたち、店に戻されるの?」
「年季の問題などもあるでしょうから、一概には言えないかと」
「そうだよねえ」
マーヤはため息をついた。
「あたし、農家の出なんだ。こんな話し方だから客が付かなくてさ。オットー班長くらいだよ、指名してくれたの。だから、なかなか年季が明けないのさ」
「指名ではないと売上にカウントされないと言うことか?」
「あれえ、兵隊さん、こういう店に来たことないの?」
「金をみんな実家と弟に送っているから、行くような金なんてないし、そんな時間が合ったら鍛錬していたいから」
「真面目だね~」
話を聞けば、マーヤはアルバンと同じ20歳だ。
「この仕事は、18歳からできるからね。頭が悪いあたしみたいなのが借金のカタになるなら、酒を飲ませる店か春を売る店のどっちかしかないのさ」
「君も苦労したんだな」
「大雨で山が崩れて、畑が全部埋まってさ。父さんはそれを見てどこかに行っちまった。母さんはあたしたち兄弟を必死で育ててくれたけどさ、6人もいれば女手1つでは厳しくて。それで、長女のあたしが売られたってわけ。でもね、後悔していないよ。下の子たちが大きくなるまでの全てのものがまかなえるっていわれたもん。あたしにそれだけの価値があったって思えば、悪い気はしなかったよ」
卑屈になることなく、自分に自信を持って仕事をしていたマーヤ。それでも「辛くないわけじゃなかったから、悪魔のささやきに乗っちまった、そういうこと」と寂しそうに笑った。
「あの子があまり重い罪にならないといいんだけど」
「人身売買に関与していたんだ、それは無理だな」
「そっか。私の話を一生懸命聞いてくれたの、あの子と兵隊さんだけだよ」
「オットー班長は?」
「あの人はただのお客様。むしろこっちが話というか愚痴をというか、そういうのを延々と聞かされ続けるの。他の子たちはオットー班長のことを煙たがっていたけどさ、あたしは話を聞くことで唯一指名を確保できた。あんな班長でも、大切なお客様だよ」
客、という言葉に胸が痛んだ。学も手に職もない女性が生きるために売れる物は少ない。それを者として消費するのはほとんどの場合自分とおなじ男だということも、男たちがそれを当然のように消費することにも、嫌悪感を感じた。
「いいんだよ、コツコツ働くのが苦手な人だっているんだから」
よく分からなかった。帰国する途中、アルバンはマーヤや、マーヤと一緒に保護されて国に帰る女性たちと話をした。口を挟まずに話を聞いてくれるアルバンに、女性たちも心を開き、あんなことがあった、こんなことがあったと教えてくれた。それをアルバンは証書にまとめ、オットー班長に提出した。
「アルバンさん、あんたが店に来てくれたら、きっとみんな喜ぶと思うよ」
別れの日、マーヤはアルバンにそう言った。女性たちがうんうんと頷いている。
「1ヶ月後、みんながちゃんとやっているか見に来ます」
「そんなこと言わずに、客としてきておくれよ」
「そうだよ、オットー班長と一緒に来てよ」
「約束はできないよ」
「いいよ、この商売では男との約束なんて信じちゃいけないって、みんな分かっている」
きっと彼女たちは、オーナーからひどく叱られたに違いない。だが、店の待遇が悪かったからこういうことになったのだと国境警備隊の上の人に叱られ、オーナーも心を入れかえて働きやすい職場にするとしたらしいから、なんとかなるはずだ。
「さみしいか?」
駐屯地に戻ると、オットー班長が声を掛けてきた。
「随分マーヤと仲良くなったみたいじゃないか」
「そんなことありませんよ」
「本当か?」
「はい。あくまで任務でしたから」
「それなら、俺はマーヤを身請けしても怒らないよな?」
「ええ、もちろんです」
一ヶ月後、アルバンは約束通り、マーヤたちが働く店に顔を出した。なんだか揶揄われそうだったので、オットー班長とは別行動にした。
「本当に来てくれたんだね」
「俺は約束を守る男だから」
「ふふ、いいねえいいねえ」
アルバンはその日初めて、女性が接客する店で酒を飲んだ。楽しかった。女性たちがちやほやしてくれるのは初めての体験で、浮かれた気分になった。
会計の時、マーヤはアルバンに言った。
「やっぱりここは、あんたみたいに真面目な人がくるところじゃないよ。二度と来ちゃいけない」
「どうして?」
「あんたみたいな初心な男は、カモにされるよ」
「カモ」
「金だけふんだくられるってこと。だから、来ちゃ駄目だよ」
「でも、マーヤに会いたい」
「え?」
「マーヤと話していると、実家の村で幼なじみたちと話しているような気持ちになる」
「ああ、あんたも農家の家の子だって言っていたよね。じゃ、ほどほどにして遊びに来てよ」
アルバンは気づかなかった。マーヤの瞳が映すアルバンは、貨幣に返還されて映っていたことに。
それからアルバンは週に一度はやってきて、金を落とすようになった。送金額を減らしたくなかったので、足りなくなると貯蓄を取り崩すようになった。
それに気づいて、「もう行くな」と言ったのは、オットー隊長とオイゲンだ。
「癒やされるんだ」
「だめだ、彼女たちはそうやって金を巻き上げていく。除隊の時に現金がないと困るって言っていたのはアルバンじゃないか」
「でも、マーヤもあてにしてくれている」
「カモにされているんだって」
「カモか」
だが時既に遅し。マーヤにすっかり恋してしまっていたアルバンはマーヤに会うために店に行き、マーヤとの時間を確保するために金を使った。
とうとう、アルバンの貯蓄が底を突いた。それを知ったマーヤは、アルバンが店に来ても顔を出さなくなった。いや、店に入れなくなった。
アルバンが次第に病んでいった。恋しい女性から逃げられていると気づいたからこそ、余計に追いかけたくなった。だが金がないアルバンはもう店に入れない。
アルバンは荒れるようになった。見かねたオイゲンが、自宅に招いてくれた。
「アルバン、お前、マーヤが身請けされたの、知っているか」
「そうなのか?」
「ああ。オットー班長だよ」
「そうか」
アルバンは強い酒をあおった。もう、オットー班長とも会いたくないな、と思ったが、このままでは野垂れ死にするだけだな、と酔ってよく回らない頭で考えた。いろんな古都がどうでもよくなった。
「その道の玄人に、うまく手玉に取られたな」
「すっからぴんさ。これからどうやって生きていこうかな」
アルバンは悪酔いして潰れた。ブツブツと独り言を言いながらしくしくと泣き始めた。
「何? もう一回言えよ」
「つれないマーヤのことを思ってこれほど悩み苦しんで、そうはいっても命だけはどうにかあるものだが、この辛さに堪えきれないものは次から次へと流れ落ちる涙だよ」
「なんだかよくわからないことを言っているが、とにかく辛いんだな」
「おう、悪いか?」
「ったく、バカだな」
「ああ、バカだよ」
そう言いながら眠ってしまったアルバンを寝かせたオイゲンは、ブーツを脱がせた。そしてその靴下に、マーヤと刺繍されているのを見つけた。靴下に女性が名を刺繍するのは、影ながらあなたを支えるという意味を持つ。
こんなことをされたら、アルバンが勘違いするのも仕方が無い。
「全く、タチの悪い女に捕まったもんだよ。マーヤは班長とお前を天秤に掛けて、じっくり吟味して、お前を捨てたんだからな」
アルバンには、オイゲンの声は聞こえない。ただ、夢の中でもマーヤを思って悲しがっていた。
読んでくださってありがとうございました。
いいね・評価・ブックマークしていただけるとうれしいです!




